夜勤は好きだ。基本的にみんな寝ているし、1フロアを1人で担当できるから気を遣わなくて済む。
基本的な業務は1時間おきの巡回と、2時間おきのオムツ交換。あとはナースコールがあれば都度対応をする。余った時間で記録の記入と入居者の衣類やシーツの洗濯をして、共有部分の消毒清掃を行う。自由時間が多い代わりに仮眠休憩が取れないのが辛いところだが、コーヒーでなんとか朝までやりすごしている。
「佐々木ちゃん、お疲れ〜。洗濯物終わってたから持ってきたよ」
「先輩、ありがとうございます」
「今日はどう? 忙しい?」
「いえ、全く。コールもならないですし。2階はどうですか?」
「もう最悪なの〜! 徘徊がすごくてさ。今は部屋の外から鍵かけて閉じ込めてる。オムツもすぐ外しちゃって、ズボンもシーツも洗濯が間に合わないから今裸よ〜」
「あはは、大変ですね……」
洗濯物を畳みながら駄弁る。1階は寝たきりの入居者が多い分、昼は各部屋を回る手間が発生するが、夜は比較的落ち着いている。比べて2階は認知症の人や徘徊癖のある入居者が多く、夜勤で入ると中々に疲れてしまうのだ。
「あ、そうだ。ラップ音、でしたっけ。大丈夫ですか?」
「それがねえ、聞こえるのよ〜。センサーも誰もいないのに反応したりしてさ。ただでさえ疲れてるのにイライラしちゃう」
深くため息を吐く先輩からは恐怖心は見られず、はーあ、と呆れた声を漏らすのみだった。
「じゃあ、そろそろ戻るね。うちの施設、新しい割に看取り多いからさ、ちゃんと目を光らせとかないと! 退勤まであと6時間、頑張りましょう」
先輩は自分のフロアの洗濯物だけを持って2階へ戻って行った。
やはり、気になる。ラップ音だとかセンサーだとか、実際に今起きている霊現象には無関心なのに、ゴミ捨て場の幽霊だけ過剰に意識しすぎではないだろうか。先輩だけじゃない。上司までもがゴミ捨て場に異様なまでに嫌悪感を示すのは、本当に幽霊の噂のせいだけ? 噂の信憑性がそこまで高いのか、それとも全員が目撃でもしたのか。
「あ」
洗濯カゴの隣にゴミ袋が置かれている。先輩が捨ててくれと置いていったのだろう。
少し緊張して、手に汗が滲む。ズボンでパッパと手汗を拭ってからゴミ袋を持ち上げた。
時刻は午前3時。まだ日は登る気配もなく、曇り空には月も星も浮かんでいない。暗い夜がますます暗く淀んで見えた。
怖いと思うのは、意識しているからだ。ゴミ捨てなんていつもやっていることで、いつも何の問題もなくできていること。怖いと思う必要も、危険なことだって何一つない。
ゴミ捨て場の倉庫の扉に手をかける。外気温を受けて氷のように冷たくなった鉄に力を入れて勢いよく開け放った。真っ暗な内部に足を踏み入れ、ゴミを1番奥へ運ぶ。既に積まれたゴミ袋の数々の合間を縫って進むと、耳鳴りのような、鼓膜の奥で鳴っているのか外から聞こえる音なのか判断のつかないか細い声が耳に届く。
「だしてください」
驚いてゴミ袋を落とした。
今のは声? 誰かいる?
確認したいけど見たくない。暗い倉庫の中じゃ目を凝らさないと何も見えないのに、それでも何も見たくなくて目を固く閉じる。
「だしてください」
掠れた、小さな小さな、老人の声だ。
出してください? ここから? 私が?
パニックになって、全身が一気に冷える。汗が滲んで、足が動かなくて、歯が震えた。
「……お願いします。出してください……」
目を強く瞑っていたせいで眼球がぐわんと揺らいで、たまらずゆっくり目を開けた。
「あ……」
居た。
端の方で、体を小さくして座る、痩せ細った老人だ。
「ひぃいッ!!」
一も二もなく駆け出した。ゴミ袋を何個も蹴り飛ばして、中身もぶちまけたけどどうだってよかった。
初めて見た。あれは本当に幽霊だ。本当にいた!
