私はオカルトが嫌いです。
突然、こんな告白からはじまってギョッとされた方もいらっしゃるでしょう。でも、聞いて欲しい。私はなにも、生まれついてのオカルト嫌いではなかったのです。
小学生の頃は、それこそ夢中になって妖怪やUMAの図鑑などを読み漁りましたし、中学では某有名オカルト雑誌を購読していたほど生粋のオカルトファンでした。
けれど……インターネットを飛び交う正論によって、夢は壊されました。
それらのコンテンツがすべて、大人達の産み出したフィクション……ただの娯楽産業に過ぎないと知ったときの、私の沈鬱たるや!
机の上で輝いていたオーパーツや魔術道具は、神秘のヴェールが剥がれたように輝きが失せて見え、私は1ヶ月ほどメランコリーな日々を過ごしました。
信じていたものに裏切られる……皆さんも、似た経験がおありでしょう。私の場合、それがオカルトだったというわけです。
我に返った私は、もう二度と、こんな界隈に金も時間も使ってなるものかと決心しました。
そんな私が、なぜフェイクカルチャーど真ん中の「モキュメンタリーホラー小説大賞」に応募することを決めたのか。
そのいきさつを説明するには、一人のオカルト雑誌編集者との出会いから語らなくてはなりません。
彼、建林美詞と知り合ったのは、大学を卒業して二年ほど経ったころでした。小説家を夢見て就職もせず、フリーター生活をしていた当時の私は、バイト終わりに新宿ゴールデン街で飲み歩くのを習慣にしていました。
行きつけの狭いバーで、店の人から『物書きさん』と呼ばれていた私に、彼はふらりと話しかけてきました。
「なにを書かれるんですか」
つんとしたウィスキーの香りが鼻をついて、目線をやるとタバコの煙の中に、捉えどころのない笑みを浮かべた赤ら顔がありました。シャープな顎、短く切りそろえた口周りの髭に矢印のような鷲鼻。太い眉に縁取られた切れ長の目、カールした黒い髪。灰色を基調としたシックな装いからは、なんというか、モテる男の余裕を感じました。目じりに刻まれた皺と、ごつい手指の節。酒に焼けた低い声から、おおよそ四〇手前と見当をつけて、失礼のないように返事をします。
「まぁ色々と。ミステリーとかを書いています」
「いいねぇ。ミステリーは物語の根幹だ。好きな作家は? 」
「そうですね……個人的に、横溝正史と夢野久作は外せないですね」
ほう、と男の表情が緩んだように見えました。「語れるクチだね。失礼、自己紹介を」そう言いながら、ジャケットの内ポケットから取り出された名刺には太字の明朝体で〝建林美詞〟と印字されていました。肩書きの編集者、の文字に、思わず背筋が伸びます。
「編集者さんだったんですね! ごめんなさい、名刺を持ってなくて……あ、SNSなら」
「あはは、そんな改まらなくていいって。廃刊しかけのオカルト雑誌担当だから」
「いや、そんなご謙遜を」
「それが本当なんだな。一時のブームが嘘みたいな下火で……」
彼の愚痴に頷き、時代のめまぐるしい変化を再確認するように語り合ったあと、その日はお互いのTwitter(現在のX)をフォローして解散しました。
「ウソが前提のリアルな物語。それがオカルト文化の中心にある。錬金術とかな。ただの石ころが金になるなんて、信じられない。でも否定する材料もない。そして、なにやら混ぜて反応させれば、物質が変化するのは確からしい……そうして拡まった噂がいろんな人を錬金術へと駆り立てた結果、化学の発展に繋がった。オカルト文化は好奇心を刺激して、人類の発達を促してきたのさ」
建林さんとはそれから何度もお酒を飲むようになりました。彼はあまり自分語りをせず、かろうじて分かったのは、かつて小説家を目指していたこと、レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットのようなハードボイルド小説が好きということくらいでした。
一方で、オカルトについて話すときの彼は権威ある大学教授のようで、さまざまな興味深い話を滔々と語ってくれるのでした。私は彼の授業を通じて、単なる虚構として敬遠していたオカルトの世界が、人類の歴史と切っても切れない崇高な文化だと学び直しました。
「心霊写真とか、みんな必死に作ってたんだよ。人を騙して物を売る、と言ってしまえば終わりだけど、俺たちはいわば、そういう超常的な現象がどこかにあるんだと発信して、現実の拡張可能性を紡いでたんだ。一種の共同幻想とでも言うかな」
「共同幻想……国家や経済なんかが当てはまるんでしたっけ」
「そう。人々が漠然と抱くイメージを具現化するのがオカルトの仕事だった。だが科学が発達して、否定材料が増えてしまったために誰も信じなくなったのさ。幽霊の正体見たり、になる前はもっと死後の世界や霊魂が身近で、正しく畏れられていたと思うね」
「古典怪談とか、真に迫ってて名作揃いですもんね」
