こんにちは。自分は都内で会社員をしている者です。最近マイホームを建てましたが、この家がどうにも変なのです。
先日、娘の三歳の誕生日の時でした。バースデーケーキの蝋燭を吹き消す娘を写真に収めようと、カメラを構えていると、おかしなものが見えたのです。
 女でした。白い女が窓に張りついて、ニタニタ笑いながら娘を指さしていました。ぎょっとして瞬きをすると、女は消えていました。

「おい、今、誰かいなかったか?」
 娘の斜め横に座っていた妻に、私は尋ねました。
「えぇっ?」
 妻は眉を顰めつつ、窓に目を向けました。

「誰もいないじゃない。変なこと言わないでよ。ほらパパ、写真撮って」

 妻がハッピーバースデートゥーユーと歌い終わるのと同時に娘がふっと息を吹き、オレンジ色の炎が揺れました。私は慌ててカメラを構え、シャッターを切りました。
「お誕生日おめでとー」
 妻が拍手しながら叫び、娘が嬉しそうに声を上げます。
 見間違いだったのか。私は首をひねりつつ、カメラから目を離しました。
 
 すると、いたのです。
 女がにゅうっと首を突き出して、娘を見つめていました。

「パパ、ケーキ切るから早く電気点けて」
「はやく、はやく」

 妻と娘に急かされ、私は電気を点けました。女は再びいなくなっていました。

 さっきのはなんだったんだろう。
 変質者だろうか。このあたりは治安がいいと聞いて引っ越してきたのに、早くもケチがついたようで、あまり気分はよくありませんでした。
 それでもその日は何事も無く終わり、娘の満足そうな笑顔を眺めながら眠りにつきました。翌朝、会社に行く頃には、見間違いだったのかもしれないと思うようになりました。


 ですが数日後、現像した写真を見て私は息を飲みました。女が写っていたのです。窓の向こうにぼんやりと佇み、娘をじっと見つめていました。

「おい、これ見てくれよ。変な女が写ってる」
「やだ、どれ?」

 顰め面で写真を覗きこんだ妻は、しばらく写真を眺め

「見間違いでしょ。庭の木や光の反射の加減でそんな風に見えるだけよ」

 と笑いました。心なしか顔が青褪めて見えました。
 妻は「話は終わり」とばかりに写真をさっさとしまいこみ、洗濯物の片づけを始めました。ですが私は、どうしても気になってしまいました。

 女はなぜ娘を見つめていたのか、一体何者なのか。

 新築の我が家に幽霊というのは考えにくい気がします。ですが写真の女は青白く半透明で、どう見ても生きている人間には見えません。
 意識したせいでしょうか。そのうち家の中で変な音を聞いたり、白い影を見たりするようになりました。シャワーを浴びていて背後から視線を感じる。誰もいない部屋や屋根から物音がする。押入れや部屋の戸がいつのまにか数センチ開いている。そんな小さなことでも続くと恐ろしく、私は家に帰るのが怖くなりました。
 真夜中に玄関をノックされ、見に行くと大きな黒い影がバンザイしていた時には、それこそ心臓が止まりそうでした。
 もっと怖いのは、妻も娘もそれらの怪現象にまったく気づいていなかったことです。妻なんて、屋根の上で誰かがドタバタと踊っているみたいな音がしているのに、気持ちよさそうに鼾をかいていました。
 正直、怖くて仕方がありませんでした。かといって、幽霊の対処方法など分かりませんし、買ったばかりのマイホームから引っ越すことも出来ません。今のところ家族には影響が無いのだからと、私はおかしな現象をすべて無視することにしました。

 とはいえ心は素直なもので、私はだんだん家に寄りつかなくなりました。
 遅くまで仕事に明け暮れ、終電を逃しては会社や職場近くのビジネスホテルに泊まり込むようになったのです。タクシーで家に帰るよりはそのほうが遥かに安上がりですから。ちょうど春に昇進したばかりで仕事も忙しく、今が踏ん張り所でした。
 妻や娘と顔を合わせる時間は自然と減りました。ですが、残業代が増えたからか専業主婦の妻は文句ひとつ言わず、黙々と家事と娘の世話をこなしていました。

「ねぇ、そんなに忙しいの?」

 時々はそんなふうに漏らしていましたが、私が「仕事だから」と言うとそれ以上は追及してきませんでした。

 ある日、職場に夜間清掃が入り退社せざるをえなくなった私は、久しぶりに定時から一時間ほどで会社を出ました。このまま飲みに行ってもいいのですが、さすがに罪悪感があり、真っ直ぐに帰宅しました。
 家に着いたのはちょうど夕食時で、空には一番星が出ていました。娘の誕生日の夜を思い出し、もしあの女を見てしまったらと、家に近づくにつれてドキドキしていました。
 俯いたまま家の門をくぐろうとした時でした。

