90ℓのゴミ袋いっぱいにゴミを押し込んできつく縛ると、糞尿と吐瀉物の混じったにおいに蓋がされた。うっ、と思わず噎せ返る異臭にも、入職した当初に比べれば慣れたものだ。
田舎の特別養護老人ホームに新卒採用されて8ヵ月。志望企業の内定が取れず、卒業ギリギリに就職浪人を逃れるため応募した介護職は驚くほどとんとん拍子に面接が進み、あっという間に内定が決まった。福祉になんて興味もなかった私は経験も知識もないままに4月を迎え、先輩や上司の見様見真似でなんとか仕事をこなした。正直仕事は辛いけど、先輩も上司も優しいからなんとか続けることができている。
ゴミ捨ては私の担当だ。介護施設ではにおいのするゴミが毎日大量に出る。そのため施設を出てすぐの駐車場の隅にゴミ回収用の倉庫があって、早朝の決まった時間とゴミの溜まったタイミングで捨てに行くことになっている。両手にゴミ袋を持ち、冬の朝の冷たい風を浴びながら倉庫のドアを開けた。大きさはビーチなどで見る仮設トイレ2つ分くらい。週に2回ゴミが回収されていくのに、既に倉庫いっぱいにゴミが積まれている。倉庫の中に入り、空いたスペースを見つけてゴミを放った。
倉庫のドアを閉めて、ふと先輩の話を思い出す。
「佐々木ちゃん、ゴミ捨てお願いしてもいい?」
「はい、構いませんよ」
「よかった! 佐々木ちゃんが入ってくれて本当に助かるわ」
「ゴミ出しくらいで大げさですよ」
「そんなことないわよ~。ここの人、みんなゴミ捨て行きたがらないもの」
「そうですよね。皆さん私に頼みますから。なんでそんなに嫌なんですか?」
「……佐々木ちゃんは怖い話大丈夫?」
「怖い話ですか? 大丈夫な方ですけど……」
「実は、あのゴミ倉庫に幽霊が出るって噂があってね。それでみんな嫌がってるの」
「幽霊?」
「そう。倉庫の中で、ゴミとゴミの隙間に小さくなって座っている、老人の幽霊」
まさかそんな噂を業務に持ち込んでゴミ捨てを避けているなんて、少し笑ってしまいそうになる。だけど、この8ヵ月間一度たりとも私以外の人がゴミを捨てに行くのを見ていない。ここまで徹底されると嫌でも気になってしまうものだ。幽霊なんて信じない。でも、ゴミ捨てのたびに倉庫のドアを開けた時に何か見えたらどうしようと、ほんのちょっとだけドキドキしている。
「戻りましたー」
冷えた手をさすって暖房がフル稼働する室内へ戻る。丁度朝食の時間だったようだ。広いリビングに全員が集合し、1人で食べられる人は1人で、難しい人は職員の介助を受けながら食事をとっている。私も手伝おうと、右麻痺のあるおじいちゃんの隣に座ってスプーンを手に取る。
「起きてください、ほら。あーん」
コクコクと舟を漕ぐ頬をペチペチ叩いて起こす。食事の時間は決まっているから、無理にでも起こして食べさせるよう上司から言われている。一食でも抜くと、ただでさえ体重が減少してしまう老人の体に障るからだ。
他の食事介助中の先輩たちもまだ寝ぼけ眼のおじいちゃん達に苦戦しているようだった。業務がたんまりと残っているので急いで食事を口へ運び、さっさと食器を片して他のヘルプへ入る。朝、昼、夕の食事時が1番忙しい。一分一秒無駄にできないのだ。
食事の後は嫌がるおばあちゃん達をトイレへ引っ張ったりベッドへ寝かせたりして、それを30人分繰り返してようやくひと段落する。やっと寝かせたかと思えばまた昼ごはんの時間が来て、また全員を起こして食事、そしてまた寝かせる。体力的に相当きつい。それに加えて認知症の方からの罵詈雑言や同じ質問の繰り返し、暴れる方からの暴力と脱走で精神面もゴリゴリと削られていく。
「はぁー、疲れました……」
「佐々木ちゃん、さっきは大変だったね」
「はは。失禁しながら徘徊するとは思いませんでした。床の消毒が大変で……」
「私も先週同じことあったわ〜。イラついたから車椅子に乗せて廊下に置いてきた」
「またまた〜」
休憩室でカップ麺にお湯を注ぐ。先輩は作ってきたお弁当を食べていた。
「そういえば先輩、明日夜勤ですよね。私もです」
「お、ほんと? よろしくね〜」
「平和な夜勤だといいですね。私は1階担当でした」
「私は2階だよ。昨日2階の夜勤だった上司がラップ音聞いたとか言って脅かしてくるの。勘弁してほしいよね」
「え、そうなんですか? 大丈夫ですか、私代わりましょうか?」
「平気平気。ラップ音なんてこの仕事してたら日常茶飯事だって!」
「そう、ですか?」
ふと、違和感を感じた。てっきりみんな心霊系の話が苦手なのだとばかり思っていた。だって、ゴミ捨ては頑なに誰も行かないから。それなのにさも当たり前のように語る先輩を見て、あの噂だけが特別に避けられているのだと知った。いや、もしかするとゴミ捨てなんて仕事、1番下っ端の私がするべき雑用だと思って、みんなが押し付けてきているだけかもしれない。
「佐々木ちゃんいっつもカップ麺だね」
