このままでは紫呉が人殺しになってしまう。
 しかも紫呉がそれを自分のためにしていると思うと、凛は到底容認できることではなかった。
 父は自分の力を、『大切な人を守る力だ』と言ったが、それは殺す力という意味ではないはずだ。父も、紫呉に鬼神の力で丹造を殺すことなど望んでいないに違いない。
 凛は持てる力全てを振り絞り、なんとか体を起こすと、力の限りに叫んだ。

 「駄目です!」
 凛の言葉に紫呉は少しだけ振り返って怪訝な顔で凛を見る。
 その目を見つめながら凛は必死に訴えた。
 「私のために、罪を犯さないでください。……こんな男と同じ罪を犯す必要なんてありません」
 途切れ途切れに伝える凛の言葉を聞いて、紫呉は殺気を収めると、渦巻いていた炎も消えてなくなった。
 同時に紫呉の姿もまた、普通の人間の姿に戻っていた。

 「凛の頼みだ。生かしてはおいてやる」
 苦虫を噛み潰したような表情をして紫呉はそう言い放つと、紫呉の力で首を絞められていた丹造の体は糸が切れた操り人形のように、その場にがくんと力なく座り込んだ。
 そしてけほけほと咳をして、荒い息をした。
 その様子を紫呉は凍てつくような冷たい目で見ながら、丹造に近づいて行き、視線を合わせるように丹造の顔を覗き見た。
 「だが、報いは受けてもらうぞ」
 鋭い口調でそう言った紫呉の目が金色に妖しく光った。

 「ぎゃああああああああああ」
 その目を見た丹造が息を呑んだかと思うと蔵の中に響くほどの絶叫を上げたので、凛は驚いて肩を震わせた。
 叫び声をあげた丹造が、白目を剥き、天井を見つめた。
 口から泡を吐いている。
 何が起こったか理解できずにいると、紫呉は凛の表情からその疑問を読み取ったのか、淡々と答えた。

 「もう、こいつは廃人だ。まともに生きることは不可能だろう」

 確かに命は奪われなかった。だが、命はあっても人として生きることができないのなら、もう死んだも同然だ。
 本来ならばなんて酷いことをするのだと言うべきなのかもしれない。
 だが凛は到底そう思えなかった。
 やはり口では人を殺してほしくないなどと綺麗事を言っても、本音では両親を殺した報いを受けてほしかった。

 「凛、大丈夫か? すぐに病院に行こう」

 凛に駆け寄った紫呉は、心配そうに眉根を顰めた顔でそう言って凛の体を支えた。
 抱き上げようとした紫呉の手を止めたので、紫呉が困惑の表情で凛を見た。

 「凛?」
 「紫呉様に伝えたいことがあります」

 いつになく真剣な面持ちの凛に、紫呉も見つめ返し、その言葉を待った。
 凛は緊張から一呼吸して、ゆっくりと口を開いた。

 「分不相応なのは分かっています。屋敷を出て行けと言われれば出て行きます。……紫呉様、好きです。側にいることを許していただけないでしょうか?」
 困らせることは分かっていた。でも……伝えたかったのだ。

 自分の気持ちを言わずに後悔したくなかった。
 紫呉はすぐには答えなかった。ただ、表情を緩めると、目を細めて凛を見た。
 そして紫呉は懐から取り出したのは、凛の銀細工の簪だった。

 「どうしてこれを?」
 「君が誘拐された場所に落ちていた。簪の記憶を、視てもらえるだろうか?」

 何故なのだろうかと思いつつ、凛は紫呉の言葉に従って簪の記憶を垣間見た。
 それは銀座からの帰りだろうか。
 疲れた凛が車の中で紫呉にもたれかかるようにして寝ていた。
 そんな凛の寝顔を愛おし気に紫呉が見ている。そして凛の髪に刺してある銀細工の簪に触れながら優しく囁いた。

 『凛、愛してる。何があっても離さない』

 その言葉を聞いた瞬間、凛はハッと我に返ると、目を見開いて紫呉を見た。
 今の言葉は自分の妄想だろうか。
 ドキドキと鼓動が鳴り、顔が火照っていくのを感じた。

 「俺の気持ちが視えたな」
 「……はい」

 紫呉の言葉で凛は先ほどの記憶が嘘ではないのだと確信し、嬉しさのあまり泣きそうになりながら微笑んだ。
 そんな凛を蕩けるほど甘い瞳で見つめた紫呉は、湧き上がる熱い思いを伝えるように口づけるのだった。