「……そろそろかなぁ」
華は時計を確認した。
兄弟が長期潜入任務へ向かって、三日。
そろそろ戻ってくる頃だ。
怪我をして帰ってくる可能性もある。
だから、ある程度の準備はしておく。
「……まぁ、何事もないのが一番だけどね」
そう呟いたところで。
コンコン。
「はーい」
扉が開く。
ガチャッ。
「お疲れ、華」
「珍しいじゃん、星架。おつ~」
星架が部屋へ入ってくる。
そして、手にしていた珈琲を机へ置いた。
「……ありがと」
華が受け取ろうとしたところで、ふと星架を見る。
「って……どこか怪我したの?」
「いやいや、笑」
星架は苦笑する。
「陽と湊、今日の夜中二時に帰宅するらしいから。一緒に来てくれない?」
「いいわよ、笑」
華は珈琲を一口飲む。
そして煙草に火をつけた。
「ふぅ~……話は終わり?」
「まぁな」
星架は少し間を置いてから言う。
「……強いて言うなら、自分の身体で治験しすぎるなよ」
「はいはい」
「お前が倒れたら、俺らが死ぬほど困るから」
「分かってるわよ、ボス」
華は笑った。
「まぁ、でも私こう見えて医者だよ? 限度くらい分かってるって」
「症状は後から来ることだってあるんだよ」
星架は華を見る。
「自分の命くらい、大切にしろ」
「はいはい、笑」
「じゃ、また後で」
「うぃー」
星架が部屋を出ていく。
華はその背中を見送りながら、煙を吐いた。
「……自分の命を大切に、か」
少しだけ考える。
「……確かにね、笑」
*
――午前二時。
ブゥ……ブゥ……
静かな部屋に、スマートフォンのバイブレーションが響いた。
画面を見る。
星架からだった。
『そろそろ行くぞ』
「了解」
短く返信する。
華は上着を羽織り、部屋を出た。
暗い廊下を進むと、すでに星架が待っていた。
「行こ」
「はいよー」
二人は並んで歩き出す。
しばらく無言で歩いていたが、華が口を開いた。
「ねぇ、星架~」
「ん?」
「ほんとに陽と湊、ここの情報漏らしたの?」
星架は少し黙った。
「……まだ分かんない」
「殺すの?」
「状況にもよる」
そして、少しだけ間を置く。
「……けど、多分殺さない」
華は横目で星架を見る。
「まぁ~、星架は『殺さない』じゃなくて『殺せない』か~笑」
「当たり前だろ」
星架は前を向いたまま答えた。
「家族だぞ」
「まぁーね」
二人は暗い階段を下りていく。
やがて、地下の駐車場へと辿り着いた。
その途中。
星架がぽつりと呟いた。
「……でもまぁ、俺的には最近、風翠の方が心配なんだよな」
華も少しだけ表情を変える。
「確かに……」
「前みたいに、自暴自棄にならなければいいけどな」
「あー……ああなったら、ほんとに手つけられないからなぁ」
華は苦笑した。
「でもまぁ、風翠には右龍がいるから。多少は大丈夫なんじゃない?」
「……そうだといいけどな」
その時。
「……あ、来たわよ」
遠くから二人の少年が歩いてくる。
「!」
湊が二人に気づく。
「お疲れ様です! 星架さん、華さん!」
「長期潜入、お疲れ様」
星架が二人を迎える。
「しっかり休んだら、情報を記入して。データでもなんでもいいから送って」
「了解です」
湊が頷く。
星架は二人を見る。
「月影の情報、何か入った?」
湊の表情が僅かに曇った。
「それが……何も……」
「……そうか」
華は二人を観察する。
(……顔色に、大きな変化はないか)
星架も、隣にいる陽へ目を向ける。
「陽は眠そうだな……笑」
「陽も疲れてるんで、自室戻ってもいいですか?」
湊が尋ねる。
「どーぞ。ゆっくり休んでな」
「ありがとうございます」
二人は頭を下げ、自室へ向かっていった。
その背中を見送りながら、華が口を開く。
「星架的にはどう?」
「まだなんとも言えない」
星架は二人が消えていった廊下を見つめる。
「でも、陽がほんとに疲れきってるのは分かった」
「だね、笑」
「やっぱ調査は必須だな」
「えぇ……そうね」
二人はしばらくその場に立っていた。
やがて星架が口を開く。
