既に窓の向こうはサーモンピンク色に染まっていた。
「今日の合同委員会もなんの実もなかったよねえ」
そうお調子者の残月が嘯く。韓流アイドルを意識してか、肌を先生に睨まれない程度に日焼け止めとファンデーションで白くし、口元を目立たぬ程度に赤いリップを塗っている。
それを有明が睨み付ける。制服を規定通りにきっちりと着て仁王立ちする彼女の髪は、癖毛を少しでも目立たなくするためか、短く切り揃えられている。
「ちょっと、そういう言い方ないんじゃない? あったでしょ。最近行方不明事件が多発しているって……」
「出た、風紀委員発言。有明ちゃん、今時は要領第一で、そういう規律正しいっていうのを強要するのはハラスメント扱いされるよ?」
「なによ、注意するだけでハラスメント扱いされてたら、誰に対しても注意なんてできないでしょうが」
「有明ちゃんはかったいよねえ、いったいどこの時代の人なのよ」
残月と有明のやり取りを困った顔で見ているのは、黒縁丸メガネにツインテールの居待だ。彼女は本に関する言動以外はそこまで口が緩くない。
おろおろしている居待を見かねて、望月は口を開いた。
「はい、そこまでっ。有明ちゃんも残月くんも、合同委員会で疲れたのはわかるけど、ダラダラしてたら帰れないよ。早く帰ろう」
「かあっ、望月ちゃんは望月ちゃんで、こう太陽って感じで今風とそぐわないっ!」
「今風ってなに? 私、あんまり今風の人気女子のキャラ流行ってわからないんだけど」
「望月、こいつの言うことなんて真に受けなくっていいから。こいつ、口から生まれてきたテキトー男だし」
「ダハハッ!」
三人の会話を、呆れた顔で朧がツッコんだ。
「その会話なによ? もう帰ろう帰ろう」
「そうだな、そろそろ日も暮れるし。帰りにコンビニにでも寄るか?」
朧の言葉に十六夜が同調すると、一気に場に歓声が上がる。
「そろそろ肉まんの季節!」
「ちょっと。コンビニでの買い食いは校則違反っ! 望月もなんか言ってやったらどうなの学級委員」
「あはははは、学級委員に皆の放課後の楽しみまで奪う権限はないよ」
「そう?」
この会話になにひとつ参加せず、弓張は静かに窓から中庭を見ていた。それに気付いた望月は「弓張くん?」と声をかける。
弓張は静かな生徒であり、いぶし銀という言葉がよく似合うような、身長も高くがたいもいい男子だ。そして、彼は妙な直感が働く。
「中庭が変だ」
「中庭が変って……中庭にあるのは、旧校舎くらいじゃ」
望月は首を捻って弓張が見ていた窓を一緒に覗き込む。
旧校舎。元々この辺りは市町村の合併に次ぐ合併の果てに生まれた街であり、行政に言われるがままに学校も一緒になって合併したら合併し過ぎて逆に学校が減ってしまい、この辺りは一時的に学区不毛地帯となり、結果として人がほとんど住まない場所になってしまった。それを解消するために、とりあえず急ごしらえの学校が建てられたのが、二十年ほど前。結果的に学校がひとつできたことで少しずつ人口を取り戻したら、今度は校舎に生徒が入らないというお粗末な自体になったために、新たに校舎をつくることとなったのが、十年ほど前の話であった。
この校舎は元々新校舎であり、新校舎が完成した暁には当然ながら旧校舎は取り壊されるはずだが。なぜかそのまんま中庭の中に存在している。
元々この学校の成り立ち自体がお粗末だったから、旧校舎を建てる際にも化学物質がひど過ぎて取り壊せないんじゃという噂が流れているが、その一方でオカルトや陰謀論を信じるような人々の中では、別の噂が流れていた。
──合併に次ぐ合併の果てに、異界に綻びが生じ、なにかの境に異界に人が引きずり込まれる。
──それが原因で工事ができず、旧校舎もそのまま取り壊しができずにいる。
──旧校舎に近付くな。異界に飲まれるぞ。