「〝恐怖の源は未知〟ってな。ネッシーとかロズウェル事件みたいに周知されたオカルトも悪くないが、俺が好きなのはもっと深く……数秘術とか古典神話とか、そっちなんだ」
「『古事記』とか、面白いですよね」
「そうそう! あぁ、キミが上司なら良かったのになぁ」
建林さんはいつも、ボツにされた企画案や突飛なアイデアを楽しそうに語ってくれました。拙作もいくつか読んでくれて、感想や課題点などを惜しげなく伝えてくれました。私のことがよほど気に入ったらしく、彼は会うたびに雑誌のバックナンバーをくれて、半年も経たず家にはオカルト雑誌の本棚ができました。
私にとって、その頃が人生で一番充実していたと言っても過言ではありません。
しかし、さすがに両親は放蕩生活を長いこと許してくれるはずもなく、翌年には就職の都合で関東を去ることになりました。
“どうしても世に出したい記事がある。相談できないか? ”
2020年も残りわずかとなった頃。私の元に届いたDMは、あのときと変わらないアイコンから送られてきました。
“お久しぶりです! どうしたんですか? ”
“憶えていてくれて、嬉しいよ。まだ書いているかい? ”
“ええ! 細々と、ですが……”
“よかった。不躾ですまないが、仕事を頼みたい。記事の生原稿がいくつか手元にあるんだが、それを一本の作品に整えて欲しいんだ。”
“お仕事ありがたいです! 興味はあるんですけど、仕上げの期限とかありますか? ”
“期限か……期限は、2025年かな。納得するまで温めてもらって大丈夫だ。キミなら上手くかたちにしてくれると信じてる。受けてもらえるかな。”
“2025年⁉︎ あはは、了解しました。そこまで言われたら……是非、やらせて下さい! ”
“助かる。たしか引っ越したんだっけ。郵送していいか? ”
“大丈夫です! 住所は……”
当時はコロナ禍の真っ最中で、私も例に漏れずリモートワーク民として引きこもっていました。ひとり暮らしで頼れる友人もおらず、感染したらおしまいだと、気晴らしの散歩もろくにできない窮屈な日々。私の精神は摩耗して、本当は趣味としての作家活動も完全に休止していました。
ですが、建林さんから未だ作家として扱ってもらえたことに、私の心は浮き足立ったのです。これを機にまた、小説家の夢を目指せるかもしれないと、そんな淡い期待も浮かび、二つ返事で応じました。
そうして建林さんから送られてきた荷物は、大きい段ボールが二箱分と、軽い気持ちで引き受けたことを後悔する量でした。
中身は大小さまざまの紙束といくつかのUSBで、その内容は古今東西から集められた地方伝承と複数人へのインタビュー、それらを基に練られたであろう記事の原稿と、建林さんの日記が入っていました。試しに少し読んでみると、さすがに内容はかなり濃くて面白いものでした。
本腰を入れて取り掛かろうと、意見交換するため本人に連絡を入れましたが、荷物受け取りの確認をした直後、彼のアカウントは消滅していました。
最初の一年は、どうにか形にしようと試行錯誤しました。緊急事態宣言がどうとかで気の滅入るなか、その作業はとても楽しいものでした。けれども読み進めていくうちに、これをまとめるのは不可能なのでは? という疑念が湧いてきたのです。
探偵小説や冒険小説としては、あまりに具体的な内容が多いし、かといって、ノンフィクション小説とするには、資料の正確性の担保ができません。2025年という期限はあながち、冗談じゃなかったのかもな……資料の山を見てそんなことを思いながら、全体の半分ほど読み終わった辺りでモチベーションの低下が始まり、三年目には、ついに私はそれらの資料を完全に持て余してしまいました。
私が建林さんの依頼を諦めかけたころ、小説界隈ではモキュメンタリーホラーが流行り始めました。フェイクドキュメンタリーとも呼ばれるそのジャンルは、かつて低予算映画でもてはやされた映像手法の名称です。
人気の作品は、断片的な資料を集めていく設定で、独特なリアリティを小説という表現に落とし込んでいました。
これだ、と思いました。
再燃した私は、どうにか資料を最後まで読み終わり、期限に間に合わせるため、急いでそれらを作品としてまとめたのです。
私の話はここまで。これから皆さんに読んでいただくのは「ウソが前提のリアルな物語」です。
突然、こんな告白からはじまってギョッとされた方もいらっしゃるでしょう。でも、聞いて欲しい。私はなにも、生まれついてのオカルト嫌いではなかったのです。
小学生の頃は、それこそ夢中になって妖怪やUMAの図鑑などを読み漁りましたし、中学では某有名オカルト雑誌を購読していたほど生粋のオカルトファンでした。
けれど……インターネットを飛び交う正論によって、夢は壊されました。
それらのコンテンツがすべて、大人達の産み出したフィクション……ただの娯楽産業に過ぎないと知ったときの、私の沈鬱たるや!