「じゃ、華。また明日」
「待ってよ。私も上がるわよ」
「ちゃんと寝ろよ~」
「人のこと言えないでしょ、あんたも」
「今日はちゃんと寝ます~笑」
「いつもちゃんとしてください、笑」
そんな会話をしながら、二人はそれぞれの部屋へ向かった。
*
星架を部屋まで送り届けたあと。
華は自分の部屋へ戻る前に、会議室へ立ち寄った。
ガチャッ。
「……!」
中にいた人物を見て、華が目を丸くする。
「白夜?」
白夜も顔を上げた。
「華。珍しいね」
「いや、あんたの方が珍しいわよ。ここに来るなんて」
華は部屋へ入る。
「自室戻らないの?」
「カフェラテ作ろうとしたら珈琲なくなってて」
白夜は苦笑する。
「ドリップしてたら、その間に零が寝ちゃったんだよね」
「あー、なるほどね~」
華は笑う。
「てか最近、れいれいどう?」
「それが聞いてほしい」
白夜の顔が少し明るくなる。
「さっき俺の名前、呼んでくれたんだよね」
「良かったじゃん、笑」
「うん」
白夜は嬉しそうに笑う。
「でも……そのあと発作起こしちゃった」
「そっか……」
華の表情が少しだけ柔らかくなる。
「まだまだ時間はかかりそうね」
「まぁーね」
それでも白夜は笑った。
「でも俺は全然、何十年だろうと待つよ」
そして、静かに続ける。
「零と一緒にいられる限りね」
「……いいわね、笑」
華は小さく笑った。
白夜は会議室のソファーを見る。
「今日は俺もここで寝よっかな」
「身体痛めないようにね」
「できるだけ頑張る、笑」
「零が起きたら、ちゃんと自室で寝なさいよ」
「はいはい、笑」
「ならね~」
「ん。おやすみ」
華は少しだけお菓子を取り、会議室を出た。
*
自室へ戻る。
部屋の明かりを落とし、華は冷たいベッドへ潜り込んだ。
静かな夜。
目を閉じる。
そして――
(これから先、誰も死ぬことがありませんように)
それは、華が毎晩眠る前に心の中で呟く言葉だった。
神様なんて、信じていない。
それでも。
祈ることは好きだった。
叶う保証なんてない。
意味があるかだって、分からない。
それでも。
少しでも笑える日が続けばいい。
明日も。
そのまた明日も。
そして――
少なくとも、自分が生きている間は。
「……みんな、生きててよ」
誰にも聞こえない声で呟いて。
華は静かに目を閉じた。
*
――右龍視点。
自室へ戻ったものの、なかなか眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じると今日のことが頭に浮かぶ。
風翠さん。
あの人が、あんなふうに苦しそうにしているところを見るのは初めてだった。
いつも笑っていて。 辛そうな顔をしていても、最後には必ず「大丈夫」と笑う。
……本当に、大丈夫なのだろうか。
「……」
右龍は布団から起き上がった。
少しだけ、外の空気を吸いたかった。
部屋を出る前に、ふと左龍のベッドへ視線を向ける。
「……もう寝てるか」
静かな寝息が聞こえる。
「……って、またお腹に布団かかってないじゃん」
苦笑しながら、左龍の肩まで布団をかけ直す。
そして、音を立てないように部屋を出た。
屋上へ向かう階段を、一段ずつ上っていく。
その途中。
ふと、星架さんに言われたことを思い出した。
*
――任務の報告を終えた後。
左龍は怪我をしていたため、自室で安静にしていた。
そのため、右龍は一人で星架と話していた。
「右龍、ちょっといいか?」
「なんですか?」
いつもと変わらない星架の声。
けれど、その表情は少しだけ真剣だった。
「少し湊たちのことでな」
「……?」
「もしかしたら、月影の連携組織にここの情報を漏らした可能性がある」
「……!」
ドクン。
心臓が大きく跳ねた。
「こ、……殺すんですか……?」
思わず尋ねる。
星架は少し間を置いてから、首を横に振った。
「いや。殺しはしない」
「……良かった」
思わず息を吐く。
「でも、少し右龍に協力してほしくてな」
「……情報を探れ、と?」
