犬神様だった。
眉間にシワを寄せ、相変わらず難しい顔をした彼はずんずんと大股歩きでこちらにやってくる。
彼は人間ではなく、あやかし。
普段はこの現世ではなく、あやかしの住む幽世で治安維持に務めている人物だ。
私以外の人間にはあやかしの姿は見えないため、周囲の人々は誰も犬神様の存在に気づいていない。
「やっと見つけたぞ。すばしっこい三毛猫め」
目の前まで迫った彼は、やれやれといった様子で私の手元を見下ろした。
対する三毛猫は「ウー……」と小さく唸って威嚇している。
「え。もしかしてこの猫ちゃん、犬神様の……?」
「いや、俺が飼ってるわけじゃない」
犬神様が即答して、そうだよね、と思った。
彼がこの猫を膝に乗せて可愛がっている姿は想像がつかない。
「その猫は先日、幽世に迷い込んできたのだ。だから俺がこうして現世に連れてきてやったというのに……」
現世の猫が、幽世に迷い込む。
いつもとは逆の現象に、私は面食らった。
「こちらの世界から、あちらの世界に迷い込む場合もあるんですね?」
今まで私が見てきた迷子たちは、幽世からこちらの世界へやってくる子ばかりだった。
皆それぞれ事情を抱えて現世に迷い込み、そんな彼らの問題を解決して幽世へ送り帰すのが猫神様の役目だ。
「迷い込んだ……と言うと語弊があるな。そいつは先日、天狗が攫ってきたのだ。そうでもなければ、ただの猫が世界の境界を越えられるはずがない」
攫った、というワードに私は身構える。
天狗が人を攫って神隠しが起こる——そんな伝承を私も確かに耳にしたことがある。
今回攫われたのは猫だけれど、こうして実際に起こり得ることなのか。
「そいつは人間の飼い猫だ。もと居た場所へ帰さねばならん」
どうやらまだこの子の家は特定できていないらしい。
となると、相談する先はただ一つ。
「迷子の相談なら、猫神様にお話ししてみては?」
私が言うのも変だけれど、きっと猫神様なら力になってくれる。
迷子の案内人である彼は、この猫のことも放ってはおけないはずだ。
けれど犬神様は、途端に渋い顔をして歯切れの悪い返事をする。
「いや……。他人に仮りを作るのは好きじゃない。それにあいつには、最近何かと……」
「お困りのようですね」
もごもごと言い訳のようなものを並べていた犬神様の声を遮って、彼の後ろから別の声が届いた。
釣られて顔を上げると、犬神様の背後にはすらりと背の高い青年が立っていた。
白を基調とした羽織袴に、白く長い髪を赤い組紐で一つに束ねている。
穏やかにこちらを見つめるその瞳は、透き通るような黄金色。
「……猫神様!」
私が思わず笑みを零すと、彼もまた柔和な微笑みを返してくれた。



