朽ちない薔薇は夜に舞う

薄暗い。 窓もなければ、家具すらない。
ただ四方をコンクリートの壁に囲まれた、小さな箱のような部屋。
俺はその中央で、膝を抱えるように座り、壁に取り付けられた黒いスピーカーを眺めていた。
その時だった。
『でー、結局のところどうなの? 湊』
聞き慣れた声が、スピーカーから響いた。
星架さん。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が嫌なほど締め付けられる。
もう隠しても遅い。
ここまで連れてこられた時点で、全部分かっているんだ。
だったら――。
「……裏切りました……」
小さく呟いた。
『なら、なんで裏切ったの?』
一瞬、息が止まる。
『湊のことだから、何か理由があるはずだろ?』 「……」
やっぱり。
全部、お見通しなんだ。
俺が何をしたのか。
どうしてそんなことをしたのか。
きっと、星架さんにはもう分かっている。
それでも、俺自身の口から言わせようとしている。
「陽の……命、が……」
声が震えた。
視界が滲む。
ちゃんと話さないと。
話さなかったら――。
殺される。
そんな考えが頭から離れなかった。
「陽がっ……殺されそうになって……っ!」
声が裏返る。
「それで……っ、それで……っ」
上手く言葉が出てこない。
怖かった。
あの時は、本当に怖かった。
「ごめんなさい……っ、星架さん……ごめんなさい……っ」
ぽろぽろと、大粒の涙が頬を伝っていく。
しばらくして、スピーカーから小さな吐息が聞こえた。
『……そーだったんだな』
「……」
『ちなみに、なんて情報を流したの?』
「……ここの、弱点……です……っ」
『ふぅーん……』
その一言のあと、少しだけ間があった。
『……まぁ、いっか』
「……え?」
思わず顔を上げる。
その直後だった。

 ガチャッ――。

 キィ……。


重い鉄製の扉が開いた。
薄暗い部屋の外から、廊下の明かりが差し込んでくる。
そして、その向こうに星架さんが立っていた。
「湊……」
「……っ、はい……」
身体が勝手に強張る。
終わりだ。
きっと、これで俺の人生は――。
死にたくない。
嫌だ。
まだ、死にたくない。
「……ぅ……あ……っ」
呼吸が乱れる。
星架さんは何も言わず、ゆっくりとこちらへ歩いてた。
そして――。
「おいで」
「……っ」
その言葉に、身体が震えた。
もう終わりだ。
そう思った瞬間。

 ぎゅっ――。
 
「……へ?」
突然、身体を包み込まれた。
何が起きたのか分からない。
ただ、目の前に星架さんがいる。
「……ありがと」
「な……んで……」
「んー?」
星架さんは、いつもと変わらない声で言った。
「ちゃーんと無傷で帰ってきてくれたから」
「でも……っ! 俺は騙し――」
「そーだよ」
あっさり肯定された。
「……っ」
「でも、ちゃんと生きて帰ってきてくれた」
その声は、責めるものではなかった。
「俺は、それだけで十分」
胸の奥が、ぎゅっと痛くなる。
「でも……言わなかったのは、悲しかったな。俺」
「……ご、ごめんなさい……っ」
また涙が溢れる。
「ごめんなさい……っ。ごめんなさい……っ」
何度謝っても足りない気がした。
それでも星架さんは、何も言わずにそこにいてくれた。
そして――。
「おかえり……湊」
「……っ」
その一言で、張り詰めていたものが全部切れた。
「う……ぁ……ああ……っ!」
声を上げて泣いた。
「ただいまぁ……っ!」
泣きながら、何度も涙を拭った。
しばらくして、ようやく呼吸が落ち着いてきた頃、
星架さんが口を開いた。
「……陽に、ちゃんとごめんなさいしておいでね」
「……はい」
「なら、一緒に上がろっか」
「はい……」
部屋を出て、廊下を歩く。
少しして、星架さんがふと思い出したように口を開いた。
「怖かった? 笑」
「……怖かったですし……」
思い出すだけで、また胸が苦しくなる。
「……ほんとに、殺されるかと思いました……」
「そっか」
星架さんは小さく笑った。
「まーでも、次こんなことがあったら、ちゃんと
報告して」
そして、少しだけ真面目な声になる。
「お願いだから」
「……はい」
俺は俯いた。
「ほんとに、すみませんでした」
「じゃあ、おやすみ」
「はい……おやすみなさい……」
そうして俺は、自分の部屋へ戻った。
扉を開ける。
「……あれ?」
 暗い。
いつもなら誰かしらいるはずなのに、今日は誰も
いなかった。
ベッドのある場所へ向かう。
そこには、誰かが寝ていたような跡だけが残っていた。
「どこに行ったんだろ……」 
少しだけ考えて。
「……まぁ、いっか」
俺はシャワーを浴び、そのままベッドへ潜り込んだ。
疲れていたのだろう。
目を閉じると、すぐに眠りへ落ちていった。
 
