その晩、私は奇妙な夢を見た。

 私は周囲を木々に囲まれた社の前に立っていた。
神社にしては手水舎も鳥居もない。
背後を振り返ると、今にも落ちそうなボロボロの吊り橋があるだけで、それ以外は行き止まりだ。
周囲は山に囲まれているが、小さな孤島にいるような気分になる。

社は小屋ぐらいの大きさで、格子戸は開け放たれていた。
よく見ると、両開きの格子戸には真っ二つに破れた札がこびりついていた。

扉を閉めてみると、札があるべき姿に戻る。

それは、ぎょろりとした目玉の鬼と難しい文字が描かれた奇妙な札だった。

「気持ち悪いな」

 私は再び格子戸を開け放つ。

「おいで、おいで」

闇の中から誰かが呼ぶ声がした。鈴を転がすような、高く澄んだ声だった。
 ふらりと一歩中に入る。

井草の匂い、畳の感触。御朱印を集める趣味もお参りする信心深さもないので神社には詳しくないが、ふつう社の中は板張りで、畳は珍しいのではないか。

 一畳先には頑丈な鉄格子が待ち構えていた。

「牢屋、どうしてこんなところに?」

鉄格子の向こうには卓袱台や布団や鏡台があり、今でも誰かが生活しているかのようだ。

 牢屋の中にぼんやりと青白い人影が浮かんだ。
私は怖くて、思わず牢屋から顔を逸らした。誰かがいると勘違いしたのだ。

だけどすぐに鏡に自分の姿が映ったのだと思い当たり、ほっとする。

 苦笑しながらもう一度牢屋の中を見る。
今度は息が止まった。

 牢屋の中には女が座っていた。
金色の蝶々が舞う紅の着物を纏った、長い黒髪の女だった。

 どうしてこんな所に人が――

 震える足で何とか立っていた私を、女が見上げた。海のような青い瞳のとても綺麗な女だった。

「拾って」

 女が私の足元を指さしながら、鈴を転がすような声で言った。

 さっきまで気付かなかったが、私の足元には黒塗りの半月型の櫛が落ちていた。
拾い上げて手のひらに載せる。
 黒塗りの櫛には金色の蝶が描かれた。

「これって、真鈴が持ってた……」

 女が歯を見せてにいっと笑った。
私には女の整然とした白い歯が、酷く不気味な物に思えた。

「それはもう、アナタのもの」

 女がそう言った瞬間、櫛が黒い煙となった。その煙は細長い蛇のように天に向かって伸びあがり、弧を描いて私の胸の中に飛び込んできた。

「いやっ」

 ただ黒い煙が流れてきただけなのに戦慄を覚えた。

すでに自分の中に消えてしまった煙を振り払おうとでたらめに手を振り払う私に、女は言った。

「○×△■■〇×」

 心臓が凍えた。
真鈴が、歩美が受け取った手紙が脳裏に鮮明に甦る。

「ど、どうしてその言葉を―…」

 ぎょっとする私に、女は薄い笑みを浮かべる。

「アナタはもう、ワタシのもの」
「それって、どういうこと?」

 女の姿が闇に塗り潰されていく。
私は正体不明の恐怖に縛り付けられ、その場から一歩も動けなかった。