【水仙のように美しく毒を持っている僕を、君は愛していると言った】
バラまかれた水仙の花の上に静かに横たわる男。その周りを、もう一人の男が歩きながら話しかける。
【それなのに、僕が毒を持っていたから死ぬと、君は言うのか】
水仙を一輪一輪拾い集める男の白い手が震える。
【それなら、僕はどうすれば良かった。君に愛されるためにどうすれば良かった】
水仙の花束を手に持った男が、ゆっくりと倒れこむ。その目に涙はない。ただ虚空を見つめているだけだ。
舞台の上を照らしていたスポットライトが徐々にしぼられ、男の手にある水仙の花束だけが、闇の中に浮かび上がる。
【どうすれば、良かった】
男の絶望に満ちた声が静まり返った空間にもう一度響き、舞台は幕を閉じた。
***
「三番、東雅大学 薬学部三年 西原透真です」
ミス・ミスターコンの実行委員が向けているスマホに、笑顔で手を振っている透真さんを眺める。中庭のグリーンをバックに、なんてことのない白いTシャツが映えている。
透真さんから一メートルほど右にあるゴミ箱は画角の外に追いやられ、スマホの画面上では完璧に爽やかな絵面となっているのだろう。
舞台を見ることが趣味で自分も演劇部に所属してます、と楽し気に語っている姿をぼんやり見つつ、結局何を話すのか決まらないままだなぁと考えていると、急に透真さんがこっちに向かって歩いてきた。
あれ、もう俺の番かと思ったら、スマホのカメラも透真さんを追ってくる。
「それで、二週間後の七月公演が終わったら、今度は十月にある学園祭で、この鷹野友とダブル主演で、ナルキッソス――ナルシストの語源にもなったギリシャ神話の少年の話をアレンジした物語を演ることになっていまーす。舞台も日本にうつして、僭越ながら俺がナルキッソスをもとにした成瀬役で」
一ミリも僭越とは思っていなさそうなあっけらかんとした口調で、透真さんが自分自身を指さす。顔がいいのは誰もが認めるところなので、本気で謙遜したら逆に嫌みになるからこれで正解なのだろう。
続けて透真さんは俺の肩を右腕で抱いた。
「ユウは、ナルキッソスに恋するアメイニアスを元にした雨衣という名前の青年役でーす」
自己紹介ついでに演劇部のアピールをすることにしたらしい透真さんの隣で、ぺこり、とスマホへ向かって頭を下げる。
「ちなみにこのユウは俺がミスターコンテストに推薦しましたー。ぱっと見クールなイケメンなんですけど、笑うとけっこう可愛いんですよ、ほんと。ね、ユウ、ちょっと笑ってみせてよ」
左の人差し指でつんつんと頬をつつかれ、へらっと分かりやすく作り笑いをすると「それは俺の好きな笑顔と違う」とダメ出しをされる。
「いや、笑顔なんてそう違わないですよ。ってか、いいって俺のことは。今、あなたの紹介中でしょ」
「いいじゃん、演劇部の宣伝しろって言われてるしさ。そう、俺ら演劇部の先輩後輩なんですけど、うちの部みんな仲良くて見てのとおり、ほら、垣根なんてない感じで。あ、ついでに今の『垣根』っていうのは、舞台の中のけっこう重要なモチーフで」
「宣伝の仕方下手くそすぎでしょ」
「ならユウが宣伝してみろって」
透真さんにふられて、えー、となる。
「あと、えーっと、あ、そう、俺、花屋の役で、きれいな花も出るんで、ぜひ垣根と花を見に来てください」
「いや、そこは俺らの演技を見に来てくださいって言うべきとこだろ。そっちこそ下手くそか」
「あの、舞台の宣伝はまた個人の動画でしてもらって、とりあえず自分の宣伝よろしく。演劇の話ばっかだけど、それ以外に自分について何かない? 長所とか」
スマホを構える実行委員の男に苦笑しながら促され、透真さんは「そうでした」と笑う。
「長所といえば、そうだな、けっこう誰とでも仲良くできるところかなー。ユウとも仲いいもんね」
「……」
「なんで黙るんだよ。俺が一方的に好きみたいじゃん」
「まあ、マイペースな俺ともよく仲良くしてくれるなとは思ってます」
