朝を迎えた御屋敷は、皆が忙しなく見合いの準備に取り掛かっている。
 結月は御屋敷の掃除をしていた。銀髪を隠すように頭に黒の覆い布を(まと)っている。これが御屋敷で過ごすときの決め事だった。
 廊下の拭き掃除しているところに紗和が通りかかった。自ずと(はじ)の方に避ける。すぐに避けなければまた何かしらの嫌味か皮肉を言われるに決まっている。それから目を合わせないよう、視線は廊下に向けたままにしていた。
 なのに、紗和はあえて絡んできた。
 
「今日が最後の日なんですから、精々綺麗に磨き上げてくださいね」

 にこりと笑うと、こちらの視線に合わせるようしゃがみ込む。

「それと、くれぐれも霧生院(きりゅういん)家の方々の前でその布を取らないように」

 どすを利かせた低い声。(あで)やかな赤い着物、一本の後れ毛もなくまとめられた髪、十五歳という年相応に似合った薄化粧。綺麗に着飾られた姿から発せられたとは到底想像できない声だった。
 紗和はすっと立ち上がると、雑巾を洗うために用意した桶に足をかけた。桶から水が溢れ、掃除した廊下が水浸しになる。

「あら、ごめんなさい。なんかここ汚れてたみたいで。もう一度掃除してくれないかしら?」

 先ほど掃除した場所。もちろん汚れなんてない。

「かしこまりました……」

 そう言うしかなかった。
 見下すように笑って、紗和はそのまま颯爽と廊下を歩いて行った。
 
 
 一通りの掃除を終えて小屋へ戻る。
 覆い布は通気性が悪くすぐに蒸れてしまう。熱くて頭に汗が溜まってしまい不衛生であり不愉快でもある。布を取り替えるのと汗を拭くために一度戻ってきた。
 
 この物置小屋で過ごすのも今日が最後。両親が死んだ途端、この小屋へと追いやられた。
 最初は怖くて寂しくてしかたなかったが、慣れてしまえばこの狭さと薄暗さが安心感をもたらしてくれていた。この世界で自分はたった一人だと諦めもついた。

 覆い布を外すと銀髪がぱさりと垂れ落ちた。胸下にかかる髪は、母と同じくらいの長さにまで伸びている。
 十二歳の時に叔母(おば)様に「目障りな髪」だと無理矢理切られてしまった。それでも納得が出来なかった叔母様が覆い布を被って過ごせと言ってきたのだ。

遥香(はるか)の娘だから仕方なく置いてやっているのよ? 紗和が嫁ぐ時には出ていってもらいますから。女なら、その身体一つでどうとでも出来るでしょう?」

 嘲笑った叔母様の顔を鮮明に覚えている。当時は理解できなかった言葉の意味も、今では理解できるようになっていた。
 虫の知らせとも言うべきか、叔母様の顔を思い出していたら小屋に叔母様がやってきた。

「相変わらず辛気臭い髪ね」

 着物で口元を隠しながら早々に結月を蔑んだ。
 結月は先ほどまで被っていた覆い布で手早く頭を隠す。
 すぐに叔母様は自身の着物の懐に手を入れて、乱雑に畳まれた紙を取り出すとこちらへ差し出してきた。

「これ、絶縁状よ。今日から貴女はうちの子じゃなくなるの。ここまで忌み子をかくまっていたんだもの、感謝してほしいくらいだわ」

 ふんと、紗和に似た笑いをこぼす叔母様を見て、やはり二人は親子だなと実感してしまう。
 投げ捨てるように絶縁状だけ置いていった。 

 叔母様が来たのは、まもなくして正午を迎える時だった。霧生院家が見合いに来る時間。一層と御屋敷内が騒がしくなっていた。
 これから先は忙しくなると、ギリギリの時間を見計らって絶縁状を持ってきたのだろう。
 
