十六夜は昔から身長が高く、運動をすればするほど伸びていくタイプだった。
 運動をすると周りが喜び、男子から尊敬を集め、女子から勝手に好かれる。成績はお世辞にもいいものではなかったが、それを教師が多めに見る程度には、彼の運動神経は群を抜いていた。

「君は礼儀を知らないから、それはなんとかしたほうがいい」

 水泳部に入ったのは、単純に水泳は季節限定だから、冬の間は遊べるという理由だったが。中学時代の水泳部には、それはそれは口うるさい先輩がいた。

(……うるさいな、俺より記録が伸びない癖に)

 イラリとしたが、表面上は「ありがとうございます」と声にしていた。十六夜は表面上さえさわやかにしていたら、勝手に男子が媚びを売りに来て、女子に困ることがないということを覚えていた。
 その先輩は記録会でボロボロに負かし、笑顔で「ありがとうございました」と言ったとき、ひどく憎悪と嫌悪で見上げられたのが、たまらなくよかった。
 その表面上の人間味と裏に隠された増長癖は、ついに誰も止めることができなくなったまま、彼は水泳の記録だけで高校進学が決まった。
 いい加減水泳に飽きてきたところだったが、彼は水泳の記録で特待生になった以上は水泳を辞めることもできない。飽き飽きしていたら、ちょうど水泳部の先輩たちに誘われて、旧校舎に集まるようになったのだった。
 旧校舎はオカルト的な噂のせいで見事に人がおらず、そこはアルコールと煙草の篭もったにおいで満ちていた。

「外出るときは、一応消臭剤噴いてけよ。風紀に見つかったらうるさいし」
「了解。今時風紀もそこまで厳しいのはいないけどな」
「たまにいるんだよ、そういうのは」

 今時酒も煙草も買うときは年齢を聞かれるが、どうやって集めたのか。そしてときどき女子を連れ込んで遊べば、だいたいの鬱憤は晴れた。
 力さえあればなんでもできる。表面上さえ取り繕っていればあとはなんとかなる。
 最悪な成功体験を積み重ねた上で、彼は異界で生徒会長を押し倒していたのである。

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「鬼を捕まえた場合、ルール的にはどうなるんだ?」

 十六夜はすっかりと日頃取り繕っているさわやかな顔はなりを潜め、下卑た顔で生徒会長を見下ろしていた。しかし生徒会長はなにも変わらず笑顔のままなのである。

(異界って言ってたけど……異界の人間は本当に人間なのか? 化け物みたいだ)

 十六夜は内心そう思ったが、そんなことはどうでもよさそうに生徒会長は全く変わらぬ笑顔で言った。

「鬼になるという宣言を受ければ、あなたが鬼になります」
「……鬼になんかなりたかねえよ。なってどうすんだ」
「色鬼が続行できます」
「したくねえよ。なら……もっと楽しいことをしようか」

 十六夜はそう言いながら生徒会長のセーラー服に手を伸ばした。
 擦り寄る女には優しくする。生意気な女は屈服させる。この女は後者だろうと狙いを定めたそのとき。倒れた本棚と本の雪崩から、ガボリと女の手が足首を掴んだのだ。それに十六夜は手を止める。

「……なんだよ」
「……死ね」

 それは息をぜいぜいとさせた居待であった。骨が滅茶苦茶に折れたであろうから、既に虫の息だろうに、それでも十六夜を掴んだ腕だけは執念深く力が篭もっていた。その腕をどうにか振りほどこうと十六夜は足を振るが、居待は決して離そうとしない。

「なんだよ、なんで生きてんだよ。普通死ぬだろ」
「……ええ、死にます。どうせ死にます。死ぬんだから、あなたを道連れにします」
「はあっ!? 意味わかんねえ」
「あなたを異界から出す訳にはいかない」
「勝手に死ね、そもそもお前が逆らったから……」
「逆らうってなんですか? 嫌だって言って止めなかったのはあなたでは? やめてと言っても止まらなかった、痛いと言っても止まらなかった。なにをしても止まらないのなら殺すしかないのでは?」

