近くて遠い四十センチ 〜それでも二人は恋したい〜

「美桜はもう断ってます。これ以上無理強いは止めてあげて下さい」
「な、何よ。あんた」
「同じ中学の大瀬陽翔です」

 東野先輩の言葉に、表情を変えずに答えるハル君。

「た、確かに小杉さんは一旦断ったかも知れないけど、それはまだバレーの魅力を知らないからで──」
「それは先輩達の事情です。気が変われば美桜が自分から入部届を持って行きますし、これ以上の話は止めましょう」

 部外者であるハル君の言葉に気分を悪くしたのか。
 先輩達が少しムッとする。

「あのさー。別にチビのあんたに話なんてしてないわけ。あたし達は、美桜ちゃんと話をしてるの」

 間違いなく苛立ちを隠せない東野先輩。
 西原先輩はそこまでじゃないけど、勿論不満げな顔。
 でも、そんな先輩の言葉を聞いた次の瞬間。

「先輩達のしている事は、会話じゃなくっていじめだろ!」

 ハル君は突然、二人を一喝した。
 あまりに大きな怒声に、先輩達も、周囲のクラスメイトも目を丸くする。勿論あたしも。

 一気にクラスを沈黙させたハル君。
 でも、そんなの関係なしに、彼は怒りに任せ話し続けた。

「先輩達はわかってない! こいつは別に、好きでここまで大きくなったんじゃないんだぞ! 身長のせいで中学でも悪口とか言われて、めちゃくちゃ悩んで、めちゃくちゃ辛い思いだってしたんだよ! それなのに、部活で有利ってだけで無神経に誘ってたら、こいつは劣等感でより嫌な気持ちになるんだぞ? より傷つくんだぞ? そんなこいつの気持ちも考えずに、断ってる奴に無理強いなんてするな! それでも会話するのなんて、いじめと何ら変わらない!」

 捲し立てるように一気に話しきったハル君が、怒りの形相のまま荒い呼吸を繰り返す。
 周囲のみんなは予想外の彼の反応に、目を丸くしたまま。先輩達も思うところがあったのか。バツが悪そうに俯いちゃってる。

 ……ハル君……。
 決して空気が良いとはいえない、こんな昼休みの教室の中。
 あたしはきつい言葉の中にある、中学の時と変わらない優しい言葉を聞いて、一人じーんときちゃってた。

 だって、あたしの悩みを知ってくれて、あたしの心を代弁してくれたんだよ?
 こんな事を言ったら、きっと周りの空気を悪くしたり、みんなに怖がられちゃうかもしれないのに。
 好きな人にここまでしてもらったら、そりゃ嬉しくだってなるじゃん。
 ちょっと目が潤んできて、泣きそうになっちゃってるし。

 ……って、今は泣く所じゃない。
 中学の時にも似たような事があったけど、あの時は泣いちゃって何も言えなかった。
 でも、今回はちょっと違う。あたしは今、無理に部活に誘われただけ。
 だから、ちゃんとあたしの口から言わなくっちゃ。折角ハル君が、その機会をくれたんだから。

「先輩」

 立ち上がってそう呼びかけると、先輩達が顔を上げこっちを見る。
 少し緊張した私は一度だけ深呼吸すると、二人の視線から目を逸らさず、改めて自分の想いを語り始めた。

「ハル君の言う通り、私はこの身長にコンプレックスを持ってます。だから、この身長なら部活で活躍できるって言われても、全然嬉しくないんです。部活で活躍して目立つって事は、私はやっぱり大きいんだって、より強く感じちゃうので。……だから、私は部活に入りません。ごめんなさい」

 大きく頭を下げ謝った私。
 少しの間、あたし達は沈黙が続いたんだけど。

「えっと、こっちこそ、ごめん」

 先にそう言ってくれたのは、東野先輩だった。
 頭を上げると、彼女は申し訳無さそうな顔をしてる。
 じっとが東野先輩を見ていると、西原先輩もあたしに声を掛けてきた。

「確かに、ちょっと考えなしだったかも。小杉さんの気持ちも考えず、話を進めちゃってごめんなさいね」
「こちらこそ、期待に沿えなくてすいません」
「いいのよ。確かに、そこの彼が言う通りだし」

 あたしの返事に西原先輩が自嘲気味に笑う。
 と、顔を上げた東野先輩が、ハル君を見た。

「えっと、ハル君だっけ?」
「はい」
「さっきは、チビとか言ってごめん。ちょっと、気をつける」
「わかりました」
「あと、美桜ちゃんの件も。ごめん」
「いえ。お二人が部活を頑張ってるからこそ、美桜を誘いたかったって気持ちもわかってるんで。これからも、部活を頑張ってください」
「あ、うん。ありがと」

 東野先輩の言葉に、ハル君は真面目にそう返すと、ペコっと頭を下げて自分の席に戻って行く。
 さっきまで怒ってたから、まさか応援されるなんて思ってなかったと思う。
 予想外の言葉に、先輩達がちょっと驚いた顔をして顔を見合わせてたもん。

 でも、こういう気遣いまで見せながら颯爽と去っていくハル君って、やっぱ格好良いよね。惚れ直しちゃう。

 彼の後ろ姿に見惚れていると、先輩達が話し始めた。

「雨音。そろそろ行こうか。お昼休みの邪魔になるし」
「そうだねー。あ、女子のみんな。興味あったらバスケ部に入ってねー!」
「そういう抜け駆けは止めてってば。バレー部も部員募集してるから、良かったら見学に来てね」
「結局雫も宣伝してんじゃーん」
「そりゃね。それじゃ、お邪魔しました」
「まったねー!」

 あの、妙に緊張した空気から一変。まるで漫才のように掛け合いをしながら、先輩達は何事もなかったかのように教室から去って行った。

 ……っていうか、疲れたぁ。
 昼休みが休憩になってないじゃん……。
 自然と胸をなでおろしたあたしは、そのまま席に座ったんだけど。

「あの、小杉さん。何かごめんね。さっき色々聞いちゃって」
「確かに無神経だったよね。ほんとごめんなさい」

 って、一緒にご飯を食べてた女子達が、申し訳無さそうに口々にそう謝ってきた。
 みんなも、ハル君の言葉に感化されたのかな。
 そんな変化がちょっと嬉しくって、あたしは素直に笑顔を見せる。

「ううん。大体最初はみんな色々聞いてくるし。慣れてるから」
「そっか。でも、ちょっと気をつけるね」
「うん。そうしてくれたら嬉しいかも」
「わかった」

 みんなの表情が安堵の笑みに変わって、内心あたしもほっとした。
 正直に話をしたら、敬遠されちゃうかなって思ってたし。

 ただ。ハル君の方はというと……。

「大瀬。お前って小さいくせに、度胸あるんだな……」
「あのなぁ。さっきの話、チビの俺にも当てはまるからな」
「あ……わ、悪い……」
「まあ、いいけど。ったく……」

 なんて、他の男子が少し気後れするくらい、ちょっとまだピリピリしてる。
 結局お昼ご飯を食べ終える間、ハル君はと周囲の男子の関係はギクシャクしてて。
 これで友達ができなかったりしたら、あたしのせいかも……なんて、ちょっと不安になっちゃったの。
 やっちまったなぁ。この先どうすりゃいいんだか……。

 五、六時限目の授業の間、先生が黒板に書いた内容を書き写しながら、内心ずっと気落ちしてた。

 いや、確かに美桜が困ってるのを、見過ごせなんてしなかった。
 あいつがずっと悩んでたのを知ってるし。
 だけど、幾らチビって言われてカッとなったからって、先輩相手にあの言い方はなかったろ。

 高校デビュー二日目で、切れキャラ確立とか。
 そりゃ、クラスメイトだってドン引きするだろって……。

      ◆   ◇   ◆

 憂鬱な気持ちを引きずったまま、迎えた放課後。
 最初の週の掃除当番は窓側の列。
 俺も対象だったから、そこはしっかり当番としての仕事を果たし、やっと帰りの時間になった。

 既にクラスメイトの大半が、入部するため部活に向かったり家路に着いていて、残っている生徒はほとんどいない。
 勿論美桜も、早速できた女友達と教室を後にしていた。

「大瀬君って、何か部活に入るの?」
「ああ。帰宅部に」
「それは部活じゃないでしょ」

 前の席の、えっと……確か、江本(えもと)友樹(ゆうき)だっけ。
 俺が迷いなく質問に答えると、あいつは苦笑いを浮かべる。

 眼鏡を掛け、綺麗に切り揃えた黒い短髪という、いかにも真面目を絵に描いたような外見。
 昼休み中は他の男子と話してて、にこにこと話を聞いていただけの江本とはここまで全然話せてなかったんだけど。こいつが俺に怯える事もなく、こうやって気さくに話しかけてくれたお陰で、さっきまでの不安が少しだけ軽くなる。

「江本は?」
「僕は美術部に入ろうと思って」
「そっか。頑張れよ」
「うん。それじゃ、また明日」
「ああ」

 鬱々とした俺なんかとは違う、屈託のない笑みを見て、微笑ましくなりながら江本を見送った後、俺は机の中の荷物を学生鞄に仕舞い、一人のんびりと教室を出た。
 廊下には、まだ何人か生徒達がいて、楽しげに話したりしてる。
 横を通り過ぎる間際。俺はそんな生徒達を横目でちらりと見ながら、小さくため息を漏らす。

 やっぱ、俺くらい小さい奴なんて、女子ですらいないじゃないか。
 別に同志を求めたいわけじゃない。ただ、このままいったら学校内身長ワーストワンもあるんじゃないか?
 昨日の入学式は名前順だったから、そこまでチェックできなかったけど。この先あるであろう、全校集会辺りで結果発表か……。

「はぁ……」

 さっきまでの憂鬱さとは別の憂鬱に、また自然とため息を漏らす。
 ま、それで何か変わるわけじゃないんだけど。

 廊下を一人歩いて行った俺は、昇降口の下駄箱で上履きから靴に履き替える。
 ……そういや、今日から一時間以上掛けて帰るんだよな。
 朝は全力でダッシュし過ぎて、途中の街並みなんて見られなかったし。気分転換に、ゆっくり街並みでも見ながら帰るか。

