バイト先のコンビニから帰ってくると、ベッドに弁当とお茶とハイボール缶の入ったビニール袋を放り投げ、パソコンデスクに向かう。
部屋の中は静まり返っていた。
マウスを手に取り動かすと、スリープ状態のままのパソコンがすぐに起動する。
スリープを解除すると、インターネットブラウザを立ち上げる。バイトに行く前に開いていたままのSNSの画面が開かれている。
いくつか通知が来ているが、それらを無視してテキストエディタを開く。
「聴いたら死ぬ催眠音声」について、これまで集めた情報を一つ一つ整理していく。モニターには見慣れたブログのスクリーンショットや、ネット掲示板から拾い集めた書き込みが並んでいた。
今はSNSで軽くジャブのような発信をしているだけだが、ここまでに集めた情報をまとめて記事にして公開するつもりだ。新しい都市伝説として「聴いたら死ぬ催眠」がここから広がっていくだろう。そしてその都市伝説の聖地として、霧谷の記事が読み継がれていく――そんな妄想をしながら、彼はキーボードを叩き続けた。
2ちゃんねるのスレッド
キャロットくるりのブログ
「silent shell studio」のサークル主の知璃ぬるのブログ
「unknown:あなたが聴く最後の音声」の販売ページ
ここまではすんなりと情報が集まった。
あまりにもすんなりすぎた。
しかし、ここで情報の糸はぷっつりと途切れてしまった。
「ここからどうすればいいんだ」
キーボードを打つ手を止めて、ぽつりとつぶやく。
指先は机を叩き、眉間には深い皺が刻まれる。
もともと、このネタを掴んだ時点では「ちょっとしたブログ記事の一つ」になると割り切っていたはずだった。けれど、掘れば掘るほど、この「聴いたら死ぬ催眠音声」には何か隠された深みがある気がしてならなかった。都市伝説としての表面だけではない、その奥にある「真実」に触れたい――触れなければ、記事を書く意味がない。
つまりは、どうしても音声そのものを聴いてみたい、のだ。
その想いが頭を支配するたび、これまでの調査が無意味に思えてくる。すべては核心の「音声」にたどり着くための布石でしかないのだ。
――なのに。
音声そのものが手に入らない。この事実が頭を締め付けるような感覚を伴って、霧谷を苛立たせていた。
「どこかに落ちてたりしないのか……」
苛立ちを隠せずに声が漏れる。もう入手不可能なのかもしれない。
販売ページはインターネットアーカイブに残っていた。しかし、当然すでに販売停止されているものを購入することはできない。この際、いっそ違法アップロードでもいいから、どこかにデータが転がっていないかと探してはみたものの、そもそもほとんど売れていない「unknown:あなたが聴く最後の音声」のデータが落ちているわけがなかった。
「はあ……」
大きくため息をつき、書きかけの記事の見出しにカーソルを合わせる。
「『聴いたら死ぬ催眠』って知ってる? ―聴き手に救い(死)をもたらす音声は存在した?―」
掲示板やSNSで出回る噂だけをまとめて、「真相に迫る!」なんて煽り記事を書いて済ませてしまうほうが賢明なのかもしれない。
しかし――霧谷は首を横に振る。そんな記事は本当の意味で「真実」を追ったものにはならない。
やはり、音声そのものをどうにか手に入れ、聴いてみたい。
その方がネタとして面白い。いや、それよりも、単純に、「聴いたら死ぬ催眠」の真実を知りたい。
キリがいいところまで文章を書き終えると、霧谷はベッドに放ったビニール袋から弁当とハイボール缶を取り出す。モニターの前でハイボールを煽りながら、コンビニ弁当に手を付ける。
そういえば、SNSにメッセージが来ていたな。
ブラウザを呼び出して、SNSの通知をチェックする。「聴いたら死ぬ催眠」についての調査のポストにいくつかのいいねとRPの通知、そしてDMがいくつか来ている。
最近は「聴いたら死ぬ催眠」や、ほかのオカルト関係のネタについてちょくちょくタレコミが来る。といっても、ほかのオカルトネタについてはともかく、「聴いたら死ぬ催眠」についてはほとんどが関係ないガセネタのようなものばかりだ。
単にちょっと尖った内容の有料ASMR作品や、Youtube配信が送られてきているのがほとんどだ。ASMRリスナーのSNSの行き過ぎた書き込みについて「これって例の音声を聴いておかしくなったんじゃないですか?」といったDMは、私怨にしか見えない。
「あれ、お麩から連絡来てる」
友人からのDMを見落としていたようだ。心の中でお麩に謝りながらDMを開くと、今日の朝に送られていたものだった。
「ブログからサークル主の家の場所特定できたぞ」
口に運びかけたコンビニ弁当の米が思わず口から零れ落ちる。
霧谷の目が見開かれる。
「家を……特定?」
何度読み返しても、お麩からのDMにはそう書かれていた。
特定――といえば、SNSなどに書き込まれた些細な情報をもとに、発信者の住所や本名、通学先や通勤先などを特定する行為を指す。サークル主、知璃ぬるのブログ「いろはにほへと知璃ぬるを」には、確かに知璃ぬるの普段の生活や写真が掲載されていた。
掲載されていたが、ただの花の写真や庭の写真、文章もどこにでもありそうな田舎の光景で、霧谷には都会ではないことくらいしかわからなかった。
きりや_オカルトライター @mist_k_009
ごめんDM見てなかった。 家を特定したってマジ?
