寒い日の事。
空には幾千の星たちが輝く。
その夜空を眺め、涙する者もまたこの地獄に落とされたひとりだ。

-ああ、どうか…

夜空に手を伸ばし叶わぬ願いを祈る。

-この世界に平和を…

その瞬間首筋に強烈な痛みがその少女を襲った。
温かいものが流れる…それが何なのか気づいた時にはもう少女の命は尽きようとしていた。

-赤い…赤い…

夜空を背にして、口元にベッタリと赤い血を付けた男がぽつりと涙を流す。

-どうして、泣いているの?

自分を襲った彼に同情してしまいそうになるくらい彼は辛そうな苦しそうな表情を浮かべる。

「……ごめん…なさい…っ」

その言葉を聞いて彼女は息を引き取った。

それはもう何千年も前の話だ。


もう今から何千年も昔の話

突如 吸血鬼ヴァンパイアが現れた

彼らは血を求め人々を襲い、
世界に混沌と絶望をもたらした

そして人間種と吸血種は後に【血の争い】
と呼ばれる戦争をはじめる

何百年も続いた戦争はある提案を元に
収束し始める

それはお互いの領域には踏み入れないこと
人間種は血を提供する事、
提供する代わりに吸血種は人を襲わない事
お互いに平和を約束し干渉し合わない事を
約束した

そして世界をふたつに分けた
吸血種側の世界を【リデルガ】
人間種側の世界を【リアゾン】

そうして何百年にも及ぶ戦争は終わりを告げ
両種に平和がもたらされた

そうして平和が戻ったのだ
みんなと同じが良かった。
ただそれだけだった。
同じように朝起きて朝日を浴びる、顔を洗って歯を磨いて朝食を食べて元気よく学校へと登校する。

何気ない変わらない毎日をただ友達とくだらない話をして、時に恋をして10代ならではの青春を送る。ただそれだけが欲しかった。
特別な事はいらない。
他の子と同じように普通に生きてみたかった。

私はずっと゛普通゛に憧れては゛普通゛に目を瞑る。
それが私に出来る唯一の生き方だった。

(つばさ)、どうか気をつけて」

もう、何度目だろうか。彼女がこの言葉を聞くのは。物心ついた時にはもうこの言葉を腐るほど聞いた。彼女の場合、母親が子どもの身を案ずるよう言い聞かす言葉ではなかった。

゛彼女゛が他の子どもを危険に晒さないよう心配された言葉だった。
(つばさ)はもうその事が分かっていた。
いつの日からか、気づいてしまっていた。
だからもうその言葉には反応しなくなっていた。

「…行ってきます」

(つばさ)は玄関で靴を履き、玄関のドアノブの手をかける。
後ろには見送る母親の姿があったが、(つばさ)は振り向きもせず光の中へと足を踏み入れた。どうせ、見送るの母の顔を見ても良いことはないから…。

家から一歩外へ出ると、自然の空気が鼻を掠める。見上げた空は青く太陽の光が煌々とさしていた。鳥が気持ち良さそうに舞う。
自由に空を翔ける鳥は何処までも行ける翼があって羨ましい。
(つばさ)は鳥を眺め思っていた。

あと何回この青い空を見上げる事が出来るのだろうか…と。

「…ぁ」

(つばさ)は小さな声を上げる。
自由気ままに空を謳歌していた鳥はバチンッという音ともに落下した。
何処までも行けるなんてお門違いだ。
ここは゛鳥籠゛区切られた片方の世界だ。

ここは世界を二つに分けた境界線付近、見えない壁、通称結界によって隔てられている。
その結界に触れると電気が走ったような衝撃により負傷する。最悪鳥のように命を落とす事となる。

その隔てられた人間種側の世界を通称【リアゾン】
人間は向こう側を通称【リデルガ】と呼んでいた。交わることの無いふたつの世界。
【リデルガ】に住んでいるのは吸血種(ヴァンパイア)のみだからだ。

世界は今、人間種と吸血種(ヴァンパイア)によって二分されていた。


通い慣れた通学路。
いつもの何ら変わりない風景をただ眺め学校へと向かう。
変わらないこの光景が(つばさ)にとったら何にも変え難い大切なものだった。
もう(つばさ)には時間が無いからだ。

