体育館の中、本来だったらキュッキュと床を踏む音が響くが、今は生徒会長の声だけが響く。生徒会長の声は、大きい訳でもないのに、体育館の中で反響し過ぎて聞きにくいこともなく、不思議と聞き取れる声をしていた。

「それでは、色鬼のルールを教えましたから、先に実践してみましょう。私はカウントを10まで数えますから、その間に、私が指定した色を探し出し、それを掲げてください。それでは……まずは【青】。用意、スタート。いーち、にー……」

 途端に皆は一斉に走り出すが。

「体育館の中の青ってなに!?」

 望月は叫ぶ中、十六夜は真っ直ぐに体育館の端にある体育館倉庫の扉をこじ開けた。その中には、体育の備品がぎっちりと詰まっている。

「バスケの試合用ビブス! コーンポスト! 青はこの中にいくらでもある!」
「ナイス!」

 望月は朧と一緒に慌ててビブスを一枚引っ張り出すと、それを手に掲げて体育館倉庫から出た。それにさっさと気付いた十六夜は堂々とリレー用のバトンを引っ張り出して掲げ、十六夜についていった残月はソフトボールを入れている籠を手に取った。
 まずはクリアと思っている中、全く体育館から動いてない面子がいることに気付いた。

「ちょっと……居待ちゃんも弓張くんも全然動いてないじゃない!?」
「……あのう、私」

 居待は制服のスカートから、おずおずと一冊の文庫本を取り出した。
 真っ青な文庫本は、『青い鳥』と書かれている。たしかに青だ。
 一方弓張は制服のポケットから、カードフォルダーを取り出した。ICカードを入れているそれは、たしかに青い。

「よっ、よかったあ……、あれ、有明ちゃんは?」
「それが……」

 居待は困った顔で有明を見たら、有明はルールをまるっと無視して、堂々と生徒会長のほうに走って行ったのである。

「ちょっと、いきなり色鬼って! そもそもこれ、色鬼するにしても、色鬼って鬼が交替するものじゃない! あなたみたいな不審者がずっと鬼って気味が悪いわ!」

 有明視点では、この色鬼のルールの不備が原因で、まずゲームに参加したがらなかったらしい。それに朧が望月の隣で「馬鹿……」とぼやく中。
 生徒会長のカウントが終わった。

「じゅーう……それじゃあ、鬼の活動開始です。それでは風紀委員さん……さようなら」

 生徒会長はあまりにも自然に、セーラー服のスカートからナイフを取り出すと、ルール不備に抗議しに来た有明の背中を堂々と貫いたのだ。
 途端に、生臭いにおいがむわりと漂い、ビチャンビチャンと水音が体育館に響いた。
 血溜まり。途端に有明の制服は血で染まり、彼女の体が崩れ落ちる。

「あ、んた……!」
「私は鬼ですよ。鬼を信用してはいけません。ルールは守りましょう。私の指定した色を持っていない以上、あなたは鬼の捕食対象です」

 そのまま有明はドサッと崩れ落ちた。
 一瞬、体育館の中から音が消えるが。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 途端に、残月が悲鳴を上げ、それに釣られるかのように居待が大きな声を上げる。
 その中、弓張だけが冷静に自分のブレザーのジャケットを脱ぐと、崩れ落ちた有明の背中に括り付ける。

「……血が止まらん」
「無理ですよ。鬼に捕食されたんですからね。食べられた人は死にます」
「それはそもそもルールで言ってないのでは?」
「聞かれてないルールは言えません。でも、ルール内で遊んでくだされば、まず死ぬことはありません。さあ、チュートリアルは終わりました。これで本番スタートです。ねっ?」

 そう生徒会長が笑う。
 それに十六夜は珍しく顔をしかめ、居待はペタンと床に座り込んでしまった。既に腰を抜かしている残月はそのまま動かない。
 いきなり皆を説教しながらも突撃することをいとわず、結果的にクラス委員をまとめてくれていた有明が死んでしまったことに、望月は茫然とする。

「有明ちゃん……」

 しっかりしないと。しっかりしないと。なんとか奮い立たせようとするが、普段のように快活な声も、皆を励ます言葉も出てこない。ただ喉に声が貼り付いてしまって、カスカスになってしまった力のない声しか出てこない。
 それに望月が唖然としているが、隣にいる朧は顔をしかめただけで、冷静だった。

「有明、あいつわざと突撃しただろ……死ぬとこまで呼んだかどうかは知らねえが」
「ちょっと朧くん、そんな言い方……」
「聞けよ。あいつ情報を残したんだよ」

 朧は普段のダウナーな言動に反して、若干苛立っていた。それに望月が怯む中、朧は続ける。

「……ひとつ。あの生徒会長は聞かれてないルールには答えてない。逆に言えば、ルールは生徒会長に聞けば答えてもらえる。ひとつ。鬼は色鬼のルールに沿って行動する。鬼は色を見つけられなかった奴は必ず殺すが、色さえ見つければその限りじゃない」
「でも……それじゃあいつまで経っても、色鬼が終わらないじゃない」

 色鬼の終わらせ方なんて、他の鬼ごっこのように明確なルールが存在しない。
 どろけいならば、泥棒と刑事のどっちが勝つかで勝敗が決まれば終わるし、花いちもんめならばどちらかに人が全員集まったら終わる。しかし一緒に遊んでいるメンバーが飽きるかくらいしか、色鬼の終わらせ方がない。
 望月の言葉に、朧は頷く。

「正攻法だったら終わらせられないけど……鬼になったら話は別だろ」
「あ……」

 今、生徒会長がどれだけ理不尽であっても、ルールを言わないだけで、ルールに則った行動以外は取っていない。そのルールを行使できるのが鬼だとしたら。
 だが。

「あの人、ナイフ持ってるし、背中なんて刺されたら誰も対処できないじゃない」
「そこなんだよな……だからあの人を取り押さえる奴と、誘き寄せる奴、あと鬼になる奴が必要なんだよ」
「鬼になるってことは、刺されないでそのままタッチされるってことでいいんだよね?」
「こればっかりは……ルールで鬼が交替できるか確認できないとな。また隠されてたルールで鬼の交替は無理とかだったら、別の方法を考えないといけないし」
「うん……ありがとう、朧くんは頼りになるね」

 望月の素直な感想に、朧は変な顔をした。

「いや、いつものことだろ。俺は要領がいいだけだよ」
「私は要領悪いから。こういうときは頼りになるね」
「こういうときはは余計だ」

 学級委員同士の気安い会話をするふたりがいる中。
 居待は青ざめた顔のまま、必死で有明の止血を続ける弓張を見下ろしていた。

「あ、あの……有明さんは、もう……」

 居待は弓張のことを思うと、これ以上はなにも言えなかった。
 日頃から不思議で達観した雰囲気のせいで、周りからは遠巻きにされがちな弓張に突撃してくるのは有明だけだったし、ルール違反には口汚い有明もルールを特に破っていない弓張に対してはただただ気安いだけだった。そしてそんな気安く話しかけてくる有明に対してだけは優しい顔をしていたのを居待は知っている。
 そのふたりの穏やかな関係を、彼女は心底羨ましく思って見ていたのだから。
 そして、有明が死んで悲しみに暮れている弓張を見ながら、居待は必死におどおどした態度の中で、悟らせないようにしていた。

(あの生徒会長さんは……ルール違反は必ず殺すとしたら……ルールを破らせたら、その人は死ぬ……?)

 おどおどしていて、引っ込み思案で、優しい人としかまともにしゃべれないような居待は、この場で考えたら一番まずいことを考えていた。