「別にそんなにマイペースでもない……とも言えないな、確かにユウはマイペースな男なんですけど、やることはきっちりやるタイプで、根はすげー真面目でストイックです。あ、だからこそのマイペースってとこもあんのかな」
透真さんは少し考えるように首を傾げた。
「ただ、ユウってそういうストイックさが嫌みにならないんですよね。むしろユウが頑張ってるのを見て、こっちもやってみようって前向きな気持ちになるっていうの? そういう気持ちにさせてくれる人で、俺もユウのほうが年下なのにけっこう影響を受けてる気がします。なので、まだ二年なのに演劇部の中でも頼られてるし、この前もユウが――」
「あのー、鷹野くんの話も、そのへんにしておいてもらって」
実行委員の男に再び遮られ、透真さんは慌てたように左手で口を押さえる。
「ごめん、長すぎた?」
「いや、長いのは全然いいけど、これ、鷹野くんじゃなく西原くんのアピール動画なんで」
「えー、じゃあ、いいじゃん。俺はそんなユウのことが好きっていうアピールをしてるってことで」
「後輩としてね」
横から注釈をいれる。
誰に対しても、すぐに好きだ好きだと素直に口にする性格であるということを付き合いのある人は知ってるけど、こんな短い動画で二回も好きだなんて言ってたら何も知らない人には誤解されかねない。
それなのに、人のフォローを透真さんは笑顔でぶった切った。
「えー、それだけじゃないって。ほんと、人としてユウのこと大好きだしー、尊敬してるしー、だから今回も雨衣役がユウで良かったって思ってるもん。ラブシーンもユウとなら不安ゼロだし」
誤解をさらに深めそうなことを言いつつ、改めて俺の肩を抱きなおした透真さんはカメラにピースをしてみせる。
「そんな俺たちのラブが繰り広げられる舞台、興味があったら見にきてくださーい!十月の青竜祭でやります!」
「きてくださーい」
透真さんに続き、俺もそれだけ言ってダブルピースをカメラに向ける。どう振舞うのが正解なのか、もう分からない。
「はーい、オッケーです。んじゃ、鷹野くん、いろいろ言われたあとで喋りにくそうだけどよろしくー」
ようやくスマホが下ろされ、ほっとため息をつく。
「いや、ほんとそれななんですけど」
「そんなことないっしょ。だって俺、ユウの趣味のこととか喋ったわけじゃないし、喋ることいろいろあるじゃん」
「そこじゃないって。俺を褒めまくって、ハードルあげまくったこと言ってんの。俺の動画を見た人にがっかりされたら透真さんのせいだからね」
「ユウなら大丈夫だって」
両手を握って応援ポーズをする透真さんの悪気の無さに、再びため息をつく。
「俺、ただでさえ自己アピールとか苦手なのに」
「舞台だと思えばいいじゃん。ほら、役になり切る感じで、鷹野友を演じれば」
「俺を演じても俺でしょ」
「明るくてやる気のある、爽やか青年の鷹野友になり切れってこと」
「今の俺をなんだと思ってんすか」
ぶつぶつ言いながら、さっき透真さんが立っていた場所に移動し、今度は一人でスマホのカメラと向き合う。
まあきっと、実行委員のほうで動画は適当に編集してくれるだろうし、そこに期待するしかない。そもそも俺なんかの動画を見る人がいるかどうかも分からないし。
「はい、じゃあ自己紹介お願いしまーす」
「エントリーナンバー四番、東雅大学 生命科学科二年 鷹野友です」
「あー! 俺、エントリーナンバーって言うの忘れた!!」
「透真さん、わりと大きな声で人のしゃべりにかぶせてくるのやめてくれます?」
「ごめーん」
「もう一回最初から撮ります?」
実行委員の人に聞くと、ふるふると首を振られたので「えーっと、じゃあ」と続ける。
「趣味は、古いレコードを集めることです。休みの日とか、レコードを売ってる店をはしごしたりしてます。でもレコードプレーヤー持ってないので、なんていうか、今は曲よりも見た目っていうか、カバー重視で買って飾って楽しんでます。まあそのうちレコードプレーヤーも買えたらなって……」
