一人で家に帰り、龍神様からもらった逆鱗を小さな巾着袋に入れてみた。ちょうどよく収まったので、袋の紐を長い物にとりかえ首から下げてみる。
うん、学ランの内ポケットに入れておくよりも安定感がある。落とす心配がなくなりほっとする。
(思い出の品があるだけ、ありがたいわよね)
昨日と今日の二日間は決して夢ではなかったのだと、鱗を見るたび感じられるから。ふいに恋しさと寂しさが一緒にわいてくる。巾着から鱗をもう一度だして見ようと袋口を開いたときだった。
「お嬢様」
少し上向いた気分が急降下し、私は身構えた。男装し、兄様として暮らす私のことをお嬢様と呼ぶのは女中頭だけだからだ。お母様と一緒に冷めた瞳で私を睨む、いつだって私にとっては恐ろしい人。
「奥様がお呼びです」
それだけ告げて黙ってしまう。着いてこいという意味だろう。
いつも私のことなんていないように振る舞うのに、どうしたことだろう。何か怒られるとしか思えず、心の中に『嫌だ』が充満する。けれど逃げることなんて叶わない。
女中頭が向かった先は、思った通りお母様の部屋だった。予想外だったのは、お母様よりも上座にお祖父様がいたことだった。小さい頃にあったきりだけど、口元の豊かな髭が同じだから間違いない。そもそもこの家でお母様より上座へ座れる人なんてお祖父様しかいない。
「匡稀さんから聞きました。龍神様が見えるそうで」
私が座るのも待たずに、お母様は口を開いた。
「はい。龍降ろしの儀が終われば兄様は回復できると仰っていした。兄様の人格が消えることもないと」
「余計なことは言わなくてよろしい」
「……申し訳ありません」
三つ指をついて謝る私に、冷ややかな視線が刺さる。今日は二人分。部屋ぜんたいの重苦しい空気が背中を圧迫するようで、なかなか顔を上げられない。すると「龍神様の声が聞こえるだと? 儂も聞いたことがないというのに?」というお祖父様の低く唸るような声が聞こえた。
「は、はい。兄様の神力のおかげで」
頭を下げたまま答えつつ、私は混乱した。龍降ろしをしているお祖父様が、龍神様の声を聞いたことがないなんてありえるのだろうか。
「なぜ匡稀に龍神様が見えず、お前のみが見聞きできる。さてはお前、儂らを欺こうとしているな?」
「そんな! けれど確かに龍神様はいらっしゃいました」
「証明できるのか?」
「そうよ。龍神様がおわすというのなら、今はどこにいるのです。匡稀ほどでなくとも、お祖父様と私にも神力があるのよ。気配も感じないなんておかしいとは思わない?」
「それは……!」
さっきまでは、確かに一緒だった。でもあの花畑で別れてから、どんなに呼んでも龍神様は姿を見せてくれない。
(龍神様……!)
念じるけれど、なんの返事もない。これでは、私が妄言を吐いていると思われて当然だ。
「今は隠れてしまわれていますが……」
「もう黙りなさい。匡稀の苦しみもろくに癒せぬ者が意見するなど……恥を知りなさい!」
見上げたお母様の目に浮かんでいたのは、嫌悪と憎悪だ。どうしてこんなにも憎まれているのだろう。
「……なぜ、なぜそんなにも私に辛く当たるのですか。私も龍代の子ではないのですか!?」
お祖父様とお母様は顔を見合わせて嘆息した。
「お主のせいじゃ。お主が神力を押しつけたせいで匡稀は苦しみ続けているのだ」
「私の……せい?」
「龍代の嫁は代々双子を宿す。しかし生まれるのは一人だけ。この意味が分かるか?」
「……分かりません」
「赤子は多大な神力に耐えきれない。二人のうち一人が過剰分の神力を請け負って死ぬことで、残ったもう一人がちょうどいい塩梅の神力を持って生まれてくる」
初めて聞いた。それでは、まるで――
「私は……生まれないはずだった?」
お祖父様は深く頷き、お母様はこれみよがしにさっきより大きく息を吐いた。
「やっと理解できたかしら。本来なら私の腹から出る前に今世のお役目を終えるはずだったの。良かったわねぇ、綾紀なんて大層な名前をいただいて、成人まで育ててもらったのだもの。龍神様にもお会いできて、もう十分でしょう?」
お母様が女中頭を呼びつけた。汚いものでも見るかのように私に視線を投げ、手で払うような仕草をする。
「牢に入れて。龍降りろしの儀まで出してはなりません。そして龍降ろしの儀が終わったら、処分して頂戴」
「かしこまりました。」
「……お母様」
「帳尻を合わせる時がきたの。逆らわないことね」
体にうまく力が入らず、私は複数の使用人に連れられて部屋から出され、屋敷の隅にある座敷牢に閉じ込められた。
日の当たらないこの場所のように、私の心も黒く塗りつぶされていくようだ。
どんなに希望を抱いても、それは全て無駄だったのだ。お母様にとって私は予定外に生き残ってしまったいらない子で、兄様を苦しめる元凶でしかないのだから。
