発端は、インターネット上に溢れかえる一本の凡庸な心霊動画であった。
動画配信者を称する若者が、夜中の廃墟で肝試しを行う――そんなありふれた内容の。
以下に、動画内容の詳細を記す。
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ぬちッ、ぬちッ。
耳にこびりつく濡れた草木を踏みしめる足音。動画配信者Fが暗い森を奥へ突き進む。しばし歩いたところで、Fは立ち止まった。
F「はーい。幽霊が出るとかで有名な廃墟、K邸でーす」
カメラに示した先、瀟洒な洋館がある。
錆び付いた門扉に手をかけると、嫌な音が辺りに響く。
長い間放置されていたらしく、庭には雑草が生え放題、煉瓦造りの外壁は崩れかけている。
人が住まなくなって、ずいぶんと経っているらしい。
窓越しに、屋敷内を覗く。ガラスがすっかり曇っているせいで、よく見えない。
F「中、全然見えねぇじゃん!」
地面に落ちていた石を拾い上げると、窓ガラスを叩き割る。
F「炎上すっかな。アハハ」
割れたガラス窓の隙間から、Fは中の様子を窺う。
懐中電灯で照らしてみると、埃に光がキラキラと反射する。さらに奥を覗いてみても、深すぎる暗闇には届かない。
F「それじゃ、いっきまーす!」
Fが屋敷の中へと踏み入れたその刹那。割れたガラスに、髪の長い女の影がうっすらと映った。
しかし、Fはその女の存在に気付いてはいない。
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件の動画配信から一か月後、Fは消息を絶った。
幽霊の呪いだと想定する方も多いだろう。しかし、それはあり得ない。何故なら、この動画は完全なヤラセだからだ。
松林日葵さんが人探しの依頼のため弊社を訪れたのは、Fと連絡がつかなくなって一週後だった。
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一日とか二日くらいなら、今までも連絡がつかないことは何度かありました。
彼、人付き合いが派手な方だし。お酒も好きだし。
でもさすがに、こんな長い間連絡がないことは一度もありませんでした。
警察にも行ってみたんですけど、失踪届を書いて、それでおしまい。
全然、本気で捜してくれないんですよ。絶対、事件に巻き込まれたに決まっているのに。
え? ネットの噂ですか。
もちろん知ってますよ。彼がアップした心霊動画についてですよね。
動画に映っていた女の幽霊の呪いのせいで、行方不明になったとか何とか。
ぶっちゃけ、馬鹿じゃないの?って感じです。だって、呪いなんてあるわけないから。
いや。そう信じたいとかじゃなくて……断言できます。
――これ、絶対誰にも言わないで下さいね。
実はあの動画に映っている幽霊、私なんですよ。
ええ。彼に頼まれて、カツラを被って出演したんです。いわゆる仕込みってやつ。
なのに、一部の人が呪いだとか騒いで。そんなのないから、って否定してやりたいです。
でも、あの動画は本物だって主張している以上、それもできないし。めっちゃジレンマ。
何で皆、幽霊だの呪いだの信じちゃうんですかね?
そう言えば、行方不明になる前に、除霊師的な人もいきなり家に来て、驚きました。
「あなたは呪われている。私が助けます」
だのなんだの。
表向きは一応、Fも名刺とか貰ってたけど、二人でめっちゃ笑いました。
目の前に幽霊本人の私がいたのに気付かなくて、エセ霊能者じゃんって。
あ。話が逸れましたね。
とにかく私が言いたいのは、彼がいなくなったのは絶対に呪いのせいなんかじゃないってことです。
心霊動画の撮影が行われた廃墟について、詳細を撮影スタッフに証言してもらった。
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あの動画はヤラセです。映ってる幽霊も、Fのカノジョにカツラをかぶってもらって、出てもらいました。
Fとは、「ちょっと話題になればいいよね~」みたいな軽いノリだったんですけど。
こっちが想定していた以上にバズって、それは嬉しい誤算だったかな。あ。Fが行方不明なのにこういう言い方はまずいか。
すみません、無神経なこと言って。
まあとにかく、呪いは絶対あり得ないと思います。完全にヤラセですから。
Fが何かの事件に巻き込まれた可能性……そうですね。
アイツ、けっこう敵も多かったからな。
投資話とかでトラブルとかもあったみたいだし、そっち系なんじゃないかって、俺は勝手に思ってますけど。
いやー、日葵ちゃんはそういうの知らないんじゃないかな。けっこうエグイことやってますよ。
Fは元芸人で芸能界とのパイプがあって、起業家とかに知り合いの女の子を差し出したりしたり。
とりあえず無事に帰って来てくれたら、それが一番いいんですけど……。
例の動画の撮影場所ですか?