「ユウ! 今度舞台美術でその古いレコードも使われるよって宣伝して!」
「あー、うん、そう、お気に入りのレコードを舞台で飾ってもらう予定なので、けっこう楽しみですね」
「でも特にお気に入りの一軍レコードは、壊れたら嫌だから貸し出さないんだよね!」
「そう……あの、透真さんのほうが、たぶん俺に関することいろいろ話せると思うんで、良ければあっちにカメラ向けてもらって……」
透真さんの方に手を差し出して画面から外れようとすると「待って待って!」と止められる。
「それじゃ鷹野くんの動画じゃなくなるし!」
「俺、ユウのいいところもっとアピールできるよ!」
「シーッ! 西原くんは黙って! 鷹野くんもあからさまにやる気なくさない! ほら! 頑張れ!」
実行委員の人の言葉にいやいやもとの位置に戻る俺を見て、透真さんが声を出して笑った。
*
衝撃的なことに、透真さんの動画も俺の動画も、ほとんど編集されることなくツブッターとピンスタグラムに載せられた。
自分たち以外の四人は、かっこよく決めていたり緊張してる感じが初々しかったりと違いはもちろんありつつもみんな真面目に自己アピールをしている中、透真さんと自分の動画だけ自由過ぎて明らかに悪目立ちしてしまっていた。
でも、これで透真さんが絡んでくれなかったら、明らかに自分の動画だけやる気も面白味もないものに仕上がっていたのは確実なので、感謝しないといけないかもしれない。というか、透真さんのことだから、俺がうまくできないであろうことを見越して絡んできていた可能性もある。
しかしその結果、他の人の動画には「かっこいい」とか「笑顔がかわいい」とか「応援する!」とかいったコメントがきているのに、俺と透真さんの動画には「付き合ってる」とか「結婚式はいつですか」とか「年下攻めであれ」とかいった方向性が著しく異なったコメントがきているので果たして正解だったのかどうかは分からない。
その原因を作った張本人はといえば、どういう反応であれ舞台の宣伝となっていることには間違いないとご満悦で、コメントにいちいちハートマークをつけるものだから、「ご本人様がいいねしてるってことは、この二人ガチってこと!?」と追い焚きされた人たちがますます血気盛んになっているような状況である。
「でね、結果的に西原くんと鷹野くんの動画だけ、閲覧数が桁違いだから、これは定期的にコンビ売りを続けてもらえるとありがたいなって。普通はミスターコンのSNSがここまで見られるってことないし」
そして数日後には、実行委員の女子がわざわざ演劇部の部室まで俺たちに手を合わせにくるほど、二人の、特に透真さんの動画はプチバズりしていた。
「注目度があがれば、企業とかからの協賛も増えるし、盛り上がるしいいこと尽くめなの」
「俺はいいよ。舞台見にきてくれる人が増えたら嬉しいし。ユウはどう?」
床に座ってストレッチしていた透真さんが、首にかけたタオルで顔の汗をぬぐいながら隣に立つ俺を見上げた。
こちらとしてもとくに問題はないので「別にいいっすよ」と頷く。
「でも、具体的にどんな感じの写真とか載せればいいんですかね? ツーショット写真撮ればいいってこと? そればっかだと飽きられたりしません?」
「もちろんツーショットもいいんですけどお互いの写真を載せ合うのもいいですよね。あとは匂わせっていうんですか二人で食事に行ってお互い相手の存在には触れずに同じ店の写真を載せるとか他にはもちろん稽古の様子を載せてもいいと思いますしじゃれ合ってる動画とかあったら最高オブ最高だし――」
どこで息継ぎをしているんだ、という勢いでつらつらと喋っていた女の子が、はっとしたように言葉を止め、俺は膝下に両腕で絡みついてきた透真さんを見下ろす。
「じゃあ今日、二人でご飯食べに行こっか」
女子が目を皿のようにして見ていることなどお構いなしに、透真さんが首を傾げて見上げてくる。
