「女は灰になるまで、女」という言葉があるように。
 母さんのBLに対する情熱は、枯れることはなかった。
 むしろ、年々その火が燃え上がって、周囲に飛び火することもある。

 だが時は2020年、最悪の年が始まった。
 新型のウイルスが世界中で大流行し、僕が住む日本でも緊急事態宣言が出された。
 そのため、不要不急の外出は禁止。
 父がこのウイルスでちょっとしたパニックに陥り、母さんはBL本を買いに行くことが出来なくなってしまった。

 別の話だが、母さんは若い時から知り合った女性の友達と交流する会がある。
 ”腐女子の会”と言って、(仮名)一年間に数度、女性陣だけで旅や食事を楽しむというものだ。
 しかし、緊急事態宣言も出され、家に閉じこもる人が激増。
 他にも年齢的な問題もあった。
 各々の子供たちに孫が生まれて、お世話することになり、会える回数が激減。

 腐女子の会は例のウイルスと共に、自然消滅してしまった。
 僕はこの時期、母さんはもうBLへの情熱も無くなっていくだろうと感じていた。
 しかし、そんなことは幻想である。と現実を突きつけられることになる。

 ~それから、約1年後~

 僕は”シン・劇場版の完結編”を観に映画館まで足を運んでいた。
 中学生の時とは違った角度で作品を鑑賞、見終わったあとは背伸びして余韻を楽しむ。
 すると、ジーパンのポケットから振動が伝わってきた。
 ポケットに入っていたスマホを取り出すと、母さんからだった。

「もしもし?」
『あ、幸太郎? あんた今、どこにいるの?』
「え……今、映画館だけど」
『そう。あのね、今わたし天神にいるんだけどね』

 それを聞いた僕は、大量の唾を吹き出す。
 確かこの時も緊急事態宣言中で、マスクや消毒液は欠かせない時期。
 政府からも不要不急の外出は、極力控えるように言われていた。
 つまり、それだけ夫でもある父から外出する際、理由を聞かれることが多かった。
 基本は病院か買い物以外、許されない。

 そんな時期に、人が多い天神にいるなんて。他の家庭では信じられないだろうが。
 我が家では父が絶対君主であり、その命令から背くことはできない。
 恐る恐る、天神へ来た理由を聞くと。

『え? なにしに天神へ来たかって? 包丁よ、包丁を研ぎに……』

「嘘だッ!」

 と声を大にして、叫びたかった。

 しかしここは、まだ映画館の中だ。
 施設を出てから、話を詳しく聞いてみる。

『それで、ついでに。”まん●らけ”へ行くのだけど、姉ちゃんが欲しがってた”鬼の刃”って何巻がいるのかしら?』
「……」

 僕はそれを聞いて、こっちが本当の目的だとピンときた。
 そうだ、父を騙すために包丁を研ぐというフェイク。
 本当は天神周辺の本屋を漁りまくるため、噓をついたのだろう。
 そこまでして、現地で調達したいのか? ネットでも良いだろうに……。

「母さん、あのさ。今、緊急事態宣言中でしょ? 不要不急の外出はどうなったの?」
『あのねっ! 私は包丁を研ぎに来たの! 不要ではありません!』

 しばらく、電話で親子ゲンカをしてしまったが。
 新型のウイルスでも、母さんが枯れることはなかった。

 僕はこの時ほど、強く思ったことはない。
 あの時、1997年8月の終わり。
 僕が「”やおい”ってなに?」と母さんに聞かなければ、違う人生だったのかもしれない。

  了