 彼女は既に虫の息のはずなのに、十六夜を生かしてなるものかという執念だけで、十六夜にしがみついていた。十六夜からしてみれば、彼女の執念がさっぱりわからず、足をどれだけ振っても振り切れない彼女の意味がわからなかった。

「離せよ、離せよ」
「……死ね、しね、シネシネ」

 ゼイゼイゼイゼイと、だんだんと息が薄くなっていく。骨が折れ、臓腑に突き刺さっているのでは、もう助からないだろうが、それでも十六夜への執念だけが彼女の腕の力に残っている。
 十六夜はそれがだんだん気味が悪くなり、とうとう空いているほうの足で彼女の首を蹴りはじめたが、それでもなお、居待の腕の力が弱らない。
 だんだんおぞましいものを感じるようになったとき、十六夜が組み敷いていた生徒会長の腕が動いた。

「残念です。紫のものも持っていませんし、鬼を交替してもくれませんし、これではゲーム進行の妨げです。ゲームマスターとして、排除します」

 そう機械的に言うと、彼女はさっさと十六夜の下から抜け出したと思ったら、ナイフで彼の背中を突き刺したのだった。無防備な背中から、あっという間に血が噴き出る。

「ううっ……」
「しね、シネ、しね、シネ」
「うる、せえよ……おまえに、ころされたんじゃねえ……っ」

 十六夜がゼイゼイとしている中、「ちょっと……っ!!」と悲鳴が上がった。
 スマホを持っている望月や朧、弓張が、なんとか本の雪崩を掻き分けて、この光景を見ていたのだ。
 なにも知らない彼らからしてみれば、既に死んでいる残月も、腕から先が見えない居待も、生徒会長に馬乗りになって刺されている十六夜も、訳がわからない。

「どうして……普通にしてれば死なないはずなのに……なんで死んでるの……!?」

 望月の叫びに、十六夜は口が歪みそうになった。
 彼女は本気で、弱いものをいたぶりたい気持ちというものも、理由のない悪意というものにも、理由のない悪意のせいで悪意に冒された者の末路も、理解に及ばないのだ。

「学級委員には、わかんないよ……」

 そう痛みの中、意識が飛ぶ前にさわやかな口調で言い放つ以外に、なにもできることがなかった。

****

 いきなり目の前で生徒会長に刺殺された十六夜に、既に死んでいる残月。もう伸びていた手はピクリとも動かないが、大方この手は居待だろう。
 なにもわからない中、ただ血のにおいだけが、ここであったことを教えていた。

「ちょっと……なんでこんなところで三人も死ぬの……助かるはずだったのに!」

 望月は悲鳴を上げるが、それを誰も返すことがない。
 それに朧は溜息をついた。

「……せめて居待さんは俺たちがついているべきだった」
「……うん。居待さん、思い悩んでいたけど……私にはなにもわからなかった……」

 居待が十六夜になにをされ、ここで十六夜が殺されるようなことをしたのか、結局望月には最後までわからなかった。わからないならば、せめてわかるまで話を聞き出さないといけなかったのに、望月はそれにたじろいでしまった。
 朧はこの光景を見て、溜息をついた。

「なんでこうなったかな……これ、ルールを守っていたら誰も死ななくって済む話だったのに」
「……そう、だな」

 弓張の声が硬いのは、ルールの開示前に殺されてしまった有明のことだろう。彼女が亡くなってから、まだそこまで時間が経っていない。
 その中、生徒会長だけは通常運転だった。

「はい、これで残り三人になりましたね。次のゲームをはじめましょう」

 あまりにあっさりと、人が三人も死んでいる中で言ってのけるのに、望月は寒気を覚えた。

(こんなゲーム……こんなゲーム! 絶対に終わらせないといけない)

 そう己を奮い立たせることしか、今の望月にはできることがなかった。