机の上で輝いていたオーパーツや魔術道具は、神秘のヴェールが剥がれたように輝きが失せて見え、私は1ヶ月ほどメランコリーな日々を過ごしました。
信じていたものに裏切られる……皆さんも、似た経験がおありでしょう。私の場合、それがオカルトだったというわけです。
我に返った私は、もう二度と、こんな界隈に金も時間も使ってなるものかと決心しました。
そんな私が、なぜフェイクカルチャーど真ん中の「モキュメンタリーホラー小説大賞」に応募することを決めたのか。
そのいきさつを説明するには、一人のオカルト雑誌編集者との出会いから語らなくてはなりません。
彼、建林美詞と知り合ったのは、大学を卒業して二年ほど経ったころでした。小説家を夢見て就職もせず、フリーター生活をしていた当時の私は、バイト終わりに新宿ゴールデン街で飲み歩くのを習慣にしていました。
行きつけの狭いバーで、店の人から『物書きさん』と呼ばれていた私に、彼はふらりと話しかけてきました。
「なにを書かれるんですか」
つんとしたウィスキーの香りが鼻をついて、目線をやるとタバコの煙の中に、捉えどころのない笑みを浮かべた赤ら顔がありました。シャープな顎、短く切りそろえた口周りの髭に矢印のような鷲鼻。太い眉に縁取られた切れ長の目、カールした黒い髪。灰色を基調としたシックな装いからは、なんというか、モテる男の余裕を感じました。目じりに刻まれた皺と、ごつい手指の節。酒に焼けた低い声から、おおよそ四〇手前と見当をつけて、失礼のないように返事をします。
「まぁ色々と。ミステリーとかを書いています」
「いいねぇ。ミステリーは物語の根幹だ。好きな作家は? 」
「そうですね……個人的に、横溝正史と夢野久作は外せないですね」
ほう、と男の表情が緩んだように見えました。「語れるクチだね。失礼、自己紹介を」そう言いながら、ジャケットの内ポケットから取り出された名刺には太字の明朝体で〝建林美詞〟と印字されていました。肩書きの編集者、の文字に、思わず背筋が伸びます。
「編集者さんだったんですね! ごめんなさい、名刺を持ってなくて……あ、SNSなら」
「あはは、そんな改まらなくていいって。廃刊しかけのオカルト雑誌担当だから」
「いや、そんなご謙遜を」
「それが本当なんだな。一時のブームが嘘みたいな下火で……」
彼の愚痴に頷き、時代のめまぐるしい変化を再確認するように語り合ったあと、その日はお互いのTwitter(現在のX)をフォローして解散しました。
「ウソが前提のリアルな物語。それがオカルト文化の中心にある。錬金術とかな。ただの石ころが金になるなんて、信じられない。でも否定する材料もない。そして、なにやら混ぜて反応させれば、物質が変化するのは確からしい……そうして拡まった噂がいろんな人を錬金術へと駆り立てた結果、化学の発展に繋がった。オカルト文化は好奇心を刺激して、人類の発達を促してきたのさ」
建林さんとはそれから何度もお酒を飲むようになりました。彼はあまり自分語りをせず、かろうじて分かったのは、かつて小説家を目指していたこと、レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットのようなハードボイルド小説が好きということくらいでした。
一方で、オカルトについて話すときの彼は権威ある大学教授のようで、さまざまな興味深い話を滔々と語ってくれるのでした。私は彼の授業を通じて、単なる虚構として敬遠していたオカルトの世界が、人類の歴史と切っても切れない崇高な文化だと学び直しました。
「心霊写真とか、みんな必死に作ってたんだよ。人を騙して物を売る、と言ってしまえば終わりだけど、俺たちはいわば、そういう超常的な現象がどこかにあるんだと発信して、現実の拡張可能性を紡いでたんだ。一種の共同幻想とでも言うかな」
「共同幻想……国家や経済なんかが当てはまるんでしたっけ」
「そう。人々が漠然と抱くイメージを具現化するのがオカルトの仕事だった。だが科学が発達して、否定材料が増えてしまったために誰も信じなくなったのさ。幽霊の正体見たり、になる前はもっと死後の世界や霊魂が身近で、正しく畏れられていたと思うね」
「古典怪談とか、真に迫ってて名作揃いですもんね」