 そのまま昇降口を出ると、俺は通学路に出るべく歩き始めた。
 校門までの綺麗に整えられた道は、既に西に傾き始めた太陽で、夕焼け色に染まり始めている。

 ここから一時間以上って事は、家に着く頃には日が沈んでそうだな。
 後で母さんに帰宅時間でもメッセージでもして──。

「ハル君」

 ……はっ!?
 空を見ながら、一人歩き出した矢先。
 背後から聞こえた、ずっと聞いていたい声に呼びかけられ、心臓が止まるかと思った。
 内心を気取られないよう振り返った俺に、笑いかけてきたのは勿論……美桜だ。

「どうしたんだよ? みんなは?」
「あ、うん。今日は用事があるからって、断っちゃった」

 てへっと笑う、あいつの表情がちょっと硬い。
 付き合いが長いからこそ、隠している理由が見え見え。

 この先の、嬉しくもあり複雑な気持ちにもなる未来は、ある程度わかってる。
 とはいえ、露骨に避けるわけにもいかないもんな。

「で? 用事ってなんだよ?」
「それは……朝の寝坊で迷惑をかけたし、ハル君にお詫びくらいしないとかなって……」
「おいおい。目を泳がせて言うなよ。嘘だってバレバレだろ」

 普段の勢いでそんな軽口を叩きそうになるのをぐっと堪えた俺は、代わりに学校帰り三度目のため息を()くと、くるりと踵を返す。

「そんなの気にするなよ。それより、中学みたいに近くないんだ。遅くなる前に、さっさと帰ろうぜ」
「……うん」

 後ろから聞こえた、感情のはっきりしない美桜の返事。
 どうせ、きっと何処かで()()()をしてくるつもりだろ。

 そんな先読みをしながらさっさと歩き出すと、あいつも後ろから付いてくる。
 でも、中々並ぼうとしないし、何も話そうとしない。校門を出ても。住宅街に入っても。

 やっぱり、他の生徒の目を気にしてるのか。
 並ぶ事で身長差が強調されるのが、どうしても気になって仕方ないんだろう。
 とはいえ、無理矢理並んで歩くのもな……。

 どこか寂しさを感じながら、沈黙する代わりに足音だけさせて歩く俺達。西日は背後から俺達を照らして……って、あれ?
 俺は歩みを止めず、自分の足元から伸びる影に目をやった。

 並んでいるのは勿論、美桜の影なんだけど。
 彼女が数歩後ろを歩いているせいだろう。互いに鞄を持たない方の腕の影が、時折自然に手を繋いでいるように重なる。

 身長差もほとんどない、俺が望む理想的な姿を見せる二つの影。
 ……ったく。いいよな、(おまえ)は。
 好きな()と自然に手を繋げて。

 幼稚園の頃なんかは、恥ずかしげもなく幼馴染って気持ちで、普通に手を繋げた事もある。
 でも、今はそれももう無理だ。
 理由は勿論、思春期になって恥ずかしいってのもある。でも、それだけじゃない。
 俺達の身長差じゃ、手を繋いでも見栄えが悪過ぎだから。
 俺と美桜と手を繋いだら、まるで子供が親に連れられる。そんな光景にしかならないんだ。そんなの、あいつだって恥ずかしいに嫌に決まってる。

 そこにある理想の影達(俺達)を見て、羨ましく感じる自分に苦笑していると、今朝俺達に地獄を見せた、長い階段までやって来た。

 影達(俺達)の幸せな時間もお終いか。
 俺の未練を重ねつつ、一気に影が増える下り階段を降りようとした瞬間。

「ま、待って」

 やっと口を開いた美桜が小走りに脇を通り抜けると、俺より先に階段を三段ほど下り、こっちに振り返った。

 段差のお陰で、夢にまで見た()()()を少し見下ろす身長差を得た俺。
 その先にある美桜の表情は真剣……かと思ったら、ばばっと周囲や階段の下の方を見渡し、人目がないのを確認しだす。

 学校から駅までの距離と高低差もあって、ほとんどの生徒がバスに乗って帰るのもあるし、俺が掃除当番だったせいで、帰宅時間がずれたのもあるんだろう。
 運良くこの階段には、同じ学校の生徒どころか、近所の人もいない。
 それを確認した美桜が、めちゃめちゃほっとした顔をする。
 
 おいおい。
 周りが気になるのはわかるけど、流石に考えなしで行動し過ぎだろ。
 内心呆れつつも、あいつらしいどこか抜けた反応に、思わず笑みを浮かべていると、再び顔を上げた美桜と目が合った。

「どうしたんだよ?」
「あ、えっと……」

 笑みを浮かべていたのは偶然。
 だけど、ずっと話もせず歩いていたんだ。それなのに笑顔だった俺が、あいつにとっては予想外だったんだろう。露骨に戸惑ってるのがわかる。

 ほんと。こういう態度がいちいち面白いし、俺の恋心をくすぐる。
 どこかでその想いを捨てなきゃいけないってのに。

「話がないなら先に──」
「あ、ある! あるから!」

 俺が動き出そうとしたのを声で制した美桜が、また真面目な顔をする。
 そして、じっとこっちを見たあいつは。

「今日は、その……ごめん」

 そう言って、ばっと頭を下げてきた。
「ん? ()の件なら謝るなって言っただろ?」

 敢えて話を逸らした俺に対し。

「そ、そっちもそうだけど。そっちじゃない」

 そう言いながら、美桜がどこか自信なさげにこっちを見上げた。
 身長差のせいで滅多に見られない、レア過ぎる彼女の上目遣いに、さっきからドキドキが止まらない。
 くそっ。やっぱり俺、こいつが好きなんだな……。
 そう再認識していると、

「あの、お昼の時。その……ごめんね」
「ん? あー。あれは、俺が勝手に先輩達を怒鳴っただけだろ?」
「そ、そんな事ない! ほんとは、あたしがきちっと断らなきゃいけなかったのに。ハル君、あたしが言えないのわかってて、代わりに言ってくれたでしょ……」

 俺の幸せな気分を罰に変えるかのように、俯いたままの美桜が、ぎゅっと唇を噛む。
 その顔を見ただけでわかる。自分のせいだって後悔してるのが。

 ったく。こいつは昔っからそうだ。
 何だかんだ言ってくるけど、根は凄く優しいんだよ。
 まあ、物心ついた頃からずっと幼馴染なんだ。そんな性格だって、とっくの昔に知ってるけどな。

 だから、さっき俺を待ってた時点で、絶対この話をするなってわかってた。
 でも、そのせいで笑わないあいつを見るのなんて、やっぱり耐えられない。

 俺は階段を一段だけ降りると、久々にあいつの髪をくしゃくしゃっと撫でてやる。

「そんな顔するなって」
 
 突然の事に目を丸くした美桜に、俺は空気を読まずにまた笑った後、そのままあいつの脇を抜け、先に階段を下って行く。

「お前は、周囲の空気を読み過ぎなんだよ。それで自分が辛くなってたら意味ないだろ」
「で、でも……」
「いいか? お前のそういう優しさは悪い事じゃないし、俺がその気遣いを無駄にするのも、本当はどうかとは思った。でも俺は、お前と違って空気なんて読めない。だからこっちが勝手に言いたい事を言っただけ。それなのに謝られたって、正直こっちが困るんだよ」

 俺は後ろを振り返らず、ただ階段を降りて行く。
 ここじゃ、絶対に振り返りたくなかった。
 あいつとの身長差を、より強く感じるだろうから。

 美桜はさっきと同じで、やっぱり俺に並ばない。
 だけど、話ができているだけで、俺にとって十分幸せな距離だ。

「もし、お前が俺がした事に感謝してるって言うなら、謝ってないで素直に礼でも言えって。悪いけど、落ち込まれてる方がよっぽど迷惑だからな」

 自分の素直になれない気持ちのせいで、言葉が悪くなってる。実際、顔が笑ってない。
 だけど、あいつに顔が見えない事をいいことに、俺はせめてそれが笑い話として聞こえるよう、声の明るさだけは失わないよう心掛けた。

 そして、やっと長い階段を下り終えた俺は、そのままさっさと歩みを止めず、駅に向け──。

「ハル君! 勝手に先に行かないでよ!」

 また俺を呼び止めた美桜。
 同時に駆け出したであろう足音が聞こえたかと思うと、俺の脇で止まる。
 隣を見上げれば、そこには口を尖らせた彼女の不貞腐れた顔。

 ほんと。こいつは表情豊かだな。
 だから飽きなかったんだ。ずっと一緒にいても。
 あいつの顔を見て自然と頬が緩む。だけど、心は素直になれなかった。

「別にいいだろ? 早く帰ろうぜ」
「やだ!」
「は? やだって。何でだよ?」
「だって、その……」

 さっきと同じく、目を泳がせながらちらちらとこっちの様子を伺った美桜は、

「ありがと」

 未だバツが悪そうな顔で、ぽつりとそう口にした。
 ……ほんと。世話が焼けるな。

「いいって。但し、次に礼を言う時は、ちゃんと笑えよな」

 生意気な口を聞き、代わりに笑ってやった俺は、そのまま独り歩き出す。
 けど、今度はあいつも一緒に歩き出した。

 人目がなければ、身長差があってもそこまで気にせずにいられるんだろうか?
 せめて、そうあって欲しいけど……なんて願っていると、あいつから納得いかなそうな声が聞こえた。

「もう。謝ってもお礼言っても、一言多いじゃん」
「ああ。お前だって知ってるだろ? 俺はそういう奴」
「まー、それは否定しないけど」
「だろ? だから諦めろって」

 俺が美桜を見上げ、あいつが俺を見下ろしながら、何時もみたいに憎まれ口を叩き、夕陽に照らされながら二人並んで歩く。

 相変わらずあいつは不満気だし、俺は俺で、あいつが身長差で劣等感を感じてないかと気が気でない。
 何か話を繋げておかないと、気持ちが滅入るな……そうだ。

「それよりお前、なんで俺と同じ高校にしたんだよ?」

 俺がそう尋ねると、美桜はギクッという顔をする。
 そりゃ、前触れもなくこんな話を振られたら、そんな顔にもなるか。

 あいつが俺と同じ高校を受験すると知ったあの日から、ずっと聞けず仕舞いだったこの話。
 理由はずっと気になっていたんだけど、あいつと距離を取ってたし、何となく触れづらくって聞けなかったんだよ。

 おろおろと、妙に落ち着きがなくなる美桜。
 おいおい。勝手に付いて来ておいて、そんなに言いにくい事かよ。
 困り果ててるのか。顔まで赤くしてるし……。

  ──「……ハル君と、離れたくなかったから」

 ……なんて話、流石にないよな……って、ばっか! 何を考えてんだよ!

