今日は講義もなかったので、午後から林先輩の家を訪ねてみることにした。
川上先輩に教えてもらった住所を手元に、地図アプリを使ってアパートを探した。
目的のアパートにたどり着き、2階に上がった。住所には205号室とある。
部屋の前まで来たので、深呼吸しインターホンを鳴らした。少し待ってみたが、誰も出ない。留守なのだろうか。
数回ノックをしても出てくる気配がないので、諦めて帰ろうとした時、中から物音がした。数秒後に扉が開いたので、慌てて挨拶をした。
「こんにちは、初めまして」
「すぐ気づけなくてすまない。実はついさっき川上から、家に石田の友達が行くから入れてやってくれって連絡があって、慌てて玄関に行くと君がいた」
「すみません、急にお訪ねして」
「今事情があって上手く喋れなくて、俺の声も聞き取りづらいと思うんだけど、まあとりあえず入ってくれ」
林先輩はあまり僕の顔を見ずに、たどたどしい喋り方で迎え入れてくれた。
奥の部屋に行くと、林先輩は真っ先にルーズリーフとペンを手に持った。
「実は今両耳が聞こえなくて、君がなんて言ってるか分かってないんだ。だから君が喋る時はこれを使うか、スマフォにでも文字を表示してくれると助かる」
"わかりました"
紙に書くよりも文字を打つ方が早いと思ったので、すぐに手持ちのスマフォに文字を表示させ、見せた。
"聞きたい話があってお邪魔したのですが、数日前に行かれた廃旅館についての話を聞かせてもらえますか"
林先輩はしばしの沈黙の後頷き、キッチンに向かい、数分後カップを両手に戻ってきた。部屋の中央に置かれたテーブルの僕の方に片方を、反対側に自分のカップを置き、座った。
「少し長くなるけどいいかな」
"大丈夫です。ここに書いてもらうことはできますか"
僕は背負っていたリュックの中から大学ノートを取り出し、渡した。ここに書いてもらえば、あとで見返すのに都合がいいと思ったからだ。
以下は林先輩の記録である。
4日前、ちょうど日付けが変わるくらいに、石田と俺を乗せた川上の運転で、1時間くらいかけて廃墟に向かった。そこはかなり荒れていて、当然普段管理もされていないから雑草も生い茂っていた。3階建ての旅館っぽかった。3人で分かれて探索することにした。川上は入口付近、俺が2階で、石田が3階を見ることにした。入口近くに階段があって石田と2人で上った。2階は長い廊下があって、その両側に部屋がいくつか並んでいた。廊下の突き当たりが窓になっていて、その右隣の部屋がやけに黒くなっていて気になったが、部屋を手前から一つ一つ見ていくことにした。部屋はそれぞれ相応に汚く、荒らされてもいた。扉自体無くなっている部屋もあった。部屋を見て周り、一番奥の右側の部屋まで来た。このとき、一瞬女の人の声のようなものが聞こえた気がした。そのまま部屋を覗くと、焼け焦げたように真っ黒になっていた。床も一部崩れていて、一番奥までは行けないようになっていた。ここで、部屋の隅に、他の部屋には無かった黒電話が置かれていることに気づいた。その時、ジリリ、と一瞬電話が鳴った。恐怖よりも興奮が勝ち、床が落ちないように慎重に近づいて、興味本位で受話器を耳に当ててみた。勿論電気も通っていなく、電話も繋がるはずがなかったが、誰かがぼそぼそと無機質に呟いているようなこもった音が聞こえたので、おーいと言ってみたら、しばらくしておーいと受話器から小さく返ってきて、その声は繰り返しながらだんだん大きくなって怖くなり受話器を投げたら、耳元でおーいと声がした。その瞬間、辺りの音が急に消えて静まり返った。何が起きたか分からずにびびって叫びながらすぐに部屋から出ようとしたが足がすくんで上手く動けずにいた。今思い返せば、本来なら聞こえるはずの、もがいている周囲の音や雑音すら聞こえていなかった。そのうちに駆けつけた石田が、部屋の入口から顔を出して俺を見つけるや否や、俺の後ろを指差して、何かを叫びながら後ろに足を滑らせた。何を言っているのかは分からなかった。すると、川上が走ってきて俺の肩を担ぎ、石田を立たせて、3人で必死で車まで走って逃げた。
