私はオカルトが(きら)いです。

 突然、こんな告白からはじまってギョッとされた方もいらっしゃるでしょう。でも、聞いて欲しい。私はなにも、生まれついてのオカルト嫌いではなかったのです。
 小学生の(ころ)は、それこそ夢中(むちゅう)になって妖怪やUMAの図鑑などを()(あさ)りましたし、中学では(ぼう)有名オカルト雑誌を購読していたほど生粋(きっすい)のオカルトファンでした。
 けれど……インターネットを()()う正論によって、夢は(こわ)されました。
 それらのコンテンツがすべて、大人達の()み出したフィクション……ただの娯楽(ごらく)産業に過ぎないと知ったときの、私の沈鬱(ちんうつ)たるや!
 机の上で(かがや)いていたオーパーツや魔術道具は、神秘(しんぴ)のヴェールが()がれたように輝きが()せて見え、私は1ヶ月ほどメランコリーな日々を過ごしました。
 信じていたものに裏切られる……皆さんも、似た経験がおありでしょう。私の場合、それがオカルトだったというわけです。
 (われ)に返った私は、もう二度と、こんな界隈(かいわい)に金も時間も使ってなるものかと決心しました。

 そんな私が、なぜフェイクカルチャーど真ん中の「モキュメンタリーホラー小説大賞」に応募することを決めたのか。
 そのいきさつを説明するには、一人のオカルト雑誌編集者との出会いから語らなくてはなりません。



 彼、建林(たてばやし)美詞(みこと)と知り合ったのは、大学を卒業して二年ほど経ったころでした。小説家を夢見て就職もせず、フリーター生活をしていた当時の私は、バイト終わりに新宿ゴールデン街で飲み歩くのを習慣にしていました。

 行きつけの(せま)いバーで、店の人から『物書きさん』と呼ばれていた私に、彼はふらりと話しかけてきました。
「なにを書かれるんですか」
 つんとしたウィスキーの香りが鼻をついて、目線をやるとタバコの煙の中に、(とら)えどころのない笑みを浮かべた(あか)ら顔がありました。シャープな(あご)、短く切りそろえた口周りの(ひげ)に矢印のような鷲鼻(わしばな)。太い眉に(ふち)取られた切れ長の目、カールした黒い髪。灰色を基調としたシックな(よそお)いからは、なんというか、モテる男の余裕を感じました。目じりに刻まれた(しわ)と、ごつい手指の節。酒に焼けた低い声から、おおよそ四〇手前と見当をつけて、失礼のないように返事をします。
「まぁ色々と。ミステリーとかを書いています」
「いいねぇ。ミステリーは物語の根幹だ。好きな作家は? 」
「そうですね……個人的に、横溝正史(よこみぞせいし)夢野久作(ゆめのきゅうさく)は外せないですね」
 ほう、と男の表情が(ゆる)んだように見えました。「語れるクチだね。失礼、自己紹介を」そう言いながら、ジャケットの内ポケットから取り出された名刺には太字の明朝体で〝建林美詞〟と印字されていました。肩書きの編集者、の文字に、思わず背筋が伸びます。
「編集者さんだったんですね! ごめんなさい、名刺を持ってなくて……あ、SNSなら」
「あはは、そんな改まらなくていいって。廃刊しかけのオカルト雑誌担当だから」
「いや、そんなご謙遜(けんそん)を」
「それが本当なんだな。一時のブームが嘘みたいな下火(したび)で……」
 彼の愚痴(ぐち)(うなず)き、時代のめまぐるしい変化を再確認するように語り合ったあと、その日はお互いのTwitter(現在のX)をフォローして解散しました。