「いや、今日俺、焼きそばの日だから無理」
「なにそれ」
「うちの近くのスーパは、毎週水曜はカップ焼きそばが特価になるから水曜は焼きそばの日って決まってんの」
「じゃあ今日買うだけ買って、明日食えばいいじゃん」
「無理。朝から焼きそばって思ってたから焼きそば食いたい」
「じゃあ焼きそばのある店に行こ」
「違うの。あのちょっとジャンク感のある焼きそばを食べたいんだってば」
「ユウってさー、変なとこ頑固だよね」
「食にこだわりがあるだけですー」
「そういうの食へのこだわりって言わなくない?」
ジャージを履いた足に絡まれたまま話をしていると、実行委員会の子がスマホを取り出し、こちらに向ける。
「お二人は、今日の夕飯をどうするのかで揉めています」
突然実況が始まり、透真さんがカメラに向かって「俺がご飯に誘ってんのに、食にこだわりがあるユウくんは家でカップ焼きそば食うって言って聞いてくれないんですー」と口を尖らせる。
「今日は、焼きそばの気分なんですって。明日なら付き合いますよ」
「なんかこう、俺より焼きそばを優先されてるのがいまいち納得いかない……」
鼻に皺を寄せて俺をまた見上げた透真さんが、すぐに表情を崩し、ふふっと笑う。
「うそうそ。そういうちょっとしたこだわりを大事にしてるとこもユウっぽくて好き」
さらりとまた火種になりそうなことを言った透真さんが「そんなわけで」と俺の足から片手を離し、カメラにヒラヒラと振ってみせる。
「今日は諦めて、明日こそはユウと飲みに行ってきまーす」
「飲みじゃなくて飯ね」
「暑いしビール飲みたい気分なんだけど」
「嫌ですよ。透真さん、飲んだらすぐ寝ちゃうし」
「俺が寝ちゃうと寂しいもんな……」
「面倒なだけです」
「ひど」
ひどくはない。実際に熟睡態勢に入ってなかなか起きず、男二人で引きずるようにして連れて帰ったこともある。
「まあ、じゃあそんなわけで、明日は透真さんのおごりで飯食ってきます」
「誰もおごるって言ってないけど!?」
「今日は焼きそばを一人で満喫しまーす」
透真さんのツッコミを無視してカメラに手を振ると、心得たように実行委員の女の子が画面をタップし、満足そうにスマホを胸に抱えた。
「いいものを撮らせていただきました……!」
「どうでもいいこと喋ってるだけなのに?」
「その日常の中に垣間見える仲の良さが至高なんですよね」
「そういうもんなんだ」
「そういうもんなんです」
有無を言わさぬ口調に「勉強になります」と頷いた俺を見た透真さんは「素直」と笑い、すっと足から離れていった。
次の日、二人で食事にいったあと、さっそくお互い相手には触れずにツブッターとピンスタに写真を載せたら、「同じ店じゃない!?」とコメント欄がざわついた。数時間後、そこに実行委員から自分たちをタグ付けした前日の動画が投下されると「答え合わせー!」「おごった?」「かわいー!」「焼きそば至上主義わらう」とコメントがまた盛り上がり、透真さんも自分も、フォロワー数が数十人単位でぐっと増えた。実行委員の采配に感服である。
それからも、透真さん関連の写真をときどき載せていったものの、ミスターコンに参加するメンバーは、写真か動画を最低でも一日一回、SNSに投稿することが義務付けられている。
となると、透真さんに関係ない写真も撮らねばならないということで、友達が教科書に描いた落書きとか、自販機で見つけた謎な乳酸菌飲料だとか、塀の隙間から鼻の頭だけ出している犬とかを投稿していたら「そういうことではないんですけど、もう鷹野くんはそれでいいです」とミーティングのときに実行委員から言われてしまった。
どういうことかと隣に座っている同学年の参加者に聞くと、呆れたような視線が返ってきた。
「これ、ミスターコンに向けた自己アピールの場なわけだから、本来は自撮りだとか、普段の生活の様子だとか、そういうのを載せるのが普通だろ」
「そんなこと誰か言ってた?」
