「メリークリスマス! かんぱーい!」

そんな声とともに、たくさんのグラスがぶつかる音が二度、三度と部屋のあちこちから聞こえる。

十二月二十四日、夜八時。

いわゆるクリスマスイブってやつ。

クリスマスの前日でしかない、ただの、普通の、祝日でもなんでもないノーマルな金曜日なのに、なぜか一人で過ごしたら負けってことになっている。
残念ながら、そういう空気を感じるコミュニティに属している。
だからこうして友人に招かれたホームパーティーに顔を出してしまう。
こういう空間は苦手なのに。

二十五歳女子、我ながら意志が弱い。

広い室内には大きなダイニングテーブル、それにソファとローテーブルもあって、チキンやピザ、色とりどりのオードブルといったクリスマスパーティーらしい料理がシャンパンのボトルと共に並んでいる。
BGMはクリスマスっぽい外国語の曲。
少し年上の友人夫妻は顔が広くて、さまざまな業界で働くゲストたちが部屋を埋め尽くしている。
二十人以上いそうだ。
広告業界、アパレル関係、モデルなんかもいたかな。
みんなどこかキラキラしていて、積極的に名刺交換でもすれば仕事の役に立つんだろう。
チャンスだけれど、あいにく気分じゃない。

「なんで一人でこんなとこにいるの?」

この人は、どの業界の人かな。
乾杯を終えて一人でこっそりシャンパンを飲んでいたベランダで、話しかけてきた男性の足元から顔に視線を上げる。
カジュアルめなグレーのジャケットに、遊び心のあるツイードの蝶ネクタイ。ふんわりした茶色い髪。
何業界の人かはわからないけれど、人懐っこそうな表情も含めてこのパーティーに相応しいって感じの出立(いでた)ち。
「苦手なんです、初対面の人とたくさん話さなくちゃいけない空間。こんなに人がいると思わなかった」
彼らの顔の広さは知っていたけど、もう少し小ぢんまりとした集まりだと思っていた。
今着ているグリーンのワンピースを試着したときに店員に言われた『ちょっとしたパーティーにも着ていけますよ』なんてセリフを思い出す。
〝ちょっとしたパーティー〟は実在したんだ。
アルコールがまわっているのか、そんなどうでもいいことで「ふっ」と思い出し笑いを浮かべてしまった。
「何?」
「いえ、べつに」
「寒くない?」
「寒くないわけじゃないけど、暖房もあるしストールもあるからちょうどいいです。酔いすぎなくて」
何階だったか忘れてしまったマンション高層階の広いベランダには、屋外用のヒーターが設置されている。
何から何まで、おもてなしにぬかりがない。
気がきくってこういうことを言うんだろう。
「あなたこそ、寒いなら戻ったほうがいいんじゃないですか?」
私がそう言うと、彼は一瞬考えるように顎に指を当てて、それから室内に戻って行った。
うん。
こんなところで地味な女と飲むくらいなら、中でコネクションを作るほうが有益だ。
私は夜景を見下ろすように、ベランダの手すりに肘を乗せて伏せるように寄りかかる。

「……こんなはずじゃなかったのに」

ポツリとつぶやいた直後、「ひゃっ」と声が出た。
冷たくて硬いものが頬に当てられたから。
「ちょっ……何するんですか!」
「差し入れ」
先ほどの彼が、スパークリングワインのボトルを掲げて笑っている。片手には彼チョイスらしきオードブルを乗せたプレートを持って。
「一緒にどうですか?」
そう言うと彼はベランダのテーブルセットにワインとプレートを並べて、私を招くように手のひらをそれらに向けた。
一人で気楽に飲んでいるのに同情されてしまったのだろうかと思ったりもするけれど、べつに(かたく)なになるような場面でもない。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
席について、とっくに空になっていたシャンパングラスを差し出すと、彼がロゼ色のスパークリングワインを注いでくれた。
「あらためて」
挨拶がわりにグラスをチンと小さくぶつけ合う。

「メリークリスマス」
「メリークリスマス」

これってお祝いの言葉なんだろうか。

一瞬考えて、どうでもいいことだとワインに口をつけた。
「シャンパンの方がおいしかったな」
素人でもわかるくらい味や泡の舌触りがまったく違う。
「はは、辛口。これって誰かの差し入れなんじゃないの?」
パーティーはそれぞれ何か一品持ち寄りのスタイルだった。
「いいんです、私が持ってきたやつだから。普通に好きなワインだし」
シャンパンの味なんてすぐに新しい味に上書きされてしまうはずだ。



