今まで通り他愛もない内容でSNSを更新しながら、俺は前よりもコメント欄を見るようにしていった。
 応援してます、今日の投稿も可愛い、手が好み、そんな平和なコメントがほとんどだったが、やはりどの投稿にも数件は透真さん絡みのコメントがついた。
 西原くんを信じてるって伝えてくださいというものもあれば、ゆーとまの写真待ってます、というものものあった。ネガティブなものでいえば、何も言わないで逃げるなんて卑怯だとか、透真さんを罵倒するような内容のものもあった。ただ、そのあたりはムカつきはしたものの意外と冷静に読めた。
 一方で、読んでいてどうしようもなく嫌悪感を抱いてしまうコメントもあった。
『全然関係ないのに、とばっちりを受けて、鷹野くんが可哀そう……。傷ついてるはずなのに、毎日更新ありがとう!』
『ゆーくんも、これからは付き合う人を選んだほうがいいと思うな~』
『舞台にはやっぱり西原さんも出るのでしょうか。ああいうことをした人間を出すと言うのは、演劇部、ひいては大学の印象を下げることになると思いますが』
 お前らは何様で、俺の、透真さんの、演劇部の何を知ってるんだと、額に人差し指をぶすぶすと刺しながら問い詰めたい気分になる。
 きっと本人たちはあなたのことを心配して言ってあげている、正しいことを言ってあげていると思っているのだろう。自分たちの言葉は「善」だと。だからこそ余計に気持ちが悪い。
 何も知らないのに、聞きかじった情報と勝手な思い込みだけで人に対して分かったようなことを言ったりアドバイスしたりというのは、もはや自慰行為と言ってもいい気がする。目の前に実在しないおかずを使って、自分だけが気持ちよくなる行為。
 ――他人に見せつけるもんじゃないっていう点でも似てるな
 そんなことを考えながら、SNSを閉じる。
 透真さんとは、SNSのトラブルの話を聞いた後から直接は会っていないが、LIMEでのやりとりは続けていた。
 あの後、演劇部の人たちやミスターコンのメンバーたちにも自分から連絡して謝ったけれど、みんな透真さんのことを信じてむしろ怒ってくれたそうだ。
 それはそうだろう。普段の透真さんを見ていれば、濡れ衣だってことは一目瞭然すぎる。
 さらにイッシー先輩からは謝られたと言っていた。例の女の子と話しているときに、透真さんが全然お酒を飲んでないことについて聞かれて、酒は好きだけどすぐ寝てしまうから、身内と飲むとき以外は控えているということを話してしまったらしい。
『でもまさか、そんな世間話が悪用されるなんて普通思わないだろ』
 透真さんはそう言っていたし、自分もそう思う。
 一度だけ、その子のピンスタをのぞいてみたが、後ろめたさなど微塵も感じさせないキラキラとした日々を今までと同じように載せていて、なんだかぞっとしてしまった。神経が分からないとは、まさにこのことだし、分かりたくもない。
 ちなみに例の投稿はストーリーだったのでとっくに消えているが、スクショで保存された写真はいまだにSNSの中で拡散され、電子掲示板の中でもスレが立ったりしたらしい。ミスターコンの実行委員からときどきくる連絡によると、透真さんのことをかばう声もないではないが、そうやって加害者をかばう人のせいで被害者は傷つく、セカンドレイプだ、と女の子側に立つ人たちの攻撃材料にしかなっていないようだ。
 ただ、全体的に騒動がさほど大きな問題にならないまま下火になってきているのは確かで、変に反論とかせず、動向を見守るという透真さんと実行委員の判断は合っていたのだろう。
 いつくらいから透真さんはSNS復帰できるかな、と思ったところで、そういや今日の写真を送っていないと思い出す。
 SNSを見られないのはいいけど、ユウの癒しの投稿も見れないのは残念と言われたので、LIMEで送りつけているのだ。
 さっきSNSに載せたばかりの、アイスの棒に対して威嚇しているカマキリの写真を送ると、すぐに既読になった。
『今日のバ先にいました。では明日~』
『今日バイトだったんだ。お疲れ。明日からよろしくー』
 夜は自由に過ごしたいということもあり、ガソリンスタンドの早朝シフトで週五ペースで働いているが、明日からは演劇部の合宿なので一週間近く休むことになる。
 透真さんと会うのも十日ぶりくらいだな、と思いながら俺は電気を消し、目を閉じた。