「ウソが前提(ぜんてい)のリアルな物語(ものがたり)。それがオカルト文化の中心にある。錬金術とかな。ただの石ころが金になるなんて、信じられない。でも否定する材料もない。そして、なにやら混ぜて反応させれば、物質が変化するのは確からしい……そうして(ひろ)まった(うわさ)がいろんな人を錬金術へと駆り立てた結果、化学の発展に(つな)がった。オカルト文化は好奇心を刺激して、人類の発達を(うなが)してきたのさ」
 建林さんとはそれから何度もお酒を飲むようになりました。彼はあまり自分語りをせず、かろうじて分かったのは、かつて小説家を目指していたこと、レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットのようなハードボイルド小説が好きということくらいでした。
 一方で、オカルトについて話すときの彼は権威ある大学教授のようで、さまざまな興味深い話を滔々(とうとう)と語ってくれるのでした。私は彼の授業を通じて、単なる虚構(きょこう)として敬遠(けいえん)していたオカルトの世界が、人類の歴史と切っても切れない崇高(すうこう)な文化だと学び直しました。
「心霊写真とか、みんな必死に作ってたんだよ。人を(だま)して物を売る、と言ってしまえば終わりだけど、俺たちはいわば、そういう超常的(ちょうじょうてき)な現象がどこかにあるんだと発信して、現実の拡張可能性を(つむ)いでたんだ。一種の共同幻想(きょうどうげんそう)とでも言うかな」
「共同幻想……国家や経済なんかが当てはまるんでしたっけ」
「そう。人々が漠然(ばくぜん)と抱くイメージを具現化するのがオカルトの仕事だった。だが科学が発達して、否定材料が増えてしまったために誰も信じなくなったのさ。幽霊の正体見たり、になる前はもっと死後の世界や霊魂(れいこん)が身近で、正しく(おそ)れられていたと思うね」
「古典怪談とか、(しん)(せま)ってて名作(ぞろ)いですもんね」
「〝恐怖の(みなもと)は未知〟ってな。ネッシーとかロズウェル事件みたいに周知されたオカルトも悪くないが、俺が好きなのはもっと深く……数秘術(すうひじゅつ)とか古典神話とか、そっちなんだ」
「『古事記(こじき)』とか、面白いですよね」
「そうそう! あぁ、キミが上司なら良かったのになぁ」
 建林さんはいつも、ボツにされた企画案や突飛(とっぴ)なアイデアを楽しそうに語ってくれました。拙作(せっさく)もいくつか読んでくれて、感想や課題点などを()しげなく伝えてくれました。私のことがよほど気に入ったらしく、彼は会うたびに雑誌のバックナンバーをくれて、半年も経たず家にはオカルト雑誌の本棚ができました。
 私にとって、その頃が人生で一番充実していたと言っても過言ではありません。
 しかし、さすがに両親は放蕩生活(ほうとうせいかつ)を長いこと許してくれるはずもなく、翌年には就職の都合で関東を去ることになりました。



“どうしても世に出したい記事がある。相談できないか? ”

 2020年も残りわずかとなった頃。私の元に届いたDMは、あのときと変わらないアイコンから送られてきました。

“お久しぶりです! どうしたんですか? ”
(おぼ)えていてくれて、嬉しいよ。まだ書いているかい? ”
“ええ! 細々と、ですが……”
“よかった。不躾(ぶしつけ)ですまないが、仕事を頼みたい。記事の生原稿がいくつか手元にあるんだが、それを一本の作品に整えて欲しいんだ。”
“お仕事ありがたいです! 興味はあるんですけど、仕上げの期限とかありますか? ”
“期限か……期限は、2025年かな。納得するまで温めてもらって大丈夫だ。キミなら上手くかたちにしてくれると信じてる。受けてもらえるかな。”
“2025年⁉︎ あはは、了解しました。そこまで言われたら……是非(ぜひ)、やらせて下さい! ”
“助かる。たしか引っ越したんだっけ。郵送していいか? ”
“大丈夫です! 住所は……”

