終業後にチェックした某SNSのDMに溜め息をついたのは、昨年の六月十九日だった。梅雨の真っ最中にありながらよく晴れて、珍しいこともある(鳥取の梅雨はほぼ晴れない。そもそも年間快晴日数が一ヶ月もない)と思っていたら、いやな方で滅多に起きないことが起きてしまった。殺害予告である。
不起訴になったのといろいろあって本物を公開しても問題はないと思うが、念の為に私が作成した画像にしておく。雰囲気は残して、文言も変えてある。
DMには私への殺害予告とともに、二枚の画像が張りつけられていた。一枚は、私の実家だった住宅だ。つまりこれを送った相手は、「魚崎依知子」が誰なのかを知っている。そしてもう一枚は、鳥取行の切符(実際の画像では切符入れに入っていて「◯◯→鳥取」のところしか見えなかった)とともに写されたナイフとロープ。殺害が脅しではない証拠だろう。
ただ私がそこまで震え上がらなかったのは、相手に心当たりがあったからだ。
その心当たりとは、十年前にも殺害予告を私に送りつけて逮捕され、示談で五十万を払った男、元彼である。仮に、「梅中雨夫」としておく。
今回の殺害予告DMは十年前と文言がほぼ同じ、画像もよく似ていた。違うのは、私のアカウントと住宅の住人である。
実家は数年前に売却済で、今は全く関係のない人達が住んでいた。前回は「ムカついたから脅しただけで実際には行くつもりすらなかった」と弁明したが、今回も同じとは限らない。前回と同じく◯◯(梅中の実家がある土地)にいるのなら、鳥取にはまだ着いていないはずだ。
現在の住民に迷惑を掛けないためにも、すぐ警察へ向かうことにした。
警察に行く前に一応、単身赴任中の夫に連絡をしておいた。
返信ではなく、電話がかかってきた。十年前と同じ人かもしれない、と話すと、ここには書けないことを言っていた。物騒である。
警察署に着いて、受付でDMを見せつつ事情を大まかに説明。待たされることしばらく、奥から刑事が二人出てきた。元実家の場所には早速パトカーを送ってくれたので、一安心して奥で詳しい話をすることにした。
「一応、十年前の資料もあるんですけど、我々は関わるのが初めてなので聞かせてもらえますかね」
刑事は三十代くらいの安田(仮名)と四十代後半くらいの岩木(仮名)で、切り出したのは岩木だった。前回対応してくれた刑事がどう残しているかは分からなかったが、ひとまず全てを話すことにした。
梅中との因縁は、二十年以上前まで遡る。梅中は、大学入学後に初めて付き合った三つ上の先輩だった。ひょろっとして背が高く、中性的な顔立ちで大人びた雰囲気があった。コムデギャルソンやヨウジヤマモトがよく似合っていて、見る度に「鳥取にいたら目立つだろうな」と思っていた。
梅中はいつも誰かと遊びに行ったり飲みに行ったりしている社交的なタイプで、私とは正反対だった。田舎者で秀でたところのない私の、どこを気に入ったのか。まあ蓼食う虫も好き好きと言うし、と当時の私は気楽なものだった。
梅中は外に出掛けるのが好きで、買い物だの外食だのによく私を連れ出した。私はまるで違う世界線で生きていたから、最初はただ全てが新鮮で面白かった。鳥取に行ってみたい、と言うので付き合って一ヶ月くらいの頃に実家にも連れて帰った。ど田舎すぎて驚いていたが、「トトロがいそう」だとあちこちの写真を撮っていた。
最初は、まるで問題のない付き合いだった。ただ数ヶ月経つ頃、梅中が妙な行動を取るようになった。
会計の雰囲気になると、トイレだの電話だの理由をつけて姿を消すのだ。そして、私が会計を終えた頃に戻って来る。最初は特に気にせず払っていたが、目に見えて増えてきたので「この人、本当は貧乏なんだな」「貧乏なのがバレないようにおしゃれしてるんだな」と憐れむようになっていた(「ケチな人」は知識として知っていたが実際に出会ったことがなかったので、梅中がそれだと分からなかった)。
ただ梅中が貧乏なのは構わないとしても、「集る」行為には問題がある。当時の私は、「もしかしたら梅中はそれを理解していないのかもしれない」と危惧した。そしてある日、指摘したのだ。
――貧乏なのは事情があるから仕方ないことだけど、人に集るのは良くないことなんだよ。
結果、梅中がブチ切れたのである(さもありなん)。私の純粋な憐みがプライドを傷つけたのだろう。ひどく罵倒されて、そこで付き合いは終わった。はずだった。
「その次が、約十年前の一件です」
