「じゃあ、ひと通り自己紹介は済んだから今度はこれから住む家の案内をするよ。着いてきて。」
飛人さんはそう言うと、私のキャリーケースを持ち、先程までアニメグッズを見ていた棚を動かした。
「どうぞー」
「え、こんな所に扉があったんですか!?」
棚の後ろから出てきたのはよくバイト先とかで見る、従業員専用の扉だった。ただ従業員専用の扉と違う所は取っ手を捻る式ではなく、引き戸だった。
「そうだよ。この扉を隠す為にアニメグッズの棚を置いたんだから。でも家を出入り出来るドアはここだけじゃないから安心して。」
「あ、あの棚は飛人さんが置いたんですね。」
さっき遥さんはここで働いてる人が置いたと言っていた。
...なるほど、飛人さんが置いていたのか。なら飛人さんはこのアニメが好きなのか。
でもどうしても納得出来ない。だってこんなチャラそうな見た目の人がこのアニメを好きになる理由がわからない。私が今まで出会ってきたチャラい人の趣味は大体ダーツとか飲み会とかだったから。こういうアニメを馬鹿にする人が多かったぐらいだ。
このアニメは凄く有名かって言われたらそうでも無い。このカフェがある場所的にも、このアニメを知っている人は少なそうだ。だから誰かにおすすめされたという訳でも無いだろうから、本当に飛人さんが好きなのだろう。
「あの...」
「ここがこれから春香ちゃんが住む所だよ。」
意を決して聞こうとしたのと、飛人さんが口を開いたのが同時だった。
「ん?どうした?」
飛人さんは高い背を屈めて私と同じ目線になった。
「え、あ、いや、なんでもないです!ごめんなさい同時に喋っちゃってもう黙ります。」
飛人さんの顔が近くて緊張して、早口でそう言った。
「そこまで言ってないけど...でもまあ、春香ちゃんがそう言うなら案内再開するね。春香ちゃんの部屋はこっちだよ。」
飛人さんは苦笑しながら案内を再開してくれた。あのグッズの事は別に後で聞けばいいし、今はこの家の仕組みを理解しよう。
「はーい、ここが春香ちゃんの部屋でーす。」
「え、こんな立派な部屋でいいんですか!?」
案内された部屋は余裕で二人住めるぐらいの大きさの部屋だった。
「もちろんだよ。だってこれからここに住み込みで働いてもらうんだよ?これぐらいの広さの部屋じゃなきゃ割に合わないでしょ。」
「でもお給料も貰えるんですよね?それなのにこの部屋はちょっと...」
「遥さんがいいって言ってるんだからいいんだよ。この先、ここを出てからこれぐらいの部屋に住めるかわからないじゃん?だからいい経験だよ。」
確かに、この先ここを出てから一部屋でこのぐらいの大きさの家を借りれるとは思えない。私の経歴なら尚更だ。ここは素直になっておこう。
「それもそうですね。じゃあせめてお仕事頑張ります!」
「その気持ちは嬉しいけど、程々にね。無理しても良い事って何も無いからさ。」
「大丈夫です!早く役に立ちたくて仕方ないんですから!」
胸の前で両手を拳にすると、飛人さんは私の頭を撫でた。
「...頼もしいよ。君ならあいつの心も溶かしてくれるのかな...」
「え、何か言いました?」
「ううん、なんでもないよ。そうだね、春香ちゃんの部屋は案内したから後は俺達の部屋の案内だね。大丈夫?疲れてない?少し休んでからにする?」
「全然大丈夫ですよ!元飲食店勤務舐めないでください。」
「それもそうだね。よし、ぱぱっと案内終わらせちゃお。」
「はーい」
一旦部屋の中にキャリーケースを置いて、私の隣の部屋を飛人さんがノックした。
「なに?」
ヘッドフォンを首に下げて出てきたのは、さっき私のネックレスを引っ張って来た和馬(かずま)という男性だった。
「和馬の隣に春香ちゃんが住むから挨拶しに来たんだよ。ほら春香ちゃん、挨拶しな。」
「え、あ、初めまして、木田...」
「あー、そういうのいいから。仕事の事じゃないんだったら話す義理ないし。そっちで好きにやってな。」
そう言って和馬さんは部屋のドアを閉めようとした。
何よ、さっき私のネックレス引っ張ったくせに。それなのに仕事以外で話さないってそんな虫のいい話があるの?
ドアを閉められる数秒の間で考え、もう少しでドアが閉まるという所で止めた。
「私!木田春香って言います。貴方が仲良くしようと思ってなくても、私は仲良くしたいと思ってます。だからこれからよろしくお願いします、和馬さん。」
にっこにこの笑顔で言う私を和馬さんは驚いて見ていた。でもその顔は一瞬で、すぐに不機嫌な顔に戻った。
「あっそ。好きにして。」
そう言うと今度こそドアを閉めた。
「あはは!春香ちゃん、めっちゃ面白いじゃん!」
後ろで一部始終を見ていた飛人さんがお腹を抱えて笑った。
「えぇ...今のどこが面白かったんですか?」
「和馬に対して物怖じせず言い返す所。今までの辞めてった人達は和馬を紹介して、あんな反応されたら凹んでたよ。それを...春香ちゃんは無理矢理ドアを開けて挨拶するなんて...ダメだ、面白すぎてお腹痛い...」
「だって虫のいい話だと思いません?さっき私のネックレス引っ張ってきたくせに仲良くはしないって。それにイラッとしちゃって...」
「あいつに対してはそれぐらいの勢いで大丈夫。あー、面白かった!遥さんに話してこよー」
「えっ、ちょっ、案内は!?」
「...ってことがあったんですよ、遥さん。面白くないですか?」
「ふふ、確かにそれは面白いわね。私もその現場を見てみたかったわ〜」
「もう面白くて止められなかったですよ。」
「もうやめませんか、その話...」
二人でずっとその話をしているから、自分がやった行動がどんどん恥ずかしくなってきてせっかく遥さんが作ってくれたご飯の味が全然しなかった。遥さんのご飯食べるの、楽しみにしてたのに。
私達三人は向かい合って夕ご飯を食べていた。今日のメニューは私の大好きなロールキャベツ。コンソメで煮てあって、スープすら美味しい。ちなみになぜ三人かと言うと、和馬さんはいつも皆が食べ終えてから食べに来るらしい。人と仕事以外で話すのが嫌だからと。
結局、飛人さんは私の部屋と和馬さんの部屋を案内しただけだった。まあ別に、二人の部屋を知らなくても困らないからいいのだけれど。
「こんな面白いの久々だから、向こう一週間はこの話続けるね。」
「長いですって。それに飽きますよ。ねぇ、遥さん。」
「ん〜、私は飽きないかなぁ。飛人の言う通り、こんな面白い...というかそんな大胆な行動する子、今まで居なかったから。これからどんな風にお互い接していくのか楽しみだわ。」
遥さんに助けを求めたが無理だった。もういいや、いつかは忘れるだろうし、それまでの辛抱だ。それにあの行動を悪かったとは思わないし。
「私は出会った人皆と仲良くなりたいと思ってます。だから和馬さんとも仲良く出来る様頑張ります。」
「ふふ、ほんとあの二人にそっくりね。」
遥さんが目を細めながら私を見てる表情があまりに両親に似てるから、つい目を逸らした。
「ご馳走様でした。」
「味どうだった?」
「すっごく美味しかったです!私遥さんが作るご飯、この世で一番好きです。」
「嬉しいけどそんな事お母さんが聞いたら悲しんじゃうわよ〜」
「私の母親、料理苦手だったんで大丈夫です。それに母親も遥さんのご飯が一番美味しいって言ってました!あ、父親もですよ。」
「嬉しいわ〜このカフェやってて良かったと思った瞬間かも。」
「もっと良かったと思う瞬間あると思いますよ...」
遥さんと洗い物をしながら、私達は他愛のない話を沢山した。カフェの常連の事やメニュー、過去に働いてた人の事など本当に沢山の話をした。ちなみに飛人さんはやる事があるからとご飯を食べ終えたら部屋に戻ってしまった。遥さんいわく、いつもの事だから放っておいてるみたいだ。
「そういえばここって働くのにルールありましたよね。私それに該当しないんですけどほんとにここで働いても大丈夫ですか?」
洗い物が終わり、二人でくつろいでる時にふと思い出して聞いた。
─将来の夢があること─
それがこのカフェで働くのに必要なルールだ。むしろそれさえあればここは雇ってもらえると言っても過言ではない。
「春香ちゃんの両親には沢山お世話になったから全然いいのよ。ここで働いてる内に夢を見つけられるかもしれないしね。」
「あの二人には私の事なんて言ってるんですか?」
「飛人には全部話してる。和馬はあんなだから新しい子が来るとしか話してないわ。時が来たら話すつもりではいるけど、もしその前に何か言われたらすぐ私に言ってね。和馬の事、がっつり絞めるから。」
「それはそれで怖いです...」
にこにこ笑顔で力拳をつくる遥さん。頼もしかったが怖くもあった。遥さんは怒らせたらかなり怖いタイプかもしれない。
「さて、今日は遠い所から来て疲れたでしょ。明日も早いから早く寝なさい。」
「そうですね、言われたら確かに疲れたかも...」
「顔が眠そうだもの。おやすみ、春香ちゃん。また明日ね。」
「おやすみなさい、遥さん。」
遥さんに手を振って、自分の部屋に戻った。
「はぁ...疲れた...」
用意されたベットに倒れ込むように横になった。なんだか急に疲れがきた。
私、本当にここでやっていけるのかな。遥さんや飛人さんとは上手くやっていけそうだが、和馬さんとはどうだろうか。お互い最悪な印象しかない。遥さんにはああ言ったけど、これから仲良くなれるかな。
疲れているからかどんどんネガティブな事ばかり考えてしまって余計疲れた。
考えても仕方ない。仲良くなれるかどうかはこれからの私次第なんだから、今日の私がこんなに悩む必要なんてないよね。
そう結論づけて眠りについた。
ピリピリピリ。
「ん...ここどこ...」
いつも通り六時のアラームで起きると、見覚えのない部屋で一瞬驚いたが昨日ここに引っ越してきたのだと思い出した。
「ふわぁ...よく寝た...」
前に使っていたベットではこんなによく寝れなかった。遥さんはここに住み込みで働いてる人の事、本当に大事に思っているのだろうな。そうでなければこんないいベットは用意しない。
「あら、おはよう。早いわね。」
共有スペースに行くと遥さんは既に起きていて、料理を作っていた。その服装はカフェの制服だった。スラッとした足にスボンがよく似合っていた。
「おはようございます。手伝いますよ。何したらいいですか?」
「ほんと?ならみそ汁作ってほしいわ。」
「おっけーです!具は何がいいですか?」
「ナスとワカメでお願い。」
「はーい」
「あ、そこの大きい鍋で作ってね。お客様に提供するやつだから。」
「わかりました!作り方とかってありますか?」
「んーん、自分流のやつでいいわよ。とにかく人が食べても問題ない料理を作ってくれるならなんでも大丈夫!」
「わかりました!」
