「凪!」
 声を上げて引き戸を開け、土間に草履を脱いで中に上がる。
 凪は布団に寝かされていた。青い顔をして、左手に包帯を巻いている。
「お姉ちゃん……どうしてここに」
 凪は驚いて体を起こすが、ふらりとまた体を布団に倒した。
「凪、凪、ああ、痛いよね」
 包帯越しにそっと腕をさする。羽月は凪を前にして、命の夢見鳥としての彼女からたちまちのうちに羽月に戻っていた。
「なんで戻ってきたの。駄目よ、出て行って」
 その言葉で、羽月は悟った。
 凪は知っていたのだ、この家で羽月がどのような目に遭っていたのか。
 だから追い出そうとした。これ以上つらい目に遭わないようにと。怒ったのもひどく当たったのも、全部演技だったのだ。
 そのとき彼女が自身の未来をどう予測していたのか羽月にはわからない。自分ならば大事にされると思ったのか、つらい目に遭うとわかっていたのか。
「……逃げよう」
 羽月はそう言った。
 もっと早くにそうしておくべきだった。
 たとえ頼る先がなかったのだとしても、こんな理不尽に耐える必要などなかった。
 なのに、嫁としてここにいる間にはそれがわからなかった。耐えるべき試練なのだと、なぜかそう思い込んでいた。井戸に落とされたかのように視野が狭くなり、ほかの可能性を考えられなかった。水に凍えるように身を縮こまらせて耐え、やりすごすことだけを考えていた。高い石壁の先の青空に焦がれながら。