「えっ、間に何もなしですか」
話を繋げようとした私に、安田が驚いて口を挟む。まあそう言いたくなるのも無理はない。別れたあと、梅中はなぜか自爆してほどなく部活を辞めた。それから十年以上、全く関わりがなかったのだ。
「はい。何もなかったので、犯人の心当たりを尋ねられた時も梅中は挙がってこなかったんですよね」
「まあ、そうですよねえ」
岩木は納得したように頷きながら、十年前のものらしい資料をめくる。
「書籍を出版されたのがきっかけ、てことは、作家さんですか」
「作家と呼べるほどコンスタントに出してはないんですが、まあ、一応はそうですね」
苦笑して答え、改めて話を続けることにした。
私は十年ほど前、「魚崎依知子」とは違う筆名で受賞し本を出版している。その時はSNSで報告するほか家族や友人にも報告して、祝ってもらった。梅中は、その友人の一人から私の受賞を知ったらしい。
当時の梅中はその業界では名前を知らない人がいないような企業に勤めていて、立派な肩書もついていた。それなのに、昔ちょっとだけ付き合った相手の成功を許せず道を踏み外すのだから、恨みというのは本当に恐ろしい。
ともかく梅中は、一時の激流に飲まれて殺害予告を含んだDMを私に送りつけてしまったのである。まだ暑い九月上旬土曜日の、真昼だった。
再掲だが、内容的にはほぼ同じ
当時、私はもう結婚して実家を出ていたが、まだ家族が住んでいた。真っ青になってすぐ実家と単身赴任中の夫に連絡し、110番に通報した。その時もすぐにパトカーを送ってもらえて、一安心したのを覚えている。
一方で私は警察署へ出向き、警察官にいろいろと話を聞かれた。
犯人の心当たりを尋ねられたが、全く覚えがなかった。ただ何もしていないようでも、恨みはどこかで買っているものだ。だから「知らないところで恨みを買っている可能性はある」と答えた。その後も似たような質問に何度も答え続け、ようやく解放された時には、夜九時を過ぎていた。
帰宅したら単身赴任先から夫が戻ってきていて、万が一に備えてゴルフクラブを準備していた。目がギラついていて大変に物騒だった。
警察が捜査してくれたおかげで、年末には相手が梅中だと割れた。梅中は実家のある◯◯で逮捕され、数日後には鳥取へと移送されてきた。ただそれより早く梅中の弁護士が示談を求めて連絡をしてきた。父親が私選弁護人を雇ったらしい。
私は何がなんでも厳罰を望みたいわけではなかったし、追い詰めたら余計に恨まれそうで怖かったので、示談の席に着くことにした。
そしてその席で改めて、私が本を出版したと聞いて妬んで犯行に及んだことを知った。ちなみに、別れた時の一悶着は関係ないと否定した。単純に私の成功が羨ましくて恨んだのだと、最後まで言い続けた。
当時の示談書。甲が魚崎、乙が梅中(念の為に書いておくと、守秘義務条項は入れていない)。
示談金は五十万、梅中の年収の約十五分の一だった。その気になれば多分もう少し取れただろうが、金が欲しくて示談に応じたわけではないし、恨みも買いたくなかった。五十万は迷惑料として親に渡して終わった。梅中は、しばらくして不起訴となった。
「それで、実は今回も似たような状況なんです。先月受賞して、たぶんまた本が出せることになりまして」
「ってことは、梅中がまたそれを知って妬んで、って可能性があるってことですか」
岩木は資料を置きながら、溜め息交じりに返した。
「はい。その一件で筆名を変えましたが、変更を知っている人達はいます。梅中も、どうにかして知ったんじゃないでしょうか。何より今回届いたDMが、十年前と変わらない文面と画像ですし」
「気づいてほしくて仕方ない感じですよね」
安田の言葉に頷いたとき、再びSNSにDMが届いた。
再現画像だが、概ねこんな感じだった。
添付された画像は、実家の門を入ったところだった。こちらも昔撮影した画像を利用しているのかもしれないが、分からない。岩木達に見せると、安田は眉を顰めてすぐ部屋を出て行った。
「一台行かせてますから。大丈夫ですよ」
岩木は私を安心させるためか、事もないように言った。こういう時は、ベテランが言う方が説得力がある。まだ大丈夫かどうかは分からないが、おかげで少しだけ落ち着いた。
結局、元実家付近では梅中も不審者も見つからなかった。
警察署を出て夫に連絡すると、明日の午前中で仕事を切り上げて戻ってくると言う。発信者が開示されるまでは動きがないから大丈夫だと返したら不機嫌になったので、戻ってきてもらうことにした。
