結論、と話タイトルを設定しましたが、結論じみたことは何一つありません。

 三人の行方は、未だにわかりません。
 三人の「実在しない記憶」に関する真相も、結局わからずじまいです。

 だから、今書いてきたことも、これから書くことも、ただの考察です。

 宮内先生が教えてくれた例の怪しげな組織は、特定の神を信仰したり、誰かを崇めたりするような集団ではなかったことから、本当に純粋に、大切な誰かの記憶を残しておきたいと願う人々の集まりだったのだと思います。
 その思いが行きすぎて、「米呼子」やら「曇虞狸」やらといった物騒なものができましたが、もとはきっと全て迷信です。
 ただ、その迷信じみたこと、効果も根拠も何も存在しない儀式を信じ、実行してしまった人々がいました。
 迷信だから実行しても大丈夫、というわけではありません。なぜなら、儀式が実行された結果として、罪のない動物の命が犠牲となり、その周りをとりまく人たちの中に不気味な記憶が伝染していったからです。
 それはもはや、呪いと同じです。

 実在しない出来事に関する記憶も、存在するものとして信じられてしまえば、実在したものとして扱われてしまうことがあります。
 それと同じで、例え迷信――実在しない儀式だったとしても、それを信じて実行してしまう人がいたことで、真に意味を持ち始めてしまうこともあるのかもしれません。

 なんだか、話が変な方向にいっちゃいましたね。
 せっかくここまで付き合ってもらったのに、ごめんなさい。
 いや、付き合わせてしまってごめんなさい。

 宮内先生は、「米を噛む音が聞こえる」という文で締めくくったメールを私に送ってきた後、音信不通になりました。大学にも来ていないそうです。

 実際に「米呼子」を実行したわけではなくても、宮内先生のように「曇虞狸」のことを知り調べてしまうだけでも「曇虞狸」と深く関わってしまったことになるのなら、この文章を書いてきた私も、読んできたあなたも、曇虞狸と深く関わってきたことになってしまうのだと思います。
 ここまで読ませてしまってすみませんでした。でも、大事な三人のことを知ってほしかっただけで、別にあなたを道連れにしたかったわけじゃないんです。
 大丈夫です。この文章のことをきれいさっぱり忘れ、二度と思い出さなきゃいいだけなので。

 聞こえるはずのない場所でお米を咀嚼する音が聞こえたら、この文章のことを忘れて下さい。