このあたりはな、怖い女神さんが出るって昔から言われとって「悪さをすると、山から神さんが連れにくるぞ」って、親が子供を脅かしたもんさ。
 連れられる先は山じゃない。真っ暗で、それは淋しくて恐ろしい場所やそうや。
 山の神さんはな、白いべべ着た髪の長い女神さんで、恐ろしげな顔をしとるんやって。
 わしの子供ん頃はまだ、●山があって注連縄もあった。でも、ふとした拍子に結界が弛んだり、田植えの時期になると、神さんが麓の村まで降りてきて悪さをするんさ。
 神さんは独りぼっちで山に閉じこめられとるから、きっと淋しいんやな。だから村の者は定期的に山にお供え物をして、神さんを慰める。
 初夏には女神さんに豊穣をお願いしつつ、淋しさを紛らせてもらおうと、皆が真っ白な着物を着て一晩中、盆踊りを踊る。神さんが混ざっても分からんよう、気味の悪い面をつけて、口もきかんと踊るんさ。
そりゃあ、静かで奇麗な祭りやった。面は恐ろしげやったけど、ゆらゆら、ゆらゆらと蛍の舞う中を白い袖が揺れるんは、本当に奇麗やった。
 
 わしもな、一度きりやけど神さんを見た。
 夕暮れ時にふざけて皆と山に入った時のことや。木々の間を白い影がガサガサ走り回ってな、円を描きながら、だんだん近づいてくる。小さな童なんかは怖くて泣きだしてしもうた。わしもまだ小さかったで、怖くて、怖くてな。震えあがったよ。
 あっちで音がしたと思うたら、今度は後ろで音がする。そうしている間にも、白い影はどんどん近づいてくる。このまま神さんに会ったらどうなるんか。想像するだけで気が遠うなった。
 いよいよ皆が焦り出した時、一人が服に縫いつけていた鈴の紐が切れて、リンリンと地面を転がった。一瞬、白い影が止まる。
 影は女の人やった。髪が長くて白い着物を着て、じっと鈴を見下ろしとった。

「走れ」

 いちばん体の大きな子が叫んで皆、一目散に駆け出してな。その後ろを猛然と、女が追いかけてくる。
 後はもう振り返らず、ひたすら山の麓まで走った。注連縄を過ぎたらようやく物音は止み、助かったのだと、わしはそっと後ろを振り返った。
 すぐに後悔した。女が青白い腕を伸ばして、じっとこちらを見とった。見とったいうても、真っ黒な瞳は、出鱈目なほうを向いとったけどな。
 尖った歯を覗かせて、女は笑った。笑いながら、おいでおいでと手招きしとった。
 
 なんとか家に帰ったけど、結界が無かったらどうなっとったやろな。わしはその日から三日ほど高熱を出して寝込んだ。以来、二度と山には近寄らんかった。

 今じゃ●山も町になってしもうて、神さんはどこに行ったんか。解き放たれたんやと、わしは思うとる。