うん、学ランの内ポケットに入れておくよりも安定感がある。落とす心配がなくなりほっとする。
(思い出の品があるだけ、ありがたいわよね)
昨日と今日の二日間は決して夢ではなかったのだと、鱗を見るたび感じられるから。ふいに恋しさと寂しさが一緒にわいてくる。巾着から鱗をもう一度だして見ようと袋口を開いたときだった。
「お嬢様」
少し上向いた気分が急降下し、私は身構えた。男装し、兄様として暮らす私のことをお嬢様と呼ぶのは女中頭だけだからだ。お母様と一緒に冷めた瞳で私を睨む、いつだって私にとっては恐ろしい人。
「奥様がお呼びです」
それだけ告げて黙ってしまう。着いてこいという意味だろう。
いつも私のことなんていないように振る舞うのに、どうしたことだろう。何か怒られるとしか思えず、心の中に『嫌だ』が充満する。けれど逃げることなんて叶わない。
女中頭が向かった先は、思った通りお母様の部屋だった。予想外だったのは、お母様よりも上座にお祖父様がいたことだった。小さい頃にあったきりだけど、口元の豊かな髭が同じだから間違いない。そもそもこの家でお母様より上座へ座れる人なんてお祖父様しかいない。
「匡稀さんから聞きました。龍神様が見えるそうで」
私が座るのも待たずに、お母様は口を開いた。
「はい。龍降ろしの儀が終われば兄様は回復できると仰っていした。兄様の人格が消えることもないと」
「余計なことは言わなくてよろしい」
「……申し訳ありません」
三つ指をついて謝る私に、冷ややかな視線が刺さる。今日は二人分。部屋ぜんたいの重苦しい空気が背中を圧迫するようで、なかなか顔を上げられない。すると「龍神様の声が聞こえるだと? 儂も聞いたことがないというのに?」というお祖父様の低く唸るような声が聞こえた。
「は、はい。兄様の神力のおかげで」
頭を下げたまま答えつつ、私は混乱した。龍降ろしをしているお祖父様が、龍神様の声を聞いたことがないなんてありえるのだろうか。
「なぜ匡稀に龍神様が見えず、お前のみが見聞きできる。さてはお前、儂らを欺こうとしているな?」
「そんな! けれど確かに龍神様はいらっしゃいました」
「証明できるのか?」
「そうよ。龍神様がおわすというのなら、今はどこにいるのです。匡稀ほどでなくとも、お祖父様と私にも神力があるのよ。気配も感じないなんておかしいとは思わない?」
「それは……!」
さっきまでは、確かに一緒だった。でもあの花畑で別れてから、どんなに呼んでも龍神様は姿を見せてくれない。
(龍神様……!)
念じるけれど、なんの返事もない。これでは、私が妄言を吐いていると思われて当然だ。
「今は隠れてしまわれていますが……」
「もう黙りなさい。匡稀の苦しみもろくに癒せぬ者が意見するなど……恥を知りなさい!」
見上げたお母様の目に浮かんでいたのは、嫌悪と憎悪だ。どうしてこんなにも憎まれているのだろう。
「……なぜ、なぜそんなにも私に辛く当たるのですか。私も龍代の子ではないのですか!?」
お祖父様とお母様は顔を見合わせて嘆息した。
「お主のせいじゃ。お主が神力を押しつけたせいで匡稀は苦しみ続けているのだ」
「私の……せい?」
「龍代の嫁は代々双子を宿す。しかし生まれるのは一人だけ。この意味が分かるか?」
「……分かりません」
「赤子は多大な神力に耐えきれない。二人のうち一人が過剰分の神力を請け負って死ぬことで、残ったもう一人がちょうどいい塩梅の神力を持って生まれてくる」
初めて聞いた。それでは、まるで――
「私は……生まれないはずだった?」
お祖父様は深く頷き、お母様はこれみよがしにさっきより大きく息を吐いた。
「やっと理解できたかしら。本来なら私の腹から出る前に今世のお役目を終えるはずだったの。良かったわねぇ、綾紀なんて大層な名前をいただいて、成人まで育ててもらったのだもの。龍神様にもお会いできて、もう十分でしょう?」
お母様が女中頭を呼びつけた。汚いものでも見るかのように私に視線を投げ、手で払うような仕草をする。
「牢に入れて。龍降りろしの儀まで出してはなりません。そして龍降ろしの儀が終わったら、処分して頂戴」
「かしこまりました。」
「……お母様」
「帳尻を合わせる時がきたの。逆らわないことね」
体にうまく力が入らず、私は複数の使用人に連れられて部屋から出され、屋敷の隅にある座敷牢に閉じ込められた。
日の当たらないこの場所のように、私の心も黒く塗りつぶされていくようだ。
どんなに希望を抱いても、それは全て無駄だったのだ。お母様にとって私は予定外に生き残ってしまったいらない子で、兄様を苦しめる元凶でしかないのだから。