* * *

 翌朝。
物音で目が覚めた。
「ん……」
まだ眠気の残る目を擦り、大きく欠伸をする。
ベッドを整えてから、リビングへ向かった。
扉を開ける。
「あ、!! おはよ、湊!」
右龍が、いつもと変わらない笑顔を向けてきた。
「……あ……」
一瞬、戸惑った。
もっと気まずい空気になると思っていた。
昨日のことを知ったら、みんな自分を見る目が変わると思っていた。
特に、右龍や左龍、そして陽とは。
もう前みたいには話せない。
そう思っていた。
なのに――。
「おはよ」と、いつも通り声をかけてくれた。
それが、なんだか嬉しかった。
「その……ご、ごめんなさい……陽に……右龍……」
「え?」
左龍が不思議そうに首を傾げる。
「何かしたの?」
「内緒ー。笑」
右龍はそう言って、左龍に笑いかけた。
「ねー?」
「……?」
いつもと変わらない。
そのことに、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「……あはは」
思わず、俺も笑った。
すると、陽と目が合った。
「……」
「……」
陽は何も言わなかった。
ただ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
一歩。
また一歩。
俺は何を言われるのか分からなくて、身体を強張らた。
そして――。
「……ありがとね、湊」
「……!!」
一瞬、何も考えられなくなった。
胸の奥が熱くなる。
「……」
視界が滲んだ。
まただ。
昨日あれだけ泣いたのに。
また、涙が溢れてくる。
「もー、泣かないの。笑」
右龍が困ったように笑った。
「ねー! ほんとに何があったの! 気になるじゃん!!」
左龍が身を乗り出す。
「もー、目腫れちゃうよー。笑」
右龍が困ったように笑いながら、俺を見る。
 「……ありがとっ……ほんとに」
涙を拭いながら、二人に笑いかけた。
昨日のことを知っているはずなのに。
二人とも、いつもと何も変わらない。
もっと気まずくなると思っていた。
もう、前みたいには話せないと思っていた。
でも――。
こうしていつも通り話してくれる。
それが、たまらなく嬉しかった。
「てか、俺、湊に『おかえり』って言ってない!」
左龍が突然、何かを思い出したように声を上げた。
「おかえり、湊!」
「……ただいまっ」
自然と笑みがこぼれた。
その時。
「湊、ご飯食べよ」
陽が声をかけてきた。
「陽、朝から湊のこと待ってたんだよ。笑」
右龍が、さらっと言う。
「え? そーだったの?」
「……ほら。冷める。せっかく右龍が作ってくれたのに」
「ありがと。待っててくれて」
「別に……」
「陽ってほんとにツンデレだよね〜」
左龍が楽しそうに笑う。
「別にそんなんじゃないし」
陽はそう言いながら、椅子に座った。
「いただきます」
「いただきます……」
俺も席につく。
少し冷めた味噌汁を口に含んだ。
「……美味し……」
思わず、口から言葉がこぼれる。
「毎日言ってるじゃん。笑」
右龍が笑った。
「だって、右龍の味噌汁飲むの久しぶりだもん」
「でも一週間弱くらいでしょ?」
「毎日飲みたいくらいだし」
「えー。笑 照れちゃう。笑」
そんなやり取りが、なんだか懐かしかった。
昨日のことが、まるで嘘みたいに思える。
「湊、トマトいる?」
陽が皿を差し出した。
「好きだよね? 食べて」
「いいの?! やった!」
嬉しくなって、トマトを受け取る。
「陽は、しれっと嫌いな野菜を湊に渡して、自分は食べないつもりでしょ。笑」
右龍が呆れたように言った。
「……」
「ひとつは食べなさい。笑」
「……ちゃんと食べた」
「えらい。笑」
「ねぇ!」
左龍が手を上げる。
「ご飯食べたら下行って対戦しよ!」
「いいじゃん。どう? 二人とも」
右龍が俺たちを見る。
「……行く」
「俺も」
「了解。なら、よく噛んで早く食べて行こ」
「笑。分かった」
そんな、いつも通りの朝。
昨日、あんなに怖かったことなんて忘れてしまいそう
くらい、いつも通りだった。
でも――。
俺にとっては、その「いつも通り」が何より嬉しかった。