朽ちない薔薇は夜に舞う

午後五時を過ぎた頃。

ふと隣を見ると、白夜が穏やかな寝息を立てて眠っていた。

零はしばらくその寝顔を眺めていたが、ふと机の上に置かれた資料に気づく。

(あ……これ、星架さんに届ける資料……)

資料を手に取る。

(今日、商談……あったっけ? 一回、行ってみるか……)

零は静かに立ち上がると、資料を抱えて部屋を出た。

向かった先は、星架の部屋。

コンコンコン。

扉を叩く。

しかし、中から返事はない。

(いないのかな……?)

少し迷ったあと、零はそっと扉に手をかけた。

(失礼します……)

音を立てないように、ゆっくりと扉を開ける。

部屋の中を覗くと――

(星架さん……あ)

珍しく、星架はソファーで眠っていた。

(星架さんも寝るんだ……)

少しだけ驚く。

(まぁ、人間だから当たり前か……)

じっと見つめる。

(寝てる……よね? 嘘寝とかないよね……?)

しばらく様子を見てから、零は小さく息を吸った。

「……せ、……いかさん……しりょ、……ぅ」

声を出そうとした、その瞬間。

ズキッ――!!

頭の奥に鋭い痛みが走った。

「ぅ゛……!!」

零は反射的に頭を押さえる。

(また……っ……だ、っ……)

「せい……っ、かさ……」

『うるさい゛!!』

「――ッ゛!!」

突然響いた声に、零の身体が跳ねた。

「零、っ……!」

星架が目を覚まし、すぐに零の様子を確認する。

「零、しっかり」

「せい、っか……さん゛……」

「聞こえてるよ、零」

星架は少しだけ声を落とした。

「ありがと。呼んでくれて……」

そして、零の緊張した様子を見て、

「手、開いて。大丈夫だよ」

と優しく声をかける。

「……っ」

零はゆっくりと手を開いた。

張り詰めていた肩の力が、少しだけ抜ける。

「白夜に頼んでた資料だよね?」

零は小さく頷いた。

「ありがとね。届けてくれて」

星架が零の頭を優しく撫でる。

「……」

零は目を細めた。

撫でられるのが好きだった。

「……♪」

その表情を見て、星架が小さく笑う。

「零は感情が豊かだね……笑」

「……!」

零は少し照れたように目を逸らした。

「もう戻る?」

零が頷く。

すると星架は、近くに置いてあったものを零へ差し出した。

「これ、白夜と食べな」

それはチョコレートだった。

「……!」

零は嬉しそうに受け取る。

「コクッ!!」

そして深々と頭を下げると、星架の部屋を後にした。

自室へ戻ると、零は椅子に腰を下ろした。

そのとき。

「クシュンッ゛……ん、ぁ……寒……」

白夜が目を覚ました。

「……!」

零はすぐに白夜のところへ向かう。

そして、そのまま白夜の膝に向かい合うように座り、ぎゅっと抱きついた。

「ん〜?」

白夜が眠そうに笑う。

「今日は甘々さんだね〜」

「ぁ、……あったかい……?」

「!」

白夜が少し驚いたように目を開く。

「めちゃくちゃ」

「……♪」

「零、めっちゃ暖かいよ。カイロみたい」

「エヘへ……」

零は少し照れくさそうに笑った。

そのとき――

コンコン。

扉がノックされた。

零の身体がびくっと震える。

「どーぞー」

白夜が返事をすると、扉が開いた。

「任務だって」

湊だった。

「どっち?」

「両方。星架さんが途中まで出してくれるらしいから、準備して行こ」

「珍しいね。俺らが行くって」

「情報系があるんじゃない?」

陽もそう言いながら続ける。

「そっか……分かった。すぐ着替えて行くよ」

「ごめんね。イチャイチャしてたのに」

湊が笑う。

「もー! 違うから笑」

「はいはい笑。なら外で待っとくね〜」

「分かった」

ガッチャン……。

扉が閉まる。

白夜は零を見る。

「零、着替えて」

零は分かっていた。

動かないといけない。

任務に行かなければならない。

でも――

正直、行きたくなかった。

傷つくのは痛い。

見るのもしんどい。

叫び声を聞くのも、苦しい。

それでも、行かなければならない。

そんな零の様子を見て、白夜が声をかけた。

「大丈夫、零」

「……」

「なんかあったら守るし」

白夜は笑う。

「俺は死なないよ? 笑」

零は少しだけ俯いた。

「……ぅん……」

なんとか準備を整え、二人は星架の車に乗った。

星架によれば、任務は数分で終わるらしい。

「くれぐれも死なないように」

そう言われ、二人は車を降りた。

「俺ら、あっち行ってくるから。監視の塔の方、任せていい?」

湊が白夜に尋ねる。

「いいよ。こっちもでき次第報告する」

「助かる」

「行こ、零」

「ん……」

二人は目的地へ向かった。

---

「ここかぁ……」

白夜が建物を見上げる。

雨漏りしているらしく、辺りには湿った空気が漂っていた。

「雨漏れしてるね」

「ん……」

二人は、薄暗いコンクリート製の廊下を進んでいく。

「零……」

白夜が小声で呼ぶ。

「?」

そのときだった。

部屋の中から、微かな声が聞こえた。

白夜が零を見る。

「行こ……」

「コクッ」

二人は慎重に部屋へ侵入した。

しかし――

そこには荒れ果てた部屋があるだけだった。

「居ないね……」

白夜が呟く。

その瞬間。

零の視界の端で、何かが反射した。

「……!!」

零は反射的に走り出した。

「零、っ!」

白夜が慌てて追う。

「一人は危ないよ、っ……!」

その瞬間――

バァン゛ッ゛!!!