 魔が差したかのように、ふっとそんな夢のような台詞と、あいつの恥じらう表情を思い浮かべてしまい、俺も顔が少し熱くなる。
 慌ててそっぽを向き顔を隠していると、あいつの声が耳に届く。

「だ、だって……。ハ、ハル君って、あたしが目を離したら、何しでかすか分かんないしー?」

 どこか渋々といった、気まずそうな一言。
 ……ま、そりゃそうか。俺達なんて、ただの幼馴染だもんな。
 あっさり夢が崩壊したせいか。一気に顔の熱が冷め、自然と肩を竦める。

「あっそ。通学時間十五分。気心知れた友達もいる快適高校ライフを、そんな理由で捨てるとか。ばっかじゃねーの?」
「べ、別にいいじゃん! そっちこそ、何でわざわざこんな遠い高校選んだのよ。別にあっちの学校だって。偏差値足りてたじゃん」
「……お前の迷惑になりたくないからに、決まってんだろ」

 ……なーんて。
 本当はそう言い返したいんだけど。

「気分転換」
「……は?」

 俺が放った一言に、返ってきたのは呆れ声。改めて美桜を見上げると、納得いかないって顔をしてる。
 だけど、俺はその嘘を真実にすべく、やれやれって顔をしてやる。

「だから。気分転換だよ」
「ほ、本気で言ってるの!?」
「当たり前だろ。幼稚園から中学まで、見慣れた友達と見慣れた景色しかなくて、ちょっと飽きてたし。だったら少し離れた高校でも選べば、気分も変わるだろって」
「ほんとに? ほんとーに、それだけ?」
「ああ」

 急に真剣な顔になり、美桜がそう念押ししてくるのにちょっと驚きながら、俺は相槌打つ。

「じゃあ、千景おばさんに理由を話さなかったのも……」
「言えるわけないだろ。こんな理由」
「……まー、確かに」

 さっきまでの不満気だった表情から一変。あいつは神妙な顔をする。
 これは多分、素直に納得した顔だな。こういうバカ正直な所はほんと助かる。

 しっかし……。美桜の奴、本気でお人好しだろ。友達より幼馴染を取るとか。
 どうせ家は隣同士。俺が多少避けてるとはいえ、会おうと思えばすぐ会えるってのに……。

 俺はふっと微笑む。
 身長差なんて関係なしに、あいつがこうやって俺を気にしてくれてるってだけで、また嬉しくなったから。

 まあ、そういう理由なら、少しは付き合ってやるか。
 あいつが幸せになるまでの間なら、多少わがままを言っても許されるだろ。

「ま、お前もそんな理由なら、俺から目を離すなよ」
「……え?」
「え? じゃねーよ。どうせこの先、俺は今日みたいな事をしでかすからな。見張っておくってなら、ちゃんと監視しとかないと止められないぞ」
「……」

 その言葉に、あいつが目を丸くしたまま固まる。
 って、そんな風になるような事を言ったか? 俺。

「どうした?」
「え? あ、ううん。その、やっぱハル君って、あたしがいないと駄目なんだなーって。うんうん」

 はっとした美桜が何かをごまかすように、両腕を組んでわざとらしく納得した仕草を見せる。
 ったく。何を考えてたか知らないけど、そういう事なら……。

「は? それはこっちの台詞だろ? 寝坊はするわ。先輩達に言いくるめられそうになるわ──」
「そ、それはもう言いっこなし! ハル君だって許してくれたじゃん!」

 俺が少しムッとした顔になったのを見て、気に障ったと勘違いしたのか。慌ててそんな言い訳をする美桜。
 そんなあいつを、無言でじーっと見つめた俺は。

「ああ。とっくに許してるよ。だから、さっさと帰ろうぜ」

 態度を一変。冗談だと伝わるようにんまり笑うと、言葉通りさっさと歩き出した。

 こうやって、こいつをからかって一緒に帰れるのも、あとどれくらいだろう?
 いつか美桜に男ができたら、流石にお役御免だろうか。

「もおっ! あたしの目から逃れられると思わないでよね!」

 なんて言って、並んで歩いてくれてるうちは、まだ大丈夫そうだけど。

 どうせなんだ。今の内に、こうやってあいつといられる幸せを味わってやる。
 で、あいつにお似合いの男ができたら、後はあいつが幸せになるよう見守るだけ。
 こんなチビな俺の幸せなんて、それで十分だ。

 鬱々とした気持ちを、沈む夕日と一緒に心の奥に沈めながら、俺はそんなわがままを決め込む事にした。
 ハル君が教室で叫んだあの日から二週間。
 あの一件で、みんながあたしのコンプレックスを知ってくれたお陰もあって、あれから身長の事で弄られる事はなくなった。

 ほんと。
 あたしからしたら、それだけで随分気持ちも楽。ほんと、ハル君様々だよね。

 ちなみにハル君の方はというと、あの日の事が影響したのか。一部の男子に距離を置かれてる感じはある。
 でも、彼の優しさを理解してくれた男子もいたみたいで、一緒に話をしてくれてる友達もできたみたい。

 その光景を見て、あたしは内心めっちゃほっとした。
 あの日叫んだ原因はあたしにあったわけだし、そのせいでハル君が嫌われ者になったら、どうしようって思ってたから。
 お互いに友達もできて、平穏な学校生活が送れてる。それが本当に嬉しい。

 ちなみにハル君は、あれ以降あの日の事に触れようとしないし、全然気にしない素ぶりをしてくれてる。
 多分、あたしがまた落ち込んだり、コンプレックスで苦しんだりしないようにって、凄く気を遣ってくれてるんだと思う。

 そういう所も彼の魅力。
 やっぱり幼馴染力が違うよねー。
 ……そう。多分、幼馴染力だよね……。

 あの日の帰り。冗談交じりにあたしを弄り、笑ってくれたハル君の優しさに、あたしは素直になれなかった。
 でも、恋心はより強くなったの。

 いや、だって。

  ──「ありがと」
  ──「いいって。但し、次に礼を言う時は、ちゃんと笑えよな」

 あんな事を、あんな笑顔で言われたんだよ?
 惚れ直すに決まってるじゃん!

 だからこそ、あの日の夜、あたしは改めて決意したの。
 絶対にハル君に告白するんだーって。
 ……まだ勇気が持てなくって、何も進展してないけど。
 
 ま、まあ。想うのはタダだしー?
 ハル君ってあたしの事、ただの幼馴染って思ってるかもしれないじゃーん?
 まだまだ高校生活も始まったばかり。だから、少しは両想いかな? って分かってから、告白しよっかなーって思ってるだけなんだけど。

 ……やっぱあたしって、意気地なしだ。保険がなきゃ、告白もできないとか。
 でも、フラれて今の関係がギクシャクしても嫌だし……。
 この身長で彼の気を引くのなんて、無理に決まってるし……。

 結局、中学の時から変わらないネガティブ思考のせいで、あたしはこんな考え方しかできてない。

 それでも、マイペースに恋できればいっか、なんて、心にある不安をごまかして、もう少し様子見しながら過ごそうと思ってたんだけど。
 ……新しくできた()()()()()()()相手には、そうもいかなかったの。

      ◆   ◇   ◆

 放課後。
 学校の最寄り駅側にあるファミレスで、あたし達は飲み物を準備し終えると、窓際の四人席に戻っていった。
 最初に来た頃は、あたしの身長の高さに店員さんやお客さんの奇異の目が向いてたけど、友達付き合いができてそこそこ通うようになったから、最近はそうでもなくなってホッとしてる。

「では、本日のアオハル会議を始めまーす!」

 全員が座ったのを確認し、笑顔で手を上げ声高らかに宣言したのは、あたしの隣に座っている、茶髪のツインテールが似合う女子。花澤(はなざわ)結菜(ゆいな)

 向かいには、藍色のぼさっとした髪をそのままに、じーっとこっちを無表情で見ている、陰キャっぽさを隠そうともしない、ダウナー系の蔭野(かげの)妙花(たゆか)

 そして、斜め前に座る金髪ポニテでメイク濃い目のギャル、宇多(うた)ちゃんこと宇多(うた)(かなで)は、スマホを鏡代わりに、前髪のチェックに余念がない。

 あたしが、クラスメイトであるこの三人と友達になった理由。
 それは、どっちかといえば、彼女達の()()()がきっかけだった。

      ◆   ◇   ◆

 ハル君が叫んだ翌日の放課後。

「美ー桜ーちゃーん。一緒にかーえろっ!」

 突然あたしに馴れ馴れしく声を掛けてきた結菜は、後ろを付いてきた宇多ちゃんと妙花と一緒に、突然あたしの席を囲んできた。

「え?」
「ほーらー。ささっと立って!」
「え? え?」

 それまで全く絡みがなかったから、思わず困惑するあたし。
 でも、そんなの関係なしに、結菜があたしの手を引っ張って、無理矢理席から立たせる。

「えーっと。確か……ハル、だっけ?」
「え? そ、そうだけど……」
「悪いけどー。この子借りてくねー」

 その間に宇多ちゃんは、何故かハル君の所にあたしを連れて行く許可を貰いに行ってた。
 状況が飲み込めないハル君。
 でも、宇多ちゃんのギャルらしい妙に圧のある態度に、

「えっと……いい、けど?」

 彼もよくわからないまま、そう返事しちゃったんだって。

 翌朝の登校時。
 勝手にOKしてごめんって、ハル君があたしに謝ってくれた時。

  ──「あれって、俺に許可いったのか?」

 なんて、困惑して聞いてきたけど、勿論あたしだってそう思う。

 確かにあたし、ハル君と一緒に帰る気満々だったよ?
 だけど、ハル君がそうだったとは限らないじゃん。
 まあ、それ以前にちゃんとあたしに許可を貰ってほしかったんだけど……。

 と、そんな話は置いといて。
 そのままあたしを強引に連れ出した三人は、今日みたいにあたしをファミレスに連れ込んだんだけど。席に付いて最初の一言は、結菜のこんな問いかけだった。

「ね? 美桜ちゃん。私達と友達になろ?」
「へ? 何で?」

 あたし、素でそう返してた。
 いや、だって。まだ学校に来て三日目。その間、彼女達と話したことすらなかったんだよ?
 そんな状況で急にそう言われたら、こんな反応にもなるじゃん。
 
 しかも、理由がまた凄かったの。

「アオハルの波動、感じたから」
「ほーんと。あそこまで完璧なアオハル、早々見れないっしょ」
「うんうん! 幼馴染の彼と、これだけの身長差! あれはもう、アオハル待ったなしだもんね!」

 ぼそっと口にした妙花に、相槌を打つ宇多ちゃんと結菜。
 これを聞いて、あたしは意味なく色々考えちゃったよね。

 まず、アオハルの波動って何よ。
 とある格ゲーの超必殺技よろしく、背中を向けながら『春』とか出しちゃうわけ?

