梅雨が明けて本格的な夏がきた。

「セーフ!」

 自転車から降りて空を見上げる。
 真上は青空だけど、急に吹き出してきた冷たい風。経験上この風がヤバいのは知っていた。

 学校を出る前に雨雲予測をチェックした時は平気だったのに、突然こうなるから本当に困る。

 でも、今日はわたしの勝ち。だってもう家の前だから。

 ふと後ろを振り返ると、遠くの方から雨が迫ってくるのが見えた。真っ黒な雲に、奥と手前で色が違う道路。

「これ撮ったらバズるよね!?」

 スマホ越しの不思議な光景に息を呑む。
 激しい音と共に雨が近付いてきている。凄い。

 あ、っと思った瞬間びしょ濡れになった。
 制服も鞄も自転車も全部。今さら避難しても遅いから、そのまま青空が逃げる様子を撮り続けた。

 これ投稿したらバズるかな?
 バズったらどんな気持ちになるんだろう。やっぱり嬉しいよね。感動して震えちゃったりして。

「何だ、神山も間に合わなかったのか」

 突然聞こえた声に体がビクッと反応する。
 撮影に夢中になっていたし、バズった時の妄想もしていたし、それとこの雨音が人の気配を消していたんだと思う。

「わわわ、わたしは間に合ったんだけど」

 落ち着け、わたし。
 大丈夫。後ろから声をかけられたから、ニヤけていたとしても見られていないはず。

「悪い。驚かすつもりはなかったんだけど動揺しすぎじゃね? それに、お互い間に合わなかったから濡れてるんだろ」

 自転車を押しながら無邪気に笑っているのは、斜め向かいの家に住んでいる相田。びしょ濡れでもカッコいいなんてズルい。

 中学卒業までに告白できなかったから、縁がなかったって諦めたつもりだったんだけどな。

 高校も違うし今まで会わなかったのに、このタイミングで会うなんて。びしょ濡れのわたしなんて普段よりも可愛くないだろうし。

「雨が降る前には着いてたんだよ? ただ、雨の境目を撮ってたらこうなっただけで……」

「すげーじゃん! 境目なんて撮れたの? 見せて」

 テンションが上がったのか、大きくなっていた相田の声。覗き込んでくる顔。その場で固まるわたし。

 不意打ちやめてよ。距離感バグってるし、どうしたらいいのか分からなくなったじゃん……!

「って、神山! スマホ濡れすぎてヤバいから早くしまった方がいいって。とりあえずこっち来て」

「え」

 腕を引っ張られて、わたしの家の玄関前まで連れて行かれた。屋根がある場所だから、さっきよりも相田の顔がはっきりと見える。

 何、この状況。
 相田に触られていたところが熱い。

「スマホ無事?」

「……防水だし大丈夫でしょ」

 ここで動画の撮影を終わりにしたけど、正直今はスマホどころじゃなかった。

「いやいや、防水っていっても水しぶきや水滴から防ぐ程度なんだってさ。暴風雨とかでも水没みたいになるらしい」

「そうなの!?」

 前言撤回。制服びしょ濡れにしたうえ、スマホまで壊したら親に絶対怒られる。それは嫌だ。

「まだ動いてるみたいだしセーフかもな。念のため電源切っとけよ」

「うん」

 スマホを拭こうと思ったのに、スカートのポケットに入れていたハンカチは使い物にならなかった。家の中に入ればあるけど、でも……

「データ無事だったら境目送って? じゃあな、風邪ひくなよ」

「え? あ、ちょっ」

 呼び止めようと思ったのに、自転車が停めてある場所まで一気に走っていった。そして、押しながら自分の家の敷地へと入っていく。

 動画送りたくても連絡先知らないんだけど、その場合はどうしたらいい?

 って、きっと社交辞令みたいなものだったんだよね。わたしも移動させなきゃ。

 気持ちが再熱しそうになったけど、自分自身でストップをかける。

 今は中学の時とは違って滅多に会えないし、好きでいても良いことなんてない。それに……もう彼女いるかもしれないし。

 バズると思って撮ったこの動画はSNSにアップしなかった。わたしと相田だけの秘密、なんてね。







 あの日から雨を期待するようになった。
 今まで嫌いだったのに、こんなに待ち遠しくなる日がくるなんて。

 教室を出る前に雨雲予測アプリをチェックして、何分後に雨が降りますと書かれていたら、時間を計算してから帰る日々。

 前みたいに相田に会うとは限らないけど、もしもってことがあるかもしれない。それに、境目を生で見てみたいって思ってるかもしれないし。

 諦めようとしたけど無理だった。
 動画に入ってる相田の声を何回も聴いてるわたしはキモい。大丈夫、自覚してる。

 また会いたいな。
 こないだの動画見せたら喜んでくれるかな。
 できることならまた動画撮りたいな。
 弱い雨じゃなくて強い雨降らないかな。

 家は近くても帰る時間とか何も知らないから、会える可能性は限りなく低いんだけど、ね。

 そんなことを繰り返していたら風邪ひいた。
 明日から夏休みなのに最悪すぎる。ただでさえ今よりも会う可能性減るだろうから、今日は学校行きたかったのに。

 いや、待って。部屋から外を見てた方が会える可能性ある……? いやいや、これじゃストーカーみたいじゃん。さすがに怖いって。

 翌日。おでこに冷却シートを貼って寝ていたら、ザァァァという音で目が覚めた。起き上がって窓を開けてみると、バケツをひっくり返したような雨が降っていた。

「おー、今日は凄いことで」

 降ってほしい時に降らなくて、どうでもいい時に降るのは何でだろう。

 今は平日の午後四時過ぎ。
 窓から道路を見渡してみても相田の姿はない。学校がある日ならともかく、夏休みのこの時間に通る可能性は低いだろうな。

 ベッドに戻ってスマホを開く。
 あの日から数えきれないくらい観た動画。時間が経つにつれ、だんだん虚しくもなっていた。

 相田はきっと、わたしのことなんてこれっぽっちも考えてない。少しでも考えてくれていたら連絡先知らないの分かるよね。

 ずっと一方通行。いい加減諦めろってことなのかも。

 そう考えた結果、音声が入ってる部分を編集してSNSにアップすることにした。撮影日と「また見たい」っていうコメント付きで。

 一人でも多くの人が見てくれたらそれでいいや。バズってくれたらもっと嬉しいけど。

 いつの間にかまた寝ていたようで、再び目が覚めた時は真っ暗だった。

 今何時だろう。喉渇いた。汗かいたし着替えなきゃ。熱も計りたい。嫌だな、身体熱いし上がってるよね。

 ボーッとした頭でそんなことを考えながら、枕の近くに置いてあったスマホを開く。

 投稿してからそんなに時間経ってないし、全然反応なかったりして。それはそれで笑えるかも。

「え?」

 バズった定義が良く分からなかったけど、経験したことない程のコメントといいねの数に一瞬思考が停止した。

「えぇ、凄いことになってるじゃん!」

 この間にもどんどん増えていって、体調悪いことを忘れそうになる。嬉しいけど怖いような不思議な気持ち。

 でも、最終的には嬉しさが勝った。相田らしき人からのコメントを発見したから。

《動画載せてくれてありがとな。スマホ無事だったみたいで良かった。俺もいつか見てみたい》

 今震えているのは熱のせいだけじゃないはず。下がったらDMを送ってみよう。

 返信が届いたら諦めなくてもいいかな。
 やっぱりまだ好きだよ。諦めたくない。