家に着いたら、もう九時を過ぎていた。お腹を空かせていた老犬達に急いで餌をやり、自分はお茶漬けで済ます。疲れ切っていて頭が回らないのは良かったが、心身ともに疲弊しきっていた。とにかく、早く寝たかった。
しっかり戸締まりをしたあと風呂に入り、癒やしのために犬達を抱いて寝た。そして、夢を見た。
突然だが、「普段の生活では一度も会ったことがないのに夢にはよく出てくる人」がいないだろうか。私は、一人いた。
見た目は30代半ばくらいの男性で、垂れ目の穏やかな人だ。髪はこざっぱりとした七三で、大抵いつもシャツにスラックス、みたいな格好をしている。
私は二十代の頃から、この人に夢でいろいろなことを教わっていた(だからここでは「先生」としておく)。ただ夢の中では「わあそうなんだ、覚えとこ」となるのだが、起きるとその内容はきれいに忘れてしまっている。何かを教えられていたことしか覚えていない。まあ夢なんてそんなものだから仕方ないのだろうと思っていたが、その夜は違っていた。
いつものように夢に出てきた先生が、少し困った顔で「良くないことになったね」と言った。夢の中の私は梅中のことなんてすっかり忘れていたから、先生がなんのことを言っているのか全く分かっていなかった。
そんな私に、先生は「このままだと大変なことになるから、明日からしばらくこれから言うことをしなさい」と、三つのことを言いつけた。
・朝起きたら玄関から外に出て北へ向かい、枝や棒を使って線を引きながら母屋の周りをぐるりと回る(草があるところは撫でるだけで構わない)。
・■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
・■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※11/29追記。↑原稿ではここに三つあるのですが、下の二つは掲載したままだとエラーが出るようで掲載できないので、黒塗りしました。怖い内容ではありません。
それを聞きながら「そんなこと言われても多分覚えてない」と思っていたが、実際のところは一年以上経つ今もしっかり覚えている。覚えるべきことは、ちゃんと残されるようになっているのだと夢の不思議を実感した。
不起訴になったのといろいろあって本物を公開しても問題はないと思うが、念の為に私が作成した画像にしておく。雰囲気は残して、文言も変えてある。
DMには私への殺害予告とともに、二枚の画像が張りつけられていた。一枚は、私の実家だった住宅だ。つまりこれを送った相手は、「魚崎依知子」が誰なのかを知っている。そしてもう一枚は、鳥取行の切符(実際の画像では切符入れに入っていて「◯◯→鳥取」のところしか見えなかった)とともに写されたナイフとロープ。殺害が脅しではない証拠だろう。
ただ私がそこまで震え上がらなかったのは、相手に心当たりがあったからだ。
その心当たりとは、十年前にも殺害予告を私に送りつけて逮捕され、示談で五十万を払った男、元彼である。仮に、「梅中雨夫」としておく。
今回の殺害予告DMは十年前と文言がほぼ同じ、画像もよく似ていた。違うのは、私のアカウントと住宅の住人である。
実家は数年前に売却済で、今は全く関係のない人達が住んでいた。前回は「ムカついたから脅しただけで実際には行くつもりすらなかった」と弁明したが、今回も同じとは限らない。前回と同じく◯◯(梅中の実家がある土地)にいるのなら、鳥取にはまだ着いていないはずだ。
現在の住民に迷惑を掛けないためにも、すぐ警察へ向かうことにした。
警察に行く前に一応、単身赴任中の夫に連絡をしておいた。
返信ではなく、電話がかかってきた。十年前と同じ人かもしれない、と話すと、ここには書けないことを言っていた。物騒である。
警察署に着いて、受付でDMを見せつつ事情を大まかに説明。待たされることしばらく、奥から刑事が二人出てきた。元実家の場所には早速パトカーを送ってくれたので、一安心して奥で詳しい話をすることにした。
「一応、十年前の資料もあるんですけど、我々は関わるのが初めてなので聞かせてもらえますかね」
刑事は三十代くらいの安田(仮名)と四十代後半くらいの岩木(仮名)で、切り出したのは岩木だった。前回対応してくれた刑事がどう残しているかは分からなかったが、ひとまず全てを話すことにした。
