「小夜子、ねえ、小夜子ってば!」

 まりえの可愛らしい声が私を呼ぶ。
いつの間にか、部屋の明かりが元通りちゃんと点っていた。

 私の顔を覗きこむまりえの顔は綺麗なままだ。

「は?」

 間抜けな呟き声を漏らした私を、小夜子が心配そうに見つめる。

「小夜子、大丈夫?」
「なん、で」
「急に突っ伏して寝ちゃったから。寝不足なの? そういえば顔色悪いね」

「大丈夫、大丈夫よ」

 いや、大丈夫じゃない。まりえと話している最中にいきなり寝るなんて、しかもあんな恐ろしい夢を見るなんて、あり得ない。
 ムズムズする痒みに襲われ、私は手首を掻き毟った。

「えっ。小夜子、その手首どうしたの?」

 引き攣った顔でまりえが私の手首を指さす。

醜いみみずばれ、引っ掻き痕が残った手首を、私は袖でさっと隠した。

「なんでもないのよ。洗剤をかえたら、かぶれてしまって」
「敏感肌だもんね、小夜子。気を付けた方がいいよ」
「ええ、そうするわ」
「さて、仕事が立て込んでるし、アタシはそろそろお暇するね」
「そうね」

 まりえはチーズケーキのフィルムとエクレアの包を拾い上げると、ケーキの箱が入っていた空の紙袋に入れて持ち帰った。完璧すぎるまりえに、また憎しみが込み上げた。

 作家と編集者。私のほうが成功していたのに、いつからまりえに見下されるようになったのだろう。

「じゃあね」

 またね、という言葉無い。いつもは「またね」と言って別れるのに。それがまりえからの答えなのだろう。
ドアが閉まると、私は玄関にへたりこんだ。

私はどうしてしまったのだろう。もはや、狂っている。
絶望の檻に取り残された、そんな気がした。

悟朗はどうなったのだろう。友達の大川を殺したのか、それとも自殺したのか。何事もなく生きている可能性だってある。

「読まないと、本の続き、知らないと」

 私は赤い本を手に取った。