帰る前に、せっかくこんなところまで来たんだからと、管理人がお土産をいろいろ渡してくれた。黒煉村の特産であるなまり梅を使った、なまり梅どらや、なまりんミルク、それになまり梅のイメージキャラクター「なまりん」のキーホルダー。
「なんかまだ困ったことがあれば、連絡しでくれ」と、連絡先まで教えてくれた。
続報の記事としては、十分ではないだろうか。
六人部についての伝承と、六人部家の結末。これだけ収穫があれば十分だ。
霧谷はバス停に向かって歩き出した。
バス停に向かう途中、ふと足を止めた。先ほど通り過ぎた六人部家の屋敷が、どうしても頭から離れない。
もう少し、もう少しだけ、なにか欲しい。
「……最後にもう一度寄ってみよう」
霧谷はそう自分に言い聞かせると、足早に六人部家の屋敷へと向かった。
六人部の屋敷は、先ほど訪れた時と変わらずそこに佇んでいた。どこか不気味な気配が漂っているように感じられるのは、例の伝承を読んだからだけではないだろう。風が吹き抜けるたび、古い木材が軋む音が響き渡る。
風に乗って、誰かの歌声のようなものが流れてくる。
思わず周囲を見回すが誰もいない。
気のせいか、先ほども聞こえた子供の声だろうか。
門の前で何度か深呼吸をし、がちゃがちゃと門を押してみるが、やはりびくともしない。
無理矢理破壊して侵入するか――と頭をよぎるが、実際門を破壊しようにも、道具も何も持っていない。霧谷のひ弱な体ではどうしようもないだろう。
仕方なく、塀に沿って周囲を歩き出す。先ほどは門の近辺しか見ていなかった。もしかすると、裏口や勝手口があるかもしれない。
そう考えていると、ひび割れた塀の一部が崩れ、そこから中が覗けるのを見つけた。
「入れちゃうじゃん……」
ごくり、と生唾を飲み込む。
一瞬躊躇したものの、霧谷は思い切ってその壊れた部分をくぐり抜け、中へと足を踏み入れた。
中に入ると、そこは完全に荒れ果てた庭だった。雑草が生い茂り、ところどころに置かれた石灯籠や庭石が半ば土に埋もれている。かつては手入れが行き届いていたのだろうが、今ではその面影はほとんど残っていない。
かつては、千璃ぬるがこの庭を眺めて過ごしていたのだろう。
ということは、この庭のどこかに、柴犬の琥太郎の墓があるのだろうか。
日記の文章を思い出し、霧谷は身震いをする。
琥太郎の墓も気になるが、時間がない。バスの時間を考えると、走って山を下るとしても家の中の探索には30分くらいしか使えない。
屋敷に近づくと、破れた障子やひび割れた窓ガラスが目に入る。だが、それ以上に霧谷の目を引いたのは、屋敷の中から漏れ聞こえる音だった。
――誰かが囁くような声。
「……風の音か?」
そう思って耳を澄ませてみるが、どうにも風の音とは思えない。低く、抑揚のあるその声は、古びた屋敷の中から確かに響いている。
「まさか……」
霧谷は喉を鳴らしながら、慎重に屋敷の縁側へと足を運んだ。扉はわずかに開いており、暗い室内がその隙間から覗くことが出来た。
意を決してその隙間に手をかけ、扉を開け放つと、重く鈍い音が響いた。
中は薄暗く、埃っぽい空気が立ち込めていた。何年も人が住んでいないことを思わせる空気感だ。霧谷は足元を確認しながら、慎重に屋敷内を進んでいく。
最初にたどり着いたのは、仏壇のような、祭壇のようなものが置かれた広間だった。木製の祭壇はひび割れ、かつてそこに祀られていただろうものたちは、まるで誰かに破壊されたようにボロボロになっていた。
次に通りかかったのは台所だった。錆びついた鍋や食器がそのまま置かれており、使われなくなってから長い年月が経っていることを物語っている。シンクには乾ききった汚れがこびりつき、かつてここで食事が作られていた面影だけが残っている。
