私のスウェットの下に潜ろうとした君の手を拒んで、「ごめん、生理なんだ」と言ったら、君は少し残念そうな顔をした。

つけっぱなしのテレビの中ではついさっき女性が刺されて死んで、ベッドサイドテーブルには君の飲みかけの缶酎ハイが置かれている。

私の部屋のベッドの上、君は、落胆の上に気まずさを解消させるような笑みをすぐに重ねた。

がっかりさせてしまった上に気まで遣わせてしまったんだと思って、「全然、口でするよ」と、私は咄嗟に言ってしまう。

全然したいと思ってないのに、がっかりされるよりは平気だから。君の手に触れて、なんだか、ねだるみたいな声になる。

君は、その瞬間、驚いたような顔をして、次の瞬間、眉間にぐっと皺をよせて、不満げな顔を作った。

君の表情はころころ変わって、私はそのすべてに翻弄されながら、君の手から自分の手をそっと離す。

「なんで、そんなこと言うの」

珍しく君の声が冷たいことに戸惑いながら、私はへらへら笑って、「だって」とだけ言った。だって。

君は、さらに怖い顔になって、「無理なんだけど」と言う。

あ、引かれた、と分かった時には、君は私に背を向けていた。もう、私はへらへらも笑えなくなった。毛布にひとりでくるまって横たわる君の背中をじっと見つめていたら、心臓が早鐘を打ち始める。

「ごめん」

すぐに言う。引かないでほしい。がっかりしないでほしい。嫌いにならないでほしい。君と同じ毛布に入れないまま、私はベッドの上で正座をして、君の背中をじっと見つめる。自分のベッドなのに、自分の居場所なんてもうないように思う。

「ごめん」

もう一度言ったら、君がもぞりと動いて、こっちをようやく見てくれる。怒ってたはずなのに、振り返って私を見た君は、失敗した子供みたいに悲しそうな顔をしていた。なんでなのか、私にはわからなくて、でももう許してくれるまで、私は謝るしかないって思った。

「ごめん、無理だよね、下品なこと簡単に言う女」
「……そんなこと思ってないんだけど」
「ごめんね」
「俺も、ごめん。びっくりして。あと、そういうの元カレとは普通だったのかな、とか」

私は首をたくさん横に振る。

元カレなんていない。付き合ってくれたのなんて君が初めてで、私は、今まで誰かの都合のいい相手くらいにしかなれたことなかったよ。

ちょっと涙が出そうになるけど、今は泣くときじゃないから、我慢する。自分はたぶん世の中でいうところのメンヘラだけど、かわいい子じゃないとそういうのって許されないと思うから、私みたいなのは、ひとりきりの時にこっそりしかだめ。

嫌われたと思った。嫌わないでほしい。好きになってほしいとは違う。

君は、まだ悲しそうな顔のまま、ベッドの端によって、毛布を広げる。入ってほしい、ということだと分かったから、私はその通りにする。

横になって、同じ毛布にくるまると、もう一度、君は「ごめん」と言って、私を抱きしめた。

私が余計なことを言うから険悪になりかけただけなのに君は優しくて、いい人で、戸惑ってしまった私のことをなだめてまでくれる。だから。

「私の方が、ごめんね」
「もう、謝んないで」

君はそう言って、空気を和ませるような軽いキスをしてくれる。それから、もう、ただ優しいだけの顔でちょっと笑う。

だから。私は、また不安になる。

───君は、いつか、こんなどうしようもない私に、愛想を尽かすに決まっている。


本当は、毎秒、不安な私だった。

どうせ、君はいつか私に飽きる。君と付き合って半年が経ったけれど、どんどん不安になっている。

君が好意を向けてくれる度に、性欲を向けてくれる度に、ありがとうよりも、こんな私なのに、ごめんねと思ってしまう。

嬉しさよりも、申し訳なさよりも、嬉しさよりも、申し訳なさ。そういう自分に自己嫌悪する。負のループ。

自己肯定感が低すぎる。分かってる。でも、肯定できるような自分がどうしても見つからない。

君の気持ちを、まっすぐに受け取れなくて、君がなんで私なんかを好きでいてくれるのか本当に分からない。半年経ったのに、ずっと分からないままだ。

でも、私、絶対君に嫌われたくもなくて、みっともない疑問符を必死に隠して、君のそばに、すんといる。


こんなのは、でも、何も今に始まった話ではなかった。

君と付き合う前から私はこんな女だった。

好きになった人が、私を好きになってくれたことなんてなかったから。他にも理由はたくさんある。四捨五入すれば、たぶん、生きてきた全部が理由になる。

小学生の時、いいなと思ってた相手の靴箱にいれたラブレターは翌日にびりびりに破られてさらされた。別の子だったら、そうはされなかっただろうなと思う。罰ゲームだったってことにした。

