渡辺、と声をかけられ右を向くとそこには今日の主役がいた。予期せぬ出来事に心臓が跳ねる。

「明日少しだけ時間作れない?」

 周りに聞こえないぐらいのボリュームで私にそう聞いてきたのは、小学生の頃から高三の今までずっと同じクラスだった青柳陽生(あおやぎはるき)

 だったと過去形なのは、冬休み中に東京に引っ越すらしいから。

 本当に仲が良い友達以外には秘密にしていたようで、クラスメイトの大半がさっきのホームルームで知ったのだった。

 その流れで急遽開かれたお別れ会。
 場所は、高校の近くにあるカラオケ店のパーティールーム。

 会うのが今日で最後になるからと、受験生にも関わらず大勢の人が集まった。

 青柳との関係を幼なじみと言っていいのか分からないけど、今日まで引っ越すことを知らなかったのは、私達も親同士もそこまで仲良くなかったからだと思う。

 ただのクラスメイトなんだと痛感し、誰にも気付かれないように落ち込んでいたのに。

「……え、何で?」

 だから、反応するまで時間がかかってしまった。

「引っ越す前に渡辺に会いたいと思って」

 席が近い時に何気ない話をしていたぐらいで、放課後や休日に遊んだことは一度もない。

 でも、目を逸らさずにそんなことを言われたら勘違いしてしまいそうになる。

「あー、そう……なんだ」

 嬉しさと困惑が入り交じり、ぎこちない笑顔を浮かべながらそう答えるだけで精一杯だった。

 持っていたメロンソーダが小刻みに揺れている。

「悪い。急に言われても無理、だよな」

 ほんの少しだけ間が空いて、青柳もさっきの私と同じように笑う。あ、勘違いされた。ふとそう思った。

「ゆ、夕方、塾が始まる前なら大丈夫だけど……」

 無理なわけなんてない。青柳の意図が読み取れなくて、どう返事をするか悩んでいただけなのに。

「じゃあ会えそうな時に連絡してくれない?」

「で、でも、青柳の連絡先知らないし」

「うん。だから、さ」

 青柳は席を移動したので隣にはもういない。
 私はというと、スマホを見つめたままその場で固まっていた。

 近くに座っていた親友の麻由ちゃんが、耳元で「紗希良かったね」と言って抱きついてきた。気になってずっと見ていたらしい。



 翌日は少し早めに家を出た。
 マフラーとコートを身に付けていても寒い。急いでいて手袋を忘れてしまったので、コートの袖口に手を引っ込めながら歩く。

 駅までは歩いて十分ちょっと。住宅街を抜けると、この時期ならではの音楽が聴こえてきた。

「渡辺」

 後ろから聞こえた、私を呼ぶ声。
 振り向くと数時間前にメッセージを送った相手がいた。

 自転車を押しながら、私服で私の横を歩いている。
 コートもマフラーも学校で見ていたものと違う。手袋は同じものかな。

 昨日から信じられないことがおきすぎていて、これは夢なんじゃないかとさえ思えてきた。

「今日は冷えるな」

「うん」

 すぐに途切れた会話。

 チラッと横を見てみると、目が合ったので思わず逸らしてしまった。学校では一度も合ったことなかったのに。

 今日は土曜日。駅周辺はカップルや家族連れなど多くの人で溢れている。他の人達からしたら、私達はどんな関係に見えるんだろう。

 イルミネーションの装飾がうっすらと光を放ち始めた頃、待ち合わせ場所でもあった駅に到着した。

 自転車を停めてくると言って、青柳が近くにある駐輪場に向かう。すぐに帰るものだと思っていたので、まだ一緒にいられるんだと嬉しくなった。

 私に会いたいって言ってくれた理由は何だろう。
 聞きたいのにどうやって切り出していいのか分からない。

 今日初めて送ったメッセージと、初めて届いたメッセージ。二往復だけの少ないやり取りを待ってる間に何度も見返した。

「寒いんだから駅の中に入ってれば良かったのに! これ買ってきたから使って」

 走って来てくれたのか青柳の呼吸が荒い。
 持っていた白いビニール袋の中から、大きめのカイロを二つ渡してくれた。

 手袋をしていないことに気が付いて、それで買ってきてくれたのかな。って、それはさすがに自惚れすぎだよね。

「ありがとう。一つは青柳のでしょ? はい、返すよ」

「両方使って。そのつもりで買ったから」

 行き場のなくなった手とカイロ。

「え、でも」

「もしかして二つもいらなかった!? いや、普通に考えたらそうだよな。うわー、何やってんだろ、俺……」

 マフラーに隠れて少しだけ見える耳が赤くなっている。私の胸の音が更にうるさくなった。

「ううん! 今日は寒すぎるから、たくさん使えたらいいなって思ってたの。さっそく使わせてもらうね、ありがとう」

「……何かごめん」

 この不意打ちはズルい。
 恥ずかしがりながら伏し目がちに言うとか、こんなのキュンとするに決まってる。

「ね、ねぇ。青柳っていつまでこっちにいるの?」

「二十九日、だったかな」

「そっか。あと一週間もないね」

 まだ恥ずかしそうにしている姿が可愛い。
 こんな一面があるのは知らなかったけど、それも含めて全部好き。転校なんてしてほしくない。一緒に卒業したかった。

 会いたいって言ってくれた理由が知りたい。



「「あの」」



「悪い。渡辺が先に言って」

「ううん、青柳からでいいよ」

 少しの沈黙の後に重なった声。
 お互いに譲り合って、気まずい空気が流れる。

「あー、うん。えっと、もうバレてると思うんだけど……、その、ずっと渡辺のことが好きだったんだ!」
 
 下を向いていた私は勢いよく顔を上げた。
 さっきは耳だけだったのに、青柳の顔全体が真っ赤になっている。

「べ、別に返事が欲しいわけじゃなくて、ただ伝えておきたかっただけだから! 今日会えて嬉しかった!じゃあ元気でな!」

 固まっていた私も悪いと思うけど、言い逃げされた。ズルい。

 電車に乗り込んだ私は、フワフワした気持ちのまま青柳にメッセージを送った。

 家に帰ってる途中ならまだ既読にはならないと思うけど、これを読んだらどんな反応するだろう。



《絶対に大学合格して春から東京に住む。だから、これからもよろしくね》



 今度会った時に私の気持ちを言うよ。
 引っ越しの日まで、あと何回会えるかな。