「わぁぁあぁん」
 火のついたような泣き声が中から聞こえてきました。娘の声です。

「大丈夫か!」
 娘の名前を叫びながらリビングに飛び込んだ私は、唖然としました。口から血を流して泣いている娘を前に、妻が平然と缶ビールを飲んでいたのです。

「おい、何やってるんだよ。子供が泣いてるのに」
「あら、アナタお帰りなさい。今日は早いのね」
 声を荒げて缶ビールを取り上げた私に、妻は笑いかけました。

「お帰りじゃないだろ。何やってるんだよ」
「転んでぶつけただけよ。乳歯だから大丈夫。そのうち新しい歯が生えるわ」

 妻は虚ろに目を細め、唇の端を吊り上げました。娘が転んでちょっと擦りむいただけでも大騒ぎしていた彼女とは、まるで別人です。私は床に転がっている血だらけの歯を拾い、取りあえずポケットに入れました。
 それから、座り込んでいる娘を抱き上げ傷を確認しました。唇が切れ、とれた前歯の部分に黒い穴が開いていました。血も止まっていません。

「大丈夫、痛くない、痛くない」

 泣き止まない娘をあやしながら私は、娘の腕に針で刺したような傷がいくつもあることに気づきました。傷の周囲は赤く腫れあがっています。

「何だよ、これ! お前、一日中家にいて何やってんだよ」
「あぁ、それはムカデよ。私もよく噛まれるの。ほら」

 妻は嬉しそうに袖やスカートをまくりました。確かに娘と同じような傷跡があり、赤く腫れています。

「新築なのにどうしてこんなにムカデが出るのかしらねぇ。あはははっ」

 ほら見て。
 そう言いながら妻が、頭を揺らして近づいてきます。
 私は娘を抱いたまま、後ずさりしました。

「お前、どうかしてるよ」

「どうかしてるのはアナタよ。毎晩毎晩、遅くまで。どうせあの女といるんでしょ」
 妻がくわっと眼を剥き、吐き捨てました。

「あの女ってなんだよ。俺は仕事で」

「嘘吐き。毎日毎日、ピンポン、ピンポン。昼も夜もチャイムを鳴らして。アナタの好みがあんな頭のおかしい女だなんて思わなかった!」

 まったく心当たりがありませんでした。家を留守がちにしていたのは申し訳なかったですが、本当にずっと会社で仕事をしていたのです。

「なぁ、どうしちゃったんだよ」

「あんまり五月蠅いから、入れてあげたのよ。ほら○×▼§♯◎◎×ー」

 最後のほうは聞き取れませんでした。
 私は怖くなり、娘を抱いたまま廊下に飛び出しました。
 
 とにかく家を出なければ。

 都内は公共交通機関が発達していますが、こんな時ばかりは車が無いと不便です。口から血を流して泣いている娘を抱いて走っていたら、警察に通報されないだろうか。などと心配しながら、私は靴に足を突っ込みました。

「いたっ」

 足首に激痛が走り、思わず叫びました。見ると、ズボンの裾から大きなムカデが入り込んでいました。私は慌てて足を振りました。玄関のタイルに落ちたムカデは、カサカサとその場で動き回っていました。

「あああぁぁぁん」

 娘はまだ泣いています。私はわけが分からないまま家を出ました。
 とはいえ、様子のおかしい妻を一人にするのはやはり心配です。しばらく行った所で立ち止まり、我が家を振り返りました。

 庭に女がいました。窓に張りついて、妻のいるリビングを覗き込んでいます。女は笑っていました。目を飛び出さんばかりに見開いて、大きく避けた口には棘のような歯が無数に並んでいました。

「ひっ」
 
 思わず息を飲むと、女がバッと私を振り返りました。
 私は女に背を向け走りました。決して後ろは見ませんでした。ムカデに噛まれた激痛を堪えながら駅前でタクシーを拾い、車で四十分ほどの実家の住所を告げました。

 孫を連れてフラフラで帰った息子を、母は大層心配しました。母に娘と自分の手当てをしてもらいながら、私は妻とケンカしたとだけ言いました。父も母も不審そうにしていましたが、ただの夫婦ゲンカの一点張りで通し、後はだんまりを決め込みました。
 私は数日間、高熱を出して寝込みました。会社もしばらく休みました。でもあまり長くも休んではいられません。
 熱が引いて妻の元に帰ると、妻は何事も無かったかのように、私と娘を迎え入れました。

 あの白い女は何だったのでしょう。
 新築の家が呪われているなんて事はあるのでしょうか?

 分かりませんが、私はムカデの出る家に住み続けています。娘も妻ももちろん一緒です。
 妻は今でもときどき様子がおかしくなります。浮気を疑い不安定になっているだけなのか、何かに憑りつかれているのか。分からないことばかりです。