-あと少し…あと少しで…。

(つばさ)は噛み締めるようにこの時を目に焼き付けた。


学校に着き、教室へと向かう。
すれ違うのは女子生徒のみ。
ここは女子校だ。先生も生徒も全て皆女だけ。

教室へ入ると(つばさ)を捕らえたのは大きなクリクリの瞳。
その瞳は(つばさ)を視界に入れた途端花が咲いたような笑みを翼つばさに向ける。

「おはよう、(つばさ)ちゃん」

ふわふわの細いロングの髪に真っ白な肌。
淡いピンクの頬を赤らめ子猫のような可愛らしい声で名前を呼ぶ。
その姿に(つばさ)も無意識に顔がほころぶ。

「おはよう、凜々」

凜々の隣が(つばさ)の席だ。
机にカバンを置き、椅子に腰をかける(つばさ)
凜々を見るとモジモジと何か言いたそうな顔で、(つばさ)と目が合うと自身のカバンの中をゴソゴソと探る。
そして手に持って出したのは可愛いリボンにラッピングされた袋。

「ねえねえ、(つばさ)ちゃん。昨日ねクッキー焼いたの、貰ってくれる?」

恥ずかしそうに言う凜々に笑って(つばさ)はそれを受け取った。

「ありがとう、食べていい?」

頷く凜々。
(つばさ)はその場でラッピングを解き、美味しそうな手作りクッキーの匂いが鼻をかすめ食欲が湧く。
サクッといい音と共に口に広がる甘い味。

「美味しい、とっても美味しいよ。ありがとう」

そう告げると凜々はまた笑った。
凜々は(つばさ)にとって唯一の友達だった。
人との交流を避けている(つばさ)だが、何故か凜々は違った。
一緒にいると心地が良くて何でもない凜々の話を聞いて笑いあっている時が1番楽しかった。
ただ許される残りの時間を凜々との思い出で飾ろう。
一日一日を噛み締めて今日も学校生活を送っていた。細心の注意を払って…。

朝礼まで時間たわいもない話を凜々としているとバンッと教室の扉が開いた。
そこから慌ただしく担任の先生が入ってくる。
まだ朝礼にしては早すぎる彼女の登場に生徒たちは不思議に思いジッと彼女に視線を向ける。

「皆さん、座って頂けますか?少し早いですが朝礼を始めます。」

何となく慌てている担任の姿に生徒達も不安に思い従った。
彼女は教室中を見渡し、全員が座ったのを確認して一言教室の扉に向けて言葉を発した。

「…どうぞ、お入り下さい」


その言葉と共にガラガラと扉を開き、二人の青年が入ってきた。
教室にいた全員が息を飲んだのが分かった。
入ってきたふたりの気配はこの【リアゾン】の人間とは全く異なったからだ。

彼らはきっと…

-ヴァンパイアだ…

(つばさ)はこの時初めて吸血種(ヴァンパイア)と対峙した。
ひとりは金髪の髪に大きな瞳、白い肌。
この世のものとは思えないほど美しい容姿に人々を虜にする雰囲気を纏い、もうひとりはブルーに近いグレーの長い髪を後ろでひとつに纏めている。ふたりとも身長はおそらく180cm近くだ。
教室にいる誰もが彼らの虜になっていた。
(つばさ)を除いては…。

「【リデルガ】の住人の方です。」

先生の声が少し震えているのが分かった。
そりゃそうだ、この世界はわざわざ人間種と吸血種(ヴァンパイア)の為にふたつに分かれている。お互いがお互いを干渉しないように…。
人間種側も吸血種(ヴァンパイア)側もお互いに本当に存在するのだろうかと疑いたくなるくらいに両国の交流は一切なかったのが、数年前までだ。

ここ最近で国のトップ同士が交流を始めた。
様々な意見が渦を巻きながらも、両国の交流を続けていこうとしているのが今この時だった。
そんな中現れた本物の吸血種(ヴァンパイア)にクラスの生徒たちは見惚れていた。
先月両国の交流会の模様がテレビ中継された、その時に【リデルガ】側のトップである人物をテレビ越しに初めて見た。
それが今日この目で本物を見ることになるとはきっと誰も想像していなかっただろう。

「…【リデルガ】」

生徒のひとりがぽつりと呟くその瞬間教室は悲鳴に包まれた。

「「きゃあああぁぁあ!!」」
「イケメンよ!イケメン!」
「凄い!吸血種(ヴァンパイア)って本当にいたんだ!」
「やばいやばい、やばいよ!超かっこいい!」

口々に生徒たちは興奮した様子でガヤガヤと喋り倒す。
急に変わった空気に、戸惑いを隠せない【リデルガ】のふたり。

「…凄いですね」
「………」

ひとりは戸惑いながらも笑顔を作り、その光景みて笑っている。もうひとりは呆然とその光景を眺めていた。

「ちょっと静かに!自己紹介してもらいますから!」

先生の言葉に瞬時に静かになる教室。
彼らの自己紹介に興味津々だ。
彼女たちのキラキラした目に晒されながら戸惑いを隠し平常心を装うふたり。
そして金髪の青年から口を開いた。

