店を出ると、私と歩美は真凛に電話した。

「はい、もしもし」

 真凛と似ているけれど、知らない声が電話に出る。

「あの、誰ですか」
「あなたこそ誰かしら」
「真凛の友達です、涼花といいますが……」

「あら、真凛の友達ね。驚かせてごめんなさいね、真凛、電話に出られる状況じゃなくてね。かわりに私が出たのよ。私は真凛の母親です」

 真凛の母親が事情を教えてくれた。
真凛は月曜日の新井美奈襲撃事件の直後、病院に搬送されたそうだ。

 まさか心臓発作を起こしたのか。私は焦ったが、違った。
真凛が連れていかれたのは精神病棟だそうだ。今、入院しているらしい。

「話せる状況かわからないけど、見舞いは大丈夫よ」

真凛の母にそう言われたので、私と歩美はすぐさま真凛が入院している病院に向かった。


 そこは薄暗く、陰気くさい場所だった。

 白い壁、白い廊下、白いカーテン。
色も飾り気もない空間には清潔感はあるものの、発想力ゼロの人間が失敗して創った世界のように思えた。

 真凛の母親はパリッとスーツを着こなし、ウェーブのかかった髪をワンレンヘアにしたできるキャリアウーマン風のかっこいい女性だった。

「話ができるかわからないけど、入室許可はとっておいたわ」
「ありがとうございますぅ」
「すみません、いきなり押しかけたりして」
「いいのよ。友達が来てくれたほうが、あの子も嬉しいはずよ」

 母親がガラス窓のない頑丈そうなドアを開いた。その中の光景に私は息を飲む。

 狭い部屋の奥に置かれた棺桶みたいな小さいベッドに真凛は寝かされていた。
それも手足や腹をベルトで拘束された状態だ。

 真凛の母親が苦い顔で私たちを見る。

「大袈裟だって私も思ったわ。でも、違った。こうでもしないと、不味いのよ」

 何が不味いのか聞ける雰囲気ではなかった。
 私と歩美はそっと真凛の傍に寄り、話しかける。

「真凛、お見舞いにきたよ」
「真凛、話しできる?」

 真凛の虚ろな目はぼうっと天井を見ていた。
目を開けたまま寝ているのか、無反応だ。

「あの言葉の出典を見つけた。私と歩美でなんとかするからね」

 真凛の目がじろりと私と歩美を見た。

「あ……う、う」

 意味不明な言葉が真凛の口から零れる。

「なに、真凛」
「た、すけ、て。く……る、く」
「助けるよ、だから、安心して」

 私は真凛の手に触れた。彼女の手はひやりとして死者の手のようだった。

「あゆ、み。りょうか。ワ、ワタシは―…」

 真凛の目がはっと見開かれた。彼女は私の背後を見ていた。

 真凛がぐるんと白目を剥く。歯をカチカチ鳴らしてから、「ううううっ」と気味悪い呻き声を上げた。

真凛が突然大きく口をあけて、叫び声を上げる。

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅうぅっっ!」
「ま、真凛!」
「やだぁ、真凛、しっかりしてよ!」
「アハ、アハ、アハハハハハハハハハッ」

 けたたましい笑い声が響いた。真凛がベッドに寝転んだまま激しく首を左右に振る。
ガチャガチャと耳障りな音をたてて、真凛が手足を動かそうともがく。

「いやだわ、錯乱している。二人とも離れて、危ないわよ!」

 真凛の母親が壁の電話を使って医者を呼んだ。

駆けこんできたナースと医者がベッドの上で跳ね回る真凛の体を押え、腕に何かの薬品を注射する。
 真凛の笑い声がピタリと止まり、真凛はぐったりと目を閉じた。

「面会は当面のあいだ、控えたほうがいいかもしれませんね」

 眼鏡をかけた白衣の医者が静かにそう言った。




家に帰ると、母が怖い顔をして待ち構えていた。

「涼花、学校に行かずにどこにいっていたの?」
「あ、ごめん。ちょっと用事があって」
「学校はさぼっちゃいけないの、わかるわね」

 偉そうに説教する母親に私は無性に腹が立った。

「涼一はずっと、学校をさぼってるけどそれはいいの?」

 母親の顔が引き攣る。

二つ上の兄の涼一はもう長いこと不登校だ。
なんとか中学を卒業して偏差値の低い高校に入ったものの、一度も登校できなかった。
今年の六月、父の転勤に伴い東京にやってきて、心機一転新しく編入した高校に通いだしたが、それもたった数日しか続かなかった。

「涼一は、しょうがないの。涼一はいいのよ」
「あの人はよくて、私がたった一日休むのがだめなのはどうして?」
「言い訳しないの、涼花。とにかく、ちゃんとしなさい」

 話にならない。私は「はいはい」と返事して二階に上がった。

 その晩、私はまたあの奇妙な夢を見た。