これは、文芸部のみんなで話し合って処分しようとしていた本の一部です。最初のページと最後のページ。
うちの学校は冬休みに入る前は、各教室はもちろん、部活動に所属している人達は部室の大掃除をする決まりがありました。
年明け前後は学校は閉庁するので、冬休みに入る前に一年間の感謝を込めて掃除しろよってことですね。
教室の掃除は終業式の前に普段は授業をしている時間にやるんですけど、部室については部活動に入っていない生徒もいますから終業式の放課後にやるルールでした。
僕が一年生の時の終業式の日。
僕ら文芸部員が掃除をしに部室に集まって、掃除道具を持ってきてくれる部員と顧問が来るまで談笑して待っていると、受験勉強のために引退したはずの先輩が部室を尋ねてきました。
引退と言っても、文芸部なんて家でも活動できますし、なんなら共有の古びたパソコンが一つあるだけの部室に来ないだけで、執筆自体は続けてたと思いますが。
それで、その先輩が僕たちに「そこのスチーム書庫の掃除もしておいてくれないか」と言ってきました。
今までそんなことしたことなかったじゃないですかって二年の先輩が言ったんですけど、その三年の先輩は先輩の一個上の先輩。つまり僕らより四個上の代の先輩から突然連絡が来たのだという。
『スチーム書庫の中に恐ろしい本があるはずだからそれを顧問の先生に預けて欲しい』
要はその四つ上の代の先輩が恐怖で震え上がった本があるらしいからその本を顧問の先生にも見せてどういう反応するかみたいという連絡でした。
つまり、三年の先輩も先輩に振り回されているということでした。
しかし、私たちはそんなに恐ろしい本があるのなら顧問の先生にイタズラをする意味でそのお願いを了承しました。
その後、三年の先輩は勉強のために家に帰り、その三分後くらいに先生と掃除道具を持ってきてくれるはずだった子達が到着して掃除が開始されました。
顧問の先生には勘づかれないように自然な流れでスチーム書庫を掃除する流れをみんなで作り、その思惑通り、書庫の中身を全て出すことに成功しました。
中の清掃も程々に僕らはそれの中からどれがその本を探すようにスチーム書庫に並べていきました。
先輩は「見たら分かるから、らしい」と言っていて、全員がその曖昧な指示にイラつきを隠せていませんでしたが、実際の実物は「見たら分かり」ました。
古い冊子の間に綺麗な白の原稿用紙が紛れ込んでいたんですよ。
でも、中身を読んでも正直怖いとは言えず、今手元にあるのは最初と最後のページだけですが、全編通して読んでも理解はしずらかったし、なんか、初心者が頑張って書いたんだろうなって感じの小説でした。
これの何が怖いんだろうと思いながらも『先生に預けて欲しい』という言伝通り、その原稿用紙の束を先生に渡しました。
先生も最初は興味津々で読んでいました。
ここはいいね。とか。ここはもう少しこうしたら良かったよね。なんて批評もしながら。
なんだ、全然ビビってないじゃん。
そう思っていた時に、先生の口が止まったんです。
最後のページの作者の名前を見た時。
その後先生はなにかに取り憑かれたようにブツブツと独り言を言いながら、顔を青ざめさせていきました。
僕らはその先生の異変に気が付き、先生を部室の外に出し、数人で特に必要も無い掃除道具を先生と一緒に取りに行ってもらうように頼み、その間に残ったみんなで相談しあってこの原稿用紙を山を降りたところにある古紙回収所に廃棄することが決定しました。
さすがに先生のあの異様な様を見たあとでは廃棄の案に反対する人はいませんでした。
……僕を除いて。
だって、何故あんなに怯えているか知りたかったんです。
本物の小説っていうのは、文字のみで、人を感動させ、恐怖させ、熱狂させる。そういうものだと思っていましたから、そういう意味で僕にとってあの小説は「本物」でした。
あれだけ人の心を動かした本物をやすやすと捨てさせていいのかと内心ずっと思っていました。
その小説が持っていた意味を解明すれば、『本物が本物である所以』がわかる可能性がある。
そう思い、みんなの目を盗んで、最初と最後のベージだけになりましたが、引きちぎって、自分の手元に置きました。
まぁ、今考えれば、あの怯えようは絶対小説の中だけが理由ではなかったと、今では分かります。
……あの時の私は、プロの小説家になることに必死でしたから。
話すのがはばかれるので省略しますが、父が借金を残したまま蒸発したんです。
やばいところからの借金だったので、返さないと僕は学校を卒業出来なかったし、何よりまだ産まれたばかりの妹も危なかった。
だから、小説家として僕がたくさん稼いで借金を早く返そうとやっけになっていた時だったんです。
結局、僕は小説家になれないまま、僕のバイトと母の収入だけでは本当に生活ができない状況になって、父との結婚で半絶縁状態だった母の両親に助けてもらい、僕は学校を卒業。
今は祖父母の家で三人とも暮らせていますが。
すみません、最後は関係ない話でしたね。
この二枚のページはお譲りします。