これらの話は、たびたび匿名掲示板のオカルト専門板にもネタにされ、SNSを賑わせるネタのひとつになっている。
よくも悪くも、それらの噂のせいで、まともな生徒は旧校舎に近付かない。異界かどうかはともかく、取り壊しができない建物なんて、普通に気味が悪いからだ。
その旧校舎に入るための引き戸が、なぜか大きく開いているのだ。
「あれ、本当だ……とうとう取り壊しが決まったのかな」
望月の言葉に、他の面々も窓を一緒に覗き込む。
「ええ……もし取り壊しが決まったんだったら、それこそ今日の合同委員会で説明するんじゃ……」
「いやいや、あそこそもそも普通に溜まり場になってるから、普通に生徒だって出入りするって」
有明が鼻白む横で、あっさりと十六夜が言ってのけるのに、残月がオーバーリアクションする。
「ええっ、あそこって肝試しでも開催しない限り、不気味で誰も近付かないじゃないっすか……」
「そうか? 誰も来ないから、逆に先生の目も気にしなくっていいだろ」
あっさりと十六夜が言ってのける内容に、望月は頭を痛めた。
(十六夜くん、結構悪い噂流れてるからなあ……変なことにならないといいけど)
明朗快活だし、運動委員も勤める十六夜は、水泳部の中でも日本強化選手に選ばれるほどの才能の塊だ。だが。
女癖が悪い。とか。悪い連中とつるんでいる。とか。その手の噂に暇がない。ただ、どれもこれも証拠もないせいで、先生すら黙認するしかないのだ。彼の言葉の端々から匂わせるだけで、目撃情報すらなにもない。だとしたら、誰もが黙るしかないのだ。
(疑わしきは罰せず、だもんなあ……でもなあ)
望月はもやもやするのは、そもそも実家の事情であった。
実家は代々警察官を出している家系であり、とにかく身辺が綺麗なことが求められている。それは家族、親戚、交流関係にも求められるため、望月はとにかく品行方正で清廉潔白を家から求められ続けているのだ。
つまりは、ここでクラスメイトがヤバイ橋を渡っているというのは、親戚一同皆に迷惑をかけかねないから、彼女からしてみれば心底勘弁してほしいことだった。
(……私の事情で、勝手に十六夜くんを疑って、勝手に十六夜くんを悪者にするのは、よくないことだもんね。よし)
望月はもやもやした気持ちを飲み込んで、快活に笑った。
世の中、清廉潔白なだけではない。警察家系である望月家ですら、上下関係に接待などがあるということくらい幼少期からわきまえている。正義の味方はこの世にいない。そんなことはわかっているが、彼女は常日頃からヒーローというものに憧れていた。「女子だから」「子供っぽい」と言われても、ひとりでこっそりとスーパーのヒーローショーを見学したり、動画サイトで見られる特撮を見たりして、ひとりで感動していた。
そんなものいないってわかっていても、憧れるもの。それが彼女にとってのヒーロー像だった。
「開けっぱなしだと誰か勝手に入っちゃうかもしれないから、職員室で先生にひと言言ってから帰ろっか」
「そこまでする必要なくない?」
望月の言葉に、朧はツッコむ。望月の学級委員の相方の朧は、いちいちやる気がない優男であり、そのやる気のなさに肩の力が抜けることだってあるが、今はあまり肩の力を抜きたい気分ではなかった。
「……いや、不良の溜まり場になるかもしれないし、さ」
「不良ねえ……不良がセンセに見つからない程度にガス抜いてくれないと、こっちにだって火の粉がかかるかもしれないから、余計にほっときゃいいと思うけどさ」
「もうっ! もうっ! 朧くんはどうしてこうもダウナーなのかなっ!?」
「いや、望月が意味不明なほどにやる気満々のほうが怖いけど。痛い痛い、背中叩くな」
ふたりがいつもの通りに漫才をしている中、ずっと視線を話さなかった弓張がボソリと呟いた。
「まずい」
「なに弓張くん、今度は!?」
「飲まれた」
最初、その意味がこの場にいる人間は全くわからなかったのだ。