 それから、多分この話のきっかけは、昨日の放課後の一件だとは思ったよ?
 でも、そもそも急にアオハルって言われても、こっちだって困惑もするじゃん。
 そんなこと考えてるうちに、なんか馬鹿にされてる気持ちになって。

「え、えっと。それって、あたしを弄って楽しみたいだけ?」

 前は先輩に遠慮して何も言えなかったくせに、この時のあたしはさらっとそんな本音を口にしてた。

 でも、彼女達はこっちの言葉を聞いても動揺すらしないで、また勝手に盛り上がり始めたの。

「そうじゃなくってー。私達、二人の恋を応援したいの!」
「そういう事。美桜っちってさー。絶対ハルって子の事、めちゃラブっしょ?」
「え? え?」

 結菜に続いた宇多ちゃんの一言。
 勿論図星なんだけど、いきなりそんな事を言い出されて、恥ずかしさ以前に困惑しちゃったんだけど。宇多ちゃんは、そんなあたしを見てにまーっと笑う。

「隠しても無駄だってー。クラス初の幼馴染カップル誕生とか、最高じゃん?」
「うんうん! そして私達にも彼氏できたら、みんなで遊園地でデート! 夢が広がるよねー!」

 結菜も宇多ちゃんも意気投合してたし、妙花も何も言わず、うんうん頷いてる。
 でも、あの日のあたしは、ここでもうぽかーんってしてた。

 だって、あたしの恋の話だけじゃなく、三人も恋人作る話までしてるんだよ? どういう事? ってなるじゃん。
 
「って事でー、美桜ちゃん。今日から私達、友達になろ? きっと二人の恋にも良いことあるよ?」

 くりっとした大きくて可愛い目で、こっちに笑顔を向けてくる結菜。
 宇多ちゃんのギャルらしいドヤ顔の笑みと、じーっと無表情にこっちに目を向けてくる妙花の圧もあって、結局断りきれなかったあたしは、そのままなし崩しに三人と友達になる事になったの。

      ◆   ◇   ◆

 まあ、そんな感じで始まった友達関係だけど、一緒に遊びに行ったら楽しかったし、癖はあるけど肩肘張らず付き合える所が中学時代の友達とそんなに変わらなくって、個人的にはほっとしてたりする。

 ただ、一応あたしの恋も応援してくれてるけど、ちょっと急かされてる感は否めないんだよね……。

「って事でー、美桜ちゃん! 現状報告ー」
「どうせ進展なしでしょ?」

 結菜の一言に、視線すら合わせず、さらっとツッコミを入れた宇多ちゃん。
 あたしはそんな彼女にぐうの音もでず、「あははは……」と乾いた笑いを浮かべる。

 ふーんだ。どうせ進展なんてありませんよ!
 内心そう思いながらも、口に出せないでいると。

「ったくー。幼馴染でお隣同士。高校も同じで一緒に登校までしてるんでしょ? しかも(たゆ)っちに()()()()()()()、一緒に帰れる日まで教わっといて、流石にそれはなくなーい?」

 宇多ちゃんが呆れ声でこう言ってきた。

「べ、別に一緒に帰るだけで、ムードが良くなるわけじゃないしー? 中学でも結構一緒に帰ってて、結果今みたいになってるだけだしー?」
「ムードなんて作れば良いと思うけどなー。美桜ちゃんが好き好きアピールしたら、ハル君も意識してくれて、すぐに良いムードになるんじゃない?」

 ぐぬぬ……。結菜ってば、他人事だと思って……。
 確かに、そういう行動をすれば意識させられるって意味じゃ、正論といえば正論だけど……。

「あ、あたしはそんな事して、ハル君に軽い女って思われたくないんですー」
「じゃあ、どうやって、想いを伝えるの?」
「あ、えっと……その、タイミングが来たらっていうか、雰囲気が良さそうな時ができたらっていうか……」

 何かを見透かすかのように、じーっとこっちを見つめてくる妙花に、あたしは思わず口ごもりながら、曖昧な返事をする。

 そ、そんなのわかってたら苦労しないじゃん。
 だいたいハル君とは、十年以上幼馴染なんだよ?
 今までだって、ずーっとこの空気感でやってきてるわけで。そう簡単に何かが変わるわけないじゃん……。

「はぁ……」

 あたしの様子を見て、宇多ちゃんが呆れたため息を漏らす。
 どうせ先行きが不安って思ってるんだろうけど……あたしだって、そう思ってるもん……。

 そんな気持ちで俯いていると。

「仕方ないなー。あんまり手を貸しすぎると、アオハル感薄れちゃうかもだけど。(たゆ)ちゃんに、もうちょっと具体的に占ってもらう?」

 隣で相変わらずの笑顔を見せていた結菜が、そんな提案をしてきたの。
「え? で、でも。それって、妙花が納得しないとダメって──」
「いいよ」

 両手を振りあたしが遠慮したのなんて意味がないくらい、向かいの妙花がこっちをじーっと見たまま、小さく頷く。

 あっさりそう言われると、断りにくいんですけど……。
 引きつったあたしの笑顔なんて関係なしに、スマホをテーブルに置いた宇多ちゃんが感心した顔で結菜を見る。

「それいいじゃーん! 美桜っちの奥手っぷりじゃー、卒業しても進展なさそうだしー」
「そ、そんな事ありませんー」
「あのねー。そう断言できる子はー、十五年もあればとっくに答え出せてるわけ。わかる?」

 口を尖らせ抵抗したあたしに、スマホをテーブルに置いた宇多ちゃんが、ずいっと前のめりになり、指差ししながらあたしを咎める。
 でも、言われた事が正論過ぎて、あたしはそれ以上反論できなかった。

 ただ、妙花の占いって()()()()()()から、ちょっと怖いんだよね……。
 実は妙花、代々占い師の家系らしいんだけど、彼女はその中でもずば抜けて霊感──確か、スピリチュアルだっけ? それが強いんだって。

 実際、あたしと友達になってから、一番最初に占ってもらったのは、ここ二週間のハル君と帰れる日。
 これがドンピシャなだけだったら、驚きはするけど、あたしだってここまで怖くならない。
 実際何がヤバかったかっていうと、一緒に帰れない日の理由まで当たってた事。

 クラスメイトに遊びに誘われた、なんてありきたりな話だったら、当てずっぽうかもって思うじゃん?
 でも、一人で買いたい物があるから、なんて理由まで当てられた時は、流石にちょっと変な声出ちゃって、ハル君に怪訝な顔されたっけ。

「でも、何を占おっか? あんまりアオハル感なくなっちゃうのは避けるとしてー」

 ほっぺに指を当てながら、首を傾げる結菜。
 と、彼女の向かいで足を組んでいた宇多ちゃんが、ぽんっと手を叩く。

()()()は崩したくないじゃん? だからー、二人が偶然出会える場所と時間なんか良くなーい?」
「あ、それ良いかも。折角だし、二人が話したり、一緒にいられるシチュが良いよねー」
「そうそう! そういうのないと、やっぱアオハルじゃないっしょ!」

 ルールを崩さない、かぁ。
 そこを崩してくれたら、あたしはめっちゃ助かるんだけど。
 二人が得意げな顔をしてるけど、あたしは内心そんな事を思ってた。

 みんなが決めているルールっていうのは、何を()()()()かって事。

 まず、ハル君の気持ち。
 これがわかっちゃうと流石につまらないって事で、最初にこれは満場一致で決まった。
 それから、あたしが何をしたらハル君の心を掴めるか。
 そういうのは自力でどうにかしてほしいって思ってるみたいで、流石に占わないって言われたの。

 正直な所、ハル君の気持ちを占わないって話は、本気で助かったなぁって思ってる。
 あたしを好きじゃないだけじゃなく、別の人を好きだなんて知ったら、あたしはまず立ち直れないし。

 でも、ハル君の心の掴み方は、正直占って欲しかった。
 喉から手が出るくらいほしい情報だし、別にアオハルなんて、付き合ってからだって感じられるじゃん。
 今のじれじれした恋心のままいる方が、ずっと辛いだけし……その、付き合えるなら、やっぱ早いほうがいいし……。

「じゃ、占うね」

 考えこんでいるあたしの返事も待たずに、妙花が学生カバンから手のひらサイズの小さくて綺麗な水晶玉と下に敷くクッションを取り出し、テーブルの上に配置していく。

 これを見るのは二度目。
 凄く透き通った水晶玉は、小さいながら目を奪われるくらい綺麗。
 何時見てもお高そう……なんて思っていると、妙花が目を閉じ、水晶に手をかざす。

 なんか占い師って、こういう時何か言ったり、手を動かしてみたりとかするのかなって思ったけど、妙花は無言のまま微動だにしない。
 見慣れているのか。結菜と宇多ちゃんは期待の眼差しでじーっと見てる。
 でも、あたしは妙花の無表情さもあって、占ってる時の彼女にちょっと不気味さを感じちゃうんだよね……。

 恋路を占ってもらってるはずなのに、全然関係ない事を考えながら妙花を見守っていると、しばらくして彼女がゆっくりと目を開いた。

「終わった?」
「うん」

 結菜の言葉に頷いた妙花が、じっとあたしの目を見つめてくる。

「今日の帰り。本屋に寄って」
「え?」

 本屋?
 何で本屋……って、そこにハル君がいるからって事だよね。
 でも、そもそもハル君って、そんなに本読んだりしないけど、それなのに本屋にいるの?
 それに、今日この後?

