ステンドグラスがお洒落なお店『黒猫の家』に私と歩美は京川乱子と一緒に入店した。

「まりえちゃん、今日は可愛いお客さん連れですね」

 紳士然としたカフェのマスターが柔らかく乱子に微笑む。

「まりえ?」

 私が思わず尋ね返すと、乱子は眉を八の字に下げて、小声で言った。

「京川乱子はペンネームだよ~。アタシの本名は清水まりえ。恥ずかしいから、本名で読んで欲しいな」

 はにかみながら、清水さんは私と歩美にメニューを差し出した。

「好きなの頼んで。創立記念日じゃないなら、サボって会いに来てくれたんでしょ。どうしてこの店を張ってたの? まさか、エスパーじゃないよね?」

 冗談なのか本気なのかわからず、私と歩美は顔を見合わせた。

「あの、プロフィールとか日記を見て、この店のステンドグラスが映ってる写真を何枚も見つけたんです。ここに来たら、会えるかなって思いまして」

 歩美が答えると、清水さんは肩を竦めた。

「な~んだ、そんな理由か。でもすごいね、名探偵さんだ」
「は、はあ、どうも」

 こののほほんとした女があの呪いの小説を書いたのか。とてもそうは思えない。

「あの、単刀直入に言います。赤い本、清水さんが書いたんですよね?」
「嬉しい~、読んでくれたんだね」
「あれを読むと呪われるって噂、知っていますか?」

「あ~、どっかのオカルト掲示板でそんな話題を見たかも。「○×△■■〇×」って言葉を知ると呪われるって言われてたね」

 私は「○×△■■〇×」という言葉を聞いただけで身震いした。
でも、清水さんは平然と口にしている。
そもそも作者が何事もなく生きているということは、あの本を読んだら呪われるだなんてデマだったのではないか。

 でも、それなら私と真凛に起きた怪奇現象はどうなるのか。
私も真凛もあの言葉を知っただけで呪われた。
紗千は赤い本の読者で、本が示唆する通りに母親を殺してから間もなく心臓発作で死んでいる。

「あの、清水さん。変な夢を、見ませんでしたか?」
「変な夢?」
「悟朗が会った幽霊、赤い着物に青い目の千姫という幽霊の夢とか」

「あ~それ、見たかも。でも、はっきり覚えていないの。出版社の仕事って忙しくって睡眠時間少なくてね~、寝て起きたら朝って感じなの。たまに夢を見てもほとんど覚えていない状態でね」

「私も歩美もあと、ここにいないけど真凛って子も同じ夢を見て。歩美は千姫の夢を見て以降は何も無いみたいだけど、私と真凛は本と同じように怪奇現象が身の回りで起きているんです」

 清水さんはぎょっと目を見開いた。

「え~、嘘。そんなことが起きているの?」

「はい。他の友達は赤い本を読んだあとで、母親を殺して心臓発作で亡くなって。偶然ならいいですけど、とても、偶然とは思えなくて」

 清水さんの顔色がさっと青褪めた。

 普通の大人なら子供が馬鹿なことを言っていると笑うか、叱るかのどちらかだろうが、彼女は真剣に私の話を聞いていた。

「その話、確かなの?」
「はい、嘘じゃないです」
「……アタシ、もしかしてヤバイことしちゃったかも」
「え?」

「本当はね、西園寺悟朗の『伝染鬼』を最初に読んでまとめたのは、アタシじゃないの」

「じゃあ、誰が?」
「アタシの友達の作家、森谷小夜子って人なの」

「じゃあどうして、清水さんが自分で書いたみたいにウェブ発表しているんですか?」
「小夜子、死んじゃったの」
「し、死んじゃったって、そんな!」

 歩美が真っ青な顏で叫んだ。
私は恐怖で言葉を失う。

「小夜子が死んで数日後、アタシが貸した『伝染鬼』と手紙が届いたの。手紙には『伝染鬼』の内容と自分の身に起きたことが書いてあったの」

「よ、読んだんですか?」

「うん。もともと、アタシが『伝染鬼』を読んで欲しいって頼んだわけだし、読まないのは無責任だと思って。それで読んで、あの赤い本として京川乱子の名前でウェブで発表したの」

「ど、どうしてそんな危ない本発表しちゃったんですか!」

 歩美が声を荒げて責めると、清水さんは眉根を寄せた。

「ごめんなさい。小説家だった小夜子の遺作になるし、それにアタシは読んでなんともなかったから大丈夫だと思って。歩美ちゃんも、怖いことは起きてないんでしょ?」

「あ、言われてみれば……」
「でも、涼花ちゃんは怖い目にあってるし、真凛ちゃんって子もだよね」
「はい。私も真凛も同じ体験をしています」
「う~ん、この差はなんだろうね」

 難しい顏で清水さんが考え込む。

「オカルト掲示板であの言葉が入った投稿だけ消されていたのも気になるし、被害者がいるなら、アタシにも責任があるよね。こうなったら『伝染鬼』を最初に所有していた人に確かめるしかないね」

「それは誰ですか?」
「東条先生だよ」
「東条先生?」

 首を捻る私に、歩美が言う。

「怪奇小説の大御所だよ、涼花。最近はあまり本が売れてないみたいだし、メディアに取り上げられなくなってるけど、昔はすごかったらしいよ~。アタシはあんまり東条先生の本、読んでないけど。あのヒトの作品、難しいんだよね~」

「歩美ちゃんはけっこうなオカルトマニアなんだね」
「ホラー好きなんですぅ」
「アポ、取ってみるよ。期待はしないで。連絡が取れたらすぐ知らせるから」
「お願いします」

 ランチを食べ終えると清水さんと連絡先を交換して私たちは店を後にした。