"そんなことがあったんですね。耳が聞こえなくなったのはそれからですか"
僕はスマフォを林先輩の方に向けた。林先輩は頷きながら、そのままノートに応えた。
"翌日耳鼻科に行ったが、原因は分からないそうだ"
"石田は何を見たんでしょうか"
"わからない。廃墟を出た後は、川上がそれぞれの家に送ってくれて、その日はそのまま解散した"
林先輩は思い詰めたような表情で続けた。
"実は肝試しの翌日、大学終わりの石田が家に来て、少し話したんだ"
石田と授業中にコンテストの話をした日だ。
"何を話したんですか"
"内容自体は取り止めのない課題やレポートのことだったが、少し様子がおかしかった。まああんなことがあったからそうだろうけど、何というか普段の石田っぽくない、明後日の方向を向いているような無機質な雰囲気というか、とにかくいつもの石田じゃなかった"
見上げると、林先輩の顔は思ったよりも疲労が溜まっているように見えた。
"石田を部屋から送った後に、部屋に石田の鍵が置いてあることに気づいて、あいつが忘れていったのかわざと置いていったのかは分からないけど"
林先輩は、そう書きながらその鍵を机の引き出しから取り出し、テーブルの上に置いた。僕は意を決して聞いた。
"この鍵、お借りしてもいいですか"
"ああ。何の為に置いていったのかも分からなしい、俺が持っていてもしょうがないから、あいつに返してきてほしい"
"わかりました、お預かりします。林先輩もご自愛ください"
そのあと、少しばかりやりとりを交わし、礼を言い林先輩の家を出た。すぐに石田にメッセージを送った。
"今どこにいる?林先輩から石田の合鍵?受け取ったから、今から家行っていいか?"
すぐに既読がついた。ついたが、やはり返信は来ない。しかし既に決めていた。僕は石田の家に向かった。
石田のアパートの下まで着いた時には、既に日は暮れていた。一応確認はしたが、返信は来ていなかった。以前来たことがあり、部屋は分かっているので真っ先にそこへ向かった。
インターホンを鳴らすが応答はない。無いだろうと思っていた。実家に帰っている可能性もある。何かほかに返信できない事情があるのかも知れない。心の中で石田に詫びながらも勝手に鍵を使って中に入った。
前に来た時とほぼ何も変わっていない。玄関、廊下からワンルームまで、整理の行き届いてなさに石田の性格が顕著に現れていた。
やはり部屋に石田は居なかった。今どこで何をしているんだろう。もともとまめに返信するようなやつではなかったが、ここまで何も応答がないことも知り合ってから初めてだった。
窓際に置かれた机の上に、レポートのような物が1枚置かれているのに目が行った。近づいて手に取ると、それは破ったノートの1ページだった。切り抜かれた古い新聞記事の一部が貼られている。
"◯◯市の旅館で火災 従業員や宿泊客全員死亡"
客室の火の不始末からの火災により、逃げ遅れた従業員も宿泊客も全員死亡とある。なんで石田がこれを。
本人が不在でどうしようもなく、とにかくその記事をリュックに入れ、鍵を閉め家を出た。時間も遅くなってきたので家に帰り情報を整理することにした。
帰宅し、少し落ち着いたのでパソコンの前に座った。小説の投稿サイトを開き、今日あったことをまとめるように、文章を書き出した。石田にも色々と聞きたいことがあるが、どこにいるか分からず返信もない。それに石田の行方を心配する気持ちとは裏腹に、小説を書かなければという気持ちも強まっていた。
