「いいものみせてあげちゃおかな?」
 嫌な予感がしたので僕は断った。
「いいよ」
「遠慮しなくていいよ」
「別に」
「いいもの、見せてあげよっかな」
 人の話を聞いていないのか、彼女は同じことを二度言った。僕が断り続ける限り、ずっと同じセリフを言い続けるのだろう。やれやれ、仕方がないか。
「分かったよ、見せて」
 精いっぱいの笑顔で僕は言った。彼女は口唇の先を可愛い舌で舐めてから言った。
「ねえ、これ、似合う?」
 彼女はニッコリ笑った。僕の笑顔は凍りついた。
 赤く塗られた口唇の間に、黒いものが見えたからだ。
「何それ?」
「これ、お歯黒」
「おはぐろ?」
「昔の女の人が歯に付けていたのよ。それで、あたしもやってみたの」
 彼女は和風恋愛ファンタジーに嵌まっている。それで、お歯黒を塗ろうと思い立ったらしい。
 真っ黒な彼女の歯から目を背けて僕は尋ねた。
「歯に黒いものを塗るの? 何のために?」
「さあ、詳しくは知らないけど、エモいからじゃない?」
 違う、昔の人はエモーショナルなんて言葉、知らない。
 そんなことを言おうとした僕の唇を彼女はむんずとつかんだ。
「いたああ、な~にすんのあお」
 彼女は右手に持った筆を僕の顔に近づけた。
「今からね、君にもお歯黒してあげる」
「はあ?」
「昔のお公家さんや平家の公達はお歯黒していたそうよ。君はしもぶくれな平安美人風イケメンだから、お歯黒が似合うと思うんだ」
「それ、褒めてない。似合うとも思えない」
「武士も出陣前にはお歯黒していたみたい。桶狭間の戦いで討たれた今川義元も、お歯黒してたんだから、縁起がいいよ」
「逆にお歯黒、縁起がわるいだろ」
「やってみようよ! 絶対に素敵だって!」
 絶対にそんなことはない! と抵抗しようとする僕を彼女は情熱的だけど優しいお歯黒キッスで蕩けさせた。
「ああ、もうどうにでもして」
 そんな僕の白い歯に彼女は、こってりと鉄漿を塗った。鏡を僕に手渡す。
「どう?」
「……結構、いいね」
 そんな感じで僕らはお歯黒が気に入った。和風恋愛ファンタジー×お歯黒(鉄漿)は、思いのほか相性が良いから、お勧めするよ!