高校生の時、放課後の教室で、三森ちゃんっていう美人の友達と一緒にスマホにいれたゲームアプリの話で盛り上がっていたら、近くにいたクラスメイトの男子に、お前ね同じゲームやってるからって三森みたいに可愛くなれるわけじゃないからね、と茶化すように言われた。ただ、ウケを狙っただけの発言だったと思う。

どうしてそんなことを言われないといけないのって腹が立ったけれど、冗談に本気になるしたたかさが私にはなかった。三森ちゃんは怒ってたけど、私はへらへら笑って、ひとりで傷つくことしかできなかった。

三森ちゃんに慰められるのもいやで、ゲームも消せなくて、でもしっかりと傷ついてたから、家に帰ってひとりで泣いた。

破られたラブレターとクラスメイトの言葉、その他の、選ばれなかった、大切にされなかった、塵のような経験が立派に積もって山となって、その上にしか私は、立ったことがない。

容姿に自信がなくて、でも、自分を傷つけてきた人たちを見返したいとも思えない。

そもそも、容姿だけじゃなくて、怠惰で、誰の一番にもなれなくて、時間にもルーズで、フットワークも軽くなくて、死にかけの星みたいな光だけを抱えて、だらだらと生きてる。

ひたすら重たいことを考えながら、君の体温に安心する以上に憂鬱になっていたら、君の安らかな寝息が耳に届く。君は、こんな私の隣で無防備に眠ってくれる。

とても綺麗な顔をしている。私にはもったいない。やっぱり、ごめんなさい、と思う。

でも、君のことが好きで、私、どうしようもない。


翌朝、君は一限があるからといって、先に私の部屋を出ていった。

玄関まで見送って、ひとりになった部屋でスマホを確認していたら、私と君の好きなバンドが新曲を出したという情報が目に入る。すぐに君とのLINEでそれを共有する。君からはスタンプだけが返ってくる。

君が私と付き合うよりも前に、私と一緒にしたいから真似をして買ったんだって教えてくれたLINEスタンプ。私は、ひとりだから、ようやく許されて、ちょっと泣く。


君との出会いは軽音サークルだった。好きなバンドがかなりかぶっていて、でも、二年くらいはずっとただのサークル仲間だった。

軽音サークルは、大学に入学したばかりの時につるんでいた可愛い女の子が、派手髪の先輩に熱心に勧誘される隣で、君もよかったら、とついでのようにチラシを渡されたのがきっかけで入っただけ。でも、もともとバンドが好きだったし、キーボードもやってみたかったから、ちょうどよかった。

サークルの時間も、その後の飲み会も、自分には誰の視線も向かなくて、そういうことを思い知りたくなくて、バンドの練習に集中したり、テーブルの隅で早々と酔ったりして、私はやり過ごしていたけれど、そんな中でも仲良くしてくれる人たちは何人かいて、そのうちの一人が君だった。

好きなバンドやアーティストがかぶっていたというのも大きかったと思う。みんなでライブやフェスにいったり、飲みに行ったり、一回生の夏休みは君と私を含めた五人で旅行にも行った。

君は、みんなに優しくて、面白くて、かっこよくて、時々、寝癖をつけてだぼっとしたパジャマのまま大学にくるところしか駄目なところを見つけられないくらい魅力的な人だった。

そんな君を少し離れたところで眺めているだけで、私はよかった。

だけど、君が、大好きなバンドのライブに誘ってくれて、みんなでじゃなくて、はじめて、私と君の二人でライブを見に行くことになって、関係が変わった。

大好きなバンドの大好きな曲を聞きながらぼろぼろ泣いてしまった私の手に、隣にいた君はそっと触れて、それから、優しく繋いでくれた。ライブが終わるまで、君は私の手を離さず、ずっと繋いでいた。

帰り道で、「絶対に気づいてなかっただろうけど、俺、かなのが好きだよ」と君は言った。

心臓のまわりだけ変になるくらい嬉しかったけれど、君が私を好きだなんてそんなことはやっぱりあり得ないと思って、ライブの熱にあてられただけだって自分を落ち着かせながら、「そういうの、いいよ」と私は言った。