 当時はコロナ禍の()最中(さいちゅう)で、私も例に()れずリモートワーク民として引きこもっていました。ひとり暮らしで頼れる友人もおらず、感染したらおしまいだと、気晴らしの散歩もろくにできない窮屈(きゅうくつ)な日々。私の精神は摩耗(まもう)して、本当は趣味としての作家活動も完全に休止していました。
 ですが、建林さんから未だ作家として扱ってもらえたことに、私の心は()(あし)立ったのです。これを機にまた、小説家の夢を目指せるかもしれないと、そんな(あわ)い期待も浮かび、二つ返事で応じました。
 そうして建林さんから送られてきた荷物は、大きい段ボールが二箱(ふたはこ)分と、軽い気持ちで引き受けたことを後悔する量でした。
 中身は大小さまざまの紙束といくつかのUSBで、その内容は古今東西(ここんとうざい)から集められた地方伝承と複数人へのインタビュー、それらを(もと)に練られたであろう記事の原稿と、建林さんの日記が入っていました。試しに少し読んでみると、さすがに内容はかなり濃くて面白いものでした。
 本腰を入れて取り掛かろうと、意見交換するため本人に連絡を入れましたが、荷物受け取りの確認をした直後、彼のアカウントは消滅していました。

 最初の一年は、どうにか形にしようと試行錯誤(しこうさくご)しました。緊急事態宣言(きんきゅうじたいせんげん)がどうとかで気の滅入(めい)るなか、その作業はとても楽しいものでした。けれども読み進めていくうちに、これをまとめるのは不可能なのでは? という疑念(ぎねん)()いてきたのです。
 探偵小説や冒険小説としては、あまりに具体的な内容が多いし、かといって、ノンフィクション小説とするには、資料の正確性の担保(たんぽ)ができません。2025年という期限はあながち、冗談(じょうだん)じゃなかったのかもな……資料の山を見てそんなことを思いながら、全体の半分ほど読み終わった(あた)りでモチベーションの低下が始まり、三年目には、ついに私はそれらの資料を完全に持て余してしまいました。
 私が建林さんの依頼を(あきら)めかけたころ、小説界隈ではモキュメンタリーホラーが流行(はや)り始めました。フェイクドキュメンタリーとも呼ばれるそのジャンルは、かつて低予算映画でもてはやされた映像手法の名称です。
 人気の作品は、断片的(だんぺんてき)な資料を集めていく設定で、独特(どくとく)なリアリティを小説という表現に落とし込んでいました。

 これだ、と思いました。

 再燃(さいねん)した私は、どうにか資料を最後まで読み終わり、期限に間に合わせるため、急いでそれらを作品としてまとめたのです。
 私の話はここまで。これから皆さんに読んでいただくのは「ウソが前提(ぜんてい)のリアルな物語(ものがたり)」です。
 皆さんは、童唄(わらべうた)というものを知っていますか? 『げんこつ山のたぬきさん』や『はないちもんめ』など、幼稚園のお遊戯(ゆうぎ)やテレビの歌番組などで耳にしたことはあると思います。
 これらは伝承童謡(でんしょうどうよう)とも呼ばれ、古くから子供の遊びとして口伝(くでん)されるものですが、(かぞ)(うた)(とな)えごとなど、何かしらの意図が含まれている歌詞が多く、考察すると面白いものが多くあります。
 たとえば『京都の通り名数え唄』では、京都市内の(とお)り(道路の名前)を順になぞっており現在でも意味が通じたり、「あんたがたどこさ」の歌い出しで有名な『肥後(ひご)手毬唄(てまりうた)』は、肥後というから九州発祥(はっしょう)と思いきや、関東発祥だとする説(戊辰(ぼしん)戦争で出兵した熊本出身の兵士と、駐屯地(ちゅうとんち)の子供のやりとりが元とされます。たしかに九州の人同士なら「肥後どこさ」と聞くのは不自然に思えます)もあります。
 さて。本記事で取り上げるのは関西の小さな島に伝わる、奇妙な童唄です。まずはこちらをご覧下さい。



 これは●●郷土資料館(きょうどしりょうかん)に保管されている資料のレプリカを撮影したもので、書かれているのは『いとまじ』と題される童唄です。記録によれば●●島は、大化(たいか)改新(かいしん)(西暦645年)以前から人が暮らしていたそう。小さいながらも歴史ある島に伝わる童唄。歌詞を現代語に訳し、以下に書き起こしてみました。