道具だけどこにあるか聞いて、あとは全部自分流でみそ汁を作った。私はナスのみそ汁が大好きで、一時期それしか食べない時期があった。コツはごま油でナスを炒めてからみそ汁を作る事だ。
「おー、いい匂い!」
もうすぐ完成と言う所で飛人さんが起きてきた。
「おはようございます、飛人さん。ちょうど良かったです、味見してくれませんか?」
「おはよう、春香ちゃん。味見しなくても大丈夫だと思うけどなぁー」
小皿で少しすくったみそ汁を渡し、飛人さんはそれを一気に飲んだ。
「あっつ!」
「そりゃあ熱いですよ!何やってるんですか!ヤケドしてないですか?」
「大丈夫。よくある。」
「まあ、ありますけど。今ので味わかりました?」
「わかったよ。めちゃくちゃ美味しい!」
ぐっ、と涙目で親指を立てるが信用ならない。だから今度は遥さんに飲んでもらう事にした。
「遥さーん、みそ汁作り終わったんですけど味見して欲しいです。飛人さんじゃ不安で...」
「いいわよ〜でも美味しい匂いしてるから大丈夫だと思うけどね。」
みそ汁なんて大体この匂いではないのかというツッコミは心の中でしといた。
「ん!美味しいわよ!ダシとみその割合がちょうどいいね。これは人気になりそう。」
「ですよね、遥さん!」
「そんな大袈裟ですよ。みそ汁なんて誰でも作れます。」
あまりに二人が褒めてくるから苦笑した。どうせお世辞だろうと思って。でも二人は本気だった。
「そんな事ないわよ。飛人にみそ汁作らせたら凄い事になるんだから。」
「ちょっ、遥さん、それは言わない約束です。」
「そうだったわね、あはは」
そこまで言われたら逆に気になる。今度作ってもらおう。
「ん...いい匂い...」
三人で私達の朝食の準備やカフェを開店させる為の準備も同時にしていると、和馬さんがのそのそと起きてきた。
「あら、おはよう、和馬。いつもより早いじゃない。昨日は早く寝たの?」
和馬さんに気づいた遥さんは手を止めずに聞いた。
「いつもとあんまり変わらない。」
「もう、まだまだ成長期なんだから早く寝なさいよ。大きくなれなくなっちゃうわよ。」
「成長期なわけないし、そうだとしてももう大きくならなくていい。」
「んもう、男性は背が高い方がモテるのよ!」
「モテなくていいから。それより、今日こんなに従業員いるんだったら俺要らないね。部屋に居るからもし混雑してきたら呼んで。」
「えっ、ちょっ、」
和馬さんは言いたいだけ言うと部屋に戻って行こうとした。二人もそれを見て何も言わないから、私が引き止めようとすると逆に私が飛人さんに止められた。
「いつもの事だから、放っておいて大丈夫だよ。ちゃんと混んできたら仕事はしに来るから。」
「...なんでそれで許されるんですか?」
「え?」
「だから、なんでそんな勝手が許されるのか聞いてるんです。ここで住む条件ってあれだけじゃないですよね?働く事もここに住める条件なんじゃないんですか?従業員が居るから働かない?私なんてまだ何も知らないから一人の内に入りませんよね?そうやって甘やかすからあんな人間に...」
「春香ちゃん。そこまでにしなさい。」
遥さんのドスの効いた声ではっとした。遥さんの方を見ると、女性の格好をしているのに顔は男性ならではの怒った顔をしていた。
「人にはそれぞれ事情があるのはわかるよね?だからここに住み込みで働いてる。それに和馬の事は僕が許可してるんだから春香ちゃんが注意する事じゃない。」
「...ごめんなさい。」
言い返したい事は沢山あった。でも遥さんが言う事も間違ってはいない。それに私はさっき自分でも言ったけど、入ったばかりでこのお店の事はもちろん、皆の事を何も知らない。それなのに責めるのは違う。だから遥さんは怒ったのだろう。
「でも春香ちゃんの気持ちもわからない訳ではないからね。むしろそう思うのが普通だよ。」
飛人さんがフォローするようにそう言った。でも私の心は晴れない。だけどそれを悟られないように。
「全部遥さんの言う通りです。でしゃばったまねをしようとして本当にごめんなさい。」
遥さんに頭を下げて謝った。自分が納得してなくても謝る事は接客業をしてて嫌という程身に染み付いてる。小さい頃の私だったら納得していない事は絶対にしなかっただろう。
「そんな頭を下げる事じゃないわよ〜飛人も言ってたけど、気持ちはわからないでもないからね。でももう少し皆の事を知ってから注意はしてほしいな。」
遥さんはいつもの調子に戻っていた。やはり遥さんは怒らせたら怖い。これからは気をつけながら生活していこう。ここで上手くやっていける方法を早く見つけないと。
「さ、気を取り直して!朝食にしましょ。そしたら春香ちゃんにここの制服渡すわね。」
「はい...わかりました。」
そこで話は終わり、朝食の準備を再開した。今日のメニューは焼き鮭に私が作ったみそ汁、白米とザ、日本食のメニューだ。
「いただきます。」
昨日の夜とは違って、皆静かに食べている。私も朝は強い方ではないから話題を提供する事や提供されて、上手い返事が出来るかわからない。
「ご馳走様でした。遥さん、今日の朝ご飯も美味しかったよ。お昼は何?」
飛人さんが一番に食べ終わり、もうお昼の事を聞いていた。
「今朝ご飯食べ終えたばかりよ?気が早くない?」
私が思った事を遥さんが全部代弁してくれた。
「楽しみがあったらお仕事頑張れるかなって。遥さんのご飯、めちゃくちゃ美味しいし。」
「嬉しい事言ってくれるじゃない!なら頑張って作っちゃうわよ〜」
「やったー!で、メニューは?」
「オムライスにしよっか。お店の方の卵の期限が危なかった気がするから。」
「おっしゃあ!お仕事頑張ります!」
「よろしくね。春香ちゃんもオムライスで大丈夫?」
「えっ、あっ、はい、大丈夫です。」
急に話を振られてどもってしまった。やはり朝は人と話すのはやめておこう。
「ご馳走様でした。今日も美味しかったです。」
「お粗末さまでした。春香ちゃん、これ制服ね。これからは部屋で着替えてからこっちに来て大丈夫だからね。」
「わかりました。ありがとうございます。」
袋に入った制服を受け取り、洗面所で身支度を済ませたから部屋に戻り、袋を開けた。
「うわぁ...可愛い」
そこに入っていたのは白のブラウスと黒色の膝下のスカートだった。サロンもスカートに合わせた形になっていてとても可愛い。メイド喫茶の制服に似てはいるが、こっちの方が普通のカフェなだけあって色が大人しめだ。
「あ、ズボンも入ってる。」
スカートだけではなく、ズボンも入っていた。それに合わせたサロンも入っていて、多様性を大事にしているのだなぁと改めて思った。
「これで大丈夫かな...」
似合ってない気がして、鏡の前で何度も確認する。私はズボンとスカートと迷った結果、今日はスカートにする事にした。胸元まである髪は後ろでまとめて、さらにクリップで止めた。
「不安になっても仕方ないよね。」
そうだ。ここで一人で不安になるよりかはあの二人に見せて、変な所があったら直してもらのが一番だ。
反応にドキドキしながらカフェの方に向かい、ドアの前で一呼吸置いてからドアを開けた。
「お待たせしました...」
ドアを開けると二人はすでに制服に着替え終えてて、開店の準備に忙しそうだった。
「おぉ!春香ちゃん、制服めっちゃ似合うじゃん!髪型も可愛いね。カフェの雰囲気に合ってる。」
「あら!ほんとによく似合ってるわ。やっぱりスカートの制服も作ってて良かった。」
「ありがとうございます...」
あまりに褒めてくれるから恥ずかしかった。でも変と言われるよりかは嬉しい。
「じゃあ、今日春香ちゃんにやってもらう事はおもにお客さんの接客かな。料理の注文はハンディなんだけど使った事ある?」
「あります!」
「だったら接客をしながらハンディの練習しても大丈夫そうね。もしわからない事あったらすぐ私達に聞いてね。」
「わかりました!よろしくお願いします。」
こうして私のカフェで働く毎日が始まった。
「いらっしゃいませー空いてるお好きな席どうぞー」
「お待たせしましたーこちらデミオムライスです。」
「はーい、お伺いします!」
「春香ちゃん、すっかりここのお店に慣れたわね。」
「そうですね。今や春香ちゃん居なかったらこのお店回ってないし、こんなに賑わってないですよ。」
「私ったらいい人材を見つけたわね。」
「ほんとです。」
「あの!二人とも働いてください!」
「お、噂をすれば。」
「噂なんていいんで仕事してください!」
「はは、木田さんちの子って感じね。」
二人は苦笑しながらそれぞれのポジションに戻って行った。この忙しいのにのんびりお喋りなんてしないでほしい。
私はこのカフェで働いてから一ヶ月が経った。ひと通りの事は出来るようになり、自分で言うのもなんだが、このカフェの看板娘にまでなった。今や私だけを見に来る人も居るぐらいだ。
「春香ちゃーん、料理出来たから運んで〜」
「はーい」
「春香ちゃん、そっち終わったらオーダーよろしく!」
「はーい」
私は朝、お店が開店してから閉店するまでずっと動きっぱなしだ。休憩も貰えるには貰えるが、ご飯を食べるだけの為の休憩だから休んだ気はしない。
前に私が働いてた所と比べるとお店の大きさはもちろん、お客さんも少ない。ではなぜ私が動きっぱなしではないといけないのか。答えは簡単だ。従業員が少ないから。
大体皆のポジションが決まっており、私がホール、遥さんが調理、飛人さんが飲み物を作り、ホールがあまりに混んでいたら手伝いに来る感じだ。和馬さんはお店が混んで来たら部屋に呼びに行って、飲み物を作り、その間飛人さんがホールをやってくれるという感じだ。
和馬さんの皆の対応は決していいとは思わないけど、あの日遥さんに怒られてから私は変に口を出さない事を
決めた。だって間違った事を言っていないのに怒られるのは気持ち的に嫌だし、怒る方だって嫌なはずだ。自分が我慢してどうにかなるのだったらそれでいいと私は思うタイプだから何も言わない。結局、人生ってそうやって誰かが我慢する事で上手く回るのだから。それが私なら誰も嫌な重いしないで済む。ほんと、小さい頃の私だったら絶対こう考えられなかっただろう。
カランコロン。
「いらっしゃいませーボードにお名前を書いてお待ちください。」
お店のドアが開いて、そう言いながら入口の方に近づくと、そこには男子中学生が二人居た。
「やっぱり噂通り、おカマがいるじゃん!」
「ほんとだ!」
男子中学生二人は遥さんの事を指差しながら笑っていた。この二週間、こんなお客さんは来た事なかったからどう対応するのが正解なのかわからない。だが案内しない訳にもいかないから。
「お待たせしました。空いてる二名がけのお席、ご利用ください。」
営業スマイルで案内した。もしかしたら言葉が悪いだけでいいお客さんかもしれないと一縷の望みをかけながら。
