巫女装束に着替えが済んだ結月(ゆづき)は、改めて叔母に渡された絶縁状を広げ見つめていた。
 両親がいなくなってから御屋敷で過ごした五年間は、すでに絶縁されていたような暮らしだった。

 ──今更こんなもの……いらないのに。
 
 きっと文として残しておきたかったのだろう。
 忌み子とはこの先何があっても何の関係もありません、責任取りません、赤の他人です、という何よりの証拠になるのだから。
 そんな現実を叩きつけられても、もう涙さえ出なかった。

 ふと式神の気配に気がつく。
 顔を上げ気配のする方を向くと、一頭の青白く光っている蝶が舞っているのがわかった。
 
 ──誰の式神? 紫明野(しめの)家にこんなに綺麗な式神を使う人、いた?
 
 わからなかったが、何だか見られているようで怖くて消えてほしいと願った。
 すると、しゃぼん玉が弾けるように一瞬で式神は消えてしまった。
  
 ──✩₊⁺⋆☾⋆⁺₊✧──

 暁生(あきお)は目をつむりながら式神越しに景色を見ていた。
 辿り着いた先は、何とも辺鄙(へんぴ)な小屋の前。
 
 ──こんなところに巫女が?
 
 不思議に思いながら小屋の壁を抜ける。

 目の前に見えた女性に目を奪われた。
 絹のように絡みのない銀髪。寂しげで儚げな蒼玉(せいぎょく)色の瞳。憂いた横顔。美しい女性だと、素直にそう思った。
 ただ、疑問も()ぎる。
 
 ──この巫女が婚約者? 黒髪じゃないのか?
 
 更に目を凝らし、彼女が見ている文を覗く。
 
 ──絶縁状?
 
 そこまで見えた途端、彼女がこちらに目を合わせてきた。ドキッとした。
 式神が見破られてしまったことよりも、彼女が顔を上げたことによってなびいた銀色の髪の綺麗さに見惚れてしまったのだ。
 その瞬間、式神が消えてしまった。消された、と言った方がいいかもしれない。
 式神を消すなんて、大した神力だ。それに、婚約をするのに絶縁状とは不可解すぎる。彼女の泣きそうで苦しそうな顔の理由を知りたい。

藤仁(ふじひと)、俺はこの銀髪の巫女と結婚するぞ」
「銀髪? 巫女なのに、ですか?」

 目を開いた暁生は意気揚々に言う。藤仁は怪訝そうな顔で暁生の方を覗いた。

「そうだ。綺麗な女だった。一目惚れした」
「左様ですか。暁生様の一目惚れはこれで何度目ですかね。しかし、銀髪の巫女なんて聞いたことありませんよ?」
「俺も聞いたことがない。だから興味がある」

 暁生がそう言ったと共に、正門が開かれた。ちょうど正午だ。

霧生院(きりゅういん)家の方々、お待ち申し上げておりました。本日は遠路はるばるお越しいただき、心より感謝いたします」

 正門の前で腰を折ったのはこの御屋敷の当主、宗一郎。五十代半ばに見合う威厳と風格を持ち合わせていた。
 白髪混じりの髪を後ろでしっかりとまとめ、彼の着ている黒い着物の襟には金の糸で家紋が刺繍されている。三つ巴紋の上に菊の花。それが紫明野(しめの)家の家紋。

「とんでもないです。こちらこそ、本日はこのような機会を設けていただき誠にありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝を」

 宗一郎よりも腰を折った藤仁が挨拶を交わした。

「そちらにお見えされておりますのが暁生様でいらっしゃいますか?」
「はい、わたくしが霧生院暁生でごさいます。この日を待ち望んでおりました。不束者ではございますが、本日は何卒よろしくお願い申し上げます」

 暁生は胸に手を当てて微笑み、軽く会釈をする。一房にまとめいてる髪が顔の横に垂れた。
 その美しく無駄のない所作に、宗一郎と出迎えにいた数人の巫女は思わずため息を漏らす。