いとまじ いとまじ
おつきさまの いうことにゃ
御子(みこ)は白い子 (とうと)い子
隠るるところは 雲の中

いとまじ いとまじ
おつきさまの いうことにゃ
たとえ父母(ちちはは) 亡くしても
御子は(かん)せず いきようや

いとまじ いとまじ
おつきさまの いうことにゃ
御子の夜泣きは 一大事(いちだいじ) 
三人集めて あやしましょ



 歌詞の構成を見てみましょう。歌い出しは「いとまじ」という謎の文句の繰り返し。意味は(さだ)かではありませんが「通りゃんせ」や「かごめかごめ」と似た印象を受けます。
 その後、おつきさまからストーリーが語られます。一節から三節の話をまとめてみると

①白い御子が雲に隠れた 
②御子の両親は死んでいる? 
③御子が夜泣きをしたら、三人であやす

 どうやら唄の主人公は「御子」と呼ばれる人物のようです。①の雲に隠れる、が雲隠(くもがく)れの意味なら、どこかの高貴な身分のお世継(よつ)ぎが、(わけ)あって逃げ()びた……などが妥当(だとう)でしょうか? そう考えれば②で両親が死んでいる話ともつながりますね。だとすれば、③の夜泣きを三人であやすとはどういう意味でしょう? 

 と、軽く考察してみたところで一旦(いったん)、筆を置いて次回に続きます。(そう、なんと今回の企画は初の連載です! やったー! )
 次号は三節の歌詞について、●●島に伝わる珍しい儀式と、歌詞の関連性を()まえながら考察を進めていく予定です。お楽しみに!

                           文・写真=手塚(てづか)明日菜(あすな)
 前回は●●島につたわる童唄(わらべうた)『いとまじ』のストーリーを軽く考察したところで終わりました。今回は唄の前に、島に伝わる珍しい儀式についてお話ししたいと思います。
 ●●島では毎年の小正月(こしょうがつ)(一月十五日)に、豊作を願ってとんど焼き(日本全国で行われる火祭りの行事)が行われるのですが、その儀式の前に演じられる神楽(かぐら)の一つに『月引(つきびく)三人衆(さんにんしゅう)』という演目があるといいます。物語は次の通り。

“むかしむかし、島にたいそう美しい女がいた。いつからか分からないが、山の(いおり)に住み、月のように白い肌をしていることから、お月さんと呼ばれた。あるとき、島の中で評判の良い三人の若い男衆(おとこしゅう)が、自分こそお月さんを(めと)るのに相応(ふさわ)しいと(あらそ)って、それなら本人に決めてもらおうと彼女の元を(おとず)れた。「誰かひとり、決めてください」と(せま)られたお月は「私は(かい)を受けた(出家した)身ですから」と返したが、「決めないなら力づくで」と三人が(おど)したので、つぎのように提案した。「いまから四人で、お酒の飲み合いをしましょう」お月は徳利(とっくり)を四つ用意して、それぞれの前に置いた。「このうち三つには酒が、残りの一つには水が入っています。ひとり一回ずつ、自分と誰かの徳利を交換して、一周したらお猪口(ちょこ)(そそ)いで飲む。これを繰り返して、最後まで酔わなかった人を選びましょう」男たちは喜んで飲み合いを始めるが、誰も水を口にすることはできず、三人そろって酔いつぶれてしまうのだった。不思議がる男衆にお月は言った。「お酒を飲むことも戒で禁じられています。だから私は水しか飲めなかったのです」男衆は感服(かんぷく)し、この話を島中に広めた。それから誰も、お月さんに手を出そうとはしなかった。”(引用元/『●●島神楽(かぐら)(ばなし)』●●郷土資料館蔵)