「言ってなくてもさ、自己アピールできる写真をって言われたら普通そうなるじゃん」
「自己アピールっていうから、自分がいいと思ったものを載せてたんだけどな……」
でも、もうそれでいいと言われたならいいか、と思っていると、今度は三年生の参加者が口を開く。
「鷹野はさ、何載せても、もしかして透真との写真が載るんじゃないかってみんな見に来るし、ついでに『いいね』も押してくれるから楽でいいよな」
「まあ、そうっすね」
口調にも表情にも棘を感じるが、実際そのとおりなので素直に頷くと「えーー?」と透真さんが隣に座っていたその三年に頭を寄りかからせた。
「なになに、イッシーも俺と写真撮りたいってことー? 大歓迎だけど?」
「そんなこと言ってねーって。つーか、くっつくなって」
肘でぐいぐいと押しやられ、それに合わせて頭をぐらぐらさせながら透真さんが笑う。
「またまた照れちゃってー。この前、パピッコ半分こした仲なのに」
「お前が半分強奪したんだろうが」
「ちょうだいって言ったらイッシーがくれたんじゃん。ってか、またアイス半分こして、それこそ一緒に投稿せん?」
「透真が買ってくるならな」
「えー、ケチくね?」
「どっちがだよ」
「じゃあこの前のチョコだったし、ホワイトのほう買うかー。購買に売ってたっけ?」
ミーティング終わったら行ってみるか、と言う透真さんを見ながら、あのアイス確かに二本セットだけど、一本だと物足りないから誰かと分けたことないな、と考えていると「あとユウはさ」と、身体を起こした透真さんが柔らかく言う。
「演劇部のアピールのために俺が無理やり参加させたところもあるし、マイペースなのは勘弁してやって。本人もミスターコンで勝ちたいとか全然考えてないから」
「まあ、無欲なのは分かる」
透真さんにすっかり棘を刈り取られたイッシーさんがこっちを見る。
「でも、無欲なのに自分より『いいね』が多かったりすると、正直くそって思うこともあるわな」
他の人もちょっと頷いているところを見ると、どうやらみんな思うところはあったらしい。
「鷹野くんの投稿って、ゆるーい感じだから、逆に『いいね』を押しやすいってのもあると思うんですよね」
黙って話を聞いていた実行委員の一人がようやく口を開く。
「でも、これってキャラクターもあるじゃないですか。鷹野くんって本物のマイペース人間だってことが西原くんとの動画とかでも伝わりつつあるから、こういう投稿してもまあ鷹野くんだしなーってなるけど、普通の人が真似しても狙ったみたいになっちゃってあまり受けなかったり」
本物のマイペース人間ってすごい呼び名だと思っている間に、普通ではないという烙印までさりげなく押されてしまった。
「だから、鷹野くんはもうこれでいってもらって、これまで通りときどき西原くんとの写真とか動画を載せることで、一応ミスターコンに参加してるって世間に分かってもらえればいいかなと思うんです。逆に他の方は、どんどんミスターコンらしい投稿をしてもらえたほうが、こちらとしても助かります。全員が鷹野くんみたいな投稿だと、東雅大学のミスターコンはどうなってんだ、となると思うので」
「ユウ、なかなかな言われようだけど反論しなくていいの」
透真さんが苦笑しながら声をかけてくる。
「いや、実際そのとおりだと思うんで。むしろ、今のスタイルから変えなくていいってことで安心してます」
「まあ、計算していい感じの自撮りとかできないもんな、ユウは」
「この前、額のど真ん中にできたニキビはけっこううまく自撮りできましたよ」
「そういうのはいい感じの自撮りって言わないの」
「むずいっすね」
「でもユウが上手に自撮りしだしたらなんか嫌だから、俺はそのままでいてほしいけど」
透真さんが笑い「で、なんだっけ。今日の本題。ファッションショーだっけ?」と実行委員に話を振る。
「そうそう。その話をしないと。スケジュールが決まりました」