DMを送ると、たまたまSNSを見ていたのかすぐにお麩から返信が来る。
お麩 @standby_fog
マジマジ。3月12日の梅の記事の写真に、神社載ってんじゃん。
拡大して画像調整したら神社の名前何となく読めたから、それっぽい名前で検索したらビンゴ。
3月12日の梅の記事。たしかに神社の写真が掲載されていた。
神社を外からとったような写真だった。が、そんなに特定できるような情報があっただろうか。
オカルト好きとはいえ、寺社仏閣についてはそこまで詳しくない霧谷は素直に感心した。
きりや_オカルトライター @mist_k_009
すごすぎ。その能力をもっと世界のために使うべき。
お麩 @standby_fog
うるさ。で、その神社っていうのが門傑神社。X県の黒煉村っていうところにある。
「黒煉村……」
画面に浮かび上がった村の名前を呟く。
ブラウザの別タブを開くと、素早く「黒煉村」と検索をする。
検索結果には小さな山間の村が表示されていた。観光地としての情報はほとんどなく、ただ静かに時が止まったような場所――そんな印象だった。
検索メニューで「地図」をクリックして、黒煉村の地図を開く。すぐに門傑神社は見つかり、Google Earthで見れば、たしかに知璃ぬるのブログに掲載されていた例の神社だった。
きりや_オカルトライター @mist_k_009
マジじゃん。すごすぎ
お麩 @standby_fog
あと犬の首輪もよ~く見たら名前っぽいのが書いてある。わかんないけど、一文字目は漢字の「六」かな
きりや_オカルトライター @mist_k_009
「六」から始まる苗字なんてあるか?
お麩 @standby_fog
六車 六本木 六川 六角 六田 六反田 六鹿 六反 六笠 六郷 六浦 六波羅
きりや_オカルトライター @mist_k_009
ごめん
「黒煉村……」
GoogleEarthでゆっくりと村をめぐっていく。何もない、小さな山間の村に見える。
お麩 @standby_fog
行くんだろ?
お麩のDMに返信するのも忘れ、霧谷は黒煉村の中を画面の中で巡り続けた。
部屋の中は静まり返っていた。
マウスを手に取り動かすと、スリープ状態のままのパソコンがすぐに起動する。
スリープを解除すると、インターネットブラウザを立ち上げる。バイトに行く前に開いていたままのSNSの画面が開かれている。
いくつか通知が来ているが、それらを無視してテキストエディタを開く。
「聴いたら死ぬ催眠音声」について、これまで集めた情報を一つ一つ整理していく。モニターには見慣れたブログのスクリーンショットや、ネット掲示板から拾い集めた書き込みが並んでいた。
今はSNSで軽くジャブのような発信をしているだけだが、ここまでに集めた情報をまとめて記事にして公開するつもりだ。新しい都市伝説として「聴いたら死ぬ催眠」がここから広がっていくだろう。そしてその都市伝説の聖地として、霧谷の記事が読み継がれていく――そんな妄想をしながら、彼はキーボードを叩き続けた。
2ちゃんねるのスレッド
キャロットくるりのブログ
「silent shell studio」のサークル主の知璃ぬるのブログ
「unknown:あなたが聴く最後の音声」の販売ページ
ここまではすんなりと情報が集まった。
あまりにもすんなりすぎた。
しかし、ここで情報の糸はぷっつりと途切れてしまった。
「ここからどうすればいいんだ」
キーボードを打つ手を止めて、ぽつりとつぶやく。
指先は机を叩き、眉間には深い皺が刻まれる。
もともと、このネタを掴んだ時点では「ちょっとしたブログ記事の一つ」になると割り切っていたはずだった。けれど、掘れば掘るほど、この「聴いたら死ぬ催眠音声」には何か隠された深みがある気がしてならなかった。都市伝説としての表面だけではない、その奥にある「真実」に触れたい――触れなければ、記事を書く意味がない。
つまりは、どうしても音声そのものを聴いてみたい、のだ。
その想いが頭を支配するたび、これまでの調査が無意味に思えてくる。すべては核心の「音声」にたどり着くための布石でしかないのだ。
――なのに。
音声そのものが手に入らない。この事実が頭を締め付けるような感覚を伴って、霧谷を苛立たせていた。
「どこかに落ちてたりしないのか……」
苛立ちを隠せずに声が漏れる。もう入手不可能なのかもしれない。
販売ページはインターネットアーカイブに残っていた。しかし、当然すでに販売停止されているものを購入することはできない。この際、いっそ違法アップロードでもいいから、どこかにデータが転がっていないかと探してはみたものの、そもそもほとんど売れていない「unknown:あなたが聴く最後の音声」のデータが落ちているわけがなかった。