 *

 舞台の練習は、比較的順調に進んでいった。
 夏休みに入ってすぐ、遺書をどのように読むかが決まったことで、自分の中で雨衣という人物が息づき始めたのも大きい。

 あの日、いろいろなパターンで台詞を言う前に『雨衣は、成瀬と過ごす時間をどう感じてたと思う?』と透真さんに聞かれた。
『んー、そうですね。いろいろ複雑な気持ちもあっただろうけど、それでも結局成瀬と一緒に居られることはシンプルに嬉しいし幸せだったんじゃないかなとも思いますよね』
『ユウらしい素直な意見だな』
『単純すぎますかね』
『いや、いいと思うよ。じゃあ、それを踏まえたうえで、最期に雨衣は成瀬のことを考えながら死ぬわけだろ。どんな気持ちだったと思う?』
『あんま、絶望しながらって感じはしないかも。限られた時間だったけど、楽しかったなとかやっぱ幸せだったなとか思ったんじゃないかな、雨衣が成瀬を恨むってことは絶対なさそうだし、一緒に過ごさないほうが良かったとも思わなさそう』
『うんうん』
 透真さんは頷き、台本の台詞を指さした。
『でもここの愛してしまったって言い方はさ、後悔っぽくも聞こえるじゃん』
『そうですかね。なんかこう、俺的にはただ愛したっていうよりも、気持ちがこもってる感じがして』
『お、そうなんだ』
『自分の意志ではどうにもできないくら惹かれてしまった、みたいな』
『だとすれば、これは最後の告白でもあるってことか』
『ですね。何回も何回も毒のある成瀬が好きだって伝えてきて、最後にあぁやっぱり好きだったなぁって感じかも』
『いいじゃん』
 透真さんはそう言ったあとに、もう一度『うん、いいよ』と繰り返した。
『もちろん悲劇でしかないんだけどさ、でも、最後、成瀬は雨衣の残した告白の中に倒れこむんだって思ったら少しだけ救われる気もする』
 ねっとりとずーんと、という田さんのイメージとはだいぶずれるなと思いながらも、そこから、純粋で一生懸命で、成瀬のことが真っすぐに好きな、温かみのある雨衣の人物像が自分なりに出来上がっていったのだ。

 この合宿に入ってすぐ、田さんにも、自分なりの解釈をまず伝えた。
 とりあえずやってみてと言われ実際に演じてみたところ、面白いかも、ということでその方向性でいくことになった。
 最初の立ち稽古で上滑りしていた【あなたは、やはり水仙の花のような人だ】という一言も、成瀬を口説くように言うのではなく、その美しさに感嘆している純粋さを意識することで、透真さん演じる成瀬の色気との対比がくっきりと生まれ、よりお互いのキャラクターが際立つように感じられた。
 もちろんそれは、透真さんが初日から完ぺきな成瀬を演じてくれたからこそできたことでもあった。美しく、儚く、毒のある色気をにじませ、ときには凄みすら感じさせる成瀬に、雨衣である俺は恋をし、愛を伝え続けた。