夏休み、同じ県内にある服飾専門学校では、オープンキャンパスに合わせて生徒たちのデザインした服を使ったファッションショーを行うのが恒例となっている。
そのショーでのモデルとして、東雅大学も含め、近隣の大学のミスター・ミスコンテストに出るメンバーが毎年招待されているのだ。
「まずは服の採寸にいって、その後の予定としては――」
実行委員がホワイトボードに書き込むスケジュールを見ていたみんながざわつき、一人の男子が手を挙げる。
「あの、ポージングの練習って……?」
「一応ランウェイを歩くので、ちゃんとプロの講師を呼んで、歩き方やポージングの練習をする時間をとりました」
「そんなことまですんの?」
「はい」
当然のように頷いた実行委員がリハーサルや本番の日程を書いていくうしろでイッシーさんがため息をつく。
「ぎこちなくなる自信しかねーな……西原とか鷹野は、舞台慣れしてるから余裕そうだよな」
「いやー、舞台とは全然違うだろ」
顔をしかめて見せてはいるが、実際その場にいけば、透真さんは完璧にやってのけるだろう。
そして、きっと会場中の視線を集める。普段は周りに気を配って和ませてその場に溶け込んでいるから分かりにくいけど、本気を出せば驚くほどのオーラを出す人だから。
先週の七月公演でも、後半感情が乗るにつれ、出番はそれほど多くないのに完全に主役を喰っていた透真さんを思い出す。
次の舞台は透真さんとW主演だし、さらに遠慮なく来るだろう。気合いを入れていかないと、主演のはずの自分が、ただのモブキャラに成り下がりかねない。
頑張ろー、と思ったとたん、お腹がぐうとなった。
あとで透真さんたちにくっついて購買に行き、あわよくばおごってもらおうと心に決めた俺は、ファッションショーに向けての日程が書かれたホワイトボードをスマホで撮った。
【あなたは、やはり水仙の花のような人だ】
ソファに横たわり、うっすらと微笑む透真さんの顔の横に手をつき、話しかける。
【清純そうなその姿の内に、ほかにどんな毒を隠し持っているのですか】
俺の胸を両手で押しのけた透真さんが立ち上がり、正面を向く。
【毒を口にしたくないのなら】
いったん言葉を途切れさせ、こちらに背を向けたまま【僕にこれ以上近寄らなければいい】と軽やかに言うその顔は自分からは見えない。
台本には「真顔で」と書いてあったが、実際にはどんな顔をしているのか。
間をおかずに後ろから抱きしめ、首筋に顔を埋める。
【いいえ。僕は、毒を持つあなたが好きなのです。水仙のようなあなたが好きなのです】
黙ったままの透真さんをさらに強く抱きしめ【だから、どうか口づけの許しを】と言った俺の腕に、透真さんの手が触れる。
【汝の隣人を愛せよ、という言葉の続きを知っていますか】
【いえ】
【ヨーロッパのことわざで、こう続く】
透真さんがゆっくりと語る。
【汝の隣人を愛せよ。されど、垣根を取り除くなかれ】
俺は、透真さんの髪に頬を寄せ繰り返す。
【されど、垣根を取り除くなかれ】
【僕を愛してもいいでしょう。でも、僕と君との間には垣根がある】
透真さんの手があがり、後ろに立つ俺の頬を撫でた。
【それを分かっているのであれば、どうぞ口づけを】
「はい、そこまで!」
大きな声がかかる。腕の力を緩めると、透真さんがすっと出ていった。
「じゃあ次のシーンいくのでソファ片付けまーす。垣根も出してー」
「うぃー」
「りょうかーい」
バタバタとみんなが動き、垣根代わりの衝立が稽古場の真ん中に運び込まれる。
その垣根を挟み、向かって左側で雨衣の花屋の様子、右側で成瀬の部屋での様子が、あるときは交互に、あるときは同時に進んでいくのだ。
今のうちに次のシーンの台詞を復習しようと台本を手に取ると「ユウくーん!」と声をかけられた。
「ちょっと来てー!」
「はい」
今回の舞台の演出をする三年の田さんのもとに駆け寄る。華奢で小柄な人だが、演劇部あるあるなのか声はでかい。