S県のI半島にある廃墟で撮影しました。
特にそこじゃなきゃ、とかそういうこだわりはなかったです。
ただ、車で行きやすいロケーションと、あとはあんまり他のYouTuberとかが撮影に行っていなかったから。
いくつかあるうちの候補の中から、Fと相談して、あそこにしようって決めました。
その廃墟をネットで見つけたのは、俺です。
何で知ったんだったっけな……。
たしか、心霊スポット探訪的なサイトで見つけた気がします。あとでサイトのURL送りますよ。
2021年11月27日にアップロードされた記事を一部抜粋する。
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S県S市にある廃墟『K邸』を探訪してきました。
その廃墟を知ったきっかけは、地元のタクシー運転手さんからのタレコミです。
探訪前にあらかじめGoogleMapで調べていたのですが、航空写真を見て驚きました。
鬱蒼と茂る森の中、赤い屋根のお屋敷がぽつんと一軒。まるで某テレビ番組のようでもあり(笑)。
どうやら明治期に建てられた、なかなか歴史のある洋館のようです。
人が住まなくなってからそれほど経っていないらしく、建物に損壊はありませんでした。
門扉に掲げられたのは、『加賀見』の表札。
どういった経緯で、加賀見家はこの屋敷を手放すに至ったのでしょうか。
敷地内へ入り、まず視界に入ってくるのは玄関口。アーチ風の煉瓦造りで、玄関前はロータリーになっていました。
残念ながら窓ガラスに破損もなく、正面から中へ入るのは難しそうです。
建物の周囲を徘徊すると、施錠されていない勝手口を発見。そこから建物内へとお邪魔しました。
台所はかなり趣がある昔ながらの造りで、かつての住人が使用していたであろう食器類や調理器具はそのまま残されていました。
台所を抜け廊下を進むと、客間に突き当たります。
日焼けしたせいですっかり色落ちしているものの、いかにも高級そうな絨毯が敷き詰められていました。
所々、変色した黒い染みが点在しています。
客間の暖炉の上には、かつての住人と思わしき家族写真が飾ってありました。
加賀見家は三人家族だったようです。
真ん中の女の子を挟むように、両親が立っていました。
頬骨が浮き出て、いかにも神経質そうなお父さんと、とても髪の長いお母さん。家
族写真だというのに、三人全員全く笑っていないのが印象的でした。
以下、略
遡ること十年以上前、地方の新聞紙がK邸で起きた無理心中を報じていた。
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『住宅で男女二人が死亡 無理心中か』
15日、S市の住宅で29歳の女とその夫が死亡しているのが発見された。
遺体の現場の状況などから、無理心中の疑いがあると見て、警察は詳しい状況を調べている。
15日午前9時半ごろ、「生徒の無断欠席が続いている」とS第二小学校教諭から、警察に通報。
警察と消防が駆けつけたところ、住宅の一室で住人の男性(38)が倒れていて、その場で死亡が確認された。
すぐそばには、首を吊って亡くなったその妻(29)と、意識不明の長女(9)が発見され、
長女は現在、病院にて治療が行われている。
現場からは夫・長女の血痕と、妻の指紋が付着した凶器が発見され、妻が無理心中を図った可能性が高いと見て、
警察は捜査を続けている。
K邸付近に住む主婦から、事件当時の話を聞かせてもらった。
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もう十年くらいになりますよね。ええ、当時は街中大騒ぎでしたよ。加賀見さんのお屋敷は近所でも有名でしたし。
――まあ、実を言えば、無理心中事件が起きたことも、それほど意外じゃなかったです。
ああ、ついに起きたか……みたいに言っている人、けっこう多かったですね。
なんて言うか……ご夫婦の馴れ初めがね。周りがどうこう言うようなことでもないとは思うけど。
旦那さんは市立病院に勤めるお医者さんで、鏡子さん――ああ、奥さんです。は、その患者だったんです。
出会った時、二人は医者と患者の関係だったってことですよ。鏡子さんのご病気ですか?
何だったかしら……境界性――ごめんなさい。私、そういうのあまり詳しくないから。
とにかく、心の病。加賀見先生、精神科医だったから。
職業的にどうなんでしょうね。
まあ、精神科医の先生と患者が、治療の過程で恋に落ちるのはよくあることだなんて言いますけど。でも、結婚した時、鏡子さんはまだ十九歳ですよ。
……とは言え、ああなったら結婚する以外に選択肢はなかったと思いますけどね。
ええ。彼女、先生の子を身籠ってしまったんです。当時、先生は別の女性と結婚していたから、不倫ですよ!
前の奥さまとの間には子供がいなかったから、離婚して、鏡子さんと再婚したわけです。
もう、本当に女の敵。うちの旦那がそんな真似しようもんなら、当然ちょん切ります。え、何をって。やだ、冗談ですよ。
まあ、そういう馴れ初めだし、元々精神的に不安定だし。さらに言えば、育児ノイローゼとかも重なっちゃったのかな。
鏡子さん、ちょっと被害妄想的――というか、加賀見先生の浮気を疑うようになって。
あのお屋敷のそばを通る度に、女の金切り声が聞こえるって皆噂していましたね。
私も一度、市立病院のロビーでスゴイ形相で受付の女性に食って掛かっている鏡子さんを見掛けました。
「ウチのと寝てるだろ!」って。あまりの剣幕に、周りは呆然。
違います、ってその受付の女の子が否定すれば、次は隣の受付係。それも違えば、通りがかりのナース……って具合に。
実際はどうだったんでしょうね? 本当に不倫していたのか、濡れ衣なのか。
自分も略奪した立場だから、証拠がなくても疑っちゃうんでしょ、きっと。
いずれにしても、その結果あんな惨劇が興ってしまった。
加賀見先生にしろ、鏡子さんにしろ、因果応報と言い切ってしまうのは、ちょっと意地が悪過ぎますか?
――でも、未彩ちゃんは本当に可哀想に。ええ、二人の娘さんです。当時、9歳だったかな。
目がぱっちりして、すごく可愛い子だったんですよ。
あの子も鏡子さんに殺されかけました。でも、警察が駆けつけた時まだ息があって、一命を取り留めたらしいです。
今ですか? さあ、どうしているんでしょうね。
あんな形で両親を亡くしてしまったからこそ、せめて今は幸せに暮らしているといいんですけど。