M病院の「探す女」へ



 家に帰った後、なんとなく母のことを思い出してアルバムを取り出しました。父の影など一切写っていない、私と母だけのアルバムです。時々祖母や祖父がいます。

 母はいつでも元気いっぱいでした。看護師はハードな仕事だというのは、今私が身をもって感じているので、仕事をしながら子育てもこなしていたパワフルさを今になって痛感しています。

 こんな母が、昔浮気されて婚約が破棄になった過去があったなんて……。

 二人で小さな遊園地に行った時の写真を眺めながら、ぼんやりと私を探す女について思い浮かべます。つくづく、あの女が侵入した日が休みでよかったと思いました。

 いやでも、もし鉢合わせたとしても、今の名前は違うのだから何も問題がなかったのかも?

 ため息をつきながらポケットからスマホを取り出します。以前、イスルギミサトという名前について検索を掛けたけれど、ヒットしなかったので、今回もそうだろうと思いながら、再度入力してみます。一番大きな規模のSNSで検索をしてみました。

 何となく入力した私は、飛び上がることになります。

 今回はいくつかヒットしたからです。

 とはいえ、アカウント名ではなく誰かが呟いたポストの中にその名があるようでした。


『このアカウント、特定の人を探してるっていうポストしかしてないんだけどw
 こわw イスルギミサトだってw
 というか人の名前晒しちゃダメじゃない?』


 それを見た途端、頭が真っ白になりました。血の気が引く、とはこういう時に使うのだと学びました。

 そのポストは他のポストを引用して呟いているようでした。でも肝心の引用先は、アカウントが削除されているようで何も見ることはできないのです。

「これって……あの女が書き込んだということ?」

 どうやら私が検索した後にイスルギミサトの名前を使って呟きがあったようです。この人のポストの内容から見るに、『イスルギミサトを探している』という内容を投稿するだけのアカウントだったようです。

 全身にゾクゾクと悪寒が走り、つい持っていたスマホを落としてしまいました。得体のしれない誰かが自分を探しているかもしれない――それはこれまでの人生で感じてきた恐怖と比べ物にならないレベルの恐ろしさがあります。

 祖母はもう相手が探していないようだから……と言っていましたが、これでは状況が違います。

 私はすぐに、この引用ポストをしている人にコンタクトを取ろう、と思い、アカウントに飛んでみました。

 なんてことのない日常を主に呟いている人で、上げられた写真や文章から見るに女性のようです。DMを送ってみようか、と思ったところで、私の手が止まります。

……もし、あの女の罠だったらどうしよう。

 ここで私が『イスルギミサトを探していた人はどんな人だったか教えてください』なんて尋ねたら、私がその本人だと言っているようなものではないか。とはいえ、SNSがバレたところで私までたどり着くとは思えないが、相手に少しのヒントも与えたくはない。

 私は悩みました。どうにかしてもう少しあの女について情報を集めたい……。

 そこで思いついたのが、ペンネームを利用することです。

 私はすでに少しですが本を出しており、しかもそれはホラー系の本だったのです。小さな頃から怖い話が好きで、ドラマや映画、漫画もホラー系を読むのが日課でした。

 そんな私は仕事用としてペンネームのアカウントを持っており、プライベートのアカウントよりはフォロワーの数も多いです。プライベートは仲のいい友人ばかりで、ほんの十数人しかいませんでしたから。

 これを使って、あの女の情報を集められないか。

 例えば『ホラーを書く題材として情報を集めたい』と言って拡散してもらう。今回のSNSについてだけではなく、青いワンピースの女に心当たりがある人はDMを下さい、と言っておけば、あまり怪しまれずに情報を聞き出せるのではないか。

 少なくともプライベートのアカウントで動くよりは安全な気がしました。仕事用のアカウントはプライベートな呟きはしていませんし。

 前回はイスルギミサトという個人名をネット上で扱うことに引け目があって手を出せませんでしたが、その名前が自分の物であるならもう悩む必要はないと思いました。

 私はまずペンネームのアカウントで、例のポストを引用した女性にDMを送ってみました。

『初めまして。突然のDM失礼いたします。
 こちらの引用ポストについて少し聞かせてください。
 今は削除されているみたいですが、このアカウントはどのようなものだったのでしょうか?
 私は作家業をしておりまして、現在この人について情報を集めています。よければお話を伺わせてください』