「んー、台詞の間合いとかはけっこういい感じなんだけど、やっぱりこういうシーンの演技にしては重さが足りないと思うの。例えばソファで押しのけられるところとか、あっさりと離れすぎて成瀬への執着が感じられないのね」
「はい」
「すでに成瀬の魔性っぷりが目立っちゃってるから負けじと、ねっとりとずーんとやってほしい」
「ねっとりとずーんと」
「そう、ねっとり、ずーんとよろしく」
「はい」
分かるようで分からないと思いながらも一応神妙な顔で頷く。
今日は夏休み前の最終活動日であり、立ち稽古の初日でもある。
まだまだこれから作っていくという段階ではあるのだが、俺はすでに透真さん演じる成瀬に呑まれつつあった。
ソファで自分を押しのける前に、わずかに胸元を下から上へとさする指先。
抱きしめたときに、さりげなく頭を傾げて見せつけられる白い首筋。
好きなのですと告げた自分の胸に、心を許すかのようにそっと預けられる身体。
些細なそういったものの積み重ねが成瀬を魔性たらしめていて、一方の自分の演技が上辺だけのものであることを否が応でも自覚せざるを得ない。
振り返ると、透真さんは稽古場の隅でペットボトルの水を飲みながら台本を読んでいた。成瀬役をするために伸ばしている少し茶色がかった髪は、今日はハーフアップでまとめられている。
さっきまでの色気は抜け落ち、そこに立っているのはいつもの透真さんだが、役に入ればまたすぐに成瀬になるだろう。
本格的な稽古は夏合宿からだし、なんとか負けじと喰らいつかないといけない。
――でもなぁ
これまで、付き合った子は二人いるが、いわゆる身体の関係になるまでたどりつかなかった自分に、この透真さんに対抗するねっとりとずーんとした重みなんて出せるんだろうか。
そもそも重みどころか、一人の彼女には『空洞を相手にしているみたいな気分になる』とすら言われていた俺である。重みとは真逆すぎる。
逆に透真さんはプライベートでの経験がここに生かされているのかもな、と思う。さっきの演技も、彼女の仕草だとかそういうものを観察し、自分のものとしてブラッシュアップしているのかもしれない。
だとしたら、彼女さんもけっこう色気がある人ってことで、でもあの透真さんの彼女なら十分にあり得る。
顎に手を当てて考えていると、いつの間にか近づいてきていた透真さんが顔をのぞきこんだ。
「どした、ぼーっとして。さっきのシーンのこと、なんか言われた?」
「あー、ねっとりとずーんと重くするように言われました」
「田ちゃんらしい表現だな」
ふふっと笑った透真さんに「でも、今考えてたのは違うことで」と話しかける。
「透真さんの彼女なら色気があるのも納得だなって思ってました」
「は?」
透真さんが怪訝な顔をする。
「なんだそれ。誰だよ、俺の彼女って」
「え、色気のある……あれ、透真さんって彼女いないんでしたっけ」
「いないし。誰のこと言ってんの?」
透真さんのことだから当然のようにいると思ってたけど、言われてみれば彼女の話とか聞いたことなかったかもしれない。
「なんで透真さんに彼女いないんですか?」
訊ねると、透真さんが「ってか、なんで急に俺の彼女のことについて考えたわけ?」と聞き返してくる。
「あー、えっと、さっき田さんに成瀬の魔性っぷりに負けるなって言われたけど、俺、ろくに経験ないから演技に重みを出せんのかなって考えてて、で、透真さんは逆にプラべの体験を成瀬の演技に生かしてるのかもって思って」
「なんで受け側の演技をプラべから持ってくるんだよ」
「いや、だから色気のある彼女の仕草とかを自分なりに生かしてんのかなって」
「違うわ。ああいうのは、舞台とか映画とか見る中で勉強してんの」
「いつも女性側の演技も勉強してるってことですか?」
俺の質問に、透真さんが腕を組み、首を傾げた。
「老若男女全部だけど?」
「ろうにゃくなんにょ」
「うん。何回も同じ舞台を観に行ってるのも、毎回違う人の感情と動きに集中したいからだし。映画なら巻き戻して見ることもできるけどさ、舞台はそうはいかないじゃん。毎回ちょっとずつ役者さんの表現方法が違ったりもするから、勉強になるし」
