普段見ていた場所の変わり果てた姿に、マナは言葉を失った。

 子供たちが言っていたように、王宮は森と同じく闇のように暗い。瓦礫(がれき)が重なる王宮、理性がなくなり暴れている人型の魔物、負傷してうめき声を上げる騎士たち。
 地獄があるとするならばこういう場所なのだろう。

 その上空では、あの魔女が愉快犯のように笑っている。
 怒りで眉を吊り上ながらリリィに視線を向けるも、彼女に出来るのは憎しみを向けることだけ。
 悔しさと怒りを押し殺し、今出来ることをと、倒れている騎士たちの治癒を始める。

「お願い……死なないで……! もう大丈夫ですから! 頑張って!」

 マナは必死に声をかけ続けながら、手当たり次第に負傷している人たちの治療をしていく。
 次に目に入った騎士は仰向けで倒れ込んでいて意識がないように見えた。
 すぐに近寄って心音を確認する。

「……! まだ息がある!」

 急いで治癒魔法をかけると、騎士はぴくりと身体を震わせて意識を取り戻した。
 
「…………っがは!」
「良かった! 気が付きました!?」
「…………マナ……様?」

 意識を取り戻した騎士は(うつ)ろな目をしていて喋るのもやっとそうだ。

「大丈夫ですか?」

 その問いに、騎士は小さく首を縦に振って答える。
 心の傷は治癒魔法では治せない。
 なるべくその傷が悪化しないようにと、マナは明るく穏やかに振る舞う。

「なら良かったです。動けるようになったら、すぐに避難してくださいね」
「…………マナ様……」
 
 騎士は朦朧(もうろう)とし震えながら手をこちらに差し伸べてきた。
 指先は力が入らないようでだらんとしている。
 
 ──感謝の握手? それとも他に?
 
 意図はわからなかったが彼を不安にさせないよう微笑み続けていると、彼の口が微かに動いた。
 
「………う、しろ……に」

 警告に気づき急いで振り返る。
 そこには一匹の魔物がいた。長く大きく鋭利(えいり)な爪を、こちらに振り降ろそうとしている。
 助けを求める間も神に祈る間もなく、反射的にぎゅっと強く目をつぶるしかできなかった。

 ────ギィィィンッという(にぶ)い金属音が耳を刺す。
 鼓膜に響く音だったが、引っかかれるか最悪切り裂かれるかと身構えた身体はどこも痛くない。
 眉を寄せたまま右目からそろりと開く。

 目に入ってきたのは剣を持って立っているあの悪魔と、倒れて微動だにしていない魔物の姿だった。

「もしかして、助けてくれたの……?」
「契約前に死なれては元も子もないからな」

 どうやら善意で助けたというわけではなさそうだ。悪魔らしいと言えば悪魔らしい。
 それでも助けられたのは事実であり、その行動に少し驚きつつも感謝をするしかなかった。

「……ありがとう。これでまだ傷ついた人たちを助けられる」
随分(ずいぶん)とご立派な聖女様だ。お前ごときの力でなんとかなるとでも?」

 悪魔は薄ら笑い皮肉めく。
 なんと言われてもいい。力のあるないではない。
 聖女として、母の娘として、一人の人間として、出来ることをやらなければ。
 
「……私には、この人たちを助ける役目がある……! だから悪魔……、あなたにはあの魔女を倒してきてほしい!」

 意思の固まったマナの顔に(おび)えや恐怖の色は見えなかった。
 その言葉を聞いた悪魔はにやりと笑い口元から牙のような歯をのぞかせる。
 
「それは契約か?」
 
 悪魔はまたあごを持ち上げてきた。
 
「……悪魔と契約はしない。これは『お願い』。悪魔なら倒せるんでしょう? 悔しいけど、もうあなたにしか出来ない」

 なにがあっても皆を守る、助けると心を決めたマナの言葉は力強く、己の信念と悪魔への信頼感で満ちている。
 悪魔は食い入るように瞳を覗き込んでくる。そして、こちらもじっと悪魔の瞳を見つめ返す。
 数秒ほどし、悪魔の方から手を離すとふっと微笑んだ。

「悪魔に指図(さしず)とは、どこまでも強情な女だ。いいだろう、せっかくの地上だ。俺も楽しみたいと思っていた」
「悪魔……!」

 マナの表情が自然と(ほこ)ろぶ。

「ただの気まぐれだ。それと、俺の名は『悪魔』ではない」

 悪魔は剣を握り直し、静かに告げる。
 
「レイ=ディアダマス」

 そう名乗った悪魔は上空へと飛び立った。


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 レイが空へ飛んだ後も、マナはひたすらに治療を続けている。
 さすがに疲労の色が見えていた。
 連続して治癒魔法を使っているのもあるが、模擬戦の時と違い皆損傷が激しく、一人あたりに費やす聖力が増えていたのも原因だった。
 
「いたぞ! こっちだ!」

 少し先の方から騎士の急き込む声が聞こえてくる。
 ただならない様子でこちらに駆け寄ってくる騎士の動揺や声色から、只事ではないことはすぐに察せられた。

「マナ様……!」
「どうしたんですか!?」
「フェアラート様が……!」

 騎士は顔面蒼白で息を切らしながら助けを求めてきた。
 教会の方でフェアラートが倒れている、重症だ、早く来てくれと、騎士に手を引っ張られその場へと駆け出した。


 うずくまるようにして倒れているフェアラートからは生気を感じられず、血の気もありそうにない。
 彼の純白の貴族衣装が真っ赤に染まり、おびただしい出血は地面までも赤くしている。
 かろうじて意識はあるようだが目は焦点が合っておらず、だらしなく開いた口からは血を垂れ流していた。

 その光景に一瞬顔が引きつってしまう。
 見るからに、この戦場でフェアラートが一番死に近かった。

「……できる限りのことはやってみます!」

 気を張り直し、フェアラートのそばで膝をつき治癒魔法をかけ始める。
 
 昨夜聞こえたフェアラートと執事の会話が脳裏をちらつく。
 この王宮で(しいた)げられる発端(ほったん)を作ったのはこの人。優しくしてくれていたのも嘘。それを知った時どんなに辛く悲しかったか。

 それでもマナは治癒魔法を止めなかった。

「絶対に死なせない……!」

 みんなを助け守るために自分はここにいるんだと、さらに聖力を込めた。