そしたら君は、夜道で立ち止まって、ちょっと不安そうな顔で「それはごめんなさいってことであってる?」と首を傾げた。

そんなことあり得ないと思って私は首を横に振った。

私は、私のことを好きになってくれる人ならみんな好きだった。だって、そんな人、いなかったから。

首を横に振っていたら、まだ耳元に残っていた大好きなバンドのボーカルの声が落ちていって、「俺と付き合う相手なんてけっこう誰でもいいけど、かなのと付き合うのは絶対に俺がいいなって、俺、どうしても思っちゃう」なんて君の難しい言葉に、ライブの余韻が消えた。

君が私を好きなら、それはもう私だって君が好きだ。あり得ないから、あり得ないけど、でもそれなら、それはもう、そうだった。

「私も、朝日のこと、じつは、好き」と言ったら、「ほんとに?」と君の声がちょっと跳ねた。

斜めに頷いて「好きだけど、でも、朝日が、私のことを好きなんて、ありえないから」と言ったら、「なんで、ありえるだろ。好き、だいぶ好き、引かれるかもだけど、かなり前から、かなののこと大好きだよ、俺」と早口が返ってきた。

思わず君を見上げたら、君は、「女の子に大好きって生まれて初めて言った。恥ず、でもほんとだから撤回はしない」と私だけを見て、照れ臭そうに苦笑いを浮かべた。

どこが好きなの、いつから好きなの、どうして、私なの。その時いっぱい君に聞きたいことが浮かんだけど、全部聞けなかった。騙されていてもいいって私も生まれて初めて思えてしまって、「付き合ってほしい」と言う君に、頷いた。

悲しくなりたくなかった。虚しくなりたくなかった。うれしさより不安の方が大きかったけれど、でも、うれしいのも本当だった。

「私でいいなら、お願いします」と、たどたどしく返事をしながら、いつ、君が私を好きじゃなくなって、私は君に振られることになるんだろうって考えていた。

君はかっこよくて、私には本当にもったいない人。一回生の時に君が同じ学部の綺麗な子と付き合っていたのを私は知っているから、余計になんで私なのって考える。

二人でライブにいった夜は、ふつうじゃなくて、君も変な気を起こして私なんかに告白してしまって、でも、まだ振るにしては可哀想だから、おなさけで、私と付き合ったままでいるんじゃないかって考える。

そういうことを、いつも、いつも、考えている。

半年も経ったのに、自分から振れなくてごめんね、と思う。

君の彼女はさ、バイト帰りのコンビニでくたびれたサラリーマンに一緒にアイス食いませんかって、手抜きのナンパをされても、他の子みたいに鬱陶しく思えなくて、私はまだ女の子として終わってはないんだ、って、心底安心して、ナンパしてくれてありがとうって、サラリーマンに感謝できてしまうような女だよ。

君にそう言ったら、君はなんて言うんだろう。私、絶対言えないから、想像もしない。




思い込みかもしれないけれど、あの夜から君とは少し距離ができた気がしていた。

生理は昨日終わったけれど、生理、終わったよなんて、君には言えるわけがないし、言うことでもない。

もうそろそろ振られるのかもしれない。傷つく練習をしないといけないのに、いつかは振られて当たり前なのに、君に振られる想像をするたびに胸が痛くなって、途中でやめてしまう。

「かなの、今日ってこのあと何もない?」

サークル終わりに、君はLINEで聞けばいいことをわざわざみんながいるところで言った。私は頷くだけにして、君より先に片づけを終えてから学生会館の外で君を待っていた。

数分後に、君がやってくる。ここで振られるのはやだな、と馬鹿みたいなことを思っていたら、「帰ろ。送る」と君は言って、先に歩き出した。

慌てて、追いかけて隣に並ぶ。「急にどうしたの」と聞いたら、「別に」と君が首を横に振る。

私が振られるって思ってたことなんて、君は考えもしてなかっただろうなと思う。君のそういうところが好きで、私にはもったいなくて、私、嫌われたくないのに、嫌われるようなことを言いたくなる。自分でも分かってあげられない自分が時々あらわれて、死んじゃえと思う。