もう、僕が持っていても意味がありませんから。
うちの学校は冬休みに入る前は、各教室はもちろん、部活動に所属している人達は部室の大掃除をする決まりがありました。
年明け前後は学校は閉庁するので、冬休みに入る前に一年間の感謝を込めて掃除しろよってことですね。
教室の掃除は終業式の前に普段は授業をしている時間にやるんですけど、部室については部活動に入っていない生徒もいますから終業式の放課後にやるルールでした。
僕が一年生の時の終業式の日。
僕ら文芸部員が掃除をしに部室に集まって、掃除道具を持ってきてくれる部員と顧問が来るまで談笑して待っていると、受験勉強のために引退したはずの先輩が部室を尋ねてきました。
引退と言っても、文芸部なんて家でも活動できますし、なんなら共有の古びたパソコンが一つあるだけの部室に来ないだけで、執筆自体は続けてたと思いますが。
それで、その先輩が僕たちに「そこのスチーム書庫の掃除もしておいてくれないか」と言ってきました。
今までそんなことしたことなかったじゃないですかって二年の先輩が言ったんですけど、その三年の先輩は先輩の一個上の先輩。つまり僕らより四個上の代の先輩から突然連絡が来たのだという。
『スチーム書庫の中に恐ろしい本があるはずだからそれを顧問の先生に預けて欲しい』
要はその四つ上の代の先輩が恐怖で震え上がった本があるらしいからその本を顧問の先生にも見せてどういう反応するかみたいという連絡でした。
つまり、三年の先輩も先輩に振り回されているということでした。
しかし、私たちはそんなに恐ろしい本があるのなら顧問の先生にイタズラをする意味でそのお願いを了承しました。
その後、三年の先輩は勉強のために家に帰り、その三分後くらいに先生と掃除道具を持ってきてくれるはずだった子達が到着して掃除が開始されました。
顧問の先生には勘づかれないように自然な流れでスチーム書庫を掃除する流れをみんなで作り、その思惑通り、書庫の中身を全て出すことに成功しました。
中の清掃も程々に僕らはそれの中からどれがその本を探すようにスチーム書庫に並べていきました。
先輩は「見たら分かるから、らしい」と言っていて、全員がその曖昧な指示にイラつきを隠せていませんでしたが、実際の実物は「見たら分かり」ました。
古い冊子の間に綺麗な白の原稿用紙が紛れ込んでいたんですよ。
でも、中身を読んでも正直怖いとは言えず、今手元にあるのは最初と最後のページだけですが、全編通して読んでも理解はしずらかったし、なんか、初心者が頑張って書いたんだろうなって感じの小説でした。
これの何が怖いんだろうと思いながらも『先生に預けて欲しい』という言伝通り、その原稿用紙の束を先生に渡しました。
先生も最初は興味津々で読んでいました。
ここはいいね。とか。ここはもう少しこうしたら良かったよね。なんて批評もしながら。
なんだ、全然ビビってないじゃん。
そう思っていた時に、先生の口が止まったんです。
最後のページの作者の名前を見た時。
その後先生はなにかに取り憑かれたようにブツブツと独り言を言いながら、顔を青ざめさせていきました。
僕らはその先生の異変に気が付き、先生を部室の外に出し、数人で特に必要も無い掃除道具を先生と一緒に取りに行ってもらうように頼み、その間に残ったみんなで相談しあってこの原稿用紙を山を降りたところにある古紙回収所に廃棄することが決定しました。
さすがに先生のあの異様な様を見たあとでは廃棄の案に反対する人はいませんでした。
……僕を除いて。
だって、何故あんなに怯えているか知りたかったんです。
本物の小説っていうのは、文字のみで、人を感動させ、恐怖させ、熱狂させる。そういうものだと思っていましたから、そういう意味で僕にとってあの小説は「本物」でした。
あれだけ人の心を動かした本物をやすやすと捨てさせていいのかと内心ずっと思っていました。
その小説が持っていた意味を解明すれば、『本物が本物である所以』がわかる可能性がある。
そう思い、みんなの目を盗んで、最初と最後のベージだけになりましたが、引きちぎって、自分の手元に置きました。
まぁ、今考えれば、あの怯えようは絶対小説の中だけが理由ではなかったと、今では分かります。
……あの時の私は、プロの小説家になることに必死でしたから。
話すのがはばかれるので省略しますが、父が借金を残したまま蒸発したんです。
やばいところからの借金だったので、返さないと僕は学校を卒業出来なかったし、何よりまだ産まれたばかりの妹も危なかった。
だから、小説家として僕がたくさん稼いで借金を早く返そうとやっけになっていた時だったんです。
結局、僕は小説家になれないまま、僕のバイトと母の収入だけでは本当に生活ができない状況になって、父との結婚で半絶縁状態だった母の両親に助けてもらい、僕は学校を卒業。
今は祖父母の家で三人とも暮らせていますが。
すみません、最後は関係ない話でしたね。
この二枚のページはお譲りします。
もう、僕が持っていても意味がありませんから。