「嗚呼。簡単に言えばそういうことだ」
「……分かりました」
星架はそれ以上、何も言わなかった。
ただ一言。
「頼んだぞ」
そう言った。
*
「……」
屋上へ続く最後の階段を上りきる。
そして――
ガチャッ。
「……寒」
屋上の扉を開ける。
キィ……。
夜風が頬を撫でた。
少し冷たい空気を吸い込む。
その瞬間。
「あ……」
屋上の端に、二つの人影が見えた。
「右龍?」
振り返ったのは湊だった。
その隣には陽がいる。
陽は一瞬こちらを見ると、すぐに視線を逸らした。
「……」
なんとなく。
その反応が気になった。
「湊。陽」
「おう」
湊が笑う。
「珍しいな。右龍がこんな真夜中に屋上来るなんて」
「まぁね」
右龍は二人の近くまで歩いていく。
「左龍は?」
「もう寝てるよ」
「そっか」
湊が笑う。
「じゃあ、今日は一人?」
「うん」
少しだけ間を置いて。
右龍は二人を見る。
「ねぇ」
「ん?」
「ちょっと変なこと聞くかもしれない」
湊が首を傾げる。
「何?」
右龍は、なるべく自然な声で尋ねた。
「……もしかして湊さ」
一拍。
「裏切ってる?」
――空気が止まった。
「……は?」
湊が目を見開く。
「そんなわけないだろ」
そして、いつものように笑った。
「だって裏切ったら殺されるんだよ? 裏切るわけないじゃん」
「……そっか」
右龍は笑う。
「ほんとに、そうかな?」
「……」
その瞬間だった。
湊ではなく。
隣にいた陽の肩が、僅かに跳ねた。
右龍はそれを見逃さなかった。
「……ねぇ、陽」
「え……?」
陽が顔を上げる。
「隣で見てて、どうだった?」
「な、何が……?」
「湊のこと」
「……」
陽の視線が泳ぐ。
明らかに何かを隠している。
「えっと……その……」
「もういいだろ」
湊が口を挟んだ。
「陽も困ってるだろ」
「……」
右龍は湊を見る。
そして、少しだけ目を細めた。
「湊は嘘つきだね」
「……何言ってんの?」
湊の声が低くなる。
「さすがに怒るよ?」
「いいよ」
右龍は静かに返した。
「……怒れば?」
湊の表情が変わる。
「なら第一に、俺が裏切ったって言う証拠あるのかよ」
「……」
右龍は少しだけ考えるふりをした。
そして。
「残念ながら」
口元に僅かな笑みを浮かべる。
「あるんだよなー」
何となく嘘を着いた。すると
「……は?」
湊の顔から、血の気が引いた。
「そんなわけ……っ」
明らかな動揺。
さっきまでの余裕が、一瞬で消えた。
右龍は静かに確信する。
(……ビンゴ)
けれど、そのことを口にはしなかった。
その時――
キィ……。
屋上の扉が開く。
「……あ」
右龍が振り返る。
そこに立っていたのは――
「星架さん」
星架は何も言わず、湊を見つめた。
そして。
「……詳しく聞かせてもらおうか、湊」
「……っ」
湊の顔が強張る。
「くっそ……!」
湊が陽を見る。
「助けろ、陽!」
「……!」
陽の身体が震える。
けれど右龍は、そんな陽へ静かに声をかけた。
「助けなくていいんだよ、陽」
「……」
「もう、いいんだよ」
右龍は陽の目を見る。
「……楽になって」
その言葉を聞いた瞬間。
陽の目から、涙が溢れた。
「う、ぁ……」
声が震える。
「うわぁあああ……っ!」
右龍はすぐに近くへ行き、そっと身体を支えた。
「よく頑張ったね」
陽は何度も涙を拭おうとする。
けれど、止まらない。
「……怖かった……」
「うん」
「ずっと……言えなくて……」
「うん。もう大丈夫だから」
右龍はそれ以上、急かさなかった。
陽が落ち着くまで、ただ隣にいる。
やがて。
泣き疲れた陽は、右龍の腕の中で眠ってしまった。
「……」
右龍は眠った陽を見下ろす。
今回、気づけたのは偶然ではなかった。
長期潜入任務へ行く前と、帰ってきてから。
湊の雰囲気が、ほんの少し違っていた。
言葉の選び方。
表情。
そして、陽の反応。
どれも小さな違和感だった。
でも。
その小さな違和感を見逃さなかったからこそ、今ここに辿り着けた。
「……」