梅中との因縁は、二十年以上前まで遡る。梅中は、大学入学後に初めて付き合った三つ上の先輩だった。ひょろっとして背が高く、中性的な顔立ちで大人びた雰囲気があった。コムデギャルソンやヨウジヤマモトがよく似合っていて、見る度に「鳥取にいたら目立つだろうな」と思っていた。
梅中はいつも誰かと遊びに行ったり飲みに行ったりしている社交的なタイプで、私とは正反対だった。田舎者で秀でたところのない私の、どこを気に入ったのか。まあ蓼食う虫も好き好きと言うし、と当時の私は気楽なものだった。
梅中は外に出掛けるのが好きで、買い物だの外食だのによく私を連れ出した。私はまるで違う世界線で生きていたから、最初はただ全てが新鮮で面白かった。鳥取に行ってみたい、と言うので付き合って一ヶ月くらいの頃に実家にも連れて帰った。ど田舎すぎて驚いていたが、「トトロがいそう」だとあちこちの写真を撮っていた。
最初は、まるで問題のない付き合いだった。ただ数ヶ月経つ頃、梅中が妙な行動を取るようになった。
会計の雰囲気になると、トイレだの電話だの理由をつけて姿を消すのだ。そして、私が会計を終えた頃に戻って来る。最初は特に気にせず払っていたが、目に見えて増えてきたので「この人、本当は貧乏なんだな」「貧乏なのがバレないようにおしゃれしてるんだな」と憐れむようになっていた(「ケチな人」は知識として知っていたが実際に出会ったことがなかったので、梅中がそれだと分からなかった)。
ただ梅中が貧乏なのは構わないとしても、「集る」行為には問題がある。当時の私は、「もしかしたら梅中はそれを理解していないのかもしれない」と危惧した。そしてある日、指摘したのだ。
――貧乏なのは事情があるから仕方ないことだけど、人に集るのは良くないことなんだよ。
結果、梅中がブチ切れたのである(さもありなん)。私の純粋な憐みがプライドを傷つけたのだろう。ひどく罵倒されて、そこで付き合いは終わった。はずだった。
「その次が、約十年前の一件です」
「えっ、間に何もなしですか」
話を繋げようとした私に、安田が驚いて口を挟む。まあそう言いたくなるのも無理はない。別れたあと、梅中はなぜか自爆してほどなく部活を辞めた。それから十年以上、全く関わりがなかったのだ。
「はい。何もなかったので、犯人の心当たりを尋ねられた時も梅中は挙がってこなかったんですよね」
「まあ、そうですよねえ」
岩木は納得したように頷きながら、十年前のものらしい資料をめくる。
「書籍を出版されたのがきっかけ、てことは、作家さんですか」
「作家と呼べるほどコンスタントに出してはないんですが、まあ、一応はそうですね」
苦笑して答え、改めて話を続けることにした。
私は十年ほど前、「魚崎依知子」とは違う筆名で受賞し本を出版している。その時はSNSで報告するほか家族や友人にも報告して、祝ってもらった。梅中は、その友人の一人から私の受賞を知ったらしい。
当時の梅中はその業界では名前を知らない人がいないような企業に勤めていて、立派な肩書もついていた。それなのに、昔ちょっとだけ付き合った相手の成功を許せず道を踏み外すのだから、恨みというのは本当に恐ろしい。
ともかく梅中は、一時の激流に飲まれて殺害予告を含んだDMを私に送りつけてしまったのである。まだ暑い九月上旬土曜日の、真昼だった。
再掲だが、内容的にはほぼ同じ
当時、私はもう結婚して実家を出ていたが、まだ家族が住んでいた。真っ青になってすぐ実家と単身赴任中の夫に連絡し、110番に通報した。その時もすぐにパトカーを送ってもらえて、一安心したのを覚えている。
一方で私は警察署へ出向き、警察官にいろいろと話を聞かれた。
犯人の心当たりを尋ねられたが、全く覚えがなかった。ただ何もしていないようでも、恨みはどこかで買っているものだ。だから「知らないところで恨みを買っている可能性はある」と答えた。その後も似たような質問に何度も答え続け、ようやく解放された時には、夜九時を過ぎていた。
帰宅したら単身赴任先から夫が戻ってきていて、万が一に備えてゴルフクラブを準備していた。目がギラついていて大変に物騒だった。
警察が捜査してくれたおかげで、年末には相手が梅中だと割れた。梅中は実家のある◯◯で逮捕され、数日後には鳥取へと移送されてきた。ただそれより早く梅中の弁護士が示談を求めて連絡をしてきた。父親が私選弁護人を雇ったらしい。
