「邪魔してごめんね。おやすみなさい」
　花楓はスクーターにまたがるとすぐにエンジンをスタートさせて走り出す。
　涙がにじむ目を左手でこすり、花楓はただ真っ直ぐにスクーターを走らせた。



　ここまで来たらもういいかな。
　花楓はお寺の前でスクーターを止めると猫耳をとった。
　スクーターから降りてスタンドを立てると、ふらふらとイチョウの木へと歩いて行く。根元にうずくまると、自然と涙がこぼれてきた。

「警察官の前でノーヘルで運転しちゃった……」
　頭に浮かぶのは焦ったような陽乃真の姿。

　珠子は婚約者だと言っていた。
　違う、とは言われてもなにが違うのかわからない。婚約をしていないなら婚約者を自称するなんてことないだろう。

　いつかこういう日がくるだろうと思っていた。
　だが、それはもっと遠い先であるはずだった。彼の転勤や自分の就職など、そういったことで自然に離れ、別れを受け入れられる日が来るだろうと思っていた。
　こんな突然、見知らぬ第三者によって現実をつきつけられるなんて思っても見なかった。

　ひとしきり泣いた花楓は、ふわりとやさしい風が吹いたことに気がついた。
　誘われるように顔を上げると、イチョウが淡く光っている。

　どうして光ってるんだろう。
　不思議と、怖くはなかった。
　光に包まれると、なんだか心が穏やかになっていくかのようだった。
　どうしたの、と聞かれているような気分になって、花楓は口を開いた。