右龍は小さく息を吐いた。
キィ……。
再び屋上の扉が開いた。
「……あ」
「いた」
振り返ると、そこには左龍が立っていた。
「左龍?」
「寒くないの?」
「まぁ、ちょっと寒いけど……」
俺は腕の中で眠っている陽を見る。
「陽が暖かいから」
「陽、帰ってたんだ」
「うん。さっき帰ってきた」
左龍は陽の寝顔を見つめる。
「……そっか」
そして、俺の隣まで歩いてきた。
「右龍も寝ようよ」
「ここで?」
「うん」
少し間を置いて、左龍が周囲を見回す。
「てか、珍しく湊いないね」
「あぁ、湊は星架さんに連れていかれたよ」
「そっか……」
左龍は少しだけ考えるように黙ってから、俺を見る。
「なら、三人で寝ようよ」
「……三人で?」
「うん」
そう言って、左龍が俺の隣に腰を下ろす。
「……まぁ、いっか」
俺は小さく笑った。
屋上に三人で横になる。
陽が俺の左側。
俺が真ん中。
そして右側に左龍。
「……これなら暖かいね」
左龍が俺の肩へ少しだけ寄ってくる。
「んー……」
「どうした?」
「右龍の匂い」
「またそれ? 笑」
「落ち着くから」
「そっか」
俺は苦笑しながら、左龍の頭を軽く撫でる。
反対側では、陽が静かな寝息を立てている。
俺は二人を見て、少しだけ息を吐いた。
さっきまで、色々なことがあった。
風翠さんのことも。
湊のことも。
陽のことも。
まだ頭の中には、たくさん考えることが残っている。
それでも。
今は二人とも、ここにいる。
それだけで十分だった。
「……おやすみ、陽」
眠っている陽へ、小さく声をかける。
「おやすみ、左龍」
「ん……おやすみ、右龍……」
左龍の声が、少しずつ小さくなっていく。
やがて、左龍も眠りについた。
俺も目を閉じる。
左側には陽。
右側には左龍。
そして、その二人に挟まれている自分。
「……」
なんだか、不思議と安心する。
夜風は冷たい。
けれど。
三人でいると、少しだけ暖かかった。
「……おやすみ」
小さく呟いて、俺も眠りについた。
華は時計を確認した。
兄弟が長期潜入任務へ向かって、三日。
そろそろ戻ってくる頃だ。
怪我をして帰ってくる可能性もある。
だから、ある程度の準備はしておく。
「……まぁ、何事もないのが一番だけどね」
そう呟いたところで。
コンコン。
「はーい」
扉が開く。
ガチャッ。
「お疲れ、華」
「珍しいじゃん、星架。おつ~」
星架が部屋へ入ってくる。
そして、手にしていた珈琲を机へ置いた。
「……ありがと」
華が受け取ろうとしたところで、ふと星架を見る。
「って……どこか怪我したの?」
「いやいや、笑」
星架は苦笑する。
「陽と湊、今日の夜中二時に帰宅するらしいから。一緒に来てくれない?」
「いいわよ、笑」
華は珈琲を一口飲む。
そして煙草に火をつけた。
「ふぅ~……話は終わり?」
「まぁな」
星架は少し間を置いてから言う。
「……強いて言うなら、自分の身体で治験しすぎるなよ」
「はいはい」
「お前が倒れたら、俺らが死ぬほど困るから」
「分かってるわよ、ボス」
華は笑った。
「まぁ、でも私こう見えて医者だよ? 限度くらい分かってるって」
「症状は後から来ることだってあるんだよ」
星架は華を見る。
「自分の命くらい、大切にしろ」
「はいはい、笑」
「じゃ、また後で」
「うぃー」
星架が部屋を出ていく。
華はその背中を見送りながら、煙を吐いた。
「……自分の命を大切に、か」
少しだけ考える。
「……確かにね、笑」
*
――午前二時。
ブゥ……ブゥ……
静かな部屋に、スマートフォンのバイブレーションが響いた。
画面を見る。
星架からだった。
『そろそろ行くぞ』
「了解」
短く返信する。
華は上着を羽織り、部屋を出た。
暗い廊下を進むと、すでに星架が待っていた。
「行こ」
「はいよー」
二人は並んで歩き出す。
しばらく無言で歩いていたが、華が口を開いた。
「ねぇ、星架~」
「ん?」
「ほんとに陽と湊、ここの情報漏らしたの?」
星架は少し黙った。