「ねぇ、このお店噂通り高くない?」
「ほんとだ。ぼったくりじゃん、こんなの。」
「おねーさん、これもうちょっと安くならない?」
だがそんな私の思いもむなしく、男子中学生二人は席に着くなりそう言い始めた。高いと知ってたなら来るなよ。
「申し訳ございません。安くする事は出来ません。」
「えー、こんなの誰でも作れるじゃん。それなのにこの値段ってぼったくりでしょ。ネットに書き込むよ。」
メニューを指差しながらニヤニヤしている。子供のくせにクレーマーかよ。一体、どういう教育をしてきたんだ、親は。親の顔を見てみたい。そして一発殴らせてほしい。
「当店の料理は全て一人で作っております。なので他のお店より高いかもしれませんが、それを理解して皆さんにご利用頂いてるのでぼったくりなどでは一切ありません。」
「作ってると言ってもどーせレトルトでしょ。」
その言葉にカチンときた。遥さんがどんな想いで料理を作ってるのかも知らないくせに。
「そう言うって事はレトルトで作ってるという証拠があるんですね。見せてもらってもいいですか?私もここに入ったばかりで知らない事が多いので色んな事を教えてもらえると助かります。」
「いや、それは...」
二人は目を逸らしてもごもごと何か言っていた。やっている事は悪質なクレーマーだが、詰めが甘い部分を見るとやはり子供だなと思う。
「てかさ!俺達客だよ?そんな態度で接客していいのかよ!」
「そうだよ!お客様は神様だろ。」
今度は論点を変えてきた。ここまで来ると面白くなってくる。
「お客様を神様?いやいや、君達みたいなクレーマーを神様だと誰が思うの?」
つい口が滑ってしまった。でもこの二人も私にタメ口を聞いてきたのだから、こっちもそれでいってやる。
「どんな客でもにこにこ対応するのが店員だろ!」
「そうだそうだ!」
「君達みたいなやつににこにこしてる時間が無駄。働けるようになったらわかるようになるよ。」
「んだよ!この店員。店長呼べ、店長!」
面倒臭い事になったな。このまま引っ張って外に出してやろうか。
「君達、何をそんなにイライラしてるの?」
「遥さん...」
本気で外に出そうと考えた時、遥さんがにこにこしながら私の横に立っていた。
「うわ、おカマじゃん。」
「俺達、おカマに興味無いから。店長呼べって言ってんの。」
「私がその店長だけど?」
遥さんが表情を崩さず言うと、二人は嫌な顔をした。
「えー、最悪!おカマが経営してる店とかキモすぎる。」
「それな。俺達男の客を狙ってるかもしれないし。」
あまりに酷い言葉続きで、遥さんはどう思っているのだろうと横を見ると、にこにこしていた。
「君達何か勘違いしてるようだけど、おカマだからと言って全員が全員、男性を好きになる訳ではないのよ。」
「だからってキモすぎる!男を好きにならないんだったら女の格好なんてしてんなよ!」
「そうだそうだ!」
「君達ね...って、春香ちゃん!?」
「「冷たっ」」
気づいたら私はお冷を二人の頭にかけていた。それだけでは怒りが収まらず、席から無理矢理立たせて入口まで引っ張って行った。
「何すんだよ!」
「客にこんな事していいと思ってんのかよ!」
「客と言うのは品物を買って、お金を払った人だけなんだよ。お前達みたいな、ただ人を馬鹿にしに来ただけのやつを私は客だと思わない。」
ドアを勢いよく開けて二人を外に出した。二人はまさかここまでされるとは思っていなかったのか、ぽかんとしている。
「二度とその面見せんな。次、店に来たら容赦しないから。」
ぽかんとしたままの二人を置いてドアを閉めた。勢いよく閉めたからいつもは可愛い音を立てる鈴がけたたましく鳴った。外は暑いから水が滴ったまま帰っても大丈夫だろう。これで一件落着だ。
「春香ちゃーん、見事にやってくれたね。」
と思ったのも束の間。私の肩に遥さんの手が置かれて我に返った。
私、接客業として最低な事してない?あんな酷いやつとは言え、お客様だった訳だ。それに水をかけて外に追い出した。外は暑いから大丈夫とか、そういう問題ではない気がする。
「あぁ...!遥さん、ごめんなさい!ついカッとなってやってしまいました。本当にごめんなさい!」
こんなに謝ったのはあの日、和馬さんの事で怒られた時以来だ。あの時は渋々という感じだったが、今回は本気で謝罪した。
もしこの事が原因で悪い方向に噂が広まって、このお店にお客さんが来なくなってしまったら。遥さんに申し訳ないのはもちろん、飛人さんや和馬さんにも迷惑をかけてしまう。それに私も住む所が無くなってしまう。だから感情に身を任せて物事をやるとろくな事にならない。
「ぷっ、あはは!やっぱり春香ちゃんは面白いわね。」
「え?」
「ほんとそうですよね。あんな大胆にクレーマーに対応する人、そうそういないよ。」
遥さんに続いて飛人さんまで笑い出した。そしてお店にいた常連さんやお客さんも。
「春香ちゃん、流石だね。ぜひうちに働きに来て欲しいよ。」
「お姉さん、強いですね!私ももしバイト先にあんなクレーマーが来たら頑張ってみます!」
「お姉さんかっこいい!僕もお姉さんみたいになる!」
次々に褒めてくれた。常連さんに関してはスカウトだし。絶対怒られると思っていたから拍子抜けだ。
「え...怒らないんですか?」
「怒ってほしいの?それなら怒るけど。」
「怒られないに越した事はないですけど、私がやった事ってかなりやばいですよね?」
「まぁ、やった事だけ見ればクビも同然だけど、私もあの二人をお店から追い出そうとは思ってたから別にいいわよ。何かあっても防犯カメラあるし、外は暑いから風邪をひく事はないでしょ。」
「そうそう。だから春香ちゃん、大丈夫だよ!」
「ありがとうございます...!」
二人が優しくそう言ってくれるから涙が出そうになった。でも泣いてる場合では無い。どうしても気になる事があるのだ。
「あの...遥さん。大丈夫ですか?」
遥さんがいつものポジションに戻ろうとしている所を引き止めた。
「ん〜?何が?」
こちらを振り向いた顔は、笑ってはいたがどこか無理をしているように感じた。
「あの二人に言われた言葉で、遥さんが傷ついてるように私には見えます。」
「そう?私自身、気にしてないわよ。ああやって言われるのを覚悟してこの格好してるからね。」
「でも...」
それでもなお食い下がる私を遥さんは遮った。
「春香ちゃん、明日お店定休日でしょ?だから二人でお出かけしましょ。今だとゆっくり話せないからね。」
「...はい、わかりました。」
「それじゃああと数時間、頑張るわよ!よろしくね、春香ちゃん。」
遥さんは今度こそキッチンに戻って行った。私もホールの仕事が山盛り残っているから、仕事に戻った。
「ん〜、いい天気ね。」
「そうですね。絶好のお出かけ日和です!」
私と遥さんは昨日話した通り、二人で出かけていた。行き先は大型ショッピングモール。よくカフェの食材を買い出しに来る所だ。でもいつもはモール内のスーパーしか入らないから、他になんのお店が入っているかは知らない。だから尚更楽しみだ。
「春香ちゃん、私見たい所あるのよ。着いてきてくれる?」
「もちろんですよ!何見たいんですか?」
「それは着いてからのお楽しみ。さ、こっちよ。」
遥さんの後ろを着いて歩き、エスカレーターで三階まで上がると、可愛い洋服屋が沢山並んでいた。
「見たい所って...洋服ですか?」
洋服を見るのが悪いと言いたい訳では無い。ただ並んでいる洋服屋は全部、いつも遥さんが着ている洋服の系統とは違うから驚いただけだ。
「そうよ。春香ちゃんに買ってあげたいって思ってたの。」
「え?私にですか?」
「ええ。いつも頑張ってくれてるからね。こことかどうかしら。」
遥さんが立ち止まったお店はシンプルだけれど可愛いが詰まってる洋服屋だった。
「好きですけど、自分で買えますよ?」
「いいの、いいの。春香ちゃんがカフェに来てくれてからお客さん増えて助かってるんだから。お礼をさせて。」
「お礼なんていいですよ。私こそあそこに住み込みで住まわせてもらって、しかもお給料まで貰えるんですよ?感謝しかないです。」
「春香ちゃんはそう思うかもしれないけど、私からしたらそれ以上のものを貰ってるから。だから洋服買わせて。これとかどう?」
そう言って見せられた服は淡いピンクのワンピースだった。
「可愛い...」
「似合いそうよ。試着してきてよ。私試着室の前で待ってるから。」
「わかりました...」
試着だけならとワンピースを受け取り、試着室に入った。
「どうですか?」
服を選んでいた遥さんに声を掛けると、私を見て目を大きく開いた。
「え、何か変ですか?」
「ううん、そんな事ないわよ。凄く似合ってる。ただ...」
「ただ?」
「あまりにも春香ちゃんのお母さんにそっくりだったから驚いちゃった。ごめんね、不安にさせて。」
「いえ、全然大丈夫ですよ。」
確かに、私のお母さんもこういう淡い服を着る人だった。顔もよく似ていると言われていた。自分ではわからないが、他人から見るとわかるのだろう。
「その服、私が買うわね。着て帰る?」
「自分で買います。そして着て帰ります。」
「ダメよ。私に買わせて。すみませーん。」
遥さんは店員さんを呼ぶと、着て帰る事を伝え他の服と一緒にお会計をしてしまった。店員さんは元着ていた服を丁寧に紙袋に入れてくれた。
「ありがとうございました〜」
店員さんの笑顔を横目にお店を出た。久々に洋服を買った気がする。実際、自分で買ってはないのだが。
「はい、これあげる。」
お店から出て少し歩いていると洋服屋の紙袋を渡された。
「え?これ遥さん用じゃないんですか?」
「まさか!私の年齢でこんなフリフリ着てたらそれこそやばいやつじゃない。」
「そうですか?似合うと思いますけど。」
「それはありがとう。でもこれは私から春香ちゃんへのプレゼント。受け取って。」
そう言って半ば無理矢理紙袋を持たされた。でもさっきのお会計で万超はしていた。果たしてそんな高価な物を貰って良いのだろうか。
「本当にいいんですか?私返せる物ないですよ。」
「いいのよ。昨日、私の為に怒ってくれたじゃない。そのお礼でもあるの。だから受け取って。」
そう言って微笑む遥さんは今まで見てきたどの人よりも綺麗だった。
「...わかりました。有難くいただきます。沢山着ますね!」
微笑む遥さんに見とれてついそう言っていた。遥さんはいつもの元気な笑顔になった。
「是非そうして!その服着てまた一緒に出かけてくれるかしら?」
「もちろんです!今度はどこ行きますか?」
「私、行ってみたいカフェがあるのよね。」
「いいじゃないですか!なんなら今から行きますか?」
「ちょっと距離あるけど大丈夫?」
「私車酔いしないタイプなんで大丈夫です!」