「生理、終わったよ」

君にだけ聞こえる小さな声で言ったら、君は前を見たまんま、「ふーん」とだけ答えて、私の指に自分の指を絡めてきた。

はじめて手を繋いだ時とは、もう違う。君は、自分だけの手のように私の手に触れて、繋いでくれる。そのことの途方に暮れるようなうれしさを説明できる言葉が私の中にはあんまりなくて、でも、うれしい。うれしいと、ごめんなさい、は、いつも大体一緒になって生まれる。

そっと君の手を握り返す。しばらくお互い黙ったまま無言で歩いていたけれど、

「ほんとは、喧嘩してみたかった」

私のマンションのすぐ近くの公園の前を通り過ぎた時に、唐突に君がそう言った。

私は思わず立ち止まってしまって、君を見た。君は、ちょっと寂しそうな顔で私を見下ろしながら、繋いだ手に力をこめてきた。

「この前、かなのに怒っちゃったじゃん、俺」
「……あー、うん」
「あの時さ、喧嘩になるかなって思ったんだよ。ダサい嫉妬とかもあったけど、それだけじゃなくて、喧嘩できるかなって」
「……なにそれ」
「かなのと喧嘩してみたいなって、最近、考えてたから」

君が私を分からないように、私も君を分からなくて、君がそんなことを思っていたなんて、君の口から聞いても私はあんまり分かってあげられなかった。

でも、羨ましいなとは心の底から思った。喧嘩なんて、それで嫌いになり合えてしまうかもしれないのに、したいって思える君の人間的なあかるさが、私、ただ羨ましいなと思った。

「でも、かなの落ち込んでたから、失敗だったなって。試すみたいなことして、ごめん」
「……別に、全然、気にしてないよ」
「……だったら、いいけど」

君はちょっと不服そうに唇を尖らせて、また歩き出す。

怒ってほしいなら怒れよって言ってほしい。正解を教えてくれたら、私は絶対にその正解をえらぶから。君に、嫌われたくない。でも今は、何よりも、振られなくて、本当によかったって思ってる。

以心伝心なんてこの世には存在しないから、私は、ここまでなんとか生きのびてきたの。

君は、本当に私を送るだけだったようで、マンションの前で私の手を離した。

本当はもう少し一緒にいたかった。でも、「泊っていく?」なんて、自分からは言えない。

でも、でもね。喧嘩したいなんて思ってくれて、私はとてもそんなことは思えないけれど、うれしかった。君が手を繋いでくれて本当はいつも、心細いけどうれしかった。今日は、もう少し、一緒にいたい。一緒にいても不安だけど、ひとりだともっと不安だから、一緒に、いてほしい。

どれも言えなくて、わがままも言えない可愛くない彼女でほんとうにごめんね、で思考は停まる。

「じゃあね」と自分から切り出す。

「玄関まで行くけど」と君は言ったけど、「私が、朝日、見送りたいから」と、きっぱり断る。君は、また一瞬だけ不服そうな顔をしたけれど、すぐにあきらめたように笑った。

「じゃあ、うん。家着いたら電話する」
「うん、送ってくれてありがと」
「いーえ」

ひらひらと手を振って、君は私に背を向けて帰っていく。私は、遠ざかっていく君の背中をじっと見つめながら、呪いのように思ってしまう。

帰らないで。帰らないで。振り向いて。振り向いて。こんな私だけど。こんな私で本当にごめんだけど、振り向いて。いやにならないで。振り向いて。

でも、振り向かなかったら悲しくて、悲しくなりたくはないから、きりのいいところで自分から背を向けた。

こんなこと、いつまで続くのかなって思う。君はいつまで私のそばにいてくれるんだろう。

もういいけど、もうよくなくて、君が優しくしてくれるたびに、君が君の気持ちをくれるたびに、私は私がいやになる。

自分の部屋にひとりで戻って、すぐに玄関の鍵を閉めた。

しん、とした空間で、こっそりとため息を吐く。

扉の内側には、「レディ・バード」の映画のポスターが貼ってある。

それは君が付き合ってすぐのときに私に教えてくれた、明るく生きるためのライフハックだった。

自分の好きな人を玄関に貼っておくと毎日ちょっとは幸せに家を出れる、と君は言っていたけど、私は全然だめだ。そういえば、君は、玄関の扉の隅に、私と撮ったプリクラを貼ってくれてた。それをはじめて知った時のことを思い出して、今更、胸がつまる。

