
『これなんですけど、どう思いますか』
文面とともにNさんから送られてきたスクショに、私はどう答えていいものか悩んだ。内容がどうというより、まず最初に感じたことを素直に返信する。
『改行と空白が気になりますね。わざとずらしてるのかな。スマホの機種の問題?』
『いやそこじゃなくて』『ってすみません。ついタメ語に』
『いえ構いませんよ』
『見ていただきたいのは内容です』
レスポンスが早い。
Nさんはクライアントのひとりで、フリーランスの女性声優さんだ。三年ほどの付き合いになるが、普段のやり取りも九割仕事のことでしかない。繁忙期には時折趣味の雑談を交えることはありつつも、互いのプライベートはほとんど知らない仲である。
だが、今日は少し違った。ASMR用の台本納品連絡をした後、いつもなら受領の返信と請求書作成など事務的な話で終わることの方が多いのに、Nさんが妙に雑談を引き延ばしているように思えた。もちろん、仕事連絡後に雑談を交えたことが三年の間に全くなかったといえば嘘ではないけど、そういう時は彼女が少し落ち込んでいたり、疲れていたりと、『聞いてくださいよ〜』から始まるという、わかりやすい理由があった。
今日も何かあったのだろうかと察しながらも、Nさんが話し出さないかぎり不躾に訊き出すわけにもいかない。あくまでクライアントということもありつつ、それが私の、基本的な他人との付き合い方になっていた。
──最近急に冷えましたね、自律神経がやられましたね、最近読んだおすすめの本は? など、ひと通り当たり障りのないやり取りを済ませたあと、ようやく『変なDMが届いたんです』とNさんが切り出したのだった。
そして、話は冒頭に戻る。
「内容って言われてもなー……」
私は改めてスクショを見返した。
みちるがかける かけるとみちる こうこうひかる
きつねのおこおこ えいえんに
後半の「おこおこ」はわからないが、これは……
『月の話ですかね?』
素直に感じたことを送った。すぐに返信が来る。
『月ですか?』
そう、月だ。
「みちる」と「かける」は最初人の名前かと思ったけど、「こうこうひかる」を見た時即座に「煌々と光る」に脳内変換された。そのあとの「きつね」がその理由だ。どうしてかわからないけど、狐と月のセットの画が浮かんだからだ。「えいえんに」は「永遠に」だろう。「おこおこ」はわからない。響き的にただの言葉遊びのようにも思えた。
そう思った理由もちゃんとある。ぱっと見た印象を、続けて送る。
『あと、言葉遊びにも見えます。童謡みたいな』
歌。小さな子どもがぴょんぴょんと跳ねながら口ずさんでいるようなイメージが浮かんだのだ。それも、和服を着ている。どうしてと言われたら何となくとしか答えられないけど、実際に口ずさんでみると、自然とその画が浮かんだ。「おこおこ」というのも、意味を成しているわけではなく単なるリズム遊びではないかと。
『なるほど……さすが先生ですね』
少し間をおいて戻ってきた文面に、私は苦笑した。
『先生はやめてください』
『知ってます』
可愛いキャラクターがにっこり笑ったスタンプを返され、
『じゃあこれ、別に変なDMでもないのかな』
『いえ、変なことには変わりないと思いますけど』『Nさんに構われたくてとか、そういった方向性はあんまり感じないかもしれません』
『あー。それは私も同意です。どう思いますかとか、そういう追いコメもないので』
画面の向こうで、Nさんが苦笑いしたのが見えた。
この業界で仕事を始めてから知ったのだけど、声優さんという職業は今や顔出し芸能人的と同じ面を持っていたりする。実際にキャラクターやコンテンツを冠したライブを行うのも珍しいことではなく、近年ではバラエティ番組でも見かけるようになった。
私としては、エンジニアさんやディレクターさんといった裏方の職人さん方のひとりに、声優さんが存在していた。学生時代は映画鑑賞が大好きだったのもあり、たまに見る「吹替」という仕事をしている人。もしくは、ゲームでキャラクターの声を担当している人。ただし、エンドロールで流れてくる名前を意識したことは、今の仕事で関わることになるまで一度もなかった。
その感覚は、基本的に今も変わっていない。
だから正直なところ、声も聞かず名前だけ出されたところで、顔も声もほぼ浮かんでこない。担当キャラクターを教えてもらい、名前がわかることはある。それでもやはり、顔は出てこない。誤解を恐れずに言えば、興味がなかった。あくまで職人さんとして尊敬しつつも、彼ら彼女らを取り巻く昨今の環境を不思議な気持ちで遠くから眺めている。
そんなことをぽろりと零したとき、Nさんは「そういう感覚の人、まだいるんだぁ。安心した」と笑っていた。「なんか嬉しいかも」とも。あくまで裏方でいたいという彼女は現在、フリーランスとして地道に活動を続けている。YouTubeにあげるのもあくまで「声」だけだ。決して『自分』を出そうとしない。その姿勢に、個人的な好感を抱いているのも本音だった。
だからと言って、表舞台に立つ方々をどうこう思うわけでもない。仕事の幅が広がっているのは事実であり、それはそれで良き事だと思う。
つまりは、人それぞれ。その一言に尽きた。
『あれ? 風呂落ちしました?』
少し間があくと、ポンッとメッセージが追加された。こんなことは珍しい。数えるほど──いや。記憶にあるかぎり、今まで一度もない。なぜなら、いわゆる互いに既読スルー概念が特にないことは、仕事の取引を始めたころに擦り合わせだからだ。
これまでとは違う反応に、やはりいつもと違うNさんの心理状態が垣間見えた。
『いえ、少し考えていて』『追いコメがないってことは、この文面を送ってきたきりなんですか?』
文章の代わりに、「はい」という可愛い犬のスタンプが現れる。
『同業の方々とかにお話聞いてみたりは?』
すでにしているだろうと思いながらも、確認のため送る。私より仕事歴の長い彼女には、今はフリーとはいえそれなりに築かれてきた人間関係があるはずだ。おかしなメッセージへの対処の話題くらい、話していても何ら不思議ではない。
『それが、なんか聞けなくて』
考えている間に、予想外の返答が届く。Nさんからの吹き出しは続いた。
『実は私、フリーの役者仲間っていないんですよ。事務所にいる子たちはDMも事務所管理だから、もしきてても知らないだろうし』『それに、入り待ち出待ちとか、物理的な迷惑行為とも違うから……』
Nさんの文章を目で追いつつ、とにかくまだ私にしか打ち明けていないことは理解した。いや、打ち明けるという表現を使うほどに重大なことでもないのかもしれない。それでもNさんが小さな不安──それも、どこか小さな不安のようなものを抱いていることは伝わってきた。
それでも今は、これ以上の会話は不毛に近い。なぜなら、私も初見な上にNさんも他の人からの助言をもらっていないからだ。
私は壁にかかった時計を見上げ、想定より彼女とのやりとりが長引いたことを確認した。そろそろ切り上げないと、執筆時間が削られてしまう。Nさんもフリーだけど、私もフリーだ。〆切は待ってくれない。少し申し訳ない気持ちを引きずりながらも、話を切り上げる意図をこめて打ち込んだ。
『わかりました』『今度、珍しく食事会に参加するので、エンジニアさんあたりに聞いてみますね。このスクショ、他の人に見せてもいいですか?』
返事はすぐに戻ってきた。
『お願いします』
とぼけたタヌキが土下座しているスタンプと一緒に。