毎朝新聞 1975年(昭和50年)2月11日 朝刊 13面

山村に残る祭祀儀礼 ─祓嘗祭の民俗学的考察─
【■■県■■郡発】田中茂記者

 山深い■■地方の山間部において、民俗学的に貴重な祭祀儀礼が現代まで伝承されていることが、本紙の調査で判明した。祓嘗祭(はらねまつり)は4年に一度、旧暦8月で一番最初の仏滅の日に執り行われるという。

 ■■大学民俗学研究室では、この祭祀について学術的な調査を進めている。同研究室の山本教授は「外部との接触を制限する山村特有の閉鎖的な共同体において、血縁的な純粋性を保つための儀礼として発展した可能性が高い」と分析する。

 祭祀の実態解明に向け、本紙は以下の史料を確認した。まず江戸後期の地誌には「外界の穢れを払い、村の血筋を守る」との記述が見られる。また、明治期の村落記録からは、村人が赤装束を着用して祠前に集う様子が記されている。

 特に民俗学的な関心を集めているのが、「放たれた者」と呼ばれる存在である。■■大学民俗学研究室の山本教授は「村から外部への移住を認められた特別な立場と推測される」と分析する。一方、地域史研究家の田村氏は「単なる村の出稼ぎ制度が誇張された可能性もある」と、より慎重な見方を示している。

 この点について、取材に応じた元村民からは「放たれた者は4年毎に村へ戻る義務がある」との証言が得られた。ただし、「子供の頃に見聞きした古い話で、詳しいことは覚えていない」として、それ以上の具体的な情報は明らかにされなかった。

 なお、現地調査については村の意向により実現していないが、祭祀儀礼研究の見地から、今後の民俗学的調査の進展が望まれる。■■県立博物館の鈴木学芸員は「閉鎖的な山村における人口移動と祭祀の関係を示す貴重な事例である」と指摘している。

(民俗部)