 お月さんと呼ばれる女性が、宗教上の理由から男たちの求婚を(こば)み、超常的な力に守られるというお話です。複数の男性から求婚され、難題(なんだい)を持ちかけるなんて、まるで『竹取物語』のかぐや姫みたいですね。このような昔話は《求婚(きゅうこん)難題譚(なんだいたん)》と呼ばれ、世界各地に伝承があります。
 ところが調べてみたところ、この『月引三人衆』について詳しく書かれた歴史書は他に存在しませんでした。有力な類似(るいじ)作品も他になく、●●島で独自に発生したものだと考えられます。
 ここで再度、『いとまじ』の歌詞を見てみましょう。



いとまじ いとまじ
おつきさまの いうことにゃ
御子(みこ)は白い子 (とうと)い子
隠るるところは 雲の中

いとまじ いとまじ
おつきさまの いうことにゃ
たとえ父母(ちちはは) 亡くしても
御子は(かん)せず いきようや

いとまじ いとまじ
おつきさまの いうことにゃ
御子の夜泣きは 一大事(いちだいじ) 
三人集めて あやしましょ



 この唄はおつきさまを(かた)()としています。そして三節では「三人集めてあやしましょ」となっています。『月引三人衆』とどこか、似ている気がしませんか?
 これらは共に、唯一(ゆいいつ)この島にだけ伝えられているものです。だとすれば、『いとまじ』と『月引三人衆』はどちらかが一方をルーツとしたか、あるいは同じモチーフがそれぞれ別の形に派生したと考えることができます。
 では、その共通のモチーフとは一体なんなのか? それはズバリ……と、書いてしまいたいのですが、まだ確証(かくしょう)が得られないので次回に続きます!
 ヒントとして、こちらの写真を載せておきます。賢明(けんめい)な読者の皆さまなら、ここから真相に辿(たど)()けるかも? 



                           文・写真=手塚(てづか)明日菜(あすな)   
【●●島殺人放火事件 吉田死刑囚に死刑執行】 2019/11/12(火)10:43配信

 平成13年に島根県●●島で当時の同級生二人を殺害(さつがい)したとして、殺人と死体(したい)損壊(そんかい)など複数の罪に問われ、死刑が確定していた吉田(よしだ)大岐(だいき)死刑囚(38)に12日午前、刑が執行された。
 確定判決によると、01年1月14日午前10時ごろ、島根県●●島の空き家で同級生二人を殺害したのち、証拠 隠滅(いんめつ)のため空き家に火を放った。
 弁護側は「逮捕(たいほ)()の状況から、心神(しんしん)喪失(そうしつ)状態だった(うたが)いがある。さらに犯行当時は未成年であり、少年法の適用と情状(じょうじょう)酌量(しゃくりょう)の余地が認められる」として死刑の回避を求めたが、02年3月の一審判決は完全責任能力を認めた。
 さらに被害者の二人から受けていた日常的ないじめに対し、怒りを(つの)らせたと動機を認定。また年齢については、捜索隊によって山中で確保された1月16日時点で満20歳の誕生日を迎えており、判決には影響しないとして、死刑を言い渡した。吉田死刑囚は控訴(こうそ)せず、そのまま刑が確定した。

 世間では田舎の猟奇(りょうき)事件などと言われ一過性(いっかせい)の話題となった本件だが、当時、一部ジャーナリストの間で注目の的となっていたことをご存知だろうか。かくいう筆者も、この事件の行く(すえ)を追っていた一人だ。
 97年に発生した●●連続(れんぞく)児童(じどう)殺傷(さっしょう)事件以降、各地で未成年者による凶悪事件が相次(あいつ)いだ。少年犯罪への厳しい対応を求める世論が高まった結果、00年11月に刑事罰対象年齢を「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げる改正少年法が可決され、01年4月より施行となった。01年の●●島殺人放火事件は、まさに少年法の対象が移り変わろうとする最中に起こった事件というわけだ。