「あ、じゃあ同い年かも」
しばらく話していたら、彼は二十五歳で、海外に本社のあるインターネット関連の会社の人だということがわかった。
私の仕事はウェブ系もある広報の仕事だから、間接的に彼の会社とは関わりがある。
「あー、あそこの人なんだ。なら会ったことあるかもね」
私は首を横に振る。
「御社の担当は先輩だから」
私は彼の会社には行ったことがないし、誰の名刺も持っていない。
「いつもお世話になっております」なんて冗談めかした挨拶から始まったけれど、こんな場でわざわざ堅苦しい仕事の話なんかはしない。
彼はずっと話がうまくて、職業柄の共通の話題から他のことまで、話していると自然と笑みがこぼれていた。
「超わかる、本当(ほんと)それ。はい乾杯」
意見が合えば、ふざけてグラスをぶつけて笑い合う。
ボトルのワインは自然と減っていって、もうシャンパンの味なんて忘れてしまった。
「あはは。うける」
可笑しさで目に涙を滲ませれば、今夜ここに来て正解だったんだと思えてくる。
気づけばとっくに九時を回っていた。
時計を見て、つい「ふぅ」と小さく息を漏らす。
「さっき」
「え?」
「〝こんなはずじゃなかった〟ってつぶやいてたけど」
聞かれていたか、と小さく眉を寄せる。
「どんなはずだったの?」
「…………」
グラスに口をつけて、少し考える。
べつに、今この場だけの話だ。
「本当は今頃、彼氏と乾杯してたはずだ、って話」
「それって……」
彼は一瞬言葉を探すように間を開けた。
「別れたってこと?」
私はまた、首を横に振る。
「ううん。まだ(・・)つき合ってる」
ワインをひと口。
「クリスマスイブに泊まりで出張に行っちゃう気のきかない彼氏と」
「しょうがないじゃん、金曜は平日なんだから」
彼氏側に立たれてムッとする。
「お店だってずっと前から予約してあったのに、出張を断れないって最低。彼女をほっぽって明日まで帰ってこない」
「それはイブに出張させる会社のセンスの問題じゃない?」
まあ、それはそう。
まともな大人はクリスマスイブなんて理由で仕事を断らないことくらいわかってる。
だけどムカつく。
「そういう会社を選んだ人のセンスの問題でもある」
「厳しいな」
よそのカップルのケンカに巻き込まれて、彼は苦笑いを浮かべている。
「エンジニアなの。滅多に出張なんてないくせに、よりによって今日出張なんて。あ、センスっていうより運の問題かも」
また、ワインをごくり。
「これ見て」
酔いがまわっていて、つい彼とのメッセージのやり取りを開いて見せてしまった。
そこには画面を埋めるような長文で、クリスマスイブに出張になってしまったことの謝罪と言い訳が書かれている。
絵文字なんか一つもなくて、スタンプなんかもついていない。
「いや、いい彼氏でしょ。こんな謝罪してくれて」
なんの関係もない他人の痴話喧嘩なんて、この世でもっともおもしろくない話題の一つ。
そんなものにつき合ってくれて、あなたこそいい人でしょ……なんて思う。
「でもこれだけですよ? 電話してくるわけでもない。気がきかないの、今日だけじゃなくて」
彼に返されたスマホ画面を見て、口を尖らせる。
つき合って二年。
ずっとそういうストレスを抱えている。
「ふーん。じゃあ——」
小さくため息をついた私に、彼が口を開いた。

「抜けて飲み直しに行く? 二人で」

提案されて、思わず彼の方を見る。
そして——目が合う。

同い年。
話が合って楽しい。
会社だっていい感じ。
見た目も嫌いじゃない。
一人ぽつんと飲んでいた私に気づく、気のきくタイプ。

シャンパンとスパークリングワインの交じった頭で瞬時に思考を巡らせる。
もちろん彼氏と比較して。
「うん」と言いかけたところで、手の中のスマホがブーブーと震えた。
画面を見て「あ」って、多分顔に出ていたと思う。
「出ないの?」
彼に問われてまたムッとする。
「いい」
本来ならクリスマスディナーも終わっているような時間まで電話をしてこないところにもまた腹が立つ。
決めた。
「抜けよう。行こ!」
こんなストレスはもうたくさん。
別れる。
「いや、いいって。ずっと待ってたんでしょ? 電話」
「え?」
「〝電話してくるわけでもない〟って、〝電話してこいよ〟って意味じゃん」
「…………」
なんて返したらいいかわからなくて眉を寄せる私を見て、彼は笑って席を立つ。
本当に気がきく人だ……と一人、震え続けているスマホを見ながら思う。
「はぁっ」と、またため息をつきながら通話ボタンを押す。

「何?」

気がきかないくせに、ギリギリのところで運がいい。
スマホの向こうから、メッセージと同じ言い訳が彼の声になって耳に届く。
腹立たしいのに口元が緩むのが嫌で、誰に見られているというわけでもないのに、ごまかすように頬を膨らませる。
「長い。もういいよ、なんでも」
ツンとした口調を作って言う。
「今日がクリスマスイブで良かったね」
だってただの、普通の、祝日でもなんでもないノーマルな金曜日だから。
「クリスマスだったら別れてたかも」
〝別れる〟なんてワードに、電話の向こうの声が焦ったのがわかって思わずクスッと笑う。
「明日は絶対早く帰ってきてよ」
これって結局、こんなに気のきかない人を好きな自分のセンスの問題だ。
自分に呆れて笑って大きくため息をつく。
腹が立つけど仕方ない。
「出張おつかれさま」
だってその不器用さが好きなんだから。

「メリークリスマス」

これって、〝好きだよ〟って意味の言葉だったんだ。

ああもう、本当に腹立たしい。

fin.

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