「はあ」とため息をついた結月は、とりあえず巫女装束に着替えることにした。
 冠婚葬祭の時には巫女装束で身を(まと)うのがしきたりになっている。結月が表に立つことはないだろうが、それでもしきたりに(なら)って巫女装束を取り出したのは『巫女である』という彼女なりの尊厳の現れだった。
 
 ──(かんざし)、今日だけは胸にしまっておこう。
 
 箪笥(たんす)からそっと母の形見を取り出して、ぎゅっと握りしめた。

 正門から(にぎ)やかな声が聞こえてくる。霧生院家が到着したようだった。

 ──✩₊⁺⋆☾⋆⁺₊✧──

 巫女一族──紫明野(しめの)家の正門の前に馬車が二台ついた。
 手綱を握っていた人に馬車から降りてきた人たち、合わせて男六人。皆、深い藍色をした軍服風の装いをしている。腰に刀を差していて、隙のない正しい姿勢。
 滅妖師(めつようし)、霧生院家の到着だった。巫女と同じよう、冠婚葬祭時には軍服に身を包むしきたりがある。見合いという名の婚約の場、当然霧生院家もそのしきたりに倣っていた。
 
 そこに特別絢爛(けんらん)なマントを纏っている男性が一人。
 男性は紺桔梗(こんききょう)色の髪を首の後ろで一つにまとめている。結月よりも少し短いくらいの髪の長さだ。黒曜石のような力強い瞳と切長な目はどんな妖にも(ひる)まなそうであり、更に世の女性を魅了してしまうような整った顔立ちをしてる。
 皆その男の後ろに付き、かしこまっていた。

「予定より十分も早いのだが? 藤仁(ふじひと)、時間は無限じゃないぞ?」

 マントを払い腕組みをした男性は指先で自身の腕を軽く叩き、隣にいる眼鏡をかけた男性に問いかけた。

「十分前行動ですよ、暁生(あきお)様」
「藤仁……。お前、本当に真面目だよな」
「ええ、これも暁生様のおかげです」

 にこりと笑って嫌味っぽく返す眼鏡の男性──藤仁に、暁生は「けっ」と薄ら笑って返した。
 霧生院暁生。彼こそが有名な滅妖師一族の次期当主であり、紗和の見合い相手。

「俺も結婚とは。本当はまだ遊んでたいんだが」
「暁生様ももう十九。身を固めなければなりませんよ」
「お前だって同じだろう? そっちはどうなんだ?」
「そうですね、いずれ、その時が来たら。今は暁生様のお世話で精一杯ですから」
「それ、結婚できないの俺のせいって言ってるのか?」

 藤仁はふっと笑った。
 後ろにいる四人の護衛の男たちは口を挟まず二人を見ている。穏やかそうな表情をしているので、この二人のこういったやりとりは茶飯事なのだろう。

「有名な巫女一族って言ってもな。どうせ、その辺の巫女と変わらないだろう?」

 暁生は正門に貼ってある真新しい結界の札を横目で見た。紗和が「この日のために」と朝方わざわざ張り替えた結界札だ。

「それはどうでしょう? すごい力を秘めているかもしれませんよ」
「お前、他人事だと思って楽しんでるだろ」

 くすくす笑っている藤仁を(にら)んだ暁生は、胸ポケットから一枚の白札を取り出した。それを折って両手で包む。青白い光が手から漏れ出し、手を開くと同じ輝きをした蝶が一頭飛び出した。

「……暁生様、また良からぬことをしようとしてますね?」
「さすが藤仁。こいつで先に巫女の姿でも見てやろうと思ってな。とりあえず神力が若くて強い巫女へと向かわせればいいだろう。それが見合い相手に決まっている」
「私は知りませんからね。それに時間もないですし、手短にしてください」
「問題ない。俺の式神はバレない」

 にやりと笑う暁生に、やれやれと呆れ顔をしてみせた。
 幻想的に輝いた蝶はひらひらと舞い、条件の主の元へと飛んでいった。