 次に、私は女性について情報を求めるため、自分でも呟いてみることにしました。先ほどの女性のポストをさらに引用させて頂き、こういった文章を流します。

『こちらのポストが非常に気になっています。実は噂で、実際にこの人を探している人がいると聞いたことがあります。ただ、探し方や探している本人が『ちょっと普通ではなかった』とのことで、私の耳にまで入ってきました。小説のネタとして取材を行いたいので、もし何か知っている方がいらっしゃったらDMを下さい』

 #拡散希望 #情報提供を待っています #探しています

 いくつかハッシュタグをつけて、ポストしました。一息ついてスマホを置きます。

 こうして情報提供を求めたものの、実際の所ほとんど期待はしていませんでした。確かに現代のSNSの力はすさまじいものがありますが、それはやはり人々の興味を引く話題だったり、叩きやすい失態があったときに瞬発力を見せてくれることがほとんどで、こんな内容のポストではあまり人々は気に掛けないだろうと思ったのです。私はフォロワーが多い方でもないですし。

 なので、きっと女について分かることはないだろう……と思っていました。

 この時までは。




 翌朝、ベッドの中で目を覚まし、手探りで枕元に置いたスマホを取りました。起きてすぐにスマホを確認するのは現代人だな、という感じがします。でも時刻のチェックすらスマホに任せているのでは仕方ないことです。

 仕事は休みだったので慌てることなく、今は何時かな……と思って画面をつけた時、山のような通知が来ていて目を丸くしました。全てSNSからのものでした。

「え……何が起こったの?」

 起き上がってすぐに内容を確認してみます。そこで、私がポストしたものが思った以上に拡散されていることが分かりました。バズってるとまでは言えないかもしれませんが、今まで呟いてきた中で一番拡散されていました。書籍の発売の宣伝より多い……嬉しいやら悲しいやら。いえ、喜ぶべきところでした。

 いくつかポストにコメントが寄せられていたのでチェックしますが、情報提供というより『気味が悪いですね』というような感想でした。

 それと、何通かDMが届いていたのですぐに開いてみます。一つは、私が昨日送ったものの返事でした。

 相手の女性は急にDMを送ったにも関わらず丁寧に答えてくれていました。彼女はたまたま知り合いのリポストから流れてきたのを見て、あのポストを発見した。感想は『なんかヤバイ人がいる』ぐらいのもので、面白半分で引用したのだそうです。

 現在消えてしまっているそのアカウントは、自己紹介も何も設定がなく、ひたすら『イスルギミサトを探しています』というポストのみ繰り返していたようでした。気がついたら消えていたとのことで、詳しくはわからないのだそうです。

 私はその女性にお礼の返事を送った後、他のDMにも目を通して見ました。そこで、信じられないものを見てしまいます。

 あの青いワンピースと思しき女性を見たかもしれない、という目撃情報だったのです。

 一つ目は興信所に勤めている男性から。電話で不審な女性から『イスルギミサトを探してほしい』という依頼があったことを教えてくれました。いたずらだろうと思っていたのですが、イスルギミサトという名前が印象的だったので覚えていたらしいのです。そして、たまたま流れてきた私のポストを見て、もしやと思ってDMをくれました。

 もう一つは若い女性から。その人が住んでいる近所で、得体のしれないQRコードが印刷された張り紙があったということでした。そのQRコードを読み取ると、青いワンピースと着た女性が映っており、イスルギミサトを探しているという文章が流れたのだそう。

 私は愕然としました。

 まさかこんなに情報が得られるなんて思っていなかったので喜びと、それ以上に恐怖心が襲ってきました。あの女は、M病院以外でも私を探しているのだ、という確たる証拠が出てきてしまったのです。

 こうしている今も、私を探しているかもしれない。

 混乱する頭で、一体自分がどうすべきか考えました。そうだ、上司に相談してみようか? 自分が石動美里という名前になっていた可能性があるということも説明して……いや、そんな安易に私が石動美里だと話してもいいのだろうか? あの女がどこから情報を得てくるかわからない。

 もし、見つかったら――?

 そう思うと、私は怖くて何も動けなくなりました。