「なら安心ね。行きましょうか。」
駐車場に行き車に乗り込んだ。車内は凄く暑かったが、冷房が徐々に効いてきて心地良かった。
「そのカフェって何が有名なんですか?」
車を運転する遥さんに尋ねた。サングラスをかけている遥さんはどう見ても男性に見えない。
「パンケーキが有名みたいよ。でもなんでも美味しいって言われてるからカフェのオーナーとして、一回は行ってみたかったのよ。」
「それは確かに行きたいですね!えー、何食べよっかな...」
向かっているカフェの話をしながら車に乗る事二十分。白を基調とした小さい建物が見えてきた。
「あ、ここね。」
「へぇ...思ってたより小さい...」
つい心の声が出てしまった。道中、店名を聞いてスマホで調べたら、結構色んなメニューがあったからもっと大きいお店を想像していた。だが実際はうちの店の三分の一しかない。
「うちの店も最初はこれぐらいの大きさだったのよ。」
「え!?そうなんですか!?」
私が物心ついて、両親にあのカフェに連れて行かれた時には既にあの大きさだった。だから小さかったと聞いてかなり驚いた。
「えっとね...あ、これがあのカフェをオープンした初日よ。」
写真を見たら確かに、このカフェと同じぐらいの大きさだった。
「こんなに小さかったのに大きくなるんですね。それって遥さんが頑張ったからですね!」
「ふふ、ありがとう。さ、暑いし早く中に入りましょ。」
「はーい」
「いらっしゃいませー空いてるお席どうぞー」
駐車場に車がある割には、お店の中にお客さんはあまり居なかった。だからネットでおすすめされている窓際の席に座われた。
「お客さん、全然居ないですね。」
「そうね。もしかしたらここに車を停めて、近くにある海に行ってるんじゃないかしら。」
「あ、この近くに海があるんですね。へぇ、行ってみたいかも...」
「ここで食事終わったら行く?レシートを持ってたらここに停めたまま行ってもいいみたいだし。」
「んー、人が多そうなんでやめときます。私、海は好きなんですけど人が多い時の海は好きじゃないんですよ。海って人が居ないからこそ良さが引き立つと思ってるんで。」
「ほんと、あの二人に似た事言うわね。」
さー、何食べようかな、とメニューに目を移した遥さんをぼーっと眺めた。昨日の言葉を、遥さんはどんな思いで聞いていたのだろう。第三者の私ですらあの言葉達は辛かったのだ。当事者の遥さんはもっと辛かっただろう。なのにどうしてあの時、感情的にならなかったのだろう。
「春香ちゃんは頼む物決まった?」
「え、あ、まだです...」
遥さんをぼーっと眺めている場合ではなかった。早く決めないと。
「ゆっくりで大丈夫よ。こんなにメニューがあるんだもの。迷っちゃうわよね。」
こんな時でも遥さんは怒らない。あの日、和馬さんの事を注意しようとした私を怒ったのが最後だ。あれで怒るのだったらどうして昨日の二人には怒らなかったのだろう。
「決めました!私、このカフェおすすめのパンケーキにします。」
「ドリンクはいいの?」
「アイスのカフェオレ飲みたいです。」
「了解。すみませーん」
遥さんが注文もしてくれて、店員さんと話をするのが苦手な私からしたら凄く有難かった。
「ねぇ、春香ちゃん。さっきも言ったけど、昨日は私の為に怒ってくれてありがとう。」
店員さんが居なくなってすぐ、遥さんが真面目なトーンでお礼を言ってきた。
「ついカッとなってしまって...昨日の事振り返ってみて、怒るにしてももっといい方法あっただろって思います...」
「まあね。だけどやってしまった事は取り戻せないし、オーナーの私がいいって言ってるから大丈夫よ。」
「ありがとうございます...」
「...春香ちゃんはさ、初めて僕がこの格好をしていたのを見た時、どう思った?」
いつもの作ってる女性の声ではなく、前に何度も会った事ある男性の遥さんの声で聞いてきた。そしてその声は心なしか震えているように感じた。
「特になんとも思わなかったです。強いて言えば、男性の時の格好も素敵だったから女性の姿でも素敵なんだなぐらいです。」
「なんでなんとも思わなかったの?」
「なんでと言われても...」
女性の格好をしている遥さんを見たのは、二週間前のあの日が初めてだ。それなのに私は特に驚きもせず、すぐ受け入れた。今思えばそれがおかしい気もする。いくらジェンダーレスの時代だからと言って皆が皆、受け入れられる訳ではない。だから昨日みたいな二人が居ても仕方ないと言えば仕方ない。
「あ...もしかしたら、両親が好きな物は好きでいいって育ててくれたからかもしれないです。」
私の両親は私の好きな物を否定しなかった。例えば好きなアニメの追っかけをするとか、おまけ付きのお菓子を集めるとかそう言った趣味は絶対否定しなかった。だから私は女性の姿をした遥さんをすぐに受け入れられたのかもしれない。
「本当に春香ちゃんはあの二人に似てるね。それも全部良い所が。」
遥さんがぽつりと言葉を零したと同時に、涙を流した。人が泣くのを見るのはいつぶりだろう。
「遥さん...」
「ごめんね、泣くつもりはなかったんだよ。...あぁ、でも、春香ちゃんの前では取り繕わなくていいかな。」
その目は、私を見ているようで見ていなかった。私に残る、両親の姿を見ていた。
「私の前では取り繕わなくていいです。むしろ、本当の遥さんを見せてください。全部受け止めます。」
私がそう言うと、遥さんは静かに泣き始めた。多分、色んな事を我慢していたのだろう。
「春香ちゃん、ごめんね、大人なのにこんなにみっともない姿晒して。」
涙をハンカチで拭きながら、遥さんは恥ずかしそうに言った。
「みっともないなんて思ってないですよ。泣くのはいい事です。人は感情がなくなった時が一番危ないんですから。」
「そうだよね。僕、一時期感情がわからなくなっちゃって病院通ってた事あるからわかる。」
「え、そうだったんですか?」
「うん。その話も...」
「お待たせしましたーご注文の品です。」
タイミング悪く、店員さんが料理を運んできた。でも料理自体は美味しそうだから許そう。
「美味しそうだね。」
「そうですね。それで、さっきの話の続き、聞きますよ。」
料理の写真を撮りながら言うと、遥さんは目を大きく開けた。
「聞いてくれるの?」
「もちろんです。前にも言いましたが、私は自分と関わった人全員と仲良くなりたいと思ってます。だから話せる範囲でいいので話してください。全部受け止めます。」
─人は一人では生きていけない。だから関わった人全てと仲良くなるつもりで生きなさい。─
この言葉を、耳にタコが出来る程聞いて育った。だから関わった全ての人と仲良くなりたいと思う。それに色んな人と仲良くなると、同じ事でも違う考えを発見出来るから面白い。
「ほんっとに、木田さんちの子って感じだね。」
「遥さんそれよく言いますけど、両親といつ出会ったんですか?」
「春(はる)とは中学からの付き合いで、香織(かおり)さんはハルが大学生になってから彼女が出来たって紹介してきたからそれぐらいかな。」
「結構昔からの知り合いだったんですね。」
両親と遥さんが昔からの知り合いだとは聞いていたが、こんなに古い付き合いだとは思っていなかった。それなら二人に似てると言われるのも納得がいく。私より両親との付き合いが長いのだから。
「春はさ、可愛い物が好きな僕を初めて否定しなかった人なんだ。」
懐かしむように、遥さんは語り出した。
「小さい頃から可愛い物が大好きだったんだ。リボンとか、フリルとかピンクとか。だけど僕の両親はそんな僕を男なんだからって否定した。それでも納得がいかなくて、ハンカチとか鉛筆の、自分のお小遣いで買える範囲はピンクにしてた。そしたら今度は学校でいじめられちゃって。男なのに気持ち悪いって。」
「それでも好きを押し通してた。自分の好きな物を我慢する方が嫌だったから。そしたら中学の時、本格的にいじめられちゃって。机の上に落書きはもちろん、教科書を捨てられたり殴られたり。今思えば僕が暗かったのもいじめられる原因だったんじゃないかな。」
「それが辛すぎて、もうこの人生を終わらせようとした。そんな時、ハルが転校してきた。ハルは春香ちゃんみたいに、誰とでも仲良くした。もちろん、僕とも。そしてピンクの小物を持ってる僕に、こう言ったんだ。」
【ピンク好きなの?めっちゃセンスあるじゃん!】
「センスがあるなんて、初めて言われた。ずっと否定ばかりされてたから。でもハルは可愛い物が好きな僕を否定せず、すぐ肯定した。それがきっかけで仲良くなって、今に至るんだ。」
「そうだったんですね...」
遥さんはいつも笑顔で明るいから、そういう人なんだと思ってた。だけど実際は違って、その過去があるからこそ今の遥さんが居るのだ。もし私の父親と出会って居なかったら。遥さんは今、この世に居なかっただろう。
「遥さんが今、生きててくれて良かった...」
本気でそう思って言葉に出すと、遥さんは目を細めた。
「嬉しい事言ってくれるね。ありがとう。」
「私の父親は、一人の命を救ったんですね。お父さんも、もっと早く教えてくれれば良かったのに。」
そしたらもっと尊敬したのに。
「恥ずかしかったんだよ。きっと。」
「そうだったんですかねぇ...」
窓の外を見ると、雲一つない青空が広がっていた。あの日も、こんな天気だったなぁ。
「ハルはさ、僕の心の病院にも付き添ってくれて、本当に面倒見が良かったよ。あのカフェを立ちあげようと思ったのもハルのおかげだし。あ、カフェ立ち上げは香織さんも手伝ってくれたよ。」
「両親は遥さんの事が大好きだったんですね。」
「本当に感謝してるよ。今度一緒に会いに行ってもいい?」
「もちろんです。行きましょう。」
笑って頷くと、遥さんも笑った。両親と遥さんの三人で食事したらもっと楽しいだろうなと思った。
「遥さん。今日はすごく楽しかったです。洋服もありがとうございます。大事に着ます。」
「いいのよ〜私も沢山話せて楽しかったから!」
カフェを出て、帰りの車内。遥さんはいつもの話し方に戻っていた。男性の時の話し方も好きだけれど、女性の時の話し方の方がしっくりくる。
「また出かけましょうね。」
「ええ。あの二人の話、もっと聞きたいし。」
「多分、遥さんの方が二人の事知ってると思いますよ。」
「私が知ってるのは親になる前の二人だから。親になった二人を知ってるのは春香ちゃんだけでしょ。また二人で話す機会があったら親になった二人を教えてね。」
「わかりました!」
元気よく頷くと、遥さんも笑顔で頷いたのがミラー越しに見えた。
小さい頃から私は自分の両親が自慢で大事だった。正義感が強くて、誰よりも私を大事にしているのが伝わってきたから。だから両親を大事にしている人が居るってわかって嬉しかった。このカフェで働けて良かったと、心から思った。