さらに進むと、何も置かれていない、ただ畳が敷かれているだけの空き部屋に出た。ここは物置だったのだろうか。壁際には崩れかけた押し入れがあり、中にはほこりまみれの布団が乱雑に押し込まれている。霧谷はなんとなく居心地の悪さを覚え、その場をすぐに後にした。
そして、次の扉を開けた瞬間、霧谷の心臓が跳ね上がった。
その部屋だけは明らかに他と雰囲気が異なっていた。畳敷きの和式には変わりないが、部屋には比較的新しい家具が並び、中央の座卓にはヘッドフォンやメモ帳が散らばっており、その中央には、一台のノートパソコンが置かれていた。
「もしかして、ここは千璃ぬるの部屋……?」
霧谷は思わずそう呟いた。
千璃ぬること、六人部千里。ブログを書き、「unknown:あなたが聴く最後の音声」という音声を作り、ダウンロード販売サイトへ登録をしていたのだから、パソコンが部屋にあってもおかしくない。
ただ、六人部千景という双子の弟がいたらしいので、弟の部屋かもしれない。
家具はすべてシンプルなものでそろえられており、部屋の主の性別や個性が想像できない。霧谷は恐る恐る部屋の中に侵入する。
机の上の散らかり以外は、部屋に生活感はない。布団やベッドの類はなく、おそらく押し入れにきちんとしまわれているのだろう。部屋の壁には小さな箪笥が置かれ、すべての引き出しがぴったりと閉められている。
一番気になるのは――パソコンだ。
ここが本当に千璃ぬるの部屋ならば、パソコンの中には、「unknown:あなたが聴く最後の音声」のデータが残っているかもしれない。
パソコンの画面は真っ暗だが、電源コードはつながっている。
霧谷は周囲を警戒しながら、机の前に胡坐をかいて座った。
深く息を吸い込み、恐る恐るパソコンの電源ボタンに指を伸ばした。
「……動いたり、しないよな」
ぽつりと呟きながら、指先でスイッチを押す。しかし、反応はない。画面は暗いままで、うんともすんとも言わない。もう一度押してみても結果は同じだ。
「そりゃ、電気止まってるよな」
そう気づいた瞬間、胸がずしりと重くなった。こんな廃墟みたいなところに、電気が来ているわけがない。そんな当たり前のことすら気づけないほど視野が狭くなってしまっていた自分に、霧谷は小さく舌打ちをした。
目の前に、探し求めていたものがあるというのに……。
この中に、「聴いたら死ぬ催眠音声」が入っているかもしれないというのに!
霧谷はイライラしながら立ち上がると、部屋をもう一度見渡す。パソコン以外に、めぼしいものはありそうにない。そう思いながらも、箪笥の引き出しや押し入れを手あたり次第開いていく。
「あああ!! ここまで来たのに!!!」
頭を掻きむしりながら、開いた箪笥の引き出しを閉じるのも忘れたままで部屋を出る。
もしかすると、ここは弟の千景の部屋かもしれない。もしそうだった場合、ここに時間をかけるのは得策ではない。
乱暴に隣の部屋を開けると、こちらの部屋も同じような配置に座卓が置かれていた。
しかし、こちらは少し――いや、だいぶ雑多で散らかっていた。布団は敷きっぱなし。床には漫画の単行本などが散らばっている。
そしてなにより、パソコンの類は置かれていなかった。
散らばっている漫画は、少年漫画ばかりのようだ。決めつけるものではないが、何となくこちらの部屋の主は男のような気がする。
「やっぱり、あっちが千里の部屋なんだ」
どすどすと音を立てながら、先ほどの部屋に戻る。
動かないノートパソコンを睨みながら、がしがしと親指の爪を噛む。
スマホを確認すると、16時25分。もうここを出なければならない。
心が千切れそうだ。
そのとき、ふっ、と部屋の中に風の音のようなものが響いた気がした。
風の声――いや、きれいな女の人の声、だったような気もする。
突然、霧谷の心から憑き物が落ちたように、すうっと気持ちが軽くなった。
そうか、そうだよな。
別に構わないよな。
そのために来たんだから。