 一番の関心は、犯行時19歳だった容疑者の扱いであった。結果として、吉田大岐死刑囚は未成年ではなく、成人として判決が下されたのだが、もし彼が19歳として扱われ裁判が行われていたとしたら、08年の●市事件における広島高裁(こうさい)()(もど)(しん)での死刑判決に並ぶ、未成年犯罪においての貴重な判例ケースとして注目を浴びたに違いない。
 今日、久しぶりに手塚明日菜と会った。新人研修を担当して以来、実に七年振りだ。当時はフリルのついた服を着た、いかにも女の子って感じだったが、時の流れは早い。
 最寄(もよ)りの喫茶店で待ち合わせた。「お待たせしました」と向かいに座ったセミロングの女性に、当時の面影(おもかげ)を探す。つんと上を向いた小ぶりな鼻に、縁無しメガネがのっている。昔はコンタクトだった。下向きの長いまつ毛に、右の目じりの小さなほくろ。「なんかついてます? 」メガネの奥で猫のような目がこちらを捉えた。テキトーに返事をすると「化粧が上達しましたからね」と、見抜いたように笑われた。きゅっと、えくぼが浮かぶ。紛れもなく、イイ女だ。

 入社当時、強烈なオカルト愛を語っていた彼女は、その優秀さを人事に見抜かれ、研修後はわが社きってのエリート部署(ぶしょ)である社会部に配属が決まった。そして今や、政治家へのインタビューも担当するほどの実力ある記者にまで成長した。
 そんな彼女からいまさら「会って話がしたい」と連絡がくるだけでも驚きだったが、「記事の推敲(すいこう)を手伝って欲しい」と言われてさらに面食らった。俺は社会派のお堅い記事は担当したことがない。どういう風の吹き回しか(たず)ねると、どうしても書きたいオカルト記事があるという。

 社会部には毎年末、持ち回りで担当する恒例の取材先がある。それが「死刑囚の絵画展」という企画展だ。その名の通り、死刑囚が描いた絵だけで構成される展覧会(てんらんかい)で、テーマがテーマだけに、毎回どんな記事の書き方をしてもクレームが届く。かといって主催からの招待状を無視するわけにもいかず、厄介(やっかい)な案件。
 彼女は去年、その当番に当たった。死刑制度についてや遺族の感情など、どう記事をまとめようかと考えながら鑑賞をしていると、その中に一点、気になる絵を見つけた。
 月を浮かべた夜空を背景に、赤い目をした白い蛇がこちらをじっと見つめている。特に主張が激しいわけでもないのに、明らかに異質な雰囲気を感じたという。その不思議なタッチはどこか懐かしく、絵本を彷彿(ほうふつ)とさせた。
 違和感の正体を探ろうと絵に近づいた瞬間、鳥肌が立つ――いとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじ――白い蛇を描く線。おぼつかなく見えたその輪郭線(りんかくせん)は、小さな文字の集合体だった。

「《いとまじ》って、聞いたことありますか?」
 そのとき彼女に聞かれたが、ピンとこなかった。辞書を引いてみても「いとまさめ」、「いどまし」、「いとまち」……周辺に該当(がいとう)する言葉は見当たらない。

「それで、なにが書きたい? 」
 とにかく本題を知ろうと、俺は思い切って踏みこんだ。ここまでの話を聞いて、要領を得ずともどこか嫌な予感がしていたのだ。
(あせ)らないでください。ちゃんと話しますから」
 彼女はからかうような笑みを浮かべながら、続きを語った。

 展示会の作品には、もれなく作者直筆の作品紹介カードが添えられている。そこにはこう書いてあった。
【タイトル・月夜の蛇/作者・吉田大岐/解説・自分の犯した罪について考えるとき、いつも浮かぶイメージを描きました。】
 特に変わったことは書かれていない。《いとまじ》――この言葉の意味は? メモ代わりに持っていた端末で検索するも、当然のようにヒットしない。つまり一般的には、これらは無意味な文字列だ。しかし、絵に惹きつけられたのは、きっとこの言葉の力…… 言霊(ことだま)が原因に違いない。
 なにか秘密がある。そう確信した。

「オカルト好きの(かん)でした」
 話しているうちに熱を帯びたのか、彼女は羽織(はお)っていた白いカーディガンを脱ぎ、肩に下ろしていた髪を後ろにくくった。そうだろうな、と返す。去年の今ごろ、社内ですれ違ったときは冷えきっていた彼女の目。そこに、あの頃の輝きが戻っている。
 彼女の持ってきた話は、相当に厄介なものかもしれない。それでも、最後まで聞いてやろうと思った。
――以下書き起こし

〈記録開始〉

手塚:はい。じゃあ、お名前を教えていただけますか? 