 あたしの頭には、正直ハテナが浮かびまくってるけど、一旦それは忘れなきゃ。
 そんな事より、今は妙花にもっと大事な事を聞かないと。

「本屋って、何処の?」

 そう。どのお店か知らないと、ハル君に会えないかも知れないじゃん。
 迷わずそう尋ねたあたし。だけど、妙花は真顔で衝撃的な事を言ってきた。

「わかんない」
「わ、わからない? 占いでお店の名前とか見えなかったの?」
「うん」

 相変わらずの真顔。
 妙花ってどこか竹を割ったかのような性格をしてて、こういう風に言い切られると、だいたいそれ以上の話に繋がらない。
 っていうか。店がわからなかったら、すれ違って終わっちゃうじゃん。

(たゆ)っちが占ったんだしー。流石に美桜っちが知らないお店はありえなくなーい?」

 宇多ちゃんがそう言ってきたけど、確かにあたしが知らない本屋に行って、ハル君に会うなんていう奇跡、早々起こらないと思う。
 じゃないと、占い外れちゃうし。

「うーん……」

 本屋……本屋……。
 顎に手をやり首を傾げながら、心当たりがある本屋を思い浮かべてみる。

 確かこっちの駅だと、すぐそこのショッピングモールに、一軒大きな本屋があったような気がする。
 あとは家の最寄り駅の駅前に小さな本屋があるのと、家の近所の商店街にも一軒あったかな。
 でも、こっちの本屋だったらすぐ寄れるけど、もし最寄り駅の方だったらまだ一時間も掛かる。

 今は夕方五時。
 ハル君は今日一人で帰ってったし、用事もないのに寄り道なんてあまりしないって考えたら、こっちの本屋かな?
 でも、学校帰りに本屋で三十分以上もいる?
 ハル君ってマンガは読んでそうだけど、そこまで本の虫って感じはないし。
 だいたい買い物なら、探す物を見つけたら、すぐ店を出ちゃいそうだけど……。

「まずは、美桜ちゃんが足を運びたいって思う、本屋にでも行ってみたら?」
「うーん。そうだねー。考えても埒があかないし。そうしてみる」

 結菜の言う通り。考えても仕方ないし、帰りに家の近所の本屋にでも寄ってみよう。
 そう割り切ったあたしに、妙花がぼそっとこう言った。

「ちゃんと、結果出してね」
「へ? け、結果って……こ、告白しろってこと!?」

 いきなりの要望に、あたしは思わず目を丸くすると、慌てて両手を振った。

「無理無理無理無理! まだ心構えだってできてないし、本屋で告白なんて──」
「そこまでは言ってない」

 あたしの動揺に、さらっと釘を差す妙花。
 それを見た結菜が、「そういうことかー」なんて納得してるけど、どういう事?

「え、えっと。じゃあ、どうしろっていうの?」
「この先に繋がるような結果を出そうって事だよね? (たゆ)ちゃん」
「うん」

 結菜の言葉に、妙花が迷いなく頷く。

「結果? 結果って……」
「決まってるじゃーん。例えばー、一緒にデートする約束取り付けるとかー。ゴールデンウィークに家に上がらせてもらうとか。(たゆ)っちだってー、そういうアオハルな話、期待してるっしょ?」
「うん。だから占ったし」

 にこにこの宇多ちゃんに、まるで正論と言わんばかりに妙花が真顔で頷いてる。

 いや、だから占ったって……。
 勝手にしたくせに……なんて愚痴るのは、流石によくないよね。

 結果。結果かぁ……。
 確かにあたしが一番欲しいのも、そういう少しずつ前に向かうための結果。
 だけど、そう簡単に言われても困るんですけど……。

 あたしは眉間に皺を寄せながら、ジュースの入ったカップを手にすると、困惑する気持ちをストローから入るジュースと一緒に飲み干したの。
 日も暮れた頃。
 学校から帰って家でゆっくりしていた俺は、私服に着替えて背中に愛用のリュックを背負い、一人駅前の商店街に向け歩いていた。

 普段はこの時間、自分の部屋でのんびりしながら晩飯を待っているんだけど、今日は母さんに急に買い物を頼まれたんだ。

  ──「明日のお弁当の材料、買い忘れちゃったのよ」

 っていうのが理由だったんだけど。母さんも共働きで忙しいのはわかってるし、買い忘れのひとつやふたつあるだろうと思って、二つ返事でOKした。

 で、今はスマホのメモに残した買い物をリストを見ながら、徒歩でスーパーに向かってる。
 しかし忘れた食材を見る限り、弁当の事だけ頭から抜けてた節があるな。
 まあ、今日は特に忙しかったって言ってたし、よっぽどだったんだろう。

 ……あ。忘れてたといえば。
 俺はふと足を止める。

 そういやあのマンガ、もう発売されたんだっけ?
 スマホでささっと検索してみると……あー、やっぱり。もう一巻が出てるじゃないか。
 受験でバタバタしてて情報を追えないうちに、すっかり頭から抜け落ちてたんだよな。
 買い忘れは弁当の材料。晩飯に影響はないはずだし、先に本屋にでも覗いてみるか。

 俺は目的のスーパーを一旦スルーし、そのまま商店街を進むと、昔からよく通っている馴染みの本屋に入って行った。

 思ったより人がいる店内を歩き、マンガコーナーに足を運ぶ。
 えっと、出版社は大学館。で、作家名順だと……げっ。マジかよ……。
 俺は目的のマンガ『リベロやります!』の一巻を()()()()()()、思わず舌打ちした。

 確かにそれは、マンガコーナーにあった。
 背伸びして手を伸ばしたって絶対届かない、本棚の最上段に。
 腕を伸ばしてジャンプすれば、何とか取れなくもない。だけど、それは流石に店の迷惑になる。

 はぁ……。
 こういう時に、やっぱりチビだって再認識するんだよなぁ。
 美桜と同じとは言わないけど、あいつに近いくらい身長があれば、さっと手に取れるんだろうけど……。

 ちなみにこの『リベロやります!』ってマンガは、ジャンル的にはバレーボールを題材にしたスポーツマンガだ。
 ただ、俺はバレーボールが好きなわけじゃないし、題材を理由にそのマンガを読みたいとは思わない。

 俺がこの作品にハマった理由。
 それは、主人公が俺と同じチビで、ヒロインが美桜と同じ長身だったから事だ。

 俺達と同じ、身長差約四十センチの二人。
 物語は、高校の入学式でクラス分けを確認する人混みの中、主人公が運悪くヒロインの胸に顔を突っ込んでしまう、最悪の出会いから始まる。

 知り合った二人はまさかの同じクラス。しかも、お互いバレーボールが好きで、それぞれがバレー部に入るんだけど、やっぱり身長のことで互いに歪み合うんだ。
 だけど、バレーを通じて互いの才能に驚かされ、それを認め合う中で、同時に心を許し、惹かれあっていく……って感じの物語じゃないかって期待してる。

 はっきり言い切れないのは勿論、まだ大して読めていないから。
 俺が雑誌で読んでいた時も、二人はまだラブコメっぽい感じで喧嘩してばっかりだったし、受験中は読むのを我慢してたから、その先が全然わかってないんだよ。

 でも、互いの身長差もあるけど、それぞれ互いの才能に驚くシーンはあったし、絶対二人は意識し合うはずって思ってる。じゃなきゃ、ドラマにならないしさ。

 っと。マンガの振り返りはいいか。
 さっさと店内にある踏み台でも探して──。

「何か欲しい本があるの?」
「ん? ああ。実は──」

 ん?
 突然背後からした声に無意識に反応したけど、途中ではっとして言葉が詰まる。
 この声、まさか!?

 ばっと振り返り背後を見ると、こっちと目があった制服姿の美桜が、小さく手を振っていた。

 は?
 何であいつがここにいるんだ!?

「ど、どうしたんだよ? 何か買いに来たのか?」

 心の動揺が隠せないまま、驚き交じりの問いかけをすると、あいつが頬を掻き苦笑する。

「あ、うん。実は、丁度本を買い終わって、帰ろっかなーって思ったんだけど。そうしたら、ハル君が入って来たのが見えて」
「そ、そうだったのか」

 まさか、同じ時間にここにいたのかよ。
 周りなんて見向きもせずにこのコーナーに来たから、美桜がいるなんて気づきもしなかった。

「それで。欲しい本があるなら、取ってあげよっか?」

 こっちの意図を汲みとって、そんな気遣いを見せる美桜。
 確かにあいつの身長なら、本棚の最上段にも手が届くだろう。

 こういう厚意は嬉しい。だけど、それであいつの劣等感を刺激しないか? ってのはちょっと気になる。
 でもまあ、俺がどの辺を見てたかもわかった上で、本人が親切心で言ってくれたんだ。流石に気にしすぎてもいけないか。

「ん? ああ。えっと──」

 ……い、いや。ちょっと待て。
 流石にあのマンガの表紙を、あいつに見られるわけにはいかないだろって!

 一巻の表紙は、さっきスマホで調べた限り、身長差のある二人が並んでそっぽを向きながらも、相手を気にして横目で見てるイラスト。
 それを見たら、いくら鈍感なあいつだって、『もしかして自分達を重ねてるんじゃ』って、勘づくかもしれないだろ!

 勿論俺は、この作品を知った時点で俺達を重ねてるし、だからこそこの二人にくっついて欲しいって思ってる。
 だ、だけど、美桜はそうじゃない。俺の事なんて、ただの幼馴染って思ってるんだから。

 流石に、この段階で俺の好意がバレるのはやばい!
 とはいえ、気を利かせたあいつに断りを入れるタイミングは、もう完全に逸してる。

 ど、どうする?
 ……そうだ!