霧谷は座卓の上に置かれたノートパソコンと、周囲に散らばったメモを集めると、急いで自分のリュックの中に詰め込んでいった。
「なんかまだ困ったことがあれば、連絡しでくれ」と、連絡先まで教えてくれた。
続報の記事としては、十分ではないだろうか。
六人部についての伝承と、六人部家の結末。これだけ収穫があれば十分だ。
霧谷はバス停に向かって歩き出した。
バス停に向かう途中、ふと足を止めた。先ほど通り過ぎた六人部家の屋敷が、どうしても頭から離れない。
もう少し、もう少しだけ、なにか欲しい。
「……最後にもう一度寄ってみよう」
霧谷はそう自分に言い聞かせると、足早に六人部家の屋敷へと向かった。
六人部の屋敷は、先ほど訪れた時と変わらずそこに佇んでいた。どこか不気味な気配が漂っているように感じられるのは、例の伝承を読んだからだけではないだろう。風が吹き抜けるたび、古い木材が軋む音が響き渡る。
風に乗って、誰かの歌声のようなものが流れてくる。
思わず周囲を見回すが誰もいない。
気のせいか、先ほども聞こえた子供の声だろうか。
門の前で何度か深呼吸をし、がちゃがちゃと門を押してみるが、やはりびくともしない。
無理矢理破壊して侵入するか――と頭をよぎるが、実際門を破壊しようにも、道具も何も持っていない。霧谷のひ弱な体ではどうしようもないだろう。
仕方なく、塀に沿って周囲を歩き出す。先ほどは門の近辺しか見ていなかった。もしかすると、裏口や勝手口があるかもしれない。
そう考えていると、ひび割れた塀の一部が崩れ、そこから中が覗けるのを見つけた。
「入れちゃうじゃん……」
ごくり、と生唾を飲み込む。
一瞬躊躇したものの、霧谷は思い切ってその壊れた部分をくぐり抜け、中へと足を踏み入れた。
中に入ると、そこは完全に荒れ果てた庭だった。雑草が生い茂り、ところどころに置かれた石灯籠や庭石が半ば土に埋もれている。かつては手入れが行き届いていたのだろうが、今ではその面影はほとんど残っていない。
かつては、千璃ぬるがこの庭を眺めて過ごしていたのだろう。
ということは、この庭のどこかに、柴犬の琥太郎の墓があるのだろうか。
日記の文章を思い出し、霧谷は身震いをする。
琥太郎の墓も気になるが、時間がない。バスの時間を考えると、走って山を下るとしても家の中の探索には30分くらいしか使えない。
屋敷に近づくと、破れた障子やひび割れた窓ガラスが目に入る。だが、それ以上に霧谷の目を引いたのは、屋敷の中から漏れ聞こえる音だった。
――誰かが囁くような声。
「……風の音か?」
そう思って耳を澄ませてみるが、どうにも風の音とは思えない。低く、抑揚のあるその声は、古びた屋敷の中から確かに響いている。
「まさか……」
霧谷は喉を鳴らしながら、慎重に屋敷の縁側へと足を運んだ。扉はわずかに開いており、暗い室内がその隙間から覗くことが出来た。
意を決してその隙間に手をかけ、扉を開け放つと、重く鈍い音が響いた。
中は薄暗く、埃っぽい空気が立ち込めていた。何年も人が住んでいないことを思わせる空気感だ。霧谷は足元を確認しながら、慎重に屋敷内を進んでいく。
最初にたどり着いたのは、仏壇のような、祭壇のようなものが置かれた広間だった。木製の祭壇はひび割れ、かつてそこに祀られていただろうものたちは、まるで誰かに破壊されたようにボロボロになっていた。
次に通りかかったのは台所だった。錆びついた鍋や食器がそのまま置かれており、使われなくなってから長い年月が経っていることを物語っている。シンクには乾ききった汚れがこびりつき、かつてここで食事が作られていた面影だけが残っている。
さらに進むと、何も置かれていない、ただ畳が敷かれているだけの空き部屋に出た。ここは物置だったのだろうか。壁際には崩れかけた押し入れがあり、中にはほこりまみれの布団が乱雑に押し込まれている。霧谷はなんとなく居心地の悪さを覚え、その場をすぐに後にした。