大好き、君のこと。本当に、大好きなの。でも、重いこと、ひたすら考えてる。こんな彼女で、本当にごめんね。

また、いつものように君が私にくれた好意を燃料にして自己嫌悪を始めようした時、玄関のベルが鳴った。

警戒しながらも、ドアスコープをのぞく。そうしたら、さっき別れたばかりの君がいて、急いで、私は扉を開けて、外に顔を出した。

なんで、と思いながら、まだ胸はつまってる。何も言わないまま、君を見つめる私に、君は呆れたような顔をしながら、はは、と笑った。

「かなの、帰ってほしくなかっただろ」
「……いや、」
「嘘。俺が、帰りたくなくて」
「………」
「今日、泊っていい?」
「……それは、別に、いい、けど」
「かなのちゃんてさ、俺のこと、ヤりたいだけって思ってたりするの? お前、どうせヤりたいだけだろって」
「何それ。そんなこと、思ったことないよ」

ただ、たまらない気持ちになってるだけだよ。それだけだよ。

後ろから、とん、と誰かに指で突かれたら、わっと泣き出してしまうかもしれない。すぐにそういう状態になるの、私。でも、君の前では、絶対に泣きたくない。

君は、どうして、こんな私を好きでいてくれるのだろう。やっぱり分からない。愛されると不安になる。私なんて、君が好きでいる意味が全くない人間だって思う。

でも、嬉しいの。不安なの。でも、嬉しいの。不安で、嬉しくて、君が大好きで、あの時、繋いでくれた手を私からはどうしても離せないでいる。

好きでいてくれて、本当に、ありがとうって、いつも思っている。自分の気持ちは、どれも決して宝石みたいに美しいものじゃないから、君に押し付けていいわけがなくて、それでも、君にどうしても触れたくなってしまって、玄関まで入ってきた君の胸に、私は、恐る恐る、自分のおでこをくっつけてしまう。

そうしたら、君は、はは、と優しく笑って、その震動で私は本格的に泣きたくなってしまった。

「珍しい。かなのが俺に甘えてくれるの」
「……私、がんばって、がんばって、これくらいなの」

君の胸元に頑張って伝えた声が、掠れてしまう。はじめて、本当の意味で、他人に甘えてしまっている気がした。自分がそんなことできてしまうなんて、一秒前の自分だって想像できていなかったし、今も信じられていない。怖い。でも、私、君の胸におでこをつけたままでいる。

「頑張ってくれて、ありがと」
「……不安になるの。いつも、いつも、不安になる」
「なんで?」
「わかん、ない」
「俺は、どうしたらいいの」
「わかんない。でも、」
「でも?」
「……好きで、いてほしい」

嫌いにならないでほしい。より、頑張って、可愛い言葉を選んでみた。

君だったら、私のラブレターを破らなかったかなとか思う。美人の友達と同じゲームをする私を傷つけなかったかなとか思う。これまで誰も選んでくれなかったすべての私を、選んでくれたのかなとか思う。いや、そんなことは、絶対にあり得ない。あり得ないけど、そうだったらいいのになあ、と馬鹿みたいなことを、叶わないからこそ願ってしまう。

「そんなの、当たり前じゃん」

そう言って、君は私をそっと抱きしめてきた。私はそれで、君の胸からおでこを離して、君の腕の中で、君を見上げる。君は本当に優しい顔をしていて、「かなのも、俺のこと、好きでいて」と、そんなの当たり前だよ、って呆れてしまうような言葉を私に返した。

「私、」
「うん?」
「……ほんとはね、朝日が、私なんかのこと好きでいてくれるの、ずっと、あんまり信じられてない」
「まじか」
「でも、別に、信じさせてほしいと思ってないから」

これ以上はもう、重い気持ちを君に押し付けてはいけない。そう思って唇を結ぶ。

そんな私の腰を、君はぐっと引き寄せて困ったように笑いながら、「なんかさあ、俺、多分、かなのよりかなのこと好きだと思うんだけど。かなの、俺に、負けるなよ」と優しい声で言った。

ああ、やっぱり。君をじっと見つめながら、思う。

こんないいひと、私にはもったいない。君は、いつか、こんなどうしようもない私に、愛想を尽かすに決まっている。

でも、今は、今、この時だけは、自分よりも、この人を信じてみたかった。信じなければいけなかった。

今、君の瞳には、どうしようもなくて、可愛くない、私だけが、映っている。