「雪成、さん」
「驚いているのか。人のことを妖怪だと疑っておいて、この姿に驚くのかい」
「だって、貴方は自分のこと人間だって言ったから。だから私、あれは見間違いだったのかなとか……」
「俺は深水雪成だ。間違いないよ」

 池から這い上がった雪成が、瞬きの内に人間の姿になる。

「背中のそれ、八百美堂のシュークリーム?」
「そうよ」
「本当に買って来たんだ」
「え?」
「この間の部屋で待ってて。着替えてくるから」

 置いてあった手拭いで髪や顔を拭きながら、雪成は縁側から離れに上がった。寸の間呆然としてから、燈華も後を追う。
 微かに絵の具の匂いがする庭に面した広い部屋。床の間に牛乳の空き瓶が置いてあり、雑草の花束が活けられていた。
 燈華は風呂敷包みを畳に下ろした。鼬の前足でも簡単にほどけるように結んでくれた店員に感謝して、シュークリームの箱を取り出す。甘い香りが漏れていて、思わず匂いを嗅いでしまう。

「おまたせ」

 戻って来た雪成は盆を手にしていた。水の入ったグラスが二つ載せられている。

「一つ分の箱の大きさじゃない。君も食べるんだろ」
「あっ、もう一個は妹さんにどうかなと思って。床の間のこのお花、妹さんがくれたんでしょう? この間同じようなのを鞄に入れていたわ。かわいい子よね」
「千冬は俺にものをくれるけれど、俺からあの子にものを……まして食べ物を与えることはない。もう一個は君が食べてくれ。君も食べたいだろう」

 盆を畳に置いて、雪成はシュークリームの箱を開けた。そして、一個取り出して燈華に差し出す。受け取るのを躊躇っていると、ぐいと押し付けられた。折角の高級ハイカラシュークリームが潰れてしまっては悲しいので、燈華は両前足で受け取った。
 甘い香りが鼻をくすぐる。一口齧ると、柔らかな生地の奥からとろけるクリームが溢れた。燈華は目を輝かせ、鼻先や髭をクリームだらけにしながらシュークリームを頬張る。

「んっ。美味しい!」
「君はそのままお菓子を食べるんだな」
「え?」
「鼬は人間に化けるのが上手い妖怪だと聞いている。そういう食べ物は人間になった方が食べやすいんじゃないのか」

 口の端にクリームを付けた雪成が問う。燈華はクリーム塗れの顔を上げた。

「私は、変化は不得手なの。人間に化けられたことなんて、ない。一度も」
「そう……なのか。周りと違うと不便じゃないか」
「化けてみたいな、とは思う。でも生活に支障はないし、誰かに何か言われるわけでもないし、崇高な鼬の姿が本来のものなのだから人間になれなくてもいいの。これが……今の私が、私だから」
「……強い人なんだな、君は」

 まるで自分は強くないというような言い方である。雪成は口の端に付いたクリームを舐め取り、グラスの水を少し飲む。その後は黙ったままで、燈華が食べ終えるまで待っていた。お菓子を食べる鼬を見つめる表情は柔らかく、穏やかなものだった。