「【リデルガ】から参りました。鋳薔薇(いばら) 御影(みかげ)と申します。」
「同じく【リデルガ】から参りました。桃李(とうり)琉伽(るか)と申します。」

そして教室中に拍手が起こる。

鋳薔薇(いばら)さんと桃李(とうり)さんです。今日一日この学校で【リアゾン】の学校制度について見学するとの事です。急なことですが今日一日おふたりも一緒に授業を受けて頂きます。」

ニコニコと笑顔を作る鋳薔薇(いばら)御影(みかげ)という男。
(つばさ)はなんだかその青年たちに違和感を覚えた。なんだかさっきからこちらを見ているような感覚に陥る。
すると次の瞬間バチっと彼らと目が合った。
(つばさ)は咄嗟に目を逸す。

(つばさ)ちゃん、どうかした?」

隣の凜々が心配そうに声をかける。

「ううん、なんでもない」

(つばさ)はそう答えるので精一杯だった。

そして一日が始まった。
【リデルガ】のふたりは教室の1番後ろに席を設けられ大人しく授業を受けていた。
一限から二限、二限から三限と時間が進んでいくが【リデルガ】のふたりが気になるのかクラスの生徒たちはそれはもうソワソワと落ち着かない様子だった。
それはもう生徒だけではなく、先生たちも例外ではなかった。
何百年も交流を避け続けた両国にとってお互いの存在は珍しいもので、特に【リデルガ】のふたりはとても美しかったからだ。
(つばさ)はある歴史の授業で先生が言っていた事を思い出した。

『このような言い伝えがたります。吸血種(ヴァンパイア)はそれはそれはとても美しい容姿をしており、人間種を惑わせ吸血行為に及んでいたといわれています。』

今【リデルガ】のふたりを見て(つばさ)は確信した。
あの言い伝えは本当だろうと…。
そんな事を考えボーッと授業を受けていると甘い香りが(つばさ)を襲った。

-この匂い…

「…いたっ」

その瞬間隣の凜々が声を上げた。
凜々は自身の指先をぎゅっと掴みティッシュを丸め指先に当てる。
どうやらプリントの端で指を切ってしまったようだった。
(つばさ)と目があった凜々は「切っちゃった」と小声で話す。
ティッシュがどんどん赤く染め上げられていく。
少し深く切ってしまったようだ。

(つばさ)の脈はどんどん早くなる。
息遣いも早くなるのが分かる。

-落ち着け!落ち着け!

心の中で必死に落ち着けようとするが、それとは裏腹にどんどん呼吸が乱れる。
甘え香りに美味しそうな赤…。
身体が熱くなっていく…。
広がる血の匂い、(つばさ)は正気を保つため、手首に爪を這わせる。

「…先生」

その低い声にクラスの全員が反応した。
声を発したのは御影(みかげ)だった。

「怪我してますよね?凄い匂い」

御影(みかげ)は凜々に向かって話す。

「…えっと、」

口ごもる凜々に対し、御影(みかげ)は言葉を続ける。

「先生、僕たちは吸血種(ヴァンパイア)です。今、この教室はどうも僕たちとったら刺激が強すぎる」
「…ぁ、」
「【リアゾン】の学校の雰囲気は分かりました。本当は最後まで今日一日見学する予定でしたが、これじゃあ見学どころではありませんのでこれで失礼致します」
「…ぁあ、はぁ…分かりました」

そう言ってふたりは教室を去って行こうと教室の扉に手をかける。
歩みかけた足を止め御影(みかげ)(つばさ)の方にチラッと視線を向けた。

「そこの、黒髪ロングの女生徒さん。体調が悪そうだ。保健室にでも行った方がいいじゃないですか?」

そういって不敵に笑った。
その言葉にクラスの全員が(つばさ)を凝視する。
真っ青な顔をしている(つばさ)に先生も驚きを隠せない。

「…どうしたの?顔色真っ青よ?保健室行ってきなさい」

先生のその言葉に甘え、(つばさ)は椅子から腰を上げる。
この教室にいるとどんどん身体が熱くなっていく。もう(つばさ)は限界だった。
小走りで教室から出ていく(つばさ)
心配そうに見る凜々と目が合ったが、それ所ではなかった。
そして、【リデルガ】のふたりが行った方向とは真逆のトイレに向かう為廊下を走った。














(つばさ)が走って行った方向を見つめる御影(みかげ)

