「私は……焦ってたのかもしれません」
「え?」
どこかしおらしい彼の様子に、私は戸惑う。
「ど、どうしたんですか猫神様」
彼がこんな顔を見せるのは珍しい。
それも、せっかく迷えるあやかしを無事に幽世へ送り届けた直後なのに。
「ここ最近の私は、結果を急ぐあまり視野が狭くなってたように思います。緋彩さんが後悔しないように、限られた時間の中で必ず手掛かりを掴まなあかんと。躍起になって、空回りしてました。紅葉の名所も人の往来が激しい場所ばかり注目して、前世の緋彩さんの体調のことにまで頭が回ってませんでした」
まるで懺悔でもするように、猫神様は目を伏せる。
「で、でも。猫神様は、それだけ緋彩さんのことを思ってたってことですよね?」
たとえ空回りだったとしても、猫神様が緋彩さんのためを思って行動した事実は変わらない。
彼がこんな風に心を痛める必要はどこにもない、はずなのに。
「違うんです」
猫神様は足元に目を落としたまま、川のせせらぎに掻き消されてしまいそうな声で続けた。
「私は緋彩さんに、過去の自分を投影してたんです。たとえ望みは薄いとわかってても、大事な人にもう一度会いたい……光の見えない中、現世を彷徨い歩く彼女のことを、私は遠い昔の自分と重ねたんです。だから……彼女が後悔を抱えたまま幽世に帰ってしまうのが怖かったんです。まるで昔の自分を見てるようで……」
遠い昔。おそらくは今から千年ほど前。
前世は白い猫だったという猫神様は、自分を可愛がってくれた人のことを心から慕っていた。
けれど、その人ともう一度会いたいという彼の願いは、結局叶わなかった。
「私は緋彩さんのためではなく、自分のために焦ってました。記憶に残る昔の自分を慰めるために、必死になってたんです。そしてそのせいで、緋彩さんのことを無駄に連れ回してしまいました」
あくまでも自分自身のために行動したのだという彼は、緋彩さんへの申し訳なさを拭えないらしい。
そんな彼の繊細さに、私は思わず感嘆の溜め息を漏らす。
「……やっぱり、猫神様は優しい人ですね」
私が呟くと、彼はあきらかに納得していない目をこちらに向けた。
「私のこれは、優しさからくるものではありません。とても利己的で、自分勝手な行動です」
「それでも、緋彩さんを助けたいと思った気持ちに嘘はないですよね? 猫神様はいつだって、思いやりの心を忘れない人です。だからこそ、そうやって必要以上に自分のことを責めてしまうんだと思います。……でも私は、できるなら猫神様には、ずっと笑っていてほしいんです。優しいあなたに、幸せでいてほしい。それに叶うならいつか、猫神様が大事な人ともう一度会えるようにって思っています」
優しい人が幸せであってほしい。
誰かのためを思って行動できる人が、報われてほしい。
猫神様はしばらく私と目を合わせていたけれど、やがて視線を逸らして、今度は川の方を遠く見据えて言った。
「……桜さんは、猫が好きやと言うてましたよね」
私が返事をするよりも早く、彼はポンッとささやかな白煙を上げると、小さな白猫の姿になった。
「よければ、久しぶりに猫に触れてみませんか。以前にも話した『アニマルセラピー』です。私も、桜さんには笑っていてほしいですから」
ふわふわの白猫。所々に赤い模様の入った可愛らしい姿で、彼は私に提案する。
もちろん、これを断る選択肢は私にはない。すかさず「いいんですか!」と目を輝かせると、彼は小さな四つ足で地面を蹴り、私の腕の中へと飛び込んできた。
(うわ……あったかい)
小さなその存在を、私はしっかりと抱き留める。やわらかな毛とぷにぷにの肉球の感触に、思わず笑みが溢れる。
「桜さん。……何も、感じませんか?」
「え?」
質問の意図がわからず、私は首を捻る。
何も感じない、とはどういう意味だろうか。
白猫の姿になった猫神様は可愛いと思うし、こうして触れるだけで幸せな気持ちにはなるけれど。
猫神様は真ん丸な顔を上げ、金色の瞳でじっとこちらを見つめて言った。
「いつか、あなたに伝えたいことがあります。でも……それはまだ、先のことになりそうです」
途切れることのない川のせせらぎが、夜闇に響いている。
頭上から降ってきた楓の葉は私たちの横をすり抜けて、すぐに見えなくなった。