そして、次の扉を開けた瞬間、霧谷の心臓が跳ね上がった。
その部屋だけは明らかに他と雰囲気が異なっていた。畳敷きの和式には変わりないが、部屋には比較的新しい家具が並び、中央の座卓にはヘッドフォンやメモ帳が散らばっており、その中央には、一台のノートパソコンが置かれていた。
「もしかして、ここは千璃ぬるの部屋……?」
霧谷は思わずそう呟いた。
千璃ぬること、六人部千里。ブログを書き、「unknown:あなたが聴く最後の音声」という音声を作り、ダウンロード販売サイトへ登録をしていたのだから、パソコンが部屋にあってもおかしくない。
ただ、六人部千景という双子の弟がいたらしいので、弟の部屋かもしれない。
家具はすべてシンプルなものでそろえられており、部屋の主の性別や個性が想像できない。霧谷は恐る恐る部屋の中に侵入する。
机の上の散らかり以外は、部屋に生活感はない。布団やベッドの類はなく、おそらく押し入れにきちんとしまわれているのだろう。部屋の壁には小さな箪笥が置かれ、すべての引き出しがぴったりと閉められている。
一番気になるのは――パソコンだ。
ここが本当に千璃ぬるの部屋ならば、パソコンの中には、「unknown:あなたが聴く最後の音声」のデータが残っているかもしれない。
パソコンの画面は真っ暗だが、電源コードはつながっている。
霧谷は周囲を警戒しながら、机の前に胡坐をかいて座った。
深く息を吸い込み、恐る恐るパソコンの電源ボタンに指を伸ばした。
「……動いたり、しないよな」
ぽつりと呟きながら、指先でスイッチを押す。しかし、反応はない。画面は暗いままで、うんともすんとも言わない。もう一度押してみても結果は同じだ。
「そりゃ、電気止まってるよな」
そう気づいた瞬間、胸がずしりと重くなった。こんな廃墟みたいなところに、電気が来ているわけがない。そんな当たり前のことすら気づけないほど視野が狭くなってしまっていた自分に、霧谷は小さく舌打ちをした。
目の前に、探し求めていたものがあるというのに……。
この中に、「聴いたら死ぬ催眠音声」が入っているかもしれないというのに!
霧谷はイライラしながら立ち上がると、部屋をもう一度見渡す。パソコン以外に、めぼしいものはありそうにない。そう思いながらも、箪笥の引き出しや押し入れを手あたり次第開いていく。
「あああ!! ここまで来たのに!!!」
頭を掻きむしりながら、開いた箪笥の引き出しを閉じるのも忘れたままで部屋を出る。
もしかすると、ここは弟の千景の部屋かもしれない。もしそうだった場合、ここに時間をかけるのは得策ではない。
乱暴に隣の部屋を開けると、こちらの部屋も同じような配置に座卓が置かれていた。
しかし、こちらは少し――いや、だいぶ雑多で散らかっていた。布団は敷きっぱなし。床には漫画の単行本などが散らばっている。
そしてなにより、パソコンの類は置かれていなかった。
散らばっている漫画は、少年漫画ばかりのようだ。決めつけるものではないが、何となくこちらの部屋の主は男のような気がする。
「やっぱり、あっちが千里の部屋なんだ」
どすどすと音を立てながら、先ほどの部屋に戻る。
動かないノートパソコンを睨みながら、がしがしと親指の爪を噛む。
スマホを確認すると、16時25分。もうここを出なければならない。
心が千切れそうだ。
そのとき、ふっ、と部屋の中に風の音のようなものが響いた気がした。
風の声――いや、きれいな女の人の声、だったような気もする。
突然、霧谷の心から憑き物が落ちたように、すうっと気持ちが軽くなった。
そうか、そうだよな。
別に構わないよな。
そのために来たんだから。
霧谷は座卓の上に置かれたノートパソコンと、周囲に散らばったメモを集めると、急いで自分のリュックの中に詰め込んでいった。