飛人さんはそう言うと、私のキャリーケースを持ち、先程までアニメグッズを見ていた棚を動かした。
「どうぞー」
「え、こんな所に扉があったんですか!?」
棚の後ろから出てきたのはよくバイト先とかで見る、従業員専用の扉だった。ただ従業員専用の扉と違う所は取っ手を捻る式ではなく、引き戸だった。
「そうだよ。この扉を隠す為にアニメグッズの棚を置いたんだから。でも家を出入り出来るドアはここだけじゃないから安心して。」
「あ、あの棚は飛人さんが置いたんですね。」
さっき遥さんはここで働いてる人が置いたと言っていた。
...なるほど、飛人さんが置いていたのか。なら飛人さんはこのアニメが好きなのか。
でもどうしても納得出来ない。だってこんなチャラそうな見た目の人がこのアニメを好きになる理由がわからない。私が今まで出会ってきたチャラい人の趣味は大体ダーツとか飲み会とかだったから。こういうアニメを馬鹿にする人が多かったぐらいだ。
このアニメは凄く有名かって言われたらそうでも無い。このカフェがある場所的にも、このアニメを知っている人は少なそうだ。だから誰かにおすすめされたという訳でも無いだろうから、本当に飛人さんが好きなのだろう。
「あの...」
「ここがこれから春香ちゃんが住む所だよ。」
意を決して聞こうとしたのと、飛人さんが口を開いたのが同時だった。
「ん?どうした?」
飛人さんは高い背を屈めて私と同じ目線になった。
「え、あ、いや、なんでもないです!ごめんなさい同時に喋っちゃってもう黙ります。」
飛人さんの顔が近くて緊張して、早口でそう言った。
「そこまで言ってないけど...でもまあ、春香ちゃんがそう言うなら案内再開するね。春香ちゃんの部屋はこっちだよ。」
飛人さんは苦笑しながら案内を再開してくれた。あのグッズの事は別に後で聞けばいいし、今はこの家の仕組みを理解しよう。
「はーい、ここが春香ちゃんの部屋でーす。」
「え、こんな立派な部屋でいいんですか!?」
案内された部屋は余裕で二人住めるぐらいの大きさの部屋だった。
「もちろんだよ。だってこれからここに住み込みで働いてもらうんだよ?これぐらいの広さの部屋じゃなきゃ割に合わないでしょ。」
「でもお給料も貰えるんですよね?それなのにこの部屋はちょっと...」
「遥さんがいいって言ってるんだからいいんだよ。この先、ここを出てからこれぐらいの部屋に住めるかわからないじゃん?だからいい経験だよ。」
確かに、この先ここを出てから一部屋でこのぐらいの大きさの家を借りれるとは思えない。私の経歴なら尚更だ。ここは素直になっておこう。
「それもそうですね。じゃあせめてお仕事頑張ります!」
「その気持ちは嬉しいけど、程々にね。無理しても良い事って何も無いからさ。」
「大丈夫です!早く役に立ちたくて仕方ないんですから!」
胸の前で両手を拳にすると、飛人さんは私の頭を撫でた。
「...頼もしいよ。君ならあいつの心も溶かしてくれるのかな...」
「え、何か言いました?」
「ううん、なんでもないよ。そうだね、春香ちゃんの部屋は案内したから後は俺達の部屋の案内だね。大丈夫?疲れてない?少し休んでからにする?」
「全然大丈夫ですよ!元飲食店勤務舐めないでください。」
「それもそうだね。よし、ぱぱっと案内終わらせちゃお。」
「はーい」
一旦部屋の中にキャリーケースを置いて、私の隣の部屋を飛人さんがノックした。
「なに?」
ヘッドフォンを首に下げて出てきたのは、さっき私のネックレスを引っ張って来た和馬(かずま)という男性だった。
「和馬の隣に春香ちゃんが住むから挨拶しに来たんだよ。ほら春香ちゃん、挨拶しな。」
「え、あ、初めまして、木田...」
「あー、そういうのいいから。仕事の事じゃないんだったら話す義理ないし。そっちで好きにやってな。」
そう言って和馬さんは部屋のドアを閉めようとした。
何よ、さっき私のネックレス引っ張ったくせに。それなのに仕事以外で話さないってそんな虫のいい話があるの?
ドアを閉められる数秒の間で考え、もう少しでドアが閉まるという所で止めた。
「私!木田春香って言います。貴方が仲良くしようと思ってなくても、私は仲良くしたいと思ってます。だからこれからよろしくお願いします、和馬さん。」
にっこにこの笑顔で言う私を和馬さんは驚いて見ていた。でもその顔は一瞬で、すぐに不機嫌な顔に戻った。
「あっそ。好きにして。」
そう言うと今度こそドアを閉めた。
「あはは!春香ちゃん、めっちゃ面白いじゃん!」
後ろで一部始終を見ていた飛人さんがお腹を抱えて笑った。
「えぇ...今のどこが面白かったんですか?」
「和馬に対して物怖じせず言い返す所。今までの辞めてった人達は和馬を紹介して、あんな反応されたら凹んでたよ。それを...春香ちゃんは無理矢理ドアを開けて挨拶するなんて...ダメだ、面白すぎてお腹痛い...」
「だって虫のいい話だと思いません?さっき私のネックレス引っ張ってきたくせに仲良くはしないって。それにイラッとしちゃって...」
「あいつに対してはそれぐらいの勢いで大丈夫。あー、面白かった!遥さんに話してこよー」
「えっ、ちょっ、案内は!?」
「...ってことがあったんですよ、遥さん。面白くないですか?」
「ふふ、確かにそれは面白いわね。私もその現場を見てみたかったわ〜」
「もう面白くて止められなかったですよ。」
「もうやめませんか、その話...」
二人でずっとその話をしているから、自分がやった行動がどんどん恥ずかしくなってきてせっかく遥さんが作ってくれたご飯の味が全然しなかった。遥さんのご飯食べるの、楽しみにしてたのに。
私達三人は向かい合って夕ご飯を食べていた。今日のメニューは私の大好きなロールキャベツ。コンソメで煮てあって、スープすら美味しい。ちなみになぜ三人かと言うと、和馬さんはいつも皆が食べ終えてから食べに来るらしい。人と仕事以外で話すのが嫌だからと。
結局、飛人さんは私の部屋と和馬さんの部屋を案内しただけだった。まあ別に、二人の部屋を知らなくても困らないからいいのだけれど。
「こんな面白いの久々だから、向こう一週間はこの話続けるね。」
「長いですって。それに飽きますよ。ねぇ、遥さん。」
「ん〜、私は飽きないかなぁ。飛人の言う通り、こんな面白い...というかそんな大胆な行動する子、今まで居なかったから。これからどんな風にお互い接していくのか楽しみだわ。」
遥さんに助けを求めたが無理だった。もういいや、いつかは忘れるだろうし、それまでの辛抱だ。それにあの行動を悪かったとは思わないし。
「私は出会った人皆と仲良くなりたいと思ってます。だから和馬さんとも仲良く出来る様頑張ります。」
「ふふ、ほんとあの二人にそっくりね。」
遥さんが目を細めながら私を見てる表情があまりに両親に似てるから、つい目を逸らした。
「ご馳走様でした。」
「味どうだった?」
「すっごく美味しかったです!私遥さんが作るご飯、この世で一番好きです。」
「嬉しいけどそんな事お母さんが聞いたら悲しんじゃうわよ〜」
「私の母親、料理苦手だったんで大丈夫です。それに母親も遥さんのご飯が一番美味しいって言ってました!あ、父親もですよ。」
「嬉しいわ〜このカフェやってて良かったと思った瞬間かも。」
「もっと良かったと思う瞬間あると思いますよ...」
遥さんと洗い物をしながら、私達は他愛のない話を沢山した。カフェの常連の事やメニュー、過去に働いてた人の事など本当に沢山の話をした。ちなみに飛人さんはやる事があるからとご飯を食べ終えたら部屋に戻ってしまった。遥さんいわく、いつもの事だから放っておいてるみたいだ。
「そういえばここって働くのにルールありましたよね。私それに該当しないんですけどほんとにここで働いても大丈夫ですか?」
洗い物が終わり、二人でくつろいでる時にふと思い出して聞いた。
─将来の夢があること─
それがこのカフェで働くのに必要なルールだ。むしろそれさえあればここは雇ってもらえると言っても過言ではない。
「春香ちゃんの両親には沢山お世話になったから全然いいのよ。ここで働いてる内に夢を見つけられるかもしれないしね。」
「あの二人には私の事なんて言ってるんですか?」
「飛人には全部話してる。和馬はあんなだから新しい子が来るとしか話してないわ。時が来たら話すつもりではいるけど、もしその前に何か言われたらすぐ私に言ってね。和馬の事、がっつり絞めるから。」
「それはそれで怖いです...」
にこにこ笑顔で力拳をつくる遥さん。頼もしかったが怖くもあった。遥さんは怒らせたらかなり怖いタイプかもしれない。
「さて、今日は遠い所から来て疲れたでしょ。明日も早いから早く寝なさい。」
「そうですね、言われたら確かに疲れたかも...」
「顔が眠そうだもの。おやすみ、春香ちゃん。また明日ね。」
「おやすみなさい、遥さん。」
遥さんに手を振って、自分の部屋に戻った。
「はぁ...疲れた...」
用意されたベットに倒れ込むように横になった。なんだか急に疲れがきた。
私、本当にここでやっていけるのかな。遥さんや飛人さんとは上手くやっていけそうだが、和馬さんとはどうだろうか。お互い最悪な印象しかない。遥さんにはああ言ったけど、これから仲良くなれるかな。
疲れているからかどんどんネガティブな事ばかり考えてしまって余計疲れた。
考えても仕方ない。仲良くなれるかどうかはこれからの私次第なんだから、今日の私がこんなに悩む必要なんてないよね。
そう結論づけて眠りについた。
ピリピリピリ。
「ん...ここどこ...」
いつも通り六時のアラームで起きると、見覚えのない部屋で一瞬驚いたが昨日ここに引っ越してきたのだと思い出した。
「ふわぁ...よく寝た...」
前に使っていたベットではこんなによく寝れなかった。遥さんはここに住み込みで働いてる人の事、本当に大事に思っているのだろうな。そうでなければこんないいベットは用意しない。
「あら、おはよう。早いわね。」
共有スペースに行くと遥さんは既に起きていて、料理を作っていた。その服装はカフェの制服だった。スラッとした足にスボンがよく似合っていた。
「おはようございます。手伝いますよ。何したらいいですか?」
「ほんと?ならみそ汁作ってほしいわ。」
「おっけーです!具は何がいいですか?」
「ナスとワカメでお願い。」
「はーい」
「あ、そこの大きい鍋で作ってね。お客様に提供するやつだから。」
「わかりました!作り方とかってありますか?」
「んーん、自分流のやつでいいわよ。とにかく人が食べても問題ない料理を作ってくれるならなんでも大丈夫!」
「わかりました!」