「……まだ分かんない」
「殺すの?」
「状況にもよる」
そして、少しだけ間を置く。
「……けど、多分殺さない」
華は横目で星架を見る。
「まぁ~、星架は『殺さない』じゃなくて『殺せない』か~笑」
「当たり前だろ」
星架は前を向いたまま答えた。
「家族だぞ」
「まぁーね」
二人は暗い階段を下りていく。
やがて、地下の駐車場へと辿り着いた。
その途中。
星架がぽつりと呟いた。
「……でもまぁ、俺的には最近、風翠の方が心配なんだよな」
華も少しだけ表情を変える。
「確かに……」
「前みたいに、自暴自棄にならなければいいけどな」
「あー……ああなったら、ほんとに手つけられないからなぁ」
華は苦笑した。
「でもまぁ、風翠には右龍がいるから。多少は大丈夫なんじゃない?」
「……そうだといいけどな」
その時。
「……あ、来たわよ」
遠くから二人の少年が歩いてくる。
「!」
湊が二人に気づく。
「お疲れ様です! 星架さん、華さん!」
「長期潜入、お疲れ様」
星架が二人を迎える。
「しっかり休んだら、情報を記入して。データでもなんでもいいから送って」
「了解です」
湊が頷く。
星架は二人を見る。
「月影の情報、何か入った?」
湊の表情が僅かに曇った。
「それが……何も……」
「……そうか」
華は二人を観察する。
(……顔色に、大きな変化はないか)
星架も、隣にいる陽へ目を向ける。
「陽は眠そうだな……笑」
「陽も疲れてるんで、自室戻ってもいいですか?」
湊が尋ねる。
「どーぞ。ゆっくり休んでな」
「ありがとうございます」
二人は頭を下げ、自室へ向かっていった。
その背中を見送りながら、華が口を開く。
「星架的にはどう?」
「まだなんとも言えない」
星架は二人が消えていった廊下を見つめる。
「でも、陽がほんとに疲れきってるのは分かった」
「だね、笑」
「やっぱ調査は必須だな」
「えぇ……そうね」
二人はしばらくその場に立っていた。
やがて星架が口を開く。
「じゃ、華。また明日」
「待ってよ。私も上がるわよ」
「ちゃんと寝ろよ~」
「人のこと言えないでしょ、あんたも」
「今日はちゃんと寝ます~笑」
「いつもちゃんとしてください、笑」
そんな会話をしながら、二人はそれぞれの部屋へ向かった。
*
星架を部屋まで送り届けたあと。
華は自分の部屋へ戻る前に、会議室へ立ち寄った。
ガチャッ。
「……!」
中にいた人物を見て、華が目を丸くする。
「白夜?」
白夜も顔を上げた。
「華。珍しいね」
「いや、あんたの方が珍しいわよ。ここに来るなんて」
華は部屋へ入る。
「自室戻らないの?」
「カフェラテ作ろうとしたら珈琲なくなってて」
白夜は苦笑する。
「ドリップしてたら、その間に零が寝ちゃったんだよね」
「あー、なるほどね~」
華は笑う。
「てか最近、れいれいどう?」
「それが聞いてほしい」
白夜の顔が少し明るくなる。
「さっき俺の名前、呼んでくれたんだよね」
「良かったじゃん、笑」
「うん」
白夜は嬉しそうに笑う。
「でも……そのあと発作起こしちゃった」
「そっか……」
華の表情が少しだけ柔らかくなる。
「まだまだ時間はかかりそうね」
「まぁーね」
それでも白夜は笑った。
「でも俺は全然、何十年だろうと待つよ」
そして、静かに続ける。
「零と一緒にいられる限りね」
「……いいわね、笑」
華は小さく笑った。
白夜は会議室のソファーを見る。
「今日は俺もここで寝よっかな」
「身体痛めないようにね」
「できるだけ頑張る、笑」
「零が起きたら、ちゃんと自室で寝なさいよ」
「はいはい、笑」
「ならね~」
「ん。おやすみ」
華は少しだけお菓子を取り、会議室を出た。
*
自室へ戻る。
部屋の明かりを落とし、華は冷たいベッドへ潜り込んだ。
静かな夜。
目を閉じる。
そして――
(これから先、誰も死ぬことがありませんように)
それは、華が毎晩眠る前に心の中で呟く言葉だった。
神様なんて、信じていない。
それでも。
祈ることは好きだった。