「今日の合同委員会もなんの実もなかったよねえ」
そうお調子者の残月が嘯く。韓流アイドルを意識してか、肌を先生に睨まれない程度に日焼け止めとファンデーションで白くし、口元を目立たぬ程度に赤いリップを塗っている。
それを有明が睨み付ける。制服を規定通りにきっちりと着て仁王立ちする彼女の髪は、癖毛を少しでも目立たなくするためか、短く切り揃えられている。
「ちょっと、そういう言い方ないんじゃない? あったでしょ。最近行方不明事件が多発しているって……」
「出た、風紀委員発言。有明ちゃん、今時は要領第一で、そういう規律正しいっていうのを強要するのはハラスメント扱いされるよ?」
「なによ、注意するだけでハラスメント扱いされてたら、誰に対しても注意なんてできないでしょうが」
「有明ちゃんはかったいよねえ、いったいどこの時代の人なのよ」
残月と有明のやり取りを困った顔で見ているのは、黒縁丸メガネにツインテールの居待だ。彼女は本に関する言動以外はそこまで口が緩くない。
おろおろしている居待を見かねて、望月は口を開いた。
「はい、そこまでっ。有明ちゃんも残月くんも、合同委員会で疲れたのはわかるけど、ダラダラしてたら帰れないよ。早く帰ろう」
「かあっ、望月ちゃんは望月ちゃんで、こう太陽って感じで今風とそぐわないっ!」
「今風ってなに? 私、あんまり今風の人気女子のキャラ流行ってわからないんだけど」
「望月、こいつの言うことなんて真に受けなくっていいから。こいつ、口から生まれてきたテキトー男だし」
「ダハハッ!」
三人の会話を、呆れた顔で朧がツッコんだ。
「その会話なによ? もう帰ろう帰ろう」
「そうだな、そろそろ日も暮れるし。帰りにコンビニにでも寄るか?」
朧の言葉に十六夜が同調すると、一気に場に歓声が上がる。
「そろそろ肉まんの季節!」
「ちょっと。コンビニでの買い食いは校則違反っ! 望月もなんか言ってやったらどうなの学級委員」
「あはははは、学級委員に皆の放課後の楽しみまで奪う権限はないよ」
「そう?」
この会話になにひとつ参加せず、弓張は静かに窓から中庭を見ていた。それに気付いた望月は「弓張くん?」と声をかける。
弓張は静かな生徒であり、いぶし銀という言葉がよく似合うような、身長も高くがたいもいい男子だ。そして、彼は妙な直感が働く。
「中庭が変だ」
「中庭が変って……中庭にあるのは、旧校舎くらいじゃ」
望月は首を捻って弓張が見ていた窓を一緒に覗き込む。
旧校舎。元々この辺りは市町村の合併に次ぐ合併の果てに生まれた街であり、行政に言われるがままに学校も一緒になって合併したら合併し過ぎて逆に学校が減ってしまい、この辺りは一時的に学区不毛地帯となり、結果として人がほとんど住まない場所になってしまった。それを解消するために、とりあえず急ごしらえの学校が建てられたのが、二十年ほど前。結果的に学校がひとつできたことで少しずつ人口を取り戻したら、今度は校舎に生徒が入らないというお粗末な自体になったために、新たに校舎をつくることとなったのが、十年ほど前の話であった。
この校舎は元々新校舎であり、新校舎が完成した暁には当然ながら旧校舎は取り壊されるはずだが。なぜかそのまんま中庭の中に存在している。
元々この学校の成り立ち自体がお粗末だったから、旧校舎を建てる際にも化学物質がひど過ぎて取り壊せないんじゃという噂が流れているが、その一方でオカルトや陰謀論を信じるような人々の中では、別の噂が流れていた。
──合併に次ぐ合併の果てに、異界に綻びが生じ、なにかの境に異界に人が引きずり込まれる。
──それが原因で工事ができず、旧校舎もそのまま取り壊しができずにいる。
──旧校舎に近付くな。異界に飲まれるぞ。
これらの話は、たびたび匿名掲示板のオカルト専門板にもネタにされ、SNSを賑わせるネタのひとつになっている。