道具だけどこにあるか聞いて、あとは全部自分流でみそ汁を作った。私はナスのみそ汁が大好きで、一時期それしか食べない時期があった。コツはごま油でナスを炒めてからみそ汁を作る事だ。
「おー、いい匂い!」
もうすぐ完成と言う所で飛人さんが起きてきた。
「おはようございます、飛人さん。ちょうど良かったです、味見してくれませんか?」
「おはよう、春香ちゃん。味見しなくても大丈夫だと思うけどなぁー」
小皿で少しすくったみそ汁を渡し、飛人さんはそれを一気に飲んだ。
「あっつ!」
「そりゃあ熱いですよ!何やってるんですか!ヤケドしてないですか?」
「大丈夫。よくある。」
「まあ、ありますけど。今ので味わかりました?」
「わかったよ。めちゃくちゃ美味しい!」
ぐっ、と涙目で親指を立てるが信用ならない。だから今度は遥さんに飲んでもらう事にした。
「遥さーん、みそ汁作り終わったんですけど味見して欲しいです。飛人さんじゃ不安で...」
「いいわよ〜でも美味しい匂いしてるから大丈夫だと思うけどね。」
みそ汁なんて大体この匂いではないのかというツッコミは心の中でしといた。
「ん!美味しいわよ!ダシとみその割合がちょうどいいね。これは人気になりそう。」
「ですよね、遥さん!」
「そんな大袈裟ですよ。みそ汁なんて誰でも作れます。」
あまりに二人が褒めてくるから苦笑した。どうせお世辞だろうと思って。でも二人は本気だった。
「そんな事ないわよ。飛人にみそ汁作らせたら凄い事になるんだから。」
「ちょっ、遥さん、それは言わない約束です。」
「そうだったわね、あはは」
そこまで言われたら逆に気になる。今度作ってもらおう。
「ん...いい匂い...」
三人で私達の朝食の準備やカフェを開店させる為の準備も同時にしていると、和馬さんがのそのそと起きてきた。
「あら、おはよう、和馬。いつもより早いじゃない。昨日は早く寝たの?」
和馬さんに気づいた遥さんは手を止めずに聞いた。
「いつもとあんまり変わらない。」
「もう、まだまだ成長期なんだから早く寝なさいよ。大きくなれなくなっちゃうわよ。」
「成長期なわけないし、そうだとしてももう大きくならなくていい。」
「んもう、男性は背が高い方がモテるのよ!」
「モテなくていいから。それより、今日こんなに従業員いるんだったら俺要らないね。部屋に居るからもし混雑してきたら呼んで。」
「えっ、ちょっ、」
和馬さんは言いたいだけ言うと部屋に戻って行こうとした。二人もそれを見て何も言わないから、私が引き止めようとすると逆に私が飛人さんに止められた。
「いつもの事だから、放っておいて大丈夫だよ。ちゃんと混んできたら仕事はしに来るから。」
「...なんでそれで許されるんですか?」
「え?」
「だから、なんでそんな勝手が許されるのか聞いてるんです。ここで住む条件ってあれだけじゃないですよね?働く事もここに住める条件なんじゃないんですか?従業員が居るから働かない?私なんてまだ何も知らないから一人の内に入りませんよね?そうやって甘やかすからあんな人間に...」
「春香ちゃん。そこまでにしなさい。」
遥さんのドスの効いた声ではっとした。遥さんの方を見ると、女性の格好をしているのに顔は男性ならではの怒った顔をしていた。
「人にはそれぞれ事情があるのはわかるよね?だからここに住み込みで働いてる。それに和馬の事は僕が許可してるんだから春香ちゃんが注意する事じゃない。」
「...ごめんなさい。」
言い返したい事は沢山あった。でも遥さんが言う事も間違ってはいない。それに私はさっき自分でも言ったけど、入ったばかりでこのお店の事はもちろん、皆の事を何も知らない。それなのに責めるのは違う。だから遥さんは怒ったのだろう。
「でも春香ちゃんの気持ちもわからない訳ではないからね。むしろそう思うのが普通だよ。」
飛人さんがフォローするようにそう言った。でも私の心は晴れない。だけどそれを悟られないように。
「全部遥さんの言う通りです。でしゃばったまねをしようとして本当にごめんなさい。」
遥さんに頭を下げて謝った。自分が納得してなくても謝る事は接客業をしてて嫌という程身に染み付いてる。小さい頃の私だったら納得していない事は絶対にしなかっただろう。
「そんな頭を下げる事じゃないわよ〜飛人も言ってたけど、気持ちはわからないでもないからね。でももう少し皆の事を知ってから注意はしてほしいな。」
遥さんはいつもの調子に戻っていた。やはり遥さんは怒らせたら怖い。これからは気をつけながら生活していこう。ここで上手くやっていける方法を早く見つけないと。
「さ、気を取り直して!朝食にしましょ。そしたら春香ちゃんにここの制服渡すわね。」
「はい...わかりました。」
そこで話は終わり、朝食の準備を再開した。今日のメニューは焼き鮭に私が作ったみそ汁、白米とザ、日本食のメニューだ。
「いただきます。」
昨日の夜とは違って、皆静かに食べている。私も朝は強い方ではないから話題を提供する事や提供されて、上手い返事が出来るかわからない。
「ご馳走様でした。遥さん、今日の朝ご飯も美味しかったよ。お昼は何?」
飛人さんが一番に食べ終わり、もうお昼の事を聞いていた。
「今朝ご飯食べ終えたばかりよ?気が早くない?」
私が思った事を遥さんが全部代弁してくれた。
「楽しみがあったらお仕事頑張れるかなって。遥さんのご飯、めちゃくちゃ美味しいし。」
「嬉しい事言ってくれるじゃない!なら頑張って作っちゃうわよ〜」
「やったー!で、メニューは?」
「オムライスにしよっか。お店の方の卵の期限が危なかった気がするから。」
「おっしゃあ!お仕事頑張ります!」
「よろしくね。春香ちゃんもオムライスで大丈夫?」
「えっ、あっ、はい、大丈夫です。」
急に話を振られてどもってしまった。やはり朝は人と話すのはやめておこう。
「ご馳走様でした。今日も美味しかったです。」
「お粗末さまでした。春香ちゃん、これ制服ね。これからは部屋で着替えてからこっちに来て大丈夫だからね。」
「わかりました。ありがとうございます。」
袋に入った制服を受け取り、洗面所で身支度を済ませたから部屋に戻り、袋を開けた。
「うわぁ...可愛い」
そこに入っていたのは白のブラウスと黒色の膝下のスカートだった。サロンもスカートに合わせた形になっていてとても可愛い。メイド喫茶の制服に似てはいるが、こっちの方が普通のカフェなだけあって色が大人しめだ。
「あ、ズボンも入ってる。」
スカートだけではなく、ズボンも入っていた。それに合わせたサロンも入っていて、多様性を大事にしているのだなぁと改めて思った。
「これで大丈夫かな...」
似合ってない気がして、鏡の前で何度も確認する。私はズボンとスカートと迷った結果、今日はスカートにする事にした。胸元まである髪は後ろでまとめて、さらにクリップで止めた。
「不安になっても仕方ないよね。」
そうだ。ここで一人で不安になるよりかはあの二人に見せて、変な所があったら直してもらのが一番だ。
反応にドキドキしながらカフェの方に向かい、ドアの前で一呼吸置いてからドアを開けた。
「お待たせしました...」
ドアを開けると二人はすでに制服に着替え終えてて、開店の準備に忙しそうだった。
「おぉ!春香ちゃん、制服めっちゃ似合うじゃん!髪型も可愛いね。カフェの雰囲気に合ってる。」
「あら!ほんとによく似合ってるわ。やっぱりスカートの制服も作ってて良かった。」
「ありがとうございます...」
あまりに褒めてくれるから恥ずかしかった。でも変と言われるよりかは嬉しい。
「じゃあ、今日春香ちゃんにやってもらう事はおもにお客さんの接客かな。料理の注文はハンディなんだけど使った事ある?」
「あります!」
「だったら接客をしながらハンディの練習しても大丈夫そうね。もしわからない事あったらすぐ私達に聞いてね。」
「わかりました!よろしくお願いします。」
こうして私のカフェで働く毎日が始まった。
「いらっしゃいませー空いてるお好きな席どうぞー」
「お待たせしましたーこちらデミオムライスです。」
「はーい、お伺いします!」
「春香ちゃん、すっかりここのお店に慣れたわね。」
「そうですね。今や春香ちゃん居なかったらこのお店回ってないし、こんなに賑わってないですよ。」
「私ったらいい人材を見つけたわね。」
「ほんとです。」
「あの!二人とも働いてください!」
「お、噂をすれば。」
「噂なんていいんで仕事してください!」
「はは、木田さんちの子って感じね。」
二人は苦笑しながらそれぞれのポジションに戻って行った。この忙しいのにのんびりお喋りなんてしないでほしい。
私はこのカフェで働いてから一ヶ月が経った。ひと通りの事は出来るようになり、自分で言うのもなんだが、このカフェの看板娘にまでなった。今や私だけを見に来る人も居るぐらいだ。
「春香ちゃーん、料理出来たから運んで〜」
「はーい」
「春香ちゃん、そっち終わったらオーダーよろしく!」
「はーい」
私は朝、お店が開店してから閉店するまでずっと動きっぱなしだ。休憩も貰えるには貰えるが、ご飯を食べるだけの為の休憩だから休んだ気はしない。
前に私が働いてた所と比べるとお店の大きさはもちろん、お客さんも少ない。ではなぜ私が動きっぱなしではないといけないのか。答えは簡単だ。従業員が少ないから。
大体皆のポジションが決まっており、私がホール、遥さんが調理、飛人さんが飲み物を作り、ホールがあまりに混んでいたら手伝いに来る感じだ。和馬さんはお店が混んで来たら部屋に呼びに行って、飲み物を作り、その間飛人さんがホールをやってくれるという感じだ。
和馬さんの皆の対応は決していいとは思わないけど、あの日遥さんに怒られてから私は変に口を出さない事を
決めた。だって間違った事を言っていないのに怒られるのは気持ち的に嫌だし、怒る方だって嫌なはずだ。自分が我慢してどうにかなるのだったらそれでいいと私は思うタイプだから何も言わない。結局、人生ってそうやって誰かが我慢する事で上手く回るのだから。それが私なら誰も嫌な重いしないで済む。ほんと、小さい頃の私だったら絶対こう考えられなかっただろう。
カランコロン。
「いらっしゃいませーボードにお名前を書いてお待ちください。」
お店のドアが開いて、そう言いながら入口の方に近づくと、そこには男子中学生が二人居た。
「やっぱり噂通り、おカマがいるじゃん!」
「ほんとだ!」
男子中学生二人は遥さんの事を指差しながら笑っていた。この二週間、こんなお客さんは来た事なかったからどう対応するのが正解なのかわからない。だが案内しない訳にもいかないから。
「お待たせしました。空いてる二名がけのお席、ご利用ください。」
営業スマイルで案内した。もしかしたら言葉が悪いだけでいいお客さんかもしれないと一縷の望みをかけながら。
「ねぇ、このお店噂通り高くない?」