叶う保証なんてない。
意味があるかだって、分からない。
それでも。
少しでも笑える日が続けばいい。
明日も。
そのまた明日も。
そして――
少なくとも、自分が生きている間は。
「……みんな、生きててよ」
誰にも聞こえない声で呟いて。
華は静かに目を閉じた。
*
――右龍視点。
自室へ戻ったものの、なかなか眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じると今日のことが頭に浮かぶ。
風翠さん。
あの人が、あんなふうに苦しそうにしているところを見るのは初めてだった。
いつも笑っていて。 辛そうな顔をしていても、最後には必ず「大丈夫」と笑う。
……本当に、大丈夫なのだろうか。
「……」
右龍は布団から起き上がった。
少しだけ、外の空気を吸いたかった。
部屋を出る前に、ふと左龍のベッドへ視線を向ける。
「……もう寝てるか」
静かな寝息が聞こえる。
「……って、またお腹に布団かかってないじゃん」
苦笑しながら、左龍の肩まで布団をかけ直す。
そして、音を立てないように部屋を出た。
屋上へ向かう階段を、一段ずつ上っていく。
その途中。
ふと、星架さんに言われたことを思い出した。
*
――任務の報告を終えた後。
左龍は怪我をしていたため、自室で安静にしていた。
そのため、右龍は一人で星架と話していた。
「右龍、ちょっといいか?」
「なんですか?」
いつもと変わらない星架の声。
けれど、その表情は少しだけ真剣だった。
「少し湊たちのことでな」
「……?」
「もしかしたら、月影の連携組織にここの情報を漏らした可能性がある」
「……!」
ドクン。
心臓が大きく跳ねた。
「こ、……殺すんですか……?」
思わず尋ねる。
星架は少し間を置いてから、首を横に振った。
「いや。殺しはしない」
「……良かった」
思わず息を吐く。
「でも、少し右龍に協力してほしくてな」
「……情報を探れ、と?」
「嗚呼。簡単に言えばそういうことだ」
「……分かりました」
星架はそれ以上、何も言わなかった。
ただ一言。
「頼んだぞ」
そう言った。
*
「……」
屋上へ続く最後の階段を上りきる。
そして――
ガチャッ。
「……寒」
屋上の扉を開ける。
キィ……。
夜風が頬を撫でた。
少し冷たい空気を吸い込む。
その瞬間。
「あ……」
屋上の端に、二つの人影が見えた。
「右龍?」
振り返ったのは湊だった。
その隣には陽がいる。
陽は一瞬こちらを見ると、すぐに視線を逸らした。
「……」
なんとなく。
その反応が気になった。
「湊。陽」
「おう」
湊が笑う。
「珍しいな。右龍がこんな真夜中に屋上来るなんて」
「まぁね」
右龍は二人の近くまで歩いていく。
「左龍は?」
「もう寝てるよ」
「そっか」
湊が笑う。
「じゃあ、今日は一人?」
「うん」
少しだけ間を置いて。
右龍は二人を見る。
「ねぇ」
「ん?」
「ちょっと変なこと聞くかもしれない」
湊が首を傾げる。
「何?」
右龍は、なるべく自然な声で尋ねた。
「……もしかして湊さ」
一拍。
「裏切ってる?」
――空気が止まった。
「……は?」
湊が目を見開く。
「そんなわけないだろ」
そして、いつものように笑った。
「だって裏切ったら殺されるんだよ? 裏切るわけないじゃん」
「……そっか」
右龍は笑う。
「ほんとに、そうかな?」
「……」
その瞬間だった。
湊ではなく。
隣にいた陽の肩が、僅かに跳ねた。
右龍はそれを見逃さなかった。
「……ねぇ、陽」
「え……?」
陽が顔を上げる。
「隣で見てて、どうだった?」
「な、何が……?」
「湊のこと」
「……」
陽の視線が泳ぐ。
明らかに何かを隠している。
「えっと……その……」
「もういいだろ」
湊が口を挟んだ。
「陽も困ってるだろ」
「……」
右龍は湊を見る。
そして、少しだけ目を細めた。
「湊は嘘つきだね」
「……何言ってんの?」
湊の声が低くなる。
「さすがに怒るよ?」
「いいよ」
