最初、何を言われたのか分からなかった。
 その意味を理解する前にいよいよ日が暮れてきて、ガス灯と提灯だけでは頼りなく、視界が狭くなる。
 でも、だからだろうか。

 龍神様の体全体が淡く発光していた。くすみ一つない、新雪のような白さの体に銀と青の混じった光をまとい、厳かな雰囲気になる。

「龍神が嫁を娶るなんて史上初だぞ。光栄に思うがいい」
「え、でも……龍降ろしの儀が終わると、龍神様は兄様と一心同体になるのですよね?」
「そうだな。何か問題が?」

 問題しかありませんと答えたいのをグッと我慢した。それは……傍目には……いや私としても、近親婚でしかない。それはかなり抵抗がある。人間と神様とは倫理観が異なる可能性があるから否とは言いにくいけれど……あまり現実的ではない。

 兄様が回復したら、龍代家はすぐに婚約者を探すだろう。神力がありそうな家系、多産の家系……鞠子も例外でない。兄様の現状が寝たきりのため候補どまりだが、兄様が回復したら正式な婚約者になる可能性は高い。医師を志し父とともに神力の研究をする彼女は、兄様を支えるのに相応しいとお母様が太鼓判を押していた覚えがある。

 龍神様には申し訳ないけれど、何の取り柄もなく血の繋がる私は兄様……ひいては龍神様に嫁入りすることはできない。
 でも、なぜだか体がじんわりとあたたかくなってくる。胸に手を当てて考えて、そうかと思いいたった。

「私の胸のうちを聞いてくれて、気にかけてもらえたのは初めてです。ありがとうございます、龍神様」

 感謝が伝わるよう、精一杯の笑顔で声をかける。
 龍神様はしばし沈黙したあと「そうか」とだけ静かにつぶやいた。

「であれば相互理解が必要だな。よし、これから龍降ろしの儀まではお前に着いて行くぞ」
「え?」
「なんだその間抜け顔は。どうせ夫婦になるなら互いのことを知った方がいいだろう」

 どうしよう。きちんと無理だというのを説明すべきだろうか。

「私と兄様は血の繋がったきょうだいです。いくら龍神様のお導きでも、そんな二人が結婚となれば周囲の反対は大きいです。私自身もかなり抵抗がありますし」

 兄様のことは尊敬しているし好きだけど、結ばれたいかと言われたら首をふるしかない。けれど私の襟巻きに戻った龍神様は笑い飛ばすだけだった。

「なんだそんなこと。これでも神と呼ばれるものの端くれ。どうとでもなる。お主は大船に乗ったつもりでどーんと構えておけ」
「大船どころか……龍神様が私に乗っていましたが」
「はっはっは! たしかに。ま、一週間後になれば分かる」
「そうですか……」

 本当かなぁ。という気持ちが伝わったのか、目が合った龍神様がそのまま見つめてきた。金色の、お日様の光と同じ輝きが暗がりだからこそよく見える。見つめられるうち、何とかなるのかもと思えてくるから不思議だ。

「龍神様と話していると、私の心配が小さなものに思えてきます」
「いい傾向だ。お前は内に篭りがちなようだからな。もっとのびのびすればいい」

 龍降ろしのあと、兄様と私はどうなってしまうのか気になり不安を抱えていた。それが紛れるなら、龍神様の提案にのるのもいいかもしれない。

 一週間……その間を楽しんでもいいかな。神様が言うのだ。バチも当たらないだろう。

 すっかり暗くなった帰り道を急足で歩く。だけどちっとも怖くも心細くもない。提灯だけじゃなく、龍神様の光も一緒だから。

「龍神様の輝きは、星の光みたいですね」
「そうか?」
「はい。提灯やガス灯の黄色い灯りも優しくて好きですが、龍神様やお星様の、粒がきらめくような光も美しくて好きです」
「そうかそうか」

 歌うように声を弾ませてから龍神様の淡いきらめきが強くなり、チカチカと目にささってくる。

「ま、まぶしい! 龍神様……さすがに明るすぎます。前が白くて見えません」
「はっはっは! いやなに、俺らの相性は良さそうだと思ったら嬉しくなってな」

 すまんすまんと元の明るさに戻してくれる。気分によって光量にムラがでるのかと思ったけれど、そうではない。からかわれたのだと気づいて内心ムッとするけれど、ご機嫌な龍神様を見ていたら、すぐに心がほぐれていく。

「龍神様は……もっと大きくなったりするのですか」

 今のまぶしさから、絵巻物で描かれるような巨大で優美な龍の姿を連想した。

「なれる……というより、神力の量により見える姿が変わるという方が正しいか」
「じゃあ見る人によっては、私は今とてつもなく大きな襟巻き……むしろ龍神様に首を絞められているように見えるというのですか!?」
「あっはっは! 面白いな。さすがに今は調整している。お望みどおり試してみるか」
「ご遠慮させていただきます!」
「はは。可愛いやつだな、綾紀は」

 胸の鼓動が一気にはねた。可愛いと自分の名前が同時に出てくるなんて、初めての経験だ。

「龍神様……私の名前……」
「ん? 綾紀だろう? 知ってるぞ。俺はお前が考えるよりも長く生き、力もあるのでな」
「いえ、その、呼ばれるの慣れてなくて……か、可愛いとか言われるのも……」

 綾紀と呼ぶのは兄様と鞠子くらいだ。それも可愛いと揃いになった覚えはない。

「初心だな。ん、可愛い可愛い」
「からかわないで下さい!」
 
 龍神様の笑い声がまた夜に響く。
 帰りが遅くなり女中には小言を言われたけれど、私には全く響かなかった。
 帰り道の続きがずっと続いているように、私は今までで一番、胸を躍らせていたから。