私は何がなんでも厳罰を望みたいわけではなかったし、追い詰めたら余計に恨まれそうで怖かったので、示談の席に着くことにした。
そしてその席で改めて、私が本を出版したと聞いて妬んで犯行に及んだことを知った。ちなみに、別れた時の一悶着は関係ないと否定した。単純に私の成功が羨ましくて恨んだのだと、最後まで言い続けた。
当時の示談書。甲が魚崎、乙が梅中(念の為に書いておくと、守秘義務条項は入れていない)。
示談金は五十万、梅中の年収の約十五分の一だった。その気になれば多分もう少し取れただろうが、金が欲しくて示談に応じたわけではないし、恨みも買いたくなかった。五十万は迷惑料として親に渡して終わった。梅中は、しばらくして不起訴となった。
「それで、実は今回も似たような状況なんです。先月受賞して、たぶんまた本が出せることになりまして」
「ってことは、梅中がまたそれを知って妬んで、って可能性があるってことですか」
岩木は資料を置きながら、溜め息交じりに返した。
「はい。その一件で筆名を変えましたが、変更を知っている人達はいます。梅中も、どうにかして知ったんじゃないでしょうか。何より今回届いたDMが、十年前と変わらない文面と画像ですし」
「気づいてほしくて仕方ない感じですよね」
安田の言葉に頷いたとき、再びSNSにDMが届いた。
再現画像だが、概ねこんな感じだった。
添付された画像は、実家の門を入ったところだった。こちらも昔撮影した画像を利用しているのかもしれないが、分からない。岩木達に見せると、安田は眉を顰めてすぐ部屋を出て行った。
「一台行かせてますから。大丈夫ですよ」
岩木は私を安心させるためか、事もないように言った。こういう時は、ベテランが言う方が説得力がある。まだ大丈夫かどうかは分からないが、おかげで少しだけ落ち着いた。
結局、元実家付近では梅中も不審者も見つからなかった。
警察署を出て夫に連絡すると、明日の午前中で仕事を切り上げて戻ってくると言う。発信者が開示されるまでは動きがないから大丈夫だと返したら不機嫌になったので、戻ってきてもらうことにした。
家に着いたら、もう九時を過ぎていた。お腹を空かせていた老犬達に急いで餌をやり、自分はお茶漬けで済ます。疲れ切っていて頭が回らないのは良かったが、心身ともに疲弊しきっていた。とにかく、早く寝たかった。
しっかり戸締まりをしたあと風呂に入り、癒やしのために犬達を抱いて寝た。そして、夢を見た。
突然だが、「普段の生活では一度も会ったことがないのに夢にはよく出てくる人」がいないだろうか。私は、一人いた。
見た目は30代半ばくらいの男性で、垂れ目の穏やかな人だ。髪はこざっぱりとした七三で、大抵いつもシャツにスラックス、みたいな格好をしている。
私は二十代の頃から、この人に夢でいろいろなことを教わっていた(だからここでは「先生」としておく)。ただ夢の中では「わあそうなんだ、覚えとこ」となるのだが、起きるとその内容はきれいに忘れてしまっている。何かを教えられていたことしか覚えていない。まあ夢なんてそんなものだから仕方ないのだろうと思っていたが、その夜は違っていた。
いつものように夢に出てきた先生が、少し困った顔で「良くないことになったね」と言った。夢の中の私は梅中のことなんてすっかり忘れていたから、先生がなんのことを言っているのか全く分かっていなかった。
そんな私に、先生は「このままだと大変なことになるから、明日からしばらくこれから言うことをしなさい」と、三つのことを言いつけた。
・朝起きたら玄関から外に出て北へ向かい、枝や棒を使って線を引きながら母屋の周りをぐるりと回る(草があるところは撫でるだけで構わない)。
・■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
・■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※11/29追記。↑原稿ではここに三つあるのですが、下の二つは掲載したままだとエラーが出るようで掲載できないので、黒塗りしました。怖い内容ではありません。
それを聞きながら「そんなこと言われても多分覚えてない」と思っていたが、実際のところは一年以上経つ今もしっかり覚えている。覚えるべきことは、ちゃんと残されるようになっているのだと夢の不思議を実感した。