「ああ、はい。作るの面倒で」
深く考えなくていいや。
私は閉じていた蓋を開けて麺を啜った。
田舎の特別養護老人ホームに新卒採用されて8ヵ月。志望企業の内定が取れず、卒業ギリギリに就職浪人を逃れるため応募した介護職は驚くほどとんとん拍子に面接が進み、あっという間に内定が決まった。福祉になんて興味もなかった私は経験も知識もないままに4月を迎え、先輩や上司の見様見真似でなんとか仕事をこなした。正直仕事は辛いけど、先輩も上司も優しいからなんとか続けることができている。
ゴミ捨ては私の担当だ。介護施設ではにおいのするゴミが毎日大量に出る。そのため施設を出てすぐの駐車場の隅にゴミ回収用の倉庫があって、早朝の決まった時間とゴミの溜まったタイミングで捨てに行くことになっている。両手にゴミ袋を持ち、冬の朝の冷たい風を浴びながら倉庫のドアを開けた。大きさはビーチなどで見る仮設トイレ2つ分くらい。週に2回ゴミが回収されていくのに、既に倉庫いっぱいにゴミが積まれている。倉庫の中に入り、空いたスペースを見つけてゴミを放った。
倉庫のドアを閉めて、ふと先輩の話を思い出す。
「佐々木ちゃん、ゴミ捨てお願いしてもいい?」
「はい、構いませんよ」
「よかった! 佐々木ちゃんが入ってくれて本当に助かるわ」
「ゴミ出しくらいで大げさですよ」
「そんなことないわよ~。ここの人、みんなゴミ捨て行きたがらないもの」
「そうですよね。皆さん私に頼みますから。なんでそんなに嫌なんですか?」
「……佐々木ちゃんは怖い話大丈夫?」
「怖い話ですか? 大丈夫な方ですけど……」
「実は、あのゴミ倉庫に幽霊が出るって噂があってね。それでみんな嫌がってるの」
「幽霊?」
「そう。倉庫の中で、ゴミとゴミの隙間に小さくなって座っている、老人の幽霊」
まさかそんな噂を業務に持ち込んでゴミ捨てを避けているなんて、少し笑ってしまいそうになる。だけど、この8ヵ月間一度たりとも私以外の人がゴミを捨てに行くのを見ていない。ここまで徹底されると嫌でも気になってしまうものだ。幽霊なんて信じない。でも、ゴミ捨てのたびに倉庫のドアを開けた時に何か見えたらどうしようと、ほんのちょっとだけドキドキしている。
「戻りましたー」
冷えた手をさすって暖房がフル稼働する室内へ戻る。丁度朝食の時間だったようだ。広いリビングに全員が集合し、1人で食べられる人は1人で、難しい人は職員の介助を受けながら食事をとっている。私も手伝おうと、右麻痺のあるおじいちゃんの隣に座ってスプーンを手に取る。
「起きてください、ほら。あーん」
コクコクと舟を漕ぐ頬をペチペチ叩いて起こす。食事の時間は決まっているから、無理にでも起こして食べさせるよう上司から言われている。一食でも抜くと、ただでさえ体重が減少してしまう老人の体に障るからだ。
他の食事介助中の先輩たちもまだ寝ぼけ眼のおじいちゃん達に苦戦しているようだった。業務がたんまりと残っているので急いで食事を口へ運び、さっさと食器を片して他のヘルプへ入る。朝、昼、夕の食事時が1番忙しい。一分一秒無駄にできないのだ。
食事の後は嫌がるおばあちゃん達をトイレへ引っ張ったりベッドへ寝かせたりして、それを30人分繰り返してようやくひと段落する。やっと寝かせたかと思えばまた昼ごはんの時間が来て、また全員を起こして食事、そしてまた寝かせる。体力的に相当きつい。それに加えて認知症の方からの罵詈雑言や同じ質問の繰り返し、暴れる方からの暴力と脱走で精神面もゴリゴリと削られていく。
「はぁー、疲れました……」
「佐々木ちゃん、さっきは大変だったね」
「はは。失禁しながら徘徊するとは思いませんでした。床の消毒が大変で……」
「私も先週同じことあったわ〜。イラついたから車椅子に乗せて廊下に置いてきた」
「またまた〜」
休憩室でカップ麺にお湯を注ぐ。先輩は作ってきたお弁当を食べていた。
「そういえば先輩、明日夜勤ですよね。私もです」
「お、ほんと? よろしくね〜」
「平和な夜勤だといいですね。私は1階担当でした」
「私は2階だよ。昨日2階の夜勤だった上司がラップ音聞いたとか言って脅かしてくるの。勘弁してほしいよね」
「え、そうなんですか? 大丈夫ですか、私代わりましょうか?」
「平気平気。ラップ音なんてこの仕事してたら日常茶飯事だって!」
「そう、ですか?」
ふと、違和感を感じた。てっきりみんな心霊系の話が苦手なのだとばかり思っていた。だって、ゴミ捨ては頑なに誰も行かないから。それなのにさも当たり前のように語る先輩を見て、あの噂だけが特別に避けられているのだと知った。いや、もしかするとゴミ捨てなんて仕事、1番下っ端の私がするべき雑用だと思って、みんなが押し付けてきているだけかもしれない。
「佐々木ちゃんいっつもカップ麺だね」
「ああ、はい。作るの面倒で」
深く考えなくていいや。
私は閉じていた蓋を開けて麺を啜った。