葦田:ん? 

手塚:な・ま・え! 

葦田:あぁ、ええ。葦田(あしだ)こずゑいいます。姉ちゃん、昨日も来てくれたなぁ。

手塚:その節はどうも。今日はこの島の伝説を聞きにきました。昨日言ってましたよね、白蛇の伝説があるよ〜って

葦田:白蛇……あぁ! 『いとまじ様』ねぇ。いらっしゃるよ。山にな。

手塚:では、お願いします。 

葦田:あいよ……むかしむかしのおはなしじゃ。昼間から、いきなり日が暮れたことがあったそうな。雲に隠れたんと(ちご)うて、いくら待ってもお日様は出てこん。島の人たちは困りはてた。なんせ島にはお坊さんも尼さんもおらんのじゃ。神頼みしようにもできん。そんなときじゃ。誰もおらんはずの廃寺から、鐘の音が鳴りよった。なんじゃなんじゃと、みんなで松明(たいまつ)もって見に行った。そしたらなんと、釣り鐘に大蛇が巻きついとったそうな。釣り鐘に体こすりつけて、その拍子に鐘が鳴る。繰り返す音色を聴いとるうちに、気がつきゃお日さんは元通りになっとった。人々が我に返って大蛇を見ると、その体は見違(みちが)えるように真っ白に輝いとった。以来、島ではその白蛇をお天道様(てんとうさま)の遣いと信じ、お礼として廃寺のあった場所に、『いとまじ様』を(まつ)る神社を建てて差し上げたそうじゃ。

手塚:素敵なお話ですね。ところで、どうして『いとまじ様』と呼ばれてるんですか? 

葦田:そりゃ知らん。子どもの頃から聞いとるで、意味なんか考えたこともね。

手塚:そうですか……

葦田:そういえば、わしの親が水子(みずこ)供養(くよう)の地蔵さんの前なんかを通るときには、《いとまじ》を繰り返し唱えとったな。念仏みたいなもんかも知れんの。

手塚:念仏、ですか。なるほど、ありがとうございました。

〈記録終了〉

備考:●●島取材二日目
 昨日、山で声を掛けてくれた葦田さんに今日は『いとまじ様』の伝説を聞かせてもらう。白蛇の伝説ときいてどの伝承の類型かと楽しみにしていたが、予想だにしない特殊な話を聞くことができた。以下雑記
・蛇と釣り鐘の組み合わせは、和歌山の道成寺(どうじょうじ)に伝わる、安珍清姫(あんちんきよひめ)の伝説を彷彿(ほうふつ)とさせる。けれど『いとまじ様』の伝説には女性が蛇になる要素も、恋愛的な要素も一切なく、いわゆる女人化(にょにんか)蛇譚(じゃたん)としての伝承には属さない。関連は(うす)そう。
・蛇は再生を象徴するため、天体なら月と関連付けられることが多いが、それがこの島では真逆の太陽と(ひも)づけられているのは特筆すべき点と言える。
・日本各地で白蛇は弁財天の使いとされる。同じく太陽も金運、財運を象徴することは一般的である。島に財をもたらした存在を弁財天≒白蛇として祀った? 
・皆既日食つながりで天岩戸(あまのいわと)伝説に置き換えるなら、『いとまじ様』はアメノウズメの位置づけ。踊り子が体をくねらせる様子を蛇に(たと)えた? 
 まとまらないので、美詞さんに要相談。