銃声が部屋に響き渡った。

「っ、゛……く!」

白夜が呻く。

「は、゛ッ……!」

零の身体が固まる。

「零っ゛!」

白夜が声を上げる。

「俺は大丈夫っ!」

そして、息を整えながら続けた。

「早く倒すよっ゛!」

(れいの……せいで……っ)

零は火薬の匂いがする方向を見た。

迷わず銃を構える。

バァン゛!!

敵が呻いた。

「ぁ゛っ……!? くそ……ガキがッ゛!」

(此奴のせいでっ゛……白夜が……っ!!)

零は、さらに銃を向けた。

何発も撃ち込む。

「零゛っ!!」

白夜の声が響いた。

「――!!」

その声で、零はようやく我に返った。

白夜が、零を優しく包み込む。

「大丈夫……」

「大丈夫だよ、零」

しかし――

白夜の袖から、血がじわじわと滲んでいた。

(れい……のせいで……白夜が……っ……)

「ご、めんね……っ」

声が震える。

「ごめんね゛……っ」

白夜は優しく零の頭を撫でた。

「大丈夫だよ……これくらい、どうってことないよ」

「だから、泣かないで」

零の視界がぼやけていく。

心配そうに自分を見る白夜。

そして、今にも泣き出しそうな自分。

「監視室、行かないと……」

白夜が立ち上がる。

「零は怪我ない?」

「コクッ……コクッ……」

零は何度も頷いた。

「良かった……」

白夜が手を差し出す。

「ほら、立てる?」

「……ん゛……」

零は涙を堪えながら立ち上がる。

「こんな傷じゃ、俺死なないよ? 笑」

白夜はそう言って笑った。

けれど零の頭の中では、何度も同じことが繰り返されていた。

――一人で突っ走らなかったら。

――もう少し警戒していたら。

――零のせいで、白夜が傷ついた。

そのとき、着信音が部屋に響いた。

「はーい」

白夜が電話に出る。

「うん……あ、そうなんだ!」

「うん、分かった。向かうね〜。はーい」

電話を切る。

「零、湊たちもう終わってるみたい」

「外で湊たちと合流して、星架待っとこ」

「コクッ……」

二人は外へ出た。

そこには湊と陽がいた。

「お疲れ」

湊が声をかける。

そして白夜の腕を見る。

「って……白夜、怪我してる……」

「珍しいね」

「陽、白夜の怪我、軽く手当してあげて」

「分かってる」

陽が傷を確認する。

「白夜、戻ったらちゃんと華さんにちゃんとした手当て受けてね」

「分かった」

陽は今度は零を見る。

「零、元気ない? どっか痛い?」

零は首を横に振った。

そして、メモ機能を開く。

『れいのせいではくやがけがしたの……』

打ち込んだ文字を、湊たちに見せる。

「もー、違うよ零」

白夜がすぐに否定する。

「俺が気づけなかったのがいけないんだよ?」

「零のせいじゃないよ」

零は大きく首を横に振った。

違う。

だって、零が一人で突っ走らなかったら。

白夜は、確実に怪我なんてしなかった。

「……」

そんな零を見ていると、陽が口を開いた。

「あ、星架さんいるらしいよ」

「じゃあ行くか」

湊が言う。

そして、車道で星架と合流し、全員でアジトへ戻った。

---

「お疲れ様、二人とも」

湊が声をかける。

「お疲れ!」

白夜も返す。

零は――何も言えなかった。

「じゃあ、零。また後でね」

「ごめ……」

「零のせいじゃないから、大丈夫だよ」

「で、も……」

「れーい」

白夜が、少しだけ優しく声を伸ばす。

「……コクッ……」

「また後でね」

そう言って、白夜は零の頭を撫でる。

そのまま医務室へ入っていった。

「……ごめんね……」

零は小さく呟いた。

胸の奥が、もやもやして苦しい。

そのまま、零は屋上へ向かった。

キィィ……。

扉を開ける。

「だからそーだって笑」

聞き慣れた声がした。

「あ! 零!」

左龍が振り返る。

「右龍、零来た!」

「任務お疲れ様」

右龍が優しく笑う。

「おいで」

零は何も言わずに走った。

そして――

ぎゅっと二人に抱きついた。

「何かあった?」

左龍が尋ねる。

「はくや……けが……」

「怪我しちゃった?」

「ん……」

零は俯く。

「れいの……せいで……」

「そうなの?」

「コクッ……」

左龍が零の頭を撫でる。

「泣かないで」

「零のせいじゃないからね」

零は首を横に振る。

「れ、いが……っ」

言葉がうまく出てこない。

右龍がすぐに零の様子に気づいた。

「零、落ち着いて……」

「呼吸、速くなってるよ」

「左龍、一回座ろうよ」

「うん」

二人に促され、零はその場に座った。

涙が一粒。

また一粒。

頬を伝って落ちていく。

右龍が、零をぎゅっと抱きしめた。

「……」

じわっと、温もりが伝わってくる。

張り詰めていた心が、ほんの少しだけ軽くなった。

「右龍だけズルい〜」

左龍も隣に座る。

「俺も」

零は二人の間で、小さく息を吐いた。

しばらくして、右龍が尋ねる。

「零、お腹すいてない?」

零は少し考えた。

「……空いた……」

「なら、一緒に夜ご飯食べに降りよ」

「……ん、っ!」

右龍と左龍に挟まれながら、零は立ち上がった。

三人は一緒に、屋上を後にした。