「あ、あそこの『異世界のんびりまったり紀行』の三巻、取ってもらえるか?」

 俺は咄嗟に数冊隣にある、異世界ファンタジーっぽいタイトルの作品を指差した。

 正直この作品を選んだ理由は、男子が買いそうである事だけ。今までに一度も触れた事のない作品だから、話は全く知らない。
 まあ、タイトルを見る限りは異世界ファンタジーだろうし、男が選ぶなら無難な選択だろう。

 わざわざ三巻を選んだのは、並んでいる中では一番新しかったから。前から読んでて追いかけてるっていう、無難な言い訳がしやすいと踏んでの事だ。
 それに、背表紙に書かれた女の子のアップも、絵柄的には好みで悪くない。
 だからこれを機会に、ちゃんと読んでみてもいいかなって思いもある。

 『リベロやります!』がすぐ読めないのは残念だけど、今回ばかりは背に腹は代えられない。

「あれね。わかった」

 咄嗟の機転が功を奏し、迷いなくそっちの作品に手を伸ばす美桜を見て、内心胸を撫で下ろす。
 良かった。これで俺の想いは守られたな……。

「……え!?」

 と、手に取ったマンガの表紙を見た彼女が、急に目を丸くして、ぽんっと一気に耳まで真っ赤にした。

 へ? 何でそんな反応なんだ?
 疑問と共に膨らんだ嫌な予感が、さっきまでの安堵を一瞬で吹き飛ばす。
 そして、それが現実となったかのように、美桜は顔を真っ赤にしたまま、俺に白い目を向けてくる。

「……ふ、ふーん。ハル君って、こういうのが好きなんだ?」
「え? あ、うん。まあ……」
「そ、そっかー」

 あいつの妙な圧と、混乱してる俺の頭。そしてそもそもその作品を知らないせいで、何とも歯切れの悪い返事をすると、あいつは白い目のまま、顔を背ける。

「ま、まあ、確かに可愛いもんね。はい」
「サ、サンキュー」
 
 片手ですっと差し出された本を見た瞬間。
 俺はあいつに倣うように、顔を真っ赤にした。

 な、何であんなタイトルなのに、温泉前で背表紙の子のタオルがはだけそうになってる、エッチな雰囲気全開の表紙なんだよ!

 穴があったら入りたい。
 そんな恥ずかしさと、何でこのマンガを選んだんだっていう己の判断ミスにわなわなと震えながら、俺は美桜の視線を避けるように、一人でレジに向かったんだ。
 会計を終えた俺達は、本屋を出ると明かりに照らされた夜の商店街を、並んで歩き始めた。

 気まずくって何も言えない俺。
 ちらりと横目で見ると、美桜も未だ困惑したような顔で沈黙したまま俯いてる。

 さ、流石にこのままじゃ……。

「わ、悪い」

 この沈黙から逃げたくって、俺が先にそう口にすると、あいつはこっちを見て苦笑いする。

「べ、別にいいってー。ハル君だって、男の子なんだし。ああいうの好きなの、普通じゃん」
「い、いや! 表紙はあんなだけど、中身はちゃんとしてるから!」
「ふ、ふーん……」

 俺が必死に弁解すると、少し口を尖らせた美桜がまたそっぽを向き、横目に俺を見る。
 
「じゃ、じゃあ、あたしが読んでもいいんだ?」
「は!?」
「べ、別に、健全なマンガなんでしょ? だったらいいじゃん」

 げっ! マジかよ!?
 口から出まかせを言ってごまかそうとしたけど、まさかこうくるとは思ってなかった。
 あんな表紙の作品で、中身が健全ってかなり期待薄な気もするけど。本当にあいつに貸して大丈夫なのか!?

 それすら分からずOKするのは流石に危険。
 だけど、今更後戻りするのもダサ過ぎだよな……。

 こ、こうなったら……。

「お、俺が、読み終わってからな」

 俺はあいつから顔を背けると何とかそう切り返し、時間稼ぎを選択した。

 この賭け、かなり分が悪い気がする。
 ま、まあ、ぱっと見で成人指定のロゴもなかったし。きっと大丈夫だろ。
 ……大丈夫だよな?

「そ、そっか。わかった」

 俺がきょどってるのを見抜いてるのか。どこか戸惑いを感じる美桜の返事。
 結局、互いにそれ以上の言葉が続けられず、さっきより気まずさが酷くなる。
 ずっとこのままってのはお互い辛い。早く何とか次の話題を──。

「あ」

 俺はある物に目が行き、思わず立ち止まった。

 視線の先にあるのは、煌々と輝くスーパーの看板。
 いや、美桜に会ってすっかり忘れてたけど、俺が出掛けてる理由は、親に頼まれた買い物じゃないか。

「どうしたの?」
「あ。俺、この後そこのスーパーで買い物してくから」
「そ、そっかー」

 俺の説明を聞いて、ちょっと固い笑みを浮かべる美桜。

 助かったぁ。
 ここで別れる事になれば、この気まずい空気から解放される。
 あいつだってあんな表情をしたんだ。内心ほっとして──。

「ね。その、一緒に行ってもいい?」
「……は?」

 思わず素が出た俺に、美桜はもじもじとしながら、こっちの様子を伺ってきた。

「な、何でだよ? 何か用事があるのか?」
「う、ううん。ただ、このまま一人で帰るのも、何か味気ないし」

 いや。味気ないって何だよ?
 この微妙な空気を継続する気か!?
 そんな不満な気持ちは大きかった。

 だけど、もう一人の俺が、心でこう囁く。
 もう少し、美桜と一緒にいられるんだぞ? って。

 ……実は最近、ちょっと気になってる事がある。
 それは、あいつは俺といても、身長差をあまり気にしてないんじゃないか? って事。
 
 例のキレた日から数日後。
 あいつが急に、

   ──「ハル君が一緒に帰れない日ってある?」

 なんて聞いてきたんだけど。そこでダメって答えた日以外、結局一緒に帰ってるんだよ。
 あいつだって友達もできたし、そっちのみんなと帰れるはずなのに。

 勿論、家の近所のこの辺じゃ見知った人も多いから、今更身長差どうこうで奇異の目を向けられる機会もそこまでないし、幾分気が楽ではある。
 でも学校の方じゃ、まだまだ俺達はそういう目で見られる事も多い。

 だけど、それでも一緒にいようとする。
 ってことは、俺が思っているより、あいつは俺といても劣等感を感じてないって事なのか? なんて思ったんだ。

 ただ、それが俺の淡い期待で、実際には幼馴染だから気を遣ってくれてるだけな気もしてて、現状は手放しで喜べない自分がいるんだけど──。

「ハル君?」
「……わっと!」

 美桜の声にはっと我に返ると、体を前屈みにして、こっちを覗き込む美桜が見えて、思わずびくっとしてしまう。
 っていうか、流石に近いって!

「な、何だよ!?」
「あ、えっと。……やっぱダメ、かな?」

 ちょっと不安げな顔をする美桜。
 っていうか、何でそんな顔するんだよ。たかだか一緒に帰るかどうかって話だろ?
 ……まさか、家に帰りたくない理由があるとか──いや。それは流石にないな。
 美桜の家もうちと一緒で、家族仲はかなりいいし。

 ……もしかして、俺といたいのか?
 ふっとそんな事を思う。けど、流石にそれは期待しすぎだろ。
 多分、一人で夜道を帰るのが嫌なんだ。きっとそうだ。
 俺は心の中でそう割り切ると。

「まあ、いいけど。お前がそうしたいなら」

 素直になれない返事をした。

 別にさっきと違い、見られたらヤバい物を買うわけじゃないんだ。
 一緒にいたって問題ないだろ。俺としても嬉しいし。

「……うん。ありがと」

 まるでオレの心を代弁するかのように、嬉しそうに笑ったあいつに、別な意味でまたドキッとさせられ、俺は思わず目を泳がせ頬を掻く。
 ……ほんと。
 好きな奴の笑顔はやっぱり、破壊力ありすぎだって。

      ◆   ◇   ◆

 スーパーの中は、夕食時の買い物客で賑わっている。
 そんな中、買い物かごを手にした俺は、一旦人の流れを避けた隅に移動すると、スマホを片手に買い出しの品を改めて確認し始めた。
 えっと。鶏もも肉に唐揚げ粉、冷凍春巻きにプチトマトか。
 どこに何があるか、全部はわからないな。さて、どう回るか……。

「今日は何を買うの?」
「ん? ああ。母さんが買い忘れた、弁当の材料」
「へー。千景おばさんにしては珍しいね」

 やっぱり美桜も同じ感想を持つよな。
 うちの母さん、何気にキャリアウーマンなのもあってか。かなり計画的に行動するタイプでさ。
 出かける時とか買い物なんかでも、滅多に忘れ物なんてしないんだ。

「だろ? まあ、仕事が忙しいって言ってたし、そういう事もあるんだろうけど」
「ちなみにハル君って、ここにはよく買い物に来るの?」
「そんなに。母さんに頼まれ事でもされなきゃ来ないかな」
「そっか。ちょっとそのリスト、見せてもらってもいい?」
「ん? ああ。いいけど」

 ちょっと首を傾げつつ、俺があいつにスマホを渡すと「ふむふむ」なんて言いながら、リストを少しの間じーっと眺める。

「ねえ。あたしが売り場、案内してあげよっか?」
「ん? 何でだ?」
「あたし、結構ここに買い物来てるし、売り場もだいたい分かるから。変に遠回りになるよりいいでしょ?」

 そう言いながら、自信ありげに胸を張る美桜。
 こいつは家の手伝いとかよくしてるし、だからこそ今の言葉も事実だろう。

 本当は、買い物に多少時間が掛かってもいいかなって思ってる。
 そうすれば、美桜と少しでもいられるから。
 だけど、あいつは俺と違って学校帰りだし、あまり遅くなるのもよくないか。