「はあ……」
大きくため息をつき、書きかけの記事の見出しにカーソルを合わせる。
「『聴いたら死ぬ催眠』って知ってる? ―聴き手に救い(死)をもたらす音声は存在した?―」
掲示板やSNSで出回る噂だけをまとめて、「真相に迫る!」なんて煽り記事を書いて済ませてしまうほうが賢明なのかもしれない。
しかし――霧谷は首を横に振る。そんな記事は本当の意味で「真実」を追ったものにはならない。
やはり、音声そのものをどうにか手に入れ、聴いてみたい。
その方がネタとして面白い。いや、それよりも、単純に、「聴いたら死ぬ催眠」の真実を知りたい。
キリがいいところまで文章を書き終えると、霧谷はベッドに放ったビニール袋から弁当とハイボール缶を取り出す。モニターの前でハイボールを煽りながら、コンビニ弁当に手を付ける。
そういえば、SNSにメッセージが来ていたな。
ブラウザを呼び出して、SNSの通知をチェックする。「聴いたら死ぬ催眠」についての調査のポストにいくつかのいいねとRPの通知、そしてDMがいくつか来ている。
最近は「聴いたら死ぬ催眠」や、ほかのオカルト関係のネタについてちょくちょくタレコミが来る。といっても、ほかのオカルトネタについてはともかく、「聴いたら死ぬ催眠」についてはほとんどが関係ないガセネタのようなものばかりだ。
単にちょっと尖った内容の有料ASMR作品や、Youtube配信が送られてきているのがほとんどだ。ASMRリスナーのSNSの行き過ぎた書き込みについて「これって例の音声を聴いておかしくなったんじゃないですか?」といったDMは、私怨にしか見えない。
「あれ、お麩から連絡来てる」
友人からのDMを見落としていたようだ。心の中でお麩に謝りながらDMを開くと、今日の朝に送られていたものだった。
「ブログからサークル主の家の場所特定できたぞ」
口に運びかけたコンビニ弁当の米が思わず口から零れ落ちる。
霧谷の目が見開かれる。
「家を……特定?」
何度読み返しても、お麩からのDMにはそう書かれていた。
特定――といえば、SNSなどに書き込まれた些細な情報をもとに、発信者の住所や本名、通学先や通勤先などを特定する行為を指す。サークル主、知璃ぬるのブログ「いろはにほへと知璃ぬるを」には、確かに知璃ぬるの普段の生活や写真が掲載されていた。
掲載されていたが、ただの花の写真や庭の写真、文章もどこにでもありそうな田舎の光景で、霧谷には都会ではないことくらいしかわからなかった。
きりや_オカルトライター @mist_k_009
ごめんDM見てなかった。 家を特定したってマジ?
DMを送ると、たまたまSNSを見ていたのかすぐにお麩から返信が来る。
お麩 @standby_fog
マジマジ。3月12日の梅の記事の写真に、神社載ってんじゃん。
拡大して画像調整したら神社の名前何となく読めたから、それっぽい名前で検索したらビンゴ。
3月12日の梅の記事。たしかに神社の写真が掲載されていた。
神社を外からとったような写真だった。が、そんなに特定できるような情報があっただろうか。
オカルト好きとはいえ、寺社仏閣についてはそこまで詳しくない霧谷は素直に感心した。
きりや_オカルトライター @mist_k_009
すごすぎ。その能力をもっと世界のために使うべき。
お麩 @standby_fog
うるさ。で、その神社っていうのが門傑神社。X県の黒煉村っていうところにある。
「黒煉村……」
画面に浮かび上がった村の名前を呟く。
ブラウザの別タブを開くと、素早く「黒煉村」と検索をする。
検索結果には小さな山間の村が表示されていた。観光地としての情報はほとんどなく、ただ静かに時が止まったような場所――そんな印象だった。
検索メニューで「地図」をクリックして、黒煉村の地図を開く。すぐに門傑神社は見つかり、Google Earthで見れば、たしかに知璃ぬるのブログに掲載されていた例の神社だった。
きりや_オカルトライター @mist_k_009
マジじゃん。すごすぎ
お麩 @standby_fog
あと犬の首輪もよ~く見たら名前っぽいのが書いてある。わかんないけど、一文字目は漢字の「六」かな
きりや_オカルトライター @mist_k_009
「六」から始まる苗字なんてあるか?
お麩 @standby_fog
六車 六本木 六川 六角 六田 六反田 六鹿 六反 六笠 六郷 六浦 六波羅
きりや_オカルトライター @mist_k_009
ごめん
「黒煉村……」
GoogleEarthでゆっくりと村をめぐっていく。何もない、小さな山間の村に見える。
お麩 @standby_fog
行くんだろ?
お麩のDMに返信するのも忘れ、霧谷は黒煉村の中を画面の中で巡り続けた。