よくも悪くも、それらの噂のせいで、まともな生徒は旧校舎に近付かない。異界かどうかはともかく、取り壊しができない建物なんて、普通に気味が悪いからだ。
その旧校舎に入るための引き戸が、なぜか大きく開いているのだ。
「あれ、本当だ……とうとう取り壊しが決まったのかな」
望月の言葉に、他の面々も窓を一緒に覗き込む。
「ええ……もし取り壊しが決まったんだったら、それこそ今日の合同委員会で説明するんじゃ……」
「いやいや、あそこそもそも普通に溜まり場になってるから、普通に生徒だって出入りするって」
有明が鼻白む横で、あっさりと十六夜が言ってのけるのに、残月がオーバーリアクションする。
「ええっ、あそこって肝試しでも開催しない限り、不気味で誰も近付かないじゃないっすか……」
「そうか? 誰も来ないから、逆に先生の目も気にしなくっていいだろ」
あっさりと十六夜が言ってのける内容に、望月は頭を痛めた。
(十六夜くん、結構悪い噂流れてるからなあ……変なことにならないといいけど)
明朗快活だし、運動委員も勤める十六夜は、水泳部の中でも日本強化選手に選ばれるほどの才能の塊だ。だが。
女癖が悪い。とか。悪い連中とつるんでいる。とか。その手の噂に暇がない。ただ、どれもこれも証拠もないせいで、先生すら黙認するしかないのだ。彼の言葉の端々から匂わせるだけで、目撃情報すらなにもない。だとしたら、誰もが黙るしかないのだ。
(疑わしきは罰せず、だもんなあ……でもなあ)
望月はもやもやするのは、そもそも実家の事情であった。
実家は代々警察官を出している家系であり、とにかく身辺が綺麗なことが求められている。それは家族、親戚、交流関係にも求められるため、望月はとにかく品行方正で清廉潔白を家から求められ続けているのだ。
つまりは、ここでクラスメイトがヤバイ橋を渡っているというのは、親戚一同皆に迷惑をかけかねないから、彼女からしてみれば心底勘弁してほしいことだった。
(……私の事情で、勝手に十六夜くんを疑って、勝手に十六夜くんを悪者にするのは、よくないことだもんね。よし)
望月はもやもやした気持ちを飲み込んで、快活に笑った。
世の中、清廉潔白なだけではない。警察家系である望月家ですら、上下関係に接待などがあるということくらい幼少期からわきまえている。正義の味方はこの世にいない。そんなことはわかっているが、彼女は常日頃からヒーローというものに憧れていた。「女子だから」「子供っぽい」と言われても、ひとりでこっそりとスーパーのヒーローショーを見学したり、動画サイトで見られる特撮を見たりして、ひとりで感動していた。
そんなものいないってわかっていても、憧れるもの。それが彼女にとってのヒーロー像だった。
「開けっぱなしだと誰か勝手に入っちゃうかもしれないから、職員室で先生にひと言言ってから帰ろっか」
「そこまでする必要なくない?」
望月の言葉に、朧はツッコむ。望月の学級委員の相方の朧は、いちいちやる気がない優男であり、そのやる気のなさに肩の力が抜けることだってあるが、今はあまり肩の力を抜きたい気分ではなかった。
「……いや、不良の溜まり場になるかもしれないし、さ」
「不良ねえ……不良がセンセに見つからない程度にガス抜いてくれないと、こっちにだって火の粉がかかるかもしれないから、余計にほっときゃいいと思うけどさ」
「もうっ! もうっ! 朧くんはどうしてこうもダウナーなのかなっ!?」
「いや、望月が意味不明なほどにやる気満々のほうが怖いけど。痛い痛い、背中叩くな」
ふたりがいつもの通りに漫才をしている中、ずっと視線を話さなかった弓張がボソリと呟いた。
「まずい」
「なに弓張くん、今度は!?」
「飲まれた」
最初、その意味がこの場にいる人間は全くわからなかったのだ。