川上先輩に教えてもらった住所を手元に、地図アプリを使ってアパートを探した。
目的のアパートにたどり着き、2階に上がった。住所には205号室とある。
部屋の前まで来たので、深呼吸しインターホンを鳴らした。少し待ってみたが、誰も出ない。留守なのだろうか。
数回ノックをしても出てくる気配がないので、諦めて帰ろうとした時、中から物音がした。数秒後に扉が開いたので、慌てて挨拶をした。
「こんにちは、初めまして」
「すぐ気づけなくてすまない。実はついさっき川上から、家に石田の友達が行くから入れてやってくれって連絡があって、慌てて玄関に行くと君がいた」
「すみません、急にお訪ねして」
「今事情があって上手く喋れなくて、俺の声も聞き取りづらいと思うんだけど、まあとりあえず入ってくれ」
林先輩はあまり僕の顔を見ずに、たどたどしい喋り方で迎え入れてくれた。
奥の部屋に行くと、林先輩は真っ先にルーズリーフとペンを手に持った。
「実は今両耳が聞こえなくて、君がなんて言ってるか分かってないんだ。だから君が喋る時はこれを使うか、スマフォにでも文字を表示してくれると助かる」
"わかりました"
紙に書くよりも文字を打つ方が早いと思ったので、すぐに手持ちのスマフォに文字を表示させ、見せた。
"聞きたい話があってお邪魔したのですが、数日前に行かれた廃旅館についての話を聞かせてもらえますか"
林先輩はしばしの沈黙の後頷き、キッチンに向かい、数分後カップを両手に戻ってきた。部屋の中央に置かれたテーブルの僕の方に片方を、反対側に自分のカップを置き、座った。
「少し長くなるけどいいかな」
"大丈夫です。ここに書いてもらうことはできますか"
僕は背負っていたリュックの中から大学ノートを取り出し、渡した。ここに書いてもらえば、あとで見返すのに都合がいいと思ったからだ。
以下は林先輩の記録である。
4日前、ちょうど日付けが変わるくらいに、石田と俺を乗せた川上の運転で、1時間くらいかけて廃墟に向かった。そこはかなり荒れていて、当然普段管理もされていないから雑草も生い茂っていた。3階建ての旅館っぽかった。3人で分かれて探索することにした。川上は入口付近、俺が2階で、石田が3階を見ることにした。入口近くに階段があって石田と2人で上った。2階は長い廊下があって、その両側に部屋がいくつか並んでいた。廊下の突き当たりが窓になっていて、その右隣の部屋がやけに黒くなっていて気になったが、部屋を手前から一つ一つ見ていくことにした。部屋はそれぞれ相応に汚く、荒らされてもいた。扉自体無くなっている部屋もあった。部屋を見て周り、一番奥の右側の部屋まで来た。このとき、一瞬女の人の声のようなものが聞こえた気がした。そのまま部屋を覗くと、焼け焦げたように真っ黒になっていた。床も一部崩れていて、一番奥までは行けないようになっていた。ここで、部屋の隅に、他の部屋には無かった黒電話が置かれていることに気づいた。その時、ジリリ、と一瞬電話が鳴った。恐怖よりも興奮が勝ち、床が落ちないように慎重に近づいて、興味本位で受話器を耳に当ててみた。勿論電気も通っていなく、電話も繋がるはずがなかったが、誰かがぼそぼそと無機質に呟いているようなこもった音が聞こえたので、おーいと言ってみたら、しばらくしておーいと受話器から小さく返ってきて、その声は繰り返しながらだんだん大きくなって怖くなり受話器を投げたら、耳元でおーいと声がした。その瞬間、辺りの音が急に消えて静まり返った。何が起きたか分からずにびびって叫びながらすぐに部屋から出ようとしたが足がすくんで上手く動けずにいた。今思い返せば、本来なら聞こえるはずの、もがいている周囲の音や雑音すら聞こえていなかった。そのうちに駆けつけた石田が、部屋の入口から顔を出して俺を見つけるや否や、俺の後ろを指差して、何かを叫びながら後ろに足を滑らせた。何を言っているのかは分からなかった。すると、川上が走ってきて俺の肩を担ぎ、石田を立たせて、3人で必死で車まで走って逃げた。