「〝恐怖の源は未知〟ってな。ネッシーとかロズウェル事件みたいに周知されたオカルトも悪くないが、俺が好きなのはもっと深く……数秘術とか古典神話とか、そっちなんだ」
「『古事記』とか、面白いですよね」
「そうそう! あぁ、キミが上司なら良かったのになぁ」
建林さんはいつも、ボツにされた企画案や突飛なアイデアを楽しそうに語ってくれました。拙作もいくつか読んでくれて、感想や課題点などを惜しげなく伝えてくれました。私のことがよほど気に入ったらしく、彼は会うたびに雑誌のバックナンバーをくれて、半年も経たず家にはオカルト雑誌の本棚ができました。
私にとって、その頃が人生で一番充実していたと言っても過言ではありません。
しかし、さすがに両親は放蕩生活を長いこと許してくれるはずもなく、翌年には就職の都合で関東を去ることになりました。
“どうしても世に出したい記事がある。相談できないか? ”
2020年も残りわずかとなった頃。私の元に届いたDMは、あのときと変わらないアイコンから送られてきました。
“お久しぶりです! どうしたんですか? ”
“憶えていてくれて、嬉しいよ。まだ書いているかい? ”
“ええ! 細々と、ですが……”
“よかった。不躾ですまないが、仕事を頼みたい。記事の生原稿がいくつか手元にあるんだが、それを一本の作品に整えて欲しいんだ。”
“お仕事ありがたいです! 興味はあるんですけど、仕上げの期限とかありますか? ”
“期限か……期限は、2025年かな。納得するまで温めてもらって大丈夫だ。キミなら上手くかたちにしてくれると信じてる。受けてもらえるかな。”
“2025年⁉︎ あはは、了解しました。そこまで言われたら……是非、やらせて下さい! ”
“助かる。たしか引っ越したんだっけ。郵送していいか? ”
“大丈夫です! 住所は……”
当時はコロナ禍の真っ最中で、私も例に漏れずリモートワーク民として引きこもっていました。ひとり暮らしで頼れる友人もおらず、感染したらおしまいだと、気晴らしの散歩もろくにできない窮屈な日々。私の精神は摩耗して、本当は趣味としての作家活動も完全に休止していました。
ですが、建林さんから未だ作家として扱ってもらえたことに、私の心は浮き足立ったのです。これを機にまた、小説家の夢を目指せるかもしれないと、そんな淡い期待も浮かび、二つ返事で応じました。
そうして建林さんから送られてきた荷物は、大きい段ボールが二箱分と、軽い気持ちで引き受けたことを後悔する量でした。
中身は大小さまざまの紙束といくつかのUSBで、その内容は古今東西から集められた地方伝承と複数人へのインタビュー、それらを基に練られたであろう記事の原稿と、建林さんの日記が入っていました。試しに少し読んでみると、さすがに内容はかなり濃くて面白いものでした。
本腰を入れて取り掛かろうと、意見交換するため本人に連絡を入れましたが、荷物受け取りの確認をした直後、彼のアカウントは消滅していました。
最初の一年は、どうにか形にしようと試行錯誤しました。緊急事態宣言がどうとかで気の滅入るなか、その作業はとても楽しいものでした。けれども読み進めていくうちに、これをまとめるのは不可能なのでは? という疑念が湧いてきたのです。
探偵小説や冒険小説としては、あまりに具体的な内容が多いし、かといって、ノンフィクション小説とするには、資料の正確性の担保ができません。2025年という期限はあながち、冗談じゃなかったのかもな……資料の山を見てそんなことを思いながら、全体の半分ほど読み終わった辺りでモチベーションの低下が始まり、三年目には、ついに私はそれらの資料を完全に持て余してしまいました。
私が建林さんの依頼を諦めかけたころ、小説界隈ではモキュメンタリーホラーが流行り始めました。フェイクドキュメンタリーとも呼ばれるそのジャンルは、かつて低予算映画でもてはやされた映像手法の名称です。
人気の作品は、断片的な資料を集めていく設定で、独特なリアリティを小説という表現に落とし込んでいました。
これだ、と思いました。
再燃した私は、どうにか資料を最後まで読み終わり、期限に間に合わせるため、急いでそれらを作品としてまとめたのです。
私の話はここまで。これから皆さんに読んでいただくのは「ウソが前提のリアルな物語」です。