 そうして演技に集中していた俺が、部内の雰囲気が少しぴりついていることにようやく気付いたのは、合宿の二日目の夜のことだった。
 演劇部の合宿所として毎年のように使わせてもらっている民宿は、最寄りのコンビニまで歩いて二十分ほどかかる。そのため、練習後にジャンケンをして、負けた二人がお菓子などを買いにいくというのが恒例となっていた。
 そのときも、練習場所である広間でいつものようにみんなでギャーギャー言いながらジャンケンをしていたのだが、最後の五人のうち、透真さんと、俺と同学年の女子の二人がチョキを出して負けた。
 いつもであれば、行ってらっしゃーいという大合唱にすぐになるところだが、なぜか一瞬場が静かになる。
 あれ、と思っていると、透真さんがちょっと笑って「俺、一人で行ってくるわ」と言い出した。
「え、そんな、全然一緒に行きます」
 負けたもう一人の子が慌てたように言うが、透真さんは「大丈夫大丈夫」と手をひらひらと振って広間を出ていった。
 途端に「あからさますぎたかな」と一人の女子が小さい声で言う。
「でも、やっぱり二人きりってなるとちょっとね……」
「ないって思ってても、なんかな」
 ひそひそと交わされる会話を聞いて、胸がすっと冷える。
 つまり、透真さんのことを信じていると口では言いながら、もしかしたらと思う気持ちがみんなにあるということか。
 そして、透真さんもそれに気づいているから一人で行ったということか。
「俺も行ってきます」
 みんなの態度にショックを受けながら、それだけ言い残して急いで追いかける。
 玄関につくと、すでに透真さんはサンダルを履いて歩き始めていた。
 慌てて自分もサンダルを引っ掛けて「透真さん!」と呼ぶ。
 振り向いた透真さんは、驚いたように目を見開いたあと、にこっとした。
「どうした? なんか買ってきてほしいものあった?」
「あー……いやー、アイスを食べたいなって思ったので一緒に行こうかなって」
「ふーん?」
 首を傾げた透真さんが追いついた俺を見上げる。
「ってか、財布は?」
「あ、忘れた」
「つまり俺におごらせるつもりだったと」
「違う違う、本当に忘れただけなんでちゃんとアイス代は返します」
 焦る俺を見て、透真さんが笑う。
 その笑顔に、ふと違和感を覚えてまじまじと見ると「なに?」と聞かれた。
「いや、透真さん、なんか、痩せました?」
 笑顔を残したまま前を向いた透真さんが歩き出す。
「気のせいだろ、って言いたいとこだけど、実際痩せた」
「ですよね。なんか成瀬が前よりも儚いイメージが強くなったと思ってはいたんですけど、痩せたからか」
「かもな」
 痩せた理由は、なんて愚問でしかない。黙って俺もあとをついて歩き出す。
 林が両脇に続く暗い道はとても静かで、自分たちの足音だけがやけに響いた。
「ってかさ」
「はい」
「こんな人気のない道を、女の子を襲ったかもしれない男と二人って、そりゃ怖いよな。合宿が始まったときから、女子たちにちょっと距離を置かれてるのは気付いてたんだから、じゃんけんも参加しなければ良かったって反省中」
 すこしおどけたような口調で言った透真さんに「俺は怖くないですけどね」と答えると、呆れたような目が向けられる。
「そりゃそうだろ」
「だから、俺と一緒にいればいいじゃないですか」
「……」
「たぶん、俺が透真さんが痩せたことに今まで気づかなかったのって、もちろん俺が鈍感なのもありますけど、透真さんが練習のとき以外、俺と距離取ってたからですよね。合宿来てからまともに話すの今が初めてな気がするし。もしかして、一緒にいると俺に迷惑かかるとか思ってます?」
 俺の言葉に、透真さんが気まずそうに答える。
「いや……だって、ただでさえ、俺がユウのこと好きとか言ってたせいで俺の問題に巻き込むことになったのに、演劇部の中でまでユウとみんながぎくしゃくしたら、申し訳なさすぎるし」
「俺、もともとみんなと微妙に距離ありますけどね。一人で好き勝手行動すること多いし」
 だから、今回透真さんに対してあんな風に周りが思っていることにも気づけなかったわけで。
「まあ、本物のマイペース人間だもんな」
「あ、それ、実行委員の人が前に言ってたやつ」
「すんごい言われようだなって思って覚えてた」
「俺もです」
 二人で顔を見合わせて笑い合う。
「そんな本物のマイペース人間に付き合ってくれるのって、部内ではそもそも透真さんくらいしかいないし、仮に他の人たちとぎくしゃくしたところで何にも変わらないですよ」
「そんなことないだろ。部のみんなはユウのペースを尊重してくれてるだけだし。雰囲気も変わると思うよ」
「んー……だとしても、俺は自分が一緒にいたいって思う人といたいし」
 どう言えば透真さんも納得するんだろうと考えながら俺は続ける。
「透真さんは、俺のことをすぐ肯定してくれるし、気に入ってることも態度に分かりやすく出してくれるでしょ。俺が大して反応しなくても遠慮なくきてくれるし。だから俺も、透真さんといると楽だし、そういう相手は貴重だから一緒にいたいわけ」
 俺の言葉を聞いた透真さんが「えー、ユウってマジで俺のこと好きじゃん」とニヤニヤする。
「そうですけど」
「素直か。まあ、俺のほうもユウと一緒にいるのは確かに楽だな。ユウってこっちが好き好きーって言ったりくっついたりしてもさ、そうですかー、みたいな感じで全部受け入れてくれるし」
「まあ……別に好き好きって言われても有難いだけですもんね」
「それでも、許容範囲を超えるとしつこいって嫌がられるじゃん。だから俺も、けっこうそのへんはちゃんと見てるつもりだけど、ユウは、あ、そろそろ止めといたほうがいいかな、みたいに感じることがないからこっちも気にせずいられるっていうか。逆にいつまでくっついてていいんだろうってなって、結局離れ時を見失って変なタイミングになったりするくらい」
「別に俺はいつまでもくっつかれてても大丈夫ですけど」
「キャパが広いのな」
「広いんですかね……それこそ昔の彼女に空洞みたいって言われましたけど、もしかしてそう言う意味だったんかな……」
 俺の言葉に、透真さんが噴き出したあと、おもむろに立ち止まる。
「あれ? 疲れました?」
 自分も立ち止まって訊ねると、透真さんが、ばっと両手を広げる。
「くっつくのが大丈夫なら、ちょっと一回さ、ハグしてくんない?」
「ハグ? いいですけど」
 芝居でも何度もやってるし、とこちらも手を広げ、暗い道端で透真さんを抱きしめる。夜風に吹かれた髪が俺の頬をくすぐってくる。
 遠慮気味に俺の背中に回された透真さんの腕に力が入るのと同時に、肩に額がぐっと押し付けられた。
「……ほんと」
 くぐもった声に耳を傾ける。
「今、この瞬間、俺のことを当たり前のように受け入れてくれるユウがいて良かった。大げさかもしれないけど、ほんと、もう誰も前みたいに俺とは接してくれないだろうって思ってたから」
「こんなんで良ければいつでもどうぞ」
「ほんとキャパが広いのな」
「空洞なんで」
 あははっと声を出して笑った透真さんが「あー、また離れるタイミングを見失いそう」と呟く。
「どのくらいでお互い嫌になるか限界まで試してみます?」
「あいつらに捜索願い出されるかも」
「その前にトイレに行きたくなる気がする」
 また笑った透真さんの身体の振動が自分にも伝わってきて、なんだか幸せな気持ちになる。
 この人には、やっぱり笑っているのがよく似合う。
 一刻も早く、あんな誤解を吹っ飛ばせるような方法はないんかな、と考えながら、俺は透真さんを抱きしめる腕に力を込めた。