"そんなことがあったんですね。耳が聞こえなくなったのはそれからですか"
僕はスマフォを林先輩の方に向けた。林先輩は頷きながら、そのままノートに応えた。
"翌日耳鼻科に行ったが、原因は分からないそうだ"
"石田は何を見たんでしょうか"
"わからない。廃墟を出た後は、川上がそれぞれの家に送ってくれて、その日はそのまま解散した"
林先輩は思い詰めたような表情で続けた。
"実は肝試しの翌日、大学終わりの石田が家に来て、少し話したんだ"
石田と授業中にコンテストの話をした日だ。
"何を話したんですか"
"内容自体は取り止めのない課題やレポートのことだったが、少し様子がおかしかった。まああんなことがあったからそうだろうけど、何というか普段の石田っぽくない、明後日の方向を向いているような無機質な雰囲気というか、とにかくいつもの石田じゃなかった"
見上げると、林先輩の顔は思ったよりも疲労が溜まっているように見えた。
"石田を部屋から送った後に、部屋に石田の鍵が置いてあることに気づいて、あいつが忘れていったのかわざと置いていったのかは分からないけど"
林先輩は、そう書きながらその鍵を机の引き出しから取り出し、テーブルの上に置いた。僕は意を決して聞いた。
"この鍵、お借りしてもいいですか"
"ああ。何の為に置いていったのかも分からなしい、俺が持っていてもしょうがないから、あいつに返してきてほしい"
"わかりました、お預かりします。林先輩もご自愛ください"
そのあと、少しばかりやりとりを交わし、礼を言い林先輩の家を出た。すぐに石田にメッセージを送った。
"今どこにいる?林先輩から石田の合鍵?受け取ったから、今から家行っていいか?"
すぐに既読がついた。ついたが、やはり返信は来ない。しかし既に決めていた。僕は石田の家に向かった。
石田のアパートの下まで着いた時には、既に日は暮れていた。一応確認はしたが、返信は来ていなかった。以前来たことがあり、部屋は分かっているので真っ先にそこへ向かった。
インターホンを鳴らすが応答はない。無いだろうと思っていた。実家に帰っている可能性もある。何かほかに返信できない事情があるのかも知れない。心の中で石田に詫びながらも勝手に鍵を使って中に入った。
前に来た時とほぼ何も変わっていない。玄関、廊下からワンルームまで、整理の行き届いてなさに石田の性格が顕著に現れていた。
やはり部屋に石田は居なかった。今どこで何をしているんだろう。もともとまめに返信するようなやつではなかったが、ここまで何も応答がないことも知り合ってから初めてだった。
窓際に置かれた机の上に、レポートのような物が1枚置かれているのに目が行った。近づいて手に取ると、それは破ったノートの1ページだった。切り抜かれた古い新聞記事の一部が貼られている。
"◯◯市の旅館で火災 従業員や宿泊客全員死亡"
客室の火の不始末からの火災により、逃げ遅れた従業員も宿泊客も全員死亡とある。なんで石田がこれを。
本人が不在でどうしようもなく、とにかくその記事をリュックに入れ、鍵を閉め家を出た。時間も遅くなってきたので家に帰り情報を整理することにした。
帰宅し、少し落ち着いたのでパソコンの前に座った。小説の投稿サイトを開き、今日あったことをまとめるように、文章を書き出した。石田にも色々と聞きたいことがあるが、どこにいるか分からず返信もない。それに石田の行方を心配する気持ちとは裏腹に、小説を書かなければという気持ちも強まっていた。