「グレグは狡猾かつ残忍。目的のためなら手段を選ばない男です。彼の元に連れて行かれれば、たとえウィンフレッドさまといえども、命の保証はありません」

「私のことは、ドットや国の騎士たちが守ってくれるんじゃないの?」

「もちろんです。今も城全体だけでなく、この塔には特別強力な結界を張り巡らせ、兵士や魔法師たちによる厳重な警戒をさせております。絶対に姫さまを、グレグに奪われるようなことはさせません」

 そうね。ドットだけではなく、彼らにも私のせいで迷惑をかけているのは分かってる。
我が儘を言ってはいけない。
多くの人が心配してくれている。

「……。ありがとう。心から感謝しています。皆にもよろしく伝えておいてね」

 私だって、正体不明の恐ろしい魔法使いのところへ連れて行かれたくなんかない。
少なくとも、100年も前から生きている大魔法使いだ。
16にもならない私なんて、おもちゃのネズミくらいのようなものだろう。
会った瞬間、踏み潰されてしまうかもしれない。
魔法の火で、あぶり殺されてしまうかも。
怖くなって少しだけ大人しくなった私に、ドットは白い肌に微かな笑みを浮かべた。

「もっと本を持ってこさせましょう。刺繍や編み物だけでなく、絵や何か楽器のようなものを練習なさるのもよいかもしれません」

「そうね。退屈しのぎには丁度いいかも」

「いずれ自由になれる日がやって参ります。それまで共に戦いましょう。誕生日が最悪の一日になるだなんて、誰にとってもあってはならないことです」

 面談代わりのお茶を終えたドットが、他の仕事に戻るため狭い塔の部屋を出る。
唯一の出入り口を塞ぐ重い木の扉が開かれた。
屈強な男性兵士が二人がかりでようやく開くことの出来るような扉だ。
自ら望んでここに居るとはいえ、気持ちはずっしりと重くなる。
こんなにも長い間たった一人きりでいるなんて、今まで一度もなかった。

 閉められた扉の向こうで、かんぬきのかけられる音が聞こえる。
誰も居なくなった薄暗い部屋で、ランプの明かりを消した。
たった一つの窓の外では、すでに太陽も隠れている。
真っ暗になった部屋で盛大にため息をつくと、ベッドの上へ飛び込んだ。

 紋章が浮き上がる直前まで、あれだけ毎日楽しく過ごしていた日々が嘘のよう。
沢山のお友達に囲まれピクニックへ行ったり、お茶会をしたり。
乗馬や流行の演劇を見に行く約束もしていた。
街で開かれる、初夏を彩るパンタニウムの花祭りも、もうすぐなのに。
我慢しなくちゃと分かっていても、一人になった夜の部屋では、涙があふれて止まらない。
川遊びに行きたい。ボートに乗りたい。生まれたばかりの子馬は、もう私のことを忘れてしまったかも。
ドット以外の人は危険があるからと、誰もこの部屋に会いに来てくれない。
話も出来ない。助けてと叫びたくても、叫ぶことすら許されない。
めそめそと一人泣いて過ごす夜を、あとどれくらい過ごせばいいの? 
誕生日まであと半年って本気? 
どうしてグレグは、私にこんな紋章なんて付けたんだろう。
なんで私? 
こんなの、全然私のせいじゃないじゃない。
ただ生まれてきただけで、何にも悪いことなんてしていない。
なのにどうして……。

 星も見えない真っ暗な夜の窓を、コツコツと叩く音が聞こえた。

「誰?」

 何かが窓の外でうごめいている。
足音を忍ばせ明かりもつけずにそっと近寄ると、一羽の大きなカラスと目があった。
彼はもう一度、くちばしでコツコツと窓を叩く。

「どうやってここまで入って来たの?」

 ドットから、決してよそ者をこの部屋に招き入れるなと言われている。
だけど、カラスが相手だ。
この国一番の魔法使いがかけた結界なのだから、敵意あるものなら全て排除されているはず。
この窓から見下ろす庭に、小鳥も虫も木の葉も飛んでいた。
それらは全て害のないものだから、入ってこられたのよね。
そうじゃなきゃ、すり抜けられないもの。
だけど……。

 カラスは大きな黒い目でこちらを見つめながら、しきりにカクカクと左右に首をかしげている。

「ふふ。いいわ。入れてあげる。私もずっと一人ほっちで、寂しかったの」

 掛けがねをカチリと外す。
わずかに開いた窓から、カラスはサッと中に滑りこんだ。
部屋を素早くぐるりと一周したかと思うと、中央でふわりと体を浮かせる。
そのままテーブルの上に、バサリと着地した。
鋭い爪が木の板に当たって、カチカチと音をたてている。

「ちょっと待ってね。いま明かりを付けるから」

 テーブルに置かれたろうそくに慌てて明かりを灯す。
カラスはせわしなく首を傾けぴょんぴょん跳びはねながら、部屋の様子をうかがっていた。

「どうしてここまで来たの? 怪我してる? 何かに襲われた?」

 もっとよく見たいけど、このカラスは普通のカラスより一回り大きい気がする。
近くで見るとわりと大きな鳥の部類だ。
突然襲われたらと思うと、自分で引き入れておきながら、大胆な計画にかなり緊張している。

「何か食べる? お菓子なら沢山余っているの」

 カラスから目を離さないようにしながら、ゆっくりと部屋を移動する。
もし危険な動きをしたら、すぐに壁にかけられた非常用のベルを鳴らすつもり。
扉の外で番をする兵士たちが、駆けつけてくる。

「あなたは何が好き? 種入りのクッキーなんてどうかしら」

 バスケットにかけられた布巾を取り払う。
今日の昼に焼き上がったものを、さきほどドットが運んできたものだ。
色とりどりのクッキーやメレンゲ、スコーンなどの焼き菓子が、びっしりと並べられている。

「ジャム入りのものもあるみたい。あなたはどっちが好き?」

 アーモンドと野いちごのジャムが入ったクッキーを一枚ずつ小皿に並べ、そっとカラスに近づける。
コトリと置いた皿をしばらく不思議そうに眺めていたが、カラスは種入りのクッキーを気に入ったようだ。
何度かくちばしでつついて確かめたそれをパクリと咥えると、そのまま丸呑みにしようとしている。
くちばしに対して大きすぎるそれと格闘するカラスの気がこちらからそれた瞬間、私はガバリとそこへ飛びかかった。

「捕まえた!」

「ギィヤァッー!」

 大きなカラスは叫び声をあげ、腕の中で翼をばたつかせ大暴れしている。
だけど、こんな程度じゃ負けない!

「バカね! 私がそんな簡単に騙されると思ったの? あなたグレグでしょ! 野性のカラスならふらふらとこんな夜中に、塔のてっぺんに来るワケないもの!」

「分かった、分かった! 分かったから離せ!」

 しっかり掴んだ腕の中で、カラスはまだ暴れている。

「離すもんですか! 衛兵! 衛兵! いますぐ扉を開けなさい!」

「待て!」

 ボンッ! と音がしたかと思うと、目の前に真っ白い煙がもくもくと上がる。
カラスの姿は跡形もなく消え去り、そこに現れたのは、金髪のおかっぱ頭に鮮やかな蒼い目をした、12、3歳くらいのまだ幼さの残る少年だった。