「じゃ、悪いけど、頼んでいいか?」
「うん! 任せて! じゃあ、まずはあっちの野菜売り場からね」

 ……まったく。ここでそんな顔するなよ。
 どう見ても喜んだように見える笑顔に、こっちも内心嬉しくなる。
 けど、それをを表に出さないようにしながら、俺はあいつの指示に従い歩き出した。

      ◆   ◇   ◆

 あれらすぐ、俺は理解した。
 確かに美桜はここでの買い物慣れしてるって。

 野菜売り場に行けば野菜があるのは、流石に俺だって知ってる。
 だけどあいつは、目的の物の詳細な場所まで、迷う事なく案内してくれるんだ。
 お陰で買い物かごに、どんどん必要な物が揃っていく。

「次はあっちの乳製品コーナーね」 
「ああ。しっかしお前、本当に凄いな」
「ふふーん。どお? 見直した?」
「ああ。お陰で助かるよ。ありがとな」

 隣を自慢げな態度で歩くあいつに、素直に礼を言った。
 実際、本当に助かってるし。
 だけど、美桜にとっては意外だったのか。

「う、ううん。役に立てたなら、良かった、かな」

 俺を見下ろしていたあいつが少し驚いた後、あからさまに目を逸らし、頬を掻く。

 まったく。どうせ俺がそう口にしたのが珍しいとでも思ってるんだろ。
 俺だって感謝する時くらい、ちゃんと口にするんだけどな。
 
 普段なら、相手を茶化せる最高の機会。
 だけど、今回は流石にしなかった。
 今それをしたら、感謝を込めた言葉が嘘くさくなるし。

 ただ、そのせいでまた話題を失った俺達は、互いに沈黙したまま美桜に指示されていたコーナーを目指す。

「あーら。陽翔君と美桜ちゃんじゃなーい」

 お惣菜コーナーの方から、聞き覚えのある声がして、俺達はそっちを見た。
 あのエプロンと三角巾をした、パートっぽい人は……(かつら)さんじゃないか。

 桂さんは、俺や美桜の両親とも仲の良い、気のいい近所のおばさん。
 小さい頃から俺達にも、色々よくしてくれてるんだ。

「こんばんは。桂さん」
「こんばんは!」
「はい。こんばんは」

 俺と美桜の挨拶に、桂さんは愛嬌ある笑顔を見せる。

「二人で買い物なんて。珍しいわねー」
「ちょっと母さんに買い物を頼まれたんですけど、そこで偶然美桜と出会って」
「そうなのー。二人はもうお付き合いしてるの?」
「……え?」

 俺と美桜の声がハモる。
 い、いやだって。急に桂さんにそんな事言われたら、驚くに決まってるだろって!
 突然の一言に、俺が目を丸くしていると。

「お、おばさん! そ、そんな事あるわけないじゃないですか! あたし達、ただの幼馴染ですよ!?」

 俺と同じく驚愕した顔の美桜が、全力でそれを否定した。

「そうなの? 陽翔君」
「そ、そうですよ! 幼馴染だから仲はいいですけど。本当にそれだけですから!」
「そうなの? 勿体ないわねー。お似合いなのに」

 思わず俺も全力で否定すると、桂さんが何とも残念そうな顔をする。
 な、なんかこの空気はやばい。彼女にペースを握られてたら、色々変な事になるだろ!

「み、美桜。遅くなってもいけないし、そろそろ行くぞ」
「う、うん! お母さんも心配するもんね」

 たじたじになりながらも、この場を離れたい一心で美桜に声を掛けると、あいつも焦りながらもこくこくと頷く。

「じゃ、あたし達はこれで失礼しますね。おばさん。お仕事頑張ってくださいね!」
「ありがとー。二人共。これからも恋人として仲良くねー」
「恋人じゃありません!」

 ハモりながら全力で否定する俺達を見て、桂さんがくすくすと笑う。
 それがより恥ずかしさを加速させ、顔を赤くした俺達は、逃げるようにその場を後にしたんだ。
 買い物を済ませてスーパーを出た私達は、夜の商店街に戻ると家に向かい歩き始めた。
 あたし達の空気は、スーパーに入る前より悪くなった気がする。

「なんかごめんね。あたしが付いてったばっかりに……」
「別にいいって。気にすんなよ」
「う、うん……」

 落ち込むあたしに、優しい言葉を掛けてくれるハル君。
 でも、全然こっちを見てくれない彼の姿が、あたし達の距離感をはっきりと感じさせた。

 でも、仕方ないよね。
 あたし達は幼馴染なんだし、彼は辱めにあった被害者だもん。

 きっと、ハル君は勘違いしてる。
 あたしが恋人と勘違いさせて、迷惑をかけたと思ってる。

 ……でも、ごめんね。
 あたしは別な意味で、強く後悔してるだけ。 

 もうっ! あたしの馬鹿!
 突然の事だったし動揺したよ? でも、何であたしはあそこで全力で否定して、幼馴染を強調したのよ!
 少しは好きだって、匂わせるチャンスだったじゃん!

 妙花の占いの通り、本屋でハル君を見かけて凄くびっくりした。
 ここまで当たるの!? なんて思ったけど、お陰で手に入れた折角の機会。これを逃しちゃ駄目だって、勇気を出してスーパーまで付いて行ったのに。

 桂おばさんのせいで、全部台無しじゃん。
 ……ううん。おばさんは関係ない。全部あたしのせいだ。

 あの時、冗談交じりに話を合わせる事だってできたじゃん。

  ──「えへへっ。そう見えますー?」

 照れ笑いしながら、こんな一言を言えたら、随分展開は違かったと思う。
 ハル君はきっと否定するけど、あたしが明るく受け入れるくらいの余裕ある反応ができたら、少しは意識してもらえたかもしれなかった。

 それなのに、はっきりと全否定しちゃって。

  ── 「恋人じゃありません!」

 なんて、口にする必要なかったじゃん……。

  ──「そうなの? 陽翔君」
  ──「そうですよ! 幼馴染だから仲はいいですけど。本当にそれだけですから!」

 彼も言い切ってた。あたし達は、幼馴染なだけだって。
 それってつまり、あたしはそれ以上の関係になりたいけど、ハル君はきっと違うって事だよね……。

 気持ちが萎え、しゅんっとしながら歩いているうちに、商店街を抜けて住宅街に入るあたし達。
 周囲の明かりは随分と減って、途中の街灯と家々の窓の明かりくらい。
 さっきまでと比べて、随分暗くなっちゃった。今のあたしの気持ちくらい。

 もうしばらく歩いたら、家に着いちゃうのに、結局あたしはいつもと同じまま。
 何も進展させられなかったじゃん。

「はぁ……」

 自然に漏れたため息は、自分への呆れた気持ち。
 自然に俯いたのも、憂鬱な気持ちのせい。

 もう……。
 あたしの馬鹿。意気地なし。

「美桜」
「……何?」

 とぼとぼ歩いているあたしに、ハル君が声を掛けてくる。
 それで我に返ったあたしは、足を止め隣の彼を見た。
 目が合ったハル君は、握った手の親指だけを立て、何かをツンツンと指し示す。

 え? 何だろう?
 ……あ。気づいたらもう、近所の公園の側まで来てたんだ。
 もう。あたし、ここまで何してたんだろ……。

「ったく。酷い顔してるな」

 気落ちして、思わず奥歯を噛むあたしに掛けられた、嘲笑にも似たハル君の言葉。
 でも、どこか優しいその声に釣られ、あたしはまた彼を見てしまう。

 こっちの視線を無視して、ハル君があたしの前を横切ると、すぐ側にある自動販売機に歩いて行き、迷う様子も見せず飲み物を買い始めた。
 何枚かの硬貨を入れ、流れるようにボタンを順に押す。その度に聞こえるゴトンという重い音。
 彼はそのまま取り出し口から、一本の小さめのペットボトルを手に取り、こっちを向く。

「ほら」
「え? あっ! っととっ」

 ハル君が突然、こっちにペットボトルを投げたのを見て、あたしは慌ててそれに手に取ろうとする。
 一、二度お手玉しながら何とか受け取ったのは、あたしの大好きな桃のジュースだった。

「奢ってやるから。ちょっとそこで休んでこうぜ」

 自動販売機から缶コーヒーを取り出したハル君はそう言うと、あたしの返事も聞かずに、人気のない公園へと入って行く。

 どうしたんだろ? 家はもうすぐなのに……。
 きっと何時もなら、ハル君ともう少しいられるって喜んでる。
 でも、さっきの事で気落ちしちゃって、素直にこの状況を喜べないまま、あたしはただ彼に続いて歩いて行くだけ。

 先を歩いていたハル君は、外灯に照らされたベンチまで行くと、ドカリとベンチに腰を下ろし、端にリュックを置いた。

 ちゃんと空いている 、広めに取られた隣のスペース。
 あたし、座っていいのかな……。
 どうにも踏ん切りがつかなくって、ベンチの前で立ち尽くしていると。

「座れよ。立ってたら疲れるだろ?」

 きっと、あたしの気持ちを察したんだと思う。
 ハル君が普段通りにそんな優しい声を掛けてくれたから、何とか「うん」って返事をして、あたしはゆっくりと彼の脇に腰を下ろした。

 少しだけ、ハル君の顔が近くなる。身長差があり過ぎるからこそ、こんなささやかな瞬間で嬉しくなっちゃうのは、あたしがハル君を好きだからに他ならない。
 さっきまで、素直に喜べなかったくせに。あたしってほんと現金だ。

 暗い公園の中で、外灯に照らされるあたし達。
 こっちがベンチに座ったのを確認した彼が、カシュッっという独特の音を立てプルタブを開けると、そのまま目を閉じ上を向いて、一気にコーヒーを飲み始めた。
 ゴクッゴクッていう音って、何か男らしいよね……なんて、あたしが惚けながらハル君を見ていると、ふと目を開けた彼と目が合った。

「……おい。何見てんだよ」

 缶を口から離し、こっちに白い目を向けてくるハル君。
 って、やばっ! 見惚れてたとか言えないじゃん!