ガチガチと恐怖で震える体をなんとか動かして、ゴミ捨て場から出る直前、耳に届いた言葉に私は絶句した。
「出してください……。お漏らしして、すみませんでした……」
基本的な業務は1時間おきの巡回と、2時間おきのオムツ交換。あとはナースコールがあれば都度対応をする。余った時間で記録の記入と入居者の衣類やシーツの洗濯をして、共有部分の消毒清掃を行う。自由時間が多い代わりに仮眠休憩が取れないのが辛いところだが、コーヒーでなんとか朝までやりすごしている。
「佐々木ちゃん、お疲れ〜。洗濯物終わってたから持ってきたよ」
「先輩、ありがとうございます」
「今日はどう? 忙しい?」
「いえ、全く。コールもならないですし。2階はどうですか?」
「もう最悪なの〜! 徘徊がすごくてさ。今は部屋の外から鍵かけて閉じ込めてる。オムツもすぐ外しちゃって、ズボンもシーツも洗濯が間に合わないから今裸よ〜」
「あはは、大変ですね……」
洗濯物を畳みながら駄弁る。1階は寝たきりの入居者が多い分、昼は各部屋を回る手間が発生するが、夜は比較的落ち着いている。比べて2階は認知症の人や徘徊癖のある入居者が多く、夜勤で入ると中々に疲れてしまうのだ。
「あ、そうだ。ラップ音、でしたっけ。大丈夫ですか?」
「それがねえ、聞こえるのよ〜。センサーも誰もいないのに反応したりしてさ。ただでさえ疲れてるのにイライラしちゃう」
深くため息を吐く先輩からは恐怖心は見られず、はーあ、と呆れた声を漏らすのみだった。
「じゃあ、そろそろ戻るね。うちの施設、新しい割に看取り多いからさ、ちゃんと目を光らせとかないと! 退勤まであと6時間、頑張りましょう」
先輩は自分のフロアの洗濯物だけを持って2階へ戻って行った。
やはり、気になる。ラップ音だとかセンサーだとか、実際に今起きている霊現象には無関心なのに、ゴミ捨て場の幽霊だけ過剰に意識しすぎではないだろうか。先輩だけじゃない。上司までもがゴミ捨て場に異様なまでに嫌悪感を示すのは、本当に幽霊の噂のせいだけ? 噂の信憑性がそこまで高いのか、それとも全員が目撃でもしたのか。
「あ」
洗濯カゴの隣にゴミ袋が置かれている。先輩が捨ててくれと置いていったのだろう。
少し緊張して、手に汗が滲む。ズボンでパッパと手汗を拭ってからゴミ袋を持ち上げた。
時刻は午前3時。まだ日は登る気配もなく、曇り空には月も星も浮かんでいない。暗い夜がますます暗く淀んで見えた。
怖いと思うのは、意識しているからだ。ゴミ捨てなんていつもやっていることで、いつも何の問題もなくできていること。怖いと思う必要も、危険なことだって何一つない。
ゴミ捨て場の倉庫の扉に手をかける。外気温を受けて氷のように冷たくなった鉄に力を入れて勢いよく開け放った。真っ暗な内部に足を踏み入れ、ゴミを1番奥へ運ぶ。既に積まれたゴミ袋の数々の合間を縫って進むと、耳鳴りのような、鼓膜の奥で鳴っているのか外から聞こえる音なのか判断のつかないか細い声が耳に届く。
「だしてください」
驚いてゴミ袋を落とした。
今のは声? 誰かいる?
確認したいけど見たくない。暗い倉庫の中じゃ目を凝らさないと何も見えないのに、それでも何も見たくなくて目を固く閉じる。
「だしてください」
掠れた、小さな小さな、老人の声だ。
出してください? ここから? 私が?
パニックになって、全身が一気に冷える。汗が滲んで、足が動かなくて、歯が震えた。
「……お願いします。出してください……」
目を強く瞑っていたせいで眼球がぐわんと揺らいで、たまらずゆっくり目を開けた。
「あ……」
居た。
端の方で、体を小さくして座る、痩せ細った老人だ。
「ひぃいッ!!」
一も二もなく駆け出した。ゴミ袋を何個も蹴り飛ばして、中身もぶちまけたけどどうだってよかった。
初めて見た。あれは本当に幽霊だ。本当にいた!
ガチガチと恐怖で震える体をなんとか動かして、ゴミ捨て場から出る直前、耳に届いた言葉に私は絶句した。
「出してください……。お漏らしして、すみませんでした……」