「ほんとだ。ぼったくりじゃん、こんなの。」
「おねーさん、これもうちょっと安くならない?」
だがそんな私の思いもむなしく、男子中学生二人は席に着くなりそう言い始めた。高いと知ってたなら来るなよ。
「申し訳ございません。安くする事は出来ません。」
「えー、こんなの誰でも作れるじゃん。それなのにこの値段ってぼったくりでしょ。ネットに書き込むよ。」
メニューを指差しながらニヤニヤしている。子供のくせにクレーマーかよ。一体、どういう教育をしてきたんだ、親は。親の顔を見てみたい。そして一発殴らせてほしい。
「当店の料理は全て一人で作っております。なので他のお店より高いかもしれませんが、それを理解して皆さんにご利用頂いてるのでぼったくりなどでは一切ありません。」
「作ってると言ってもどーせレトルトでしょ。」
その言葉にカチンときた。遥さんがどんな想いで料理を作ってるのかも知らないくせに。
「そう言うって事はレトルトで作ってるという証拠があるんですね。見せてもらってもいいですか?私もここに入ったばかりで知らない事が多いので色んな事を教えてもらえると助かります。」
「いや、それは...」
二人は目を逸らしてもごもごと何か言っていた。やっている事は悪質なクレーマーだが、詰めが甘い部分を見るとやはり子供だなと思う。
「てかさ!俺達客だよ?そんな態度で接客していいのかよ!」
「そうだよ!お客様は神様だろ。」
今度は論点を変えてきた。ここまで来ると面白くなってくる。
「お客様を神様?いやいや、君達みたいなクレーマーを神様だと誰が思うの?」
つい口が滑ってしまった。でもこの二人も私にタメ口を聞いてきたのだから、こっちもそれでいってやる。
「どんな客でもにこにこ対応するのが店員だろ!」
「そうだそうだ!」
「君達みたいなやつににこにこしてる時間が無駄。働けるようになったらわかるようになるよ。」
「んだよ!この店員。店長呼べ、店長!」
面倒臭い事になったな。このまま引っ張って外に出してやろうか。
「君達、何をそんなにイライラしてるの?」
「遥さん...」
本気で外に出そうと考えた時、遥さんがにこにこしながら私の横に立っていた。
「うわ、おカマじゃん。」
「俺達、おカマに興味無いから。店長呼べって言ってんの。」
「私がその店長だけど?」
遥さんが表情を崩さず言うと、二人は嫌な顔をした。
「えー、最悪!おカマが経営してる店とかキモすぎる。」
「それな。俺達男の客を狙ってるかもしれないし。」
あまりに酷い言葉続きで、遥さんはどう思っているのだろうと横を見ると、にこにこしていた。
「君達何か勘違いしてるようだけど、おカマだからと言って全員が全員、男性を好きになる訳ではないのよ。」
「だからってキモすぎる!男を好きにならないんだったら女の格好なんてしてんなよ!」
「そうだそうだ!」
「君達ね...って、春香ちゃん!?」
「「冷たっ」」
気づいたら私はお冷を二人の頭にかけていた。それだけでは怒りが収まらず、席から無理矢理立たせて入口まで引っ張って行った。
「何すんだよ!」
「客にこんな事していいと思ってんのかよ!」
「客と言うのは品物を買って、お金を払った人だけなんだよ。お前達みたいな、ただ人を馬鹿にしに来ただけのやつを私は客だと思わない。」
ドアを勢いよく開けて二人を外に出した。二人はまさかここまでされるとは思っていなかったのか、ぽかんとしている。
「二度とその面見せんな。次、店に来たら容赦しないから。」
ぽかんとしたままの二人を置いてドアを閉めた。勢いよく閉めたからいつもは可愛い音を立てる鈴がけたたましく鳴った。外は暑いから水が滴ったまま帰っても大丈夫だろう。これで一件落着だ。
「春香ちゃーん、見事にやってくれたね。」
と思ったのも束の間。私の肩に遥さんの手が置かれて我に返った。
私、接客業として最低な事してない?あんな酷いやつとは言え、お客様だった訳だ。それに水をかけて外に追い出した。外は暑いから大丈夫とか、そういう問題ではない気がする。
「あぁ...!遥さん、ごめんなさい!ついカッとなってやってしまいました。本当にごめんなさい!」
こんなに謝ったのはあの日、和馬さんの事で怒られた時以来だ。あの時は渋々という感じだったが、今回は本気で謝罪した。
もしこの事が原因で悪い方向に噂が広まって、このお店にお客さんが来なくなってしまったら。遥さんに申し訳ないのはもちろん、飛人さんや和馬さんにも迷惑をかけてしまう。それに私も住む所が無くなってしまう。だから感情に身を任せて物事をやるとろくな事にならない。
「ぷっ、あはは!やっぱり春香ちゃんは面白いわね。」
「え?」
「ほんとそうですよね。あんな大胆にクレーマーに対応する人、そうそういないよ。」
遥さんに続いて飛人さんまで笑い出した。そしてお店にいた常連さんやお客さんも。
「春香ちゃん、流石だね。ぜひうちに働きに来て欲しいよ。」
「お姉さん、強いですね!私ももしバイト先にあんなクレーマーが来たら頑張ってみます!」
「お姉さんかっこいい!僕もお姉さんみたいになる!」
次々に褒めてくれた。常連さんに関してはスカウトだし。絶対怒られると思っていたから拍子抜けだ。
「え...怒らないんですか?」
「怒ってほしいの?それなら怒るけど。」
「怒られないに越した事はないですけど、私がやった事ってかなりやばいですよね?」
「まぁ、やった事だけ見ればクビも同然だけど、私もあの二人をお店から追い出そうとは思ってたから別にいいわよ。何かあっても防犯カメラあるし、外は暑いから風邪をひく事はないでしょ。」
「そうそう。だから春香ちゃん、大丈夫だよ!」
「ありがとうございます...!」
二人が優しくそう言ってくれるから涙が出そうになった。でも泣いてる場合では無い。どうしても気になる事があるのだ。
「あの...遥さん。大丈夫ですか?」
遥さんがいつものポジションに戻ろうとしている所を引き止めた。
「ん〜?何が?」
こちらを振り向いた顔は、笑ってはいたがどこか無理をしているように感じた。
「あの二人に言われた言葉で、遥さんが傷ついてるように私には見えます。」
「そう?私自身、気にしてないわよ。ああやって言われるのを覚悟してこの格好してるからね。」
「でも...」
それでもなお食い下がる私を遥さんは遮った。
「春香ちゃん、明日お店定休日でしょ?だから二人でお出かけしましょ。今だとゆっくり話せないからね。」
「...はい、わかりました。」
「それじゃああと数時間、頑張るわよ!よろしくね、春香ちゃん。」
遥さんは今度こそキッチンに戻って行った。私もホールの仕事が山盛り残っているから、仕事に戻った。
「ん〜、いい天気ね。」
「そうですね。絶好のお出かけ日和です!」
私と遥さんは昨日話した通り、二人で出かけていた。行き先は大型ショッピングモール。よくカフェの食材を買い出しに来る所だ。でもいつもはモール内のスーパーしか入らないから、他になんのお店が入っているかは知らない。だから尚更楽しみだ。
「春香ちゃん、私見たい所あるのよ。着いてきてくれる?」
「もちろんですよ!何見たいんですか?」
「それは着いてからのお楽しみ。さ、こっちよ。」
遥さんの後ろを着いて歩き、エスカレーターで三階まで上がると、可愛い洋服屋が沢山並んでいた。
「見たい所って...洋服ですか?」
洋服を見るのが悪いと言いたい訳では無い。ただ並んでいる洋服屋は全部、いつも遥さんが着ている洋服の系統とは違うから驚いただけだ。
「そうよ。春香ちゃんに買ってあげたいって思ってたの。」
「え?私にですか?」
「ええ。いつも頑張ってくれてるからね。こことかどうかしら。」
遥さんが立ち止まったお店はシンプルだけれど可愛いが詰まってる洋服屋だった。
「好きですけど、自分で買えますよ?」
「いいの、いいの。春香ちゃんがカフェに来てくれてからお客さん増えて助かってるんだから。お礼をさせて。」
「お礼なんていいですよ。私こそあそこに住み込みで住まわせてもらって、しかもお給料まで貰えるんですよ?感謝しかないです。」
「春香ちゃんはそう思うかもしれないけど、私からしたらそれ以上のものを貰ってるから。だから洋服買わせて。これとかどう?」
そう言って見せられた服は淡いピンクのワンピースだった。
「可愛い...」
「似合いそうよ。試着してきてよ。私試着室の前で待ってるから。」
「わかりました...」
試着だけならとワンピースを受け取り、試着室に入った。
「どうですか?」
服を選んでいた遥さんに声を掛けると、私を見て目を大きく開いた。
「え、何か変ですか?」
「ううん、そんな事ないわよ。凄く似合ってる。ただ...」
「ただ?」
「あまりにも春香ちゃんのお母さんにそっくりだったから驚いちゃった。ごめんね、不安にさせて。」
「いえ、全然大丈夫ですよ。」
確かに、私のお母さんもこういう淡い服を着る人だった。顔もよく似ていると言われていた。自分ではわからないが、他人から見るとわかるのだろう。
「その服、私が買うわね。着て帰る?」
「自分で買います。そして着て帰ります。」
「ダメよ。私に買わせて。すみませーん。」
遥さんは店員さんを呼ぶと、着て帰る事を伝え他の服と一緒にお会計をしてしまった。店員さんは元着ていた服を丁寧に紙袋に入れてくれた。
「ありがとうございました〜」
店員さんの笑顔を横目にお店を出た。久々に洋服を買った気がする。実際、自分で買ってはないのだが。
「はい、これあげる。」
お店から出て少し歩いていると洋服屋の紙袋を渡された。
「え?これ遥さん用じゃないんですか?」
「まさか!私の年齢でこんなフリフリ着てたらそれこそやばいやつじゃない。」
「そうですか?似合うと思いますけど。」
「それはありがとう。でもこれは私から春香ちゃんへのプレゼント。受け取って。」
そう言って半ば無理矢理紙袋を持たされた。でもさっきのお会計で万超はしていた。果たしてそんな高価な物を貰って良いのだろうか。
「本当にいいんですか?私返せる物ないですよ。」
「いいのよ。昨日、私の為に怒ってくれたじゃない。そのお礼でもあるの。だから受け取って。」
そう言って微笑む遥さんは今まで見てきたどの人よりも綺麗だった。
「...わかりました。有難くいただきます。沢山着ますね!」
微笑む遥さんに見とれてついそう言っていた。遥さんはいつもの元気な笑顔になった。
「是非そうして!その服着てまた一緒に出かけてくれるかしら?」
「もちろんです!今度はどこ行きますか?」
「私、行ってみたいカフェがあるのよね。」
「いいじゃないですか!なんなら今から行きますか?」
「ちょっと距離あるけど大丈夫?」
「私車酔いしないタイプなんで大丈夫です!」
「なら安心ね。行きましょうか。」