「…御影(みかげ)?」

琉伽るかが心配そうに聞く。

「…琉伽(るか)。見つけたかも…」

御影(みかげ)の言葉に琉伽るかも(つばさ)の走っていく背中を見つめる。

-やっと、この時がきたのか…

御影(みかげ)はニヤッと笑った。



「…おぇ…はぁ…はぁ…うっ」

出てくるのは透明な唾液だけ。
(つばさ)は込み上げてくる吐き気と戦っていた。トイレの個室で嗚咽が漏れる。
幸い授業中だから、誰もいない。
思いっきり吐く事が出来るが、身体の熱は治まらない。身体の内側から血を欲しているのが分かる。自分の身体を両手抱きしめるがガタガタと震えて止まらない。
この状況に勝手に溢れてくる涙。

-なんで、私なの…なんで

「…もう…嫌だ…」

気づいたら言葉を呟いていた。

コンコン

その時個室のドアがノックされた。
その音に(つばさ)は息を飲む。
身体に一気に緊張感が巡る。

「…大丈夫ですか?」

遠慮がちに放たれた言葉は青年の声だった。

-男…?

「…開けてくれますか?」

その声にハッとする。

-この声…もしかして、さっきの…

落ち着いた透き通るような声。
優しい声色とは裏腹に直感的に怖いと感じてしまう。

「別に苦しいのはあなただから、開けてくれなくてもいいですけど…早く楽になりたくないですか?」

-楽に…なれる?

もう何もかも限界だった。
血を欲してしまう自分も、我慢して苦しくなって暴れてしまいそうになる自分も…。
何度も何度も頭の中で人を襲った。
首元に牙を突き立てれたらどんなに良いだろう。
こんな衝動からも解放される?

(つばさ)は震える手を伸ばして鍵を開けようとしたが躊躇する。

「このままではあなた、人を襲いますよ?」

その言葉に胸がズキっと疼いた。
人を襲ってしまうかもしれない…?

「………っ」

震える手をどうにか抑え、ゆっくり扉の鍵を開けた。

カチャ…

ゆっくりと個室の扉が開かれる。
(つばさ)の目にはスローモーションに見えた。窓から差し掛かる太陽の光が邪魔をして彼の姿が影になる。
眩しくて目を細める翼つばさ。
そこには金髪の髪が光に照らされ揺れる。

鋳薔薇(いばら) 御影(みかげ)の姿があった。
御影(みかげ)は苦しそうに蹲る《うずくま》(つばさ)の姿に不敵な笑みを浮かべ、起き上がら蓋をしたトイレの便座へと座らせ個室の鍵を閉めた。

「…凄い、苦しそう」
「……っ、」
「彼女の匂い濃かったもんね。可哀想に…」

御影(みかげ)(つばさ)の頭を撫でる。
彼はずっと笑みを浮かべこの状況を楽しんでいるかのようだった。
そして、御影(みかげ)は自身の制服のボタンをはずし首を露あらわにする。白い真っ白な肌。
翼つばさは御影(みかげ)のその行動に疑問を覚えながらも、言葉を発する元気もなくただただその光景を眺める事しか出来なかった。

そして(つばさ)の後頭部を抑え御影みかげの首元に(つばさ)の顔を押し付ける。
突然の事で(つばさ)の身体は強ばる。

-…ぇ

「飲んで、じゃないと苦しいままだ…」

その言葉で意味は分かった。
噛めと彼は言っているのだろう。
このまま彼を噛めば(つばさ)は自分自身が人間では無い事を実感してしまいそうだった。
こんな状況になっても(つばさ)はまだ゛人間゛でいたかったのだ。

「このままだと君は友達を傷つけるよ、それでもいいの?」

頭の中で浮かんだのは凜々の顔。
可愛らしい笑顔でいつも名前を呼んでくれる彼女…。

-でも…でも…

それでも躊躇(ちゅうちょ)していると、ガリっという音と共に個室に広がる甘ったるい匂い。その匂いに(つばさ)は顔を上げる。
彼は自分で自分の手首を噛んでいたのだ。
そこから溢れ流れる赤い血。
その匂いに頭がクラクラする。

「まだ、我慢するか?僕は吸血種(ヴァンパイア)だ、か弱い人間とは違う。簡単に死んだりしない…」

溢れ出る涙。
彼の真剣な瞳が(つばさ)を捉える。
その瞬間、(つばさ)は考える事を放棄した。

ガリっ

勢いよく彼の首元にかぶりつく。
無我夢中で彼の血を吸った。
溢れ出る涙を無視して…。

-あぁ…やっぱり私は…

「…見付けた。゛ダンピール゛」

その言葉を耳にして涙が余計に溢れる。

-どうして、私を生んだの…?

-ねえ…お母さん…




私は吸血種(ヴァンパイア)と人間の間の子





゛ダンピール゛だ。





「…ごくっ」




『ダンピール』



それは吸血種(ヴァンパイア)と人間の間の子
出生の確立は極めて低い。
運よくこの世に産まれたとしても、
ひと月もった赤子はいないという。



現在でのダンピールの生存は



確認されていない。