「え? あ、う、ううん。ハル君って、一気にコーヒー飲み干しちゃうのかなーって」

 慌ててアドリブでごまかしたあたしに、ハル君が少しだけ眉間に皺を寄せる。

 ゔ……う、嘘だってバレた!?
 内心ヒヤヒヤしながら含み笑いを向けると、彼は呆れ顔を見せながらも、それ以上詮索はしてはこなかった。
 コツンと音を立て缶をベンチに置いたハル君が、再びこっちを見上げてくる。

「美桜。覚えてるか?」
「え? 何を?」
「昔、あのスーパーでよく、遠足のおやつを買っただろ?」
「あー。うん。買ったねー。勿論覚えてるよ」

 ハル君との想い出だもん。忘れるわけなんてない。
 小学生の頃、遠足の前には両親からお小遣いを貰って、ハル君と一緒にあのスーパーに行っておやつを買いに行ってたの。
 当時からあたし、マーベラスチョコっていうアーモンドが入ったチョコが好きで、毎回それを買ってたっけ。

  ──「お前って、いっつもそれだよなー」
  ──「い、いいじゃん! 好きな物は好きなの!」

 なんて、ハル君によく呆れられたりもしたけど。買ったおやつをお互いに見せ合いっこしたりもして、今思い出しても、あの時間はすごく楽しかったなぁ。
 当時の頃を懐かしんでいると、ハル君が話を続ける。

「だったら覚えてるよな? あの頃から桂さん、あそこでバイトしてたの」
「あ、うん」

 それも覚えてる。
 いつも私達に良くしてくれて、試食のお菓子をくれたりもしたよね。

「いいか? あの頃から……いや。生まれた頃から、あの人はずーっと俺達を見てきたんだ。そりゃ、あんな反応したって仕方ないだろ。許してやろうぜ」

 あたしを責めるでもなく、桂おばさんを責めもしない。勘違いしたままのハル君の笑顔と優しい言葉。

 やっぱり勘違いしてる。
 でも、同時にわかっちゃった。
 彼はこっちの様子を伺って、あたしを元気にしようとしてくれるって。

 ……ほんと。
 あの頃から、ずっと変わらないんだから。

「そうだよね。桂おばさんだって、悪気があったわけじゃないもんね」
「そういう事」

 じわーっと、胸に広がる喜び。そのせいで頬が緩みそうなのをごまかすため、あたしはハル君に貰ったペットボトルの蓋を開け、ジュースを軽く一口流し込む。
 喉を通る冷たいジュースが、頭と心を冷やし、あたしが変なにやけ顔にするのを抑えてくれる。
 そして同時に、改めて自身の想いを思い出させてくれた。

 ……やっぱりあたし、ハル君が好き。
 ハル君とずっと一緒にいたい。
 あたし、こんなみ大きくなっちゃったけど。
 いっつも迷惑ばかり掛けてるけど。
 やっぱり、ハル君といたい。

 流石にここでいきなり告白なんて、そこまでの勇気なんてない。
 だけど、この機会を無駄にしちゃ駄目だ。

 勝手なお節介とはいえ、結菜達に手助けしてもらったから、こうやって気持ちを再確認できた。
 だから、少し。ほんの少しでもいいから、あたし達の関係を進展させなきゃ。

 ペットボトルの蓋を閉めながら、自分の心も引き締めたあたしは、飲み物を両手に持ったまま、彼に真剣な顔を向けた。
「ハル君」
「ん?」

 ハル君に声をかけると、彼がこっちを見上げてくる。
 あたしの緊張が伝わっちゃってるのか、少し真顔で。

 そんな顔されると、余計に緊張しちゃうんですけど……。
 で、でも、もう引けないし。
 こうなったら、やるしかないもんね。

「え、えっと。ハル君って、その……ゴールデンウィークって、何か予定ある?」
「ゴールデンウィーク?」
「う、うん……」

 こっちの真剣な問いかけに、ハル君がきょとんとすると、首を傾げる。
 何でそんな事を聞かれたんだ? って空気がプンプンするけど、大丈夫かな……。

「一応、家族で旅行に行く予定になってる」
「え? ゴールデンウィークに?」

 嘘!?
 思わず目を丸くしたあたしに、彼は現実を突きつけるかのように小さく頷く。

「そりゃあ、連休だし。親だってそういう時だからこそ、予定を立てるもんだろ」
「まあ、確かに……」

 なんて、表向きは納得して見せたけど、内心すごくがっかりしてた。
 確かに納得いく理由。だけどここ数年、この時期にハル君一家が旅行に行った事なんてなかったじゃん。
 折角勇気を出して、スケジュールを聞いてみたのに……。
 思わずハル君の両親を恨みそうになるけど、流石にそれは自分勝手。

 はぁ……。
 今日はもう駄目かな。色々タイミングが悪いし。

「とは言っても、旅行は三日から五日の予定だから、六日だったら空いてるけど」
「そっかー。そうだよねー。予定あるんじゃ仕方ないもんねー」
「ん? だから、六日なら空いてるけど。数日空いてないと駄目なのか?」
「そんな事はないけどさー。ハル君も予定入ってるんだし──」

 ──あれ?
 今ハル君、予定空いてるって言った?
 思わず彼を見下ろすと、ジト目でこっちを見てる。

「そうか。ま、お前がいいってなら、この話はなし──」
「ありますあります! ありますから!」

 そっぽを向こうとしたハル君を必死に引き留めると、がしがしと頭を掻いた彼がちょっとだけ苦笑いした後、真面目な顔でこっちを向いてくれた。

「で。どんな用事だよ?」

 あたしの事を気にかけてくれてる、彼の凛とした表情。その格好良さに見惚れそうになるけど、今はそれどころじゃない。

「あ、うん。えっと……その日なんだけど。その……一緒に……お昼でも、食べない?」
「……は? お昼? お前の家でか?」
「違う違う! その……どこか、外で……」

 勇気を出してみたけど、緊張で歯切れが悪いあたし。
 ハル君はそんな答えを聞いて、ちょっと不思議そうな顔をして首を傾げる。

「理由は?」
「……その、前に先輩達の件で助けてもらったのが、ずーっと引っかかってて。だから、せめてお礼に、あたしがご飯でも奢ってあげたいなぁって……」

 あたしの心底真面目な理由に、ハル君はじーっとこっちを見たまま。
 こんな理由じゃ気を遣って断られるって思ってたし、だからこそ何とか説得しなきゃって意気込んでたから、予想外の張り詰めた空気と沈黙に、余計緊張が大きくなる。

 ……あー。やっぱ無理!
 視線を逸らす口実にペットボトルを口に運んだあたしは、一気に中のジュースを飲み干す。
 でも、それでも顔の火照りは冷めなくって、結局目を泳がせたまま顔を逸らした。

「あ、あー。えっと、ついでに買い物に行って、荷物持ちしてくれたら嬉しいかなーとか。そんな事は思ってないよ?」

 空気を変えたくって、そんな冗談で真面目じゃないってアピールをしちゃったけど……こんな事言われて、ハル君は嫌な気持ちになったらどうすんの!?

 ヤバッと思いつつ、ちらちらと横目で様子を伺っていると、彼はまたくすっと笑い、あたしから顔を背けた。それがどこか小馬鹿にされたようにも見えて、あたしはちょっとだけムッとする。

「な、何よー?」
「いや。いいぜ。お前が構わないなら」
「……え?」

 嘘!? 本当に!?
 突然の言葉に、喜びより驚きが勝っちゃって、ちょっと実感が湧かない。

「おい。何でそっちが驚くんだよ?」
「だ、だってー。ハル君、前日まで旅行なんでしょ? 帰って来て疲れてない?」
「ただの旅行みたいだし。別に大丈夫だろ」
「でも、荷物持ちだよ?」
「は? そっちが本題かよ。ま、いいけど。どうせ暇だし」

 やっぱりこっちを見てくれないハル君。
 声は普通だし、嫌そうって感じはしないけど……。

「えっと、本当に? ほんとーに、大丈夫?」
「ったく……。だからいいって言ってるだろ。断られたかったのかよ?」

 ゔ……しまった。
 あたしがはっきりしないから、ハル君が呆れてるじゃん。

「ご、ごめん! そんな事ないから! じゃ、じゃあ、五月六日、空けておいてくれる?」
「ああ。わかった」

 缶コーヒーを勢いよく飲み干したハル君が、立ち上がるとリュックを背負い、こっちを見下ろしてくる。
 あたしの大好きな笑顔を咲かせて。

「さて。あまり遅くなるといけないな。そろそろ帰るか」
「そうだね。ジュース、ご馳走様」
「ああ」

 外灯に照らされるハル君も、やっぱり格好良いな。身長が低いのなんて関係なく。
 本当はこのまま彼をもっと見てたかったけど、これ以上不審な態度をとったら、また怪訝な顔されちゃうもんね。
 
 鞄を手にして、ひょいっと立ち上がったあたしを見たハル君が、ゆっくりと歩き出す。
 道に出るまでにある、所々の暗がり。普段だとちょっと薄気味悪いとか思っちゃうけど、今はそんな事なんて全然ない。
 だって、今あたしの心には、じわーっと喜びが広がっていってるから。

 ……デートの約束、取り付けられたんだよね。
 勿論、ハル君がこれをデートなんて考えてないのくらい、流石にわかってる。
 あたしが気落ちしたのを見て、元気付けるために付き合ってくれてるんだってわかってる。

 それでも、あたしは嬉しい。
 自分の力で、やっと恋に前向きになるきっかけを作れたから。
 まあ、半分は結菜達のお陰でもあるけど。

 でも、登下校とかご近所付き合いとは違う、ハル君と二人っきりの時間なんて久々だよね。
 多分、初詣を除けば、中学一年生の二学期くらいが最後じゃなかったっけ。
 あの頃は頑張ってハル君の気を引こうって、随分ファッションにも気合い入れてたけど、最近はこの身長のせいで全然だもんなぁ……って、あれ? そういえば……。

「あーっ!」
「おわっ!? な、何だよ!?」
「ご、ごめん! ちょっと虫が飛んできて。あはははっ」

 あたしの奇声に驚いた彼に、思わず苦笑いしながら必死にそうごまかす。

 うわぁ……。まだまだ問題山積みじゃん。どうしよう……。
 歩きながら、ある現実に気づいたあたしは、思わず内心頭を抱えながらも、家に着くまでの間、何とか平然を装ったの。