駐車場に行き車に乗り込んだ。車内は凄く暑かったが、冷房が徐々に効いてきて心地良かった。
「そのカフェって何が有名なんですか?」
車を運転する遥さんに尋ねた。サングラスをかけている遥さんはどう見ても男性に見えない。
「パンケーキが有名みたいよ。でもなんでも美味しいって言われてるからカフェのオーナーとして、一回は行ってみたかったのよ。」
「それは確かに行きたいですね!えー、何食べよっかな...」
向かっているカフェの話をしながら車に乗る事二十分。白を基調とした小さい建物が見えてきた。
「あ、ここね。」
「へぇ...思ってたより小さい...」
つい心の声が出てしまった。道中、店名を聞いてスマホで調べたら、結構色んなメニューがあったからもっと大きいお店を想像していた。だが実際はうちの店の三分の一しかない。
「うちの店も最初はこれぐらいの大きさだったのよ。」
「え!?そうなんですか!?」
私が物心ついて、両親にあのカフェに連れて行かれた時には既にあの大きさだった。だから小さかったと聞いてかなり驚いた。
「えっとね...あ、これがあのカフェをオープンした初日よ。」
写真を見たら確かに、このカフェと同じぐらいの大きさだった。
「こんなに小さかったのに大きくなるんですね。それって遥さんが頑張ったからですね!」
「ふふ、ありがとう。さ、暑いし早く中に入りましょ。」
「はーい」
「いらっしゃいませー空いてるお席どうぞー」
駐車場に車がある割には、お店の中にお客さんはあまり居なかった。だからネットでおすすめされている窓際の席に座われた。
「お客さん、全然居ないですね。」
「そうね。もしかしたらここに車を停めて、近くにある海に行ってるんじゃないかしら。」
「あ、この近くに海があるんですね。へぇ、行ってみたいかも...」
「ここで食事終わったら行く?レシートを持ってたらここに停めたまま行ってもいいみたいだし。」
「んー、人が多そうなんでやめときます。私、海は好きなんですけど人が多い時の海は好きじゃないんですよ。海って人が居ないからこそ良さが引き立つと思ってるんで。」
「ほんと、あの二人に似た事言うわね。」
さー、何食べようかな、とメニューに目を移した遥さんをぼーっと眺めた。昨日の言葉を、遥さんはどんな思いで聞いていたのだろう。第三者の私ですらあの言葉達は辛かったのだ。当事者の遥さんはもっと辛かっただろう。なのにどうしてあの時、感情的にならなかったのだろう。
「春香ちゃんは頼む物決まった?」
「え、あ、まだです...」
遥さんをぼーっと眺めている場合ではなかった。早く決めないと。
「ゆっくりで大丈夫よ。こんなにメニューがあるんだもの。迷っちゃうわよね。」
こんな時でも遥さんは怒らない。あの日、和馬さんの事を注意しようとした私を怒ったのが最後だ。あれで怒るのだったらどうして昨日の二人には怒らなかったのだろう。
「決めました!私、このカフェおすすめのパンケーキにします。」
「ドリンクはいいの?」
「アイスのカフェオレ飲みたいです。」
「了解。すみませーん」
遥さんが注文もしてくれて、店員さんと話をするのが苦手な私からしたら凄く有難かった。
「ねぇ、春香ちゃん。さっきも言ったけど、昨日は私の為に怒ってくれてありがとう。」
店員さんが居なくなってすぐ、遥さんが真面目なトーンでお礼を言ってきた。
「ついカッとなってしまって...昨日の事振り返ってみて、怒るにしてももっといい方法あっただろって思います...」
「まあね。だけどやってしまった事は取り戻せないし、オーナーの私がいいって言ってるから大丈夫よ。」
「ありがとうございます...」
「...春香ちゃんはさ、初めて僕がこの格好をしていたのを見た時、どう思った?」
いつもの作ってる女性の声ではなく、前に何度も会った事ある男性の遥さんの声で聞いてきた。そしてその声は心なしか震えているように感じた。
「特になんとも思わなかったです。強いて言えば、男性の時の格好も素敵だったから女性の姿でも素敵なんだなぐらいです。」
「なんでなんとも思わなかったの?」
「なんでと言われても...」
女性の格好をしている遥さんを見たのは、二週間前のあの日が初めてだ。それなのに私は特に驚きもせず、すぐ受け入れた。今思えばそれがおかしい気もする。いくらジェンダーレスの時代だからと言って皆が皆、受け入れられる訳ではない。だから昨日みたいな二人が居ても仕方ないと言えば仕方ない。
「あ...もしかしたら、両親が好きな物は好きでいいって育ててくれたからかもしれないです。」
私の両親は私の好きな物を否定しなかった。例えば好きなアニメの追っかけをするとか、おまけ付きのお菓子を集めるとかそう言った趣味は絶対否定しなかった。だから私は女性の姿をした遥さんをすぐに受け入れられたのかもしれない。
「本当に春香ちゃんはあの二人に似てるね。それも全部良い所が。」
遥さんがぽつりと言葉を零したと同時に、涙を流した。人が泣くのを見るのはいつぶりだろう。
「遥さん...」
「ごめんね、泣くつもりはなかったんだよ。...あぁ、でも、春香ちゃんの前では取り繕わなくていいかな。」
その目は、私を見ているようで見ていなかった。私に残る、両親の姿を見ていた。
「私の前では取り繕わなくていいです。むしろ、本当の遥さんを見せてください。全部受け止めます。」
私がそう言うと、遥さんは静かに泣き始めた。多分、色んな事を我慢していたのだろう。
「春香ちゃん、ごめんね、大人なのにこんなにみっともない姿晒して。」
涙をハンカチで拭きながら、遥さんは恥ずかしそうに言った。
「みっともないなんて思ってないですよ。泣くのはいい事です。人は感情がなくなった時が一番危ないんですから。」
「そうだよね。僕、一時期感情がわからなくなっちゃって病院通ってた事あるからわかる。」
「え、そうだったんですか?」
「うん。その話も...」
「お待たせしましたーご注文の品です。」
タイミング悪く、店員さんが料理を運んできた。でも料理自体は美味しそうだから許そう。
「美味しそうだね。」
「そうですね。それで、さっきの話の続き、聞きますよ。」
料理の写真を撮りながら言うと、遥さんは目を大きく開けた。
「聞いてくれるの?」
「もちろんです。前にも言いましたが、私は自分と関わった人全員と仲良くなりたいと思ってます。だから話せる範囲でいいので話してください。全部受け止めます。」
─人は一人では生きていけない。だから関わった人全てと仲良くなるつもりで生きなさい。─
この言葉を、耳にタコが出来る程聞いて育った。だから関わった全ての人と仲良くなりたいと思う。それに色んな人と仲良くなると、同じ事でも違う考えを発見出来るから面白い。
「ほんっとに、木田さんちの子って感じだね。」
「遥さんそれよく言いますけど、両親といつ出会ったんですか?」
「春(はる)とは中学からの付き合いで、香織(かおり)さんはハルが大学生になってから彼女が出来たって紹介してきたからそれぐらいかな。」
「結構昔からの知り合いだったんですね。」
両親と遥さんが昔からの知り合いだとは聞いていたが、こんなに古い付き合いだとは思っていなかった。それなら二人に似てると言われるのも納得がいく。私より両親との付き合いが長いのだから。
「春はさ、可愛い物が好きな僕を初めて否定しなかった人なんだ。」
懐かしむように、遥さんは語り出した。
「小さい頃から可愛い物が大好きだったんだ。リボンとか、フリルとかピンクとか。だけど僕の両親はそんな僕を男なんだからって否定した。それでも納得がいかなくて、ハンカチとか鉛筆の、自分のお小遣いで買える範囲はピンクにしてた。そしたら今度は学校でいじめられちゃって。男なのに気持ち悪いって。」
「それでも好きを押し通してた。自分の好きな物を我慢する方が嫌だったから。そしたら中学の時、本格的にいじめられちゃって。机の上に落書きはもちろん、教科書を捨てられたり殴られたり。今思えば僕が暗かったのもいじめられる原因だったんじゃないかな。」
「それが辛すぎて、もうこの人生を終わらせようとした。そんな時、ハルが転校してきた。ハルは春香ちゃんみたいに、誰とでも仲良くした。もちろん、僕とも。そしてピンクの小物を持ってる僕に、こう言ったんだ。」
【ピンク好きなの?めっちゃセンスあるじゃん!】
「センスがあるなんて、初めて言われた。ずっと否定ばかりされてたから。でもハルは可愛い物が好きな僕を否定せず、すぐ肯定した。それがきっかけで仲良くなって、今に至るんだ。」
「そうだったんですね...」
遥さんはいつも笑顔で明るいから、そういう人なんだと思ってた。だけど実際は違って、その過去があるからこそ今の遥さんが居るのだ。もし私の父親と出会って居なかったら。遥さんは今、この世に居なかっただろう。
「遥さんが今、生きててくれて良かった...」
本気でそう思って言葉に出すと、遥さんは目を細めた。
「嬉しい事言ってくれるね。ありがとう。」
「私の父親は、一人の命を救ったんですね。お父さんも、もっと早く教えてくれれば良かったのに。」
そしたらもっと尊敬したのに。
「恥ずかしかったんだよ。きっと。」
「そうだったんですかねぇ...」
窓の外を見ると、雲一つない青空が広がっていた。あの日も、こんな天気だったなぁ。
「ハルはさ、僕の心の病院にも付き添ってくれて、本当に面倒見が良かったよ。あのカフェを立ちあげようと思ったのもハルのおかげだし。あ、カフェ立ち上げは香織さんも手伝ってくれたよ。」
「両親は遥さんの事が大好きだったんですね。」
「本当に感謝してるよ。今度一緒に会いに行ってもいい?」
「もちろんです。行きましょう。」
笑って頷くと、遥さんも笑った。両親と遥さんの三人で食事したらもっと楽しいだろうなと思った。
「遥さん。今日はすごく楽しかったです。洋服もありがとうございます。大事に着ます。」
「いいのよ〜私も沢山話せて楽しかったから!」
カフェを出て、帰りの車内。遥さんはいつもの話し方に戻っていた。男性の時の話し方も好きだけれど、女性の時の話し方の方がしっくりくる。
「また出かけましょうね。」
「ええ。あの二人の話、もっと聞きたいし。」
「多分、遥さんの方が二人の事知ってると思いますよ。」
「私が知ってるのは親になる前の二人だから。親になった二人を知ってるのは春香ちゃんだけでしょ。また二人で話す機会があったら親になった二人を教えてね。」
「わかりました!」
元気よく頷くと、遥さんも笑顔で頷いたのがミラー越しに見えた。
小さい頃から私は自分の両親が自慢で大事だった。正義感が強くて、誰よりも私を大事にしているのが伝わってきたから。だから両親を大事にしている人が居るってわかって嬉しかった。このカフェで働けて良かったと、心から思った。



