玄関のチャイムがなる。
新聞をとっていないし、ネット通販もしない、出前を注文することもない私にとって、久しぶりの客だ。

 ドアを開けると、まりえがぎょっとした顏で固まった。

気にせず、私は愛想よく笑う。

「いらっしゃい、まりえ」
「あ、うん。おじゃまします……」

強ばった笑顔でまりえが家に上がった。

まりえを荒れたリビングに通して、コーヒーを淹れる。

「あの、小夜子。忙しいのにごめんね」
「いいのよ、まりえほど忙しいわけじゃないわ」
「またまた~、小夜子だって忙しいでしょ。あ、これ。一緒に食べよ」

 まりえがケーキの箱を差し出した。銀座にある高級なパティスリーの箱だ。
開いてみると、一口サイズの窯焼きチーズケーキとエクレアが四個ずつ入っていた。

「ありがとう、まりえ」
「どういたしまして」

 まりえがきょろきょろと周囲を見回す。
散らかった部屋が気になるのだろう。
以前の私ならば、こんな汚い状態の部屋に来客を通したりしなかった。
仮に通したなら、散らかっていることへの言い訳をしていただろう。

 何も言わずに平然とチーズケーキを食べはじめた私に、まりえは困惑した表情を浮かべていた。

「えっと~、伝染鬼はどう? 怖い話なの?」

「ああ、あれね。平たく言うと、悟朗という作家がある村を訪れた時の怪奇現象をまとめた話よ」
「へ~、そうだったんだ。ある村って?」
「M県の鬼形村、地図に載ってない危険な村よ」
「犬鳴村みたいだね」
「そうね」
「本、書けそう?」

 まりえの問いには答えなかった。

怪訝な顔をする彼女の顔面に、刺身包丁を突き刺してやりたい衝動が沸き起こる。

 黙り込んだ私を気遣うようにまりえが世間話をはじめる。
担当編集として、なんとか作家に書物を書かせようと、あの手この手でご機嫌取りをしているのだろう。
まずはこちらの気分を盛り上げようと、自分の仕事の失敗を面白おかしく語っている。

 洗い物の出ない気の利いた手土産、気の利いた話術。
今さらながら、私はまりえの編集者としての如才なさを実感する。

 才能ある友達への誇らしさや喜びはない、ただただ、憎い。

 すうっと意識が遠くに去っていく。まりえの話にふわふわした相槌をしながら、私は別のことを考えていた。

 まずはあの大きな愛らしい目を潰してやろうか。
研ぎたての刺身包丁の先端が、ぷちゅりと眼球を潰す。脳まで達する傷はつけないようにしないと。
ゆっくりと恐怖を味わいながら、じわじわと死んでいってほしいから。

 片目を潰したら、今度は足の腱だ。逃げられないように、両足の腱を切ってやる。
地面にみっともなく這いつくばったら、今度は指だ。
美しく整えられ、ネイルで飾られたあの指を全部切り落としてやろう。

 パカパカと、天井の電気が明滅する。

「小夜子。電気、故障してるの?」

 まりえが阿保面で天井を見上げる。
 ふっと、電気が消えた。

「○×△■■〇×」

暗闇の中、誰かがそう囁いた。同時に、私の意識は一瞬途絶えた。

 気付いたら、手の中に刺身包丁が収まっていた。銀色の長い刃が薄闇の中でぎらりと閃く。こんなもの、いつの間に取に行ったのだろう。

 そんなことはどうでもいい、やらなければ。

 私はまりえに襲いかかった。暗いというのに、まりえの姿だけが異様にはっきりと見えていた。
シミュレーション通り、まりえの左目を刺身包丁で突き刺す。

「いぎゃぁっ」

 まりえが醜い声で叫んだ。

「あはははははっ」
 私はけたたましい笑い声を上げながら、まりえのふくよかな胸を突き刺した。

足の腱を切ってやるつもりだったのに、ミスった。まあ、いっか。

 地面に仰向けに倒れたまりえの手首を踏みつけ、指を刺身包丁でザクザクと刻み落としていく。

「いやぁっ、いたい、やめてぇ、お願い、やめてぇぇぇっ」

 鼻水と涙を流しながらまりえが泣き叫ぶ。キュートな顔が台無しの不細工面、最高の顔だ。もっと、もっと泣き叫べ。

 生きたまま、まりえをバラバラに解体していく。
彼女の悲鳴は心地よい音楽となって、私の中のノイズを消し去っていく。
ここ最近感じていた不快感や痒みが去り、脳天を貫くような快楽が私の中を駆け巡る。
壮大な解放感に全身が震えた。