「さすがは霧生院家のご嫡男(ちゃくなん)滅妖師(めつようし)としての活躍の噂も予々(かねがね)伺っております。立ち話もなんですな、どうぞ中へお入りください」
 
 巫女たちが見合いの場まで案内でしてくれるとのことで、彼女たちの後をつけるよう屋敷の中を歩き始める。
 一人は正門から少し離れた場所で馬と一緒に待機をさせているため、その場へは男五人で向かっていた。

「さすがは暁生様。外面の良さは完璧ですね」

 先ほどの暁生を見た藤仁はまたくすくすと笑っていた。
 
「だろう? 完璧主義者だからな」

 皮肉に乗るように口角を上げ、ふんと微笑し藤仁を横目で見る。
 
「まあ、巫女に会うまでの我慢だ。名はなんというのだろう。あの綺麗な髪……、一度触れてみたいものだ」
「珍しいですね、ただの一目惚れで暁生様がそこまで入れ込んでしまうなんて」
「こんなに胸が騒ぐなんて初めてかもしれん」
「ああ、それはもう五十回くらい耳にしておりますので、珍しくともなんともなかったですね」

 藤仁は眼鏡を上げながら、ふうとため息をつく。
 確かにそんなことを常々言っていたような気もするが、本当に初めてだと思った。銀髪の、自分の式神を一瞬で消せるほどの力を持った孤独そうな巫女。気にならない方がおかしい。

 石畳の道、左右には手入れの行き届いている広々とした庭園。池の中の鯉は自由に泳ぎ回っている。
 その庭園を越え、屋敷に入った。(ちり)一つだってない長い廊下を歩き、いくつもの部屋を通りすぎて辿り着いた和室が見合いの場だった。

「お待たせいたしました。こちらの中でお待ちになられております」

 案内人の巫女が(ふすま)を開けた。
 庭が一望できる和室。二十畳はありそうなくらい無駄に広い、おそらくは特別な客間。
 テーブルには色とりどりの食事が並べられている。小鉢がいくつも並んでいて箸をつつくのも大変そうだ。

「本日はお越しいただきありがとうございます」

 襖の前で正座し頭を下げたのは、黒髪をまとめた女だった。上品な菊の模様が一面に刺繍されている赤い着物を着た女。
 その後ろでは黒留袖を着た四十代くらいの女性が同じように頭を下げている。おそらく母親だろう。
 頭を上げたその女性は「どうぞ、こちらへ」と手のひらを綺麗に揃えて上座へと(うなが)した。

 女と向かい合いテーブルの中心で正座をした。横には藤仁、対面するように母親。他三人の護衛は後ろで正座している。
 
「お父様もまもなくお見えになられます。お待たせしてしまい申し訳ございません」

 父親。おそらく正門で出迎えてくれたあの男性のことだろう。
 暁生は少々困ったような顔で笑ってみせる。

「とんでもない。こちらもなにせ父は不在なもので、不躾で申し訳ない」
「いえ、暁生様のお父様も滅妖師を仕切る当主、さぞお忙しいことでしょう。暁生様におかれましても、ご多用のところ誠にありがとうございます」

 目の前でにこりと笑う見合い相手。赤褐色の瞳、十五歳の割には大人びていて、まあそれなりに整った顔立ち。
 悪くはない、が。
 
 ──あの銀髪の巫女はどこだ?
 
 辺りを見回すもその気配すら感じられない。あの女が見合い相手、婚約者ではなかったのか。
 また式神と飛ばそうとも思ったが、それを察した藤仁が「今はお(たわむ)れをする時ではない」と凄まじい形相で睨んできたので仕方なく肩を下げた。

 程なくして父親がやってくる。
 
「暁生様、遅れてしまい申し訳ない。歳のせいか最近腰の調子が悪くて。薬を飲んできましたので、もう大丈夫かと」
「お父様! 待ちくたびれましたわ! 早くこちらへ座って」

 父親は女に促されながら、空いていた女の隣の座布団へと正座した。
 これで役者は揃ったという雰囲気の中、暁生は屈託のない笑顔を浮かべて口を開く。

「銀髪の巫女は今どちらにいらっしゃいますか?」

 三人の顔が一瞬だが強張った。
 暁生はそれを見逃したりはしなかった。