右龍は静かに返した。
「……怒れば?」
湊の表情が変わる。
「なら第一に、俺が裏切ったって言う証拠あるのかよ」
「……」
右龍は少しだけ考えるふりをした。
そして。
「残念ながら」
口元に僅かな笑みを浮かべる。
「あるんだよなー」
何となく嘘を着いた。すると
「……は?」
湊の顔から、血の気が引いた。
「そんなわけ……っ」
明らかな動揺。
さっきまでの余裕が、一瞬で消えた。
右龍は静かに確信する。
(……ビンゴ)
けれど、そのことを口にはしなかった。
その時――
キィ……。
屋上の扉が開く。
「……あ」
右龍が振り返る。
そこに立っていたのは――
「星架さん」
星架は何も言わず、湊を見つめた。
そして。
「……詳しく聞かせてもらおうか、湊」
「……っ」
湊の顔が強張る。
「くっそ……!」
湊が陽を見る。
「助けろ、陽!」
「……!」
陽の身体が震える。
けれど右龍は、そんな陽へ静かに声をかけた。
「助けなくていいんだよ、陽」
「……」
「もう、いいんだよ」
右龍は陽の目を見る。
「……楽になって」
その言葉を聞いた瞬間。
陽の目から、涙が溢れた。
「う、ぁ……」
声が震える。
「うわぁあああ……っ!」
右龍はすぐに近くへ行き、そっと身体を支えた。
「よく頑張ったね」
陽は何度も涙を拭おうとする。
けれど、止まらない。
「……怖かった……」
「うん」
「ずっと……言えなくて……」
「うん。もう大丈夫だから」
右龍はそれ以上、急かさなかった。
陽が落ち着くまで、ただ隣にいる。
やがて。
泣き疲れた陽は、右龍の腕の中で眠ってしまった。
「……」
右龍は眠った陽を見下ろす。
今回、気づけたのは偶然ではなかった。
長期潜入任務へ行く前と、帰ってきてから。
湊の雰囲気が、ほんの少し違っていた。
言葉の選び方。
表情。
そして、陽の反応。
どれも小さな違和感だった。
でも。
その小さな違和感を見逃さなかったからこそ、今ここに辿り着けた。
「……」
右龍は小さく息を吐いた。
キィ……。
再び屋上の扉が開いた。
「……あ」
「いた」
振り返ると、そこには左龍が立っていた。
「左龍?」
「寒くないの?」
「まぁ、ちょっと寒いけど……」
俺は腕の中で眠っている陽を見る。
「陽が暖かいから」
「陽、帰ってたんだ」
「うん。さっき帰ってきた」
左龍は陽の寝顔を見つめる。
「……そっか」
そして、俺の隣まで歩いてきた。
「右龍も寝ようよ」
「ここで?」
「うん」
少し間を置いて、左龍が周囲を見回す。
「てか、珍しく湊いないね」
「あぁ、湊は星架さんに連れていかれたよ」
「そっか……」
左龍は少しだけ考えるように黙ってから、俺を見る。
「なら、三人で寝ようよ」
「……三人で?」
「うん」
そう言って、左龍が俺の隣に腰を下ろす。
「……まぁ、いっか」
俺は小さく笑った。
屋上に三人で横になる。
陽が俺の左側。
俺が真ん中。
そして右側に左龍。
「……これなら暖かいね」
左龍が俺の肩へ少しだけ寄ってくる。
「んー……」
「どうした?」
「右龍の匂い」
「またそれ? 笑」
「落ち着くから」
「そっか」
俺は苦笑しながら、左龍の頭を軽く撫でる。
反対側では、陽が静かな寝息を立てている。
俺は二人を見て、少しだけ息を吐いた。
さっきまで、色々なことがあった。
風翠さんのことも。
湊のことも。
陽のことも。
まだ頭の中には、たくさん考えることが残っている。
それでも。
今は二人とも、ここにいる。
それだけで十分だった。
「……おやすみ、陽」
眠っている陽へ、小さく声をかける。
「おやすみ、左龍」
「ん……おやすみ、右龍……」
左龍の声が、少しずつ小さくなっていく。
やがて、左龍も眠りについた。
俺も目を閉じる。
左側には陽。
右側には左龍。
そして、その二人に挟まれている自分。
「……」
なんだか、不思議と安心する。
夜風は冷たい。
けれど。
三人でいると、少しだけ暖かかった。
「……おやすみ」
小さく呟いて、俺も眠りについた。
