伝染鬼の内容を纏め、それを読んで自分の身に起きたことを、文章にしていく。
これはきっと最高のノンフィクション本になるだろう。

「○×△■■〇×」

 私の中から、鈴を転がすような美しい声が聞こえた。

 はじめ、その意味がわらかなかった。でも、今ならなんとなく分かる気がする。

 伝染鬼についての文章を打っていると、私を悩ませていた不快感と痒みが薄れた。
私は上機嫌でキーボードを叩く。

『この本を読む人間は心するがいい。読めば最期を迎えることとなる』

 伝染鬼のはじめに書いてあった、あの言葉は本当だった。
 でも、友達の大川を守って死んだ悟朗が、どうして読んだら呪われるような本を残すのだろうか。

 悟朗が伝染鬼を書き記したのは、自分の身に起こったことを知ってもらうのと、鬼形村の危険を知ってもらうためだ。
誰かを呪うためじゃない、むしろ自分の名誉と遊び半分に心霊スポットを訪れる人を守るためにこの作品を遺したはずだ。

 なにかがおかしい。

 私は文章を保存すると紙袋にしまった赤い本を再び手にとり、伝染鬼をパラパラと読みなおす。

 数時間かけて一通り目を通したが、この本を遺した悟朗の意図は見えてこない。
 私はもう一度、最初の忠告に目を通した。

 そして、気付いた。

『この本を読む人間は心するがいい。読めば最期を迎えることとなる』

 この一文だけ、字の大きさも筆跡も異なっている。
よく見ると、むりやり最初の余白にねじ込んだような書かれ方だ。

 本を閉じる。赤い表紙に書かれたタイトル、伝染鬼という字は、よく見ると一文目と筆跡が同じように見えた。

 再びパソコンを立ち上げ、私は西園寺悟朗という名前をネットで検索した。

 ヒットの下の方に、目的の作家の西園寺悟朗が出てきた。

 西園寺悟朗。一九四二年生まれ、没年一九七四年。怪奇小説『雨幽霊』で小説家としてデビュー。
自宅で首を切って死んでいるのを友人に発見された。

 この友人がきっと、記者の大川だろう。

 今度は記者、大川と検索バーに打ち込んで調べてみるが、さすがに何のヒットもなかった。
大川が悟朗亡きあと、どういう経緯で『伝染鬼』というタイトルで悟朗の体験談を一冊の本に纏めたのか、大川はその後どうなったかわからない。

 でも、予想はできる。

 きっと、大川は悟朗の遺志を継いで、悟朗の書いた体験談を読んだ。
そして、呪われてしまったのだ。

 心霊スポットに足を運んだ悟朗が呪われるのはわかるが、その体験談を読んだだけで呪われるなんて、どうなっているのだろう。呪いの根源はどこにある。

「○×△■■〇×」

不意に、千姫と思われる鈴を転がすような声が告げた呪いの言葉が頭に浮かんだ。

ああ、きっとそうだ。この「○×△■■〇×」という言葉を知ったら、呪われてしまうんだ。

今さらわかったところで、私は助からない。

だったら、やることは一つだけだ。私はパソコンと向かい合った。
伝染鬼の内容と、私の身に起きたことを事細かに文章にまとめる。
これが終わったら、旅に出よう。

まりえへの贈り物を投函して、お気に入りの刺身包丁を持って出かけるのだ。

私の身にふりかかった不幸は消え去った。
今となっては、ただただ、その日が来るのが楽しみだ。

私は解放される。すべての苦しみから、解放されるのだ。