「なる……。よく考えたら、暇さえあれば小劇場に行くか家で映画見てるかしかしてない透真さんに、彼女がいるわけがないですね」
納得して頷くと、透さんが苦笑する。
「今の俺の話聞いた感想がそれ?」
「はい。彼女はいらないくらい、演劇が好きだってことがよく分かりました」
「……まあ、ある意味そうとも言えるのかな」
独り言のように言った透真さんがこっちを見て「ユウも彼女がいないのは、やっぱそれだけ演劇が好きだからだもんな?」とニヤッとする。
「いや、マイペースすぎるからっす」
「さすがにそこは自覚してるんだ」
「死ぬほど言われてますからね」
「そのマイペースさがユウの魅力でもあんのにね」
「そんなこと言うの透真さんくらいだし」
「マジ? じゃあ俺が付き合ってやるしかないのか」
「そうっすねー」
軽口を交わしていると「次のシーン行きまーす!!」と田さんの大きな声がした。
*
昨日の練習風景を撮影したものを、ベッドに寝転がりながらスマホで見る。
夏合宿までにしっかり見返して、自分なりにキャラクターをアップデートしてきてねと田さんから連絡が来ていたが、どっから手をつければいいのかと思うくらい、雨衣というものがまだ自分の中にいない。
そもそも、雨衣のように誰かに執着したことなど過去にはなく、まずはその心情というものを、完全に分からずとも自分なりに理解するところから始めなければならないだろう。
スマホを置き、枕の横から取り上げた台本をぱらりと開く。
今回の脚本は現在四年生の先輩が書いたものだ。ナルキッソスの話をもとにした、一口で言うならば男同士の悲恋物語である。
――
雨衣が営む花屋に、成瀬が男と一緒に花を買いにくるところから、舞台は始まる。
今日はどんなお花を、とたずねる雨衣に、できるだけ早く枯れる花を使って小さめの花束を作ってほしいと、店の中を物珍し気に見回した成瀬が答えた。
妙な注文ではあったが、言われたとおり、そろそろ枯れそうな花を見繕い花束に仕上げたものを渡すと、成瀬は隣の男にそれを見せて綺麗に微笑んだ。
――この花は僕の心ですよ。枯れてしまう前に新しい花を持ってまた会いに来てくださらなければ、僕のあなたへの恋慕の情も萎れてしまうでしょう
その言葉に必ずと答えた男は、毎週のように花屋を訪れるようになった。一方、成瀬もときどき一人でふらりとやってきた。そして、男に早く部屋に来てもらうためにと、男が買ったものと同じ花の中から、あえて枯れそうなものを選んで買っていった。
ある日、あなたは健気な方ですねと花を包みながら雨衣が言うと、成瀬は鼻で笑った。別にあの男が好きなわけではありません、会う頻度をあげて少しでもお金を多く引き出すためですよ。そう冷めた目で話す成瀬から滲み出る毒に、雨衣はわけもなく惹かれた。
しばらくして、成瀬が枯れた花を持って店に訪れた。金は払うからこれを花束のように包んでほしいと言われ目的を聞くと、花が枯れると知りながら奥さんの誕生日を優先した男の頬をこれで打って、別れてくるのだと言う。
それを聞いた雨衣は、僕ならあなたを何よりも優先するし、花を枯らすなんてことは決してしないのにと思わず告白するが、金がない男には興味がないし、もう次の愛人候補も決まっていると成瀬は答える。
ただ、愛人と会わないときの暇つぶしとしてなら付き合ってもいいと、うっすらと笑いながら言う成瀬に、あなたのその見た目に似合わない残酷さは、僕の好きな水仙によく似ていると雨衣は笑い返した。あの花には毒があるのですよと。
――もし春まであなたと一緒にいられたなら水仙の花束を贈りましょう。きっとあなたによく似合うだろうから。
――もし春になって僕が飽きていなかったら、その花束を受け取って君だけのものになりましょう。あり得ないことだけれど。
そうして二人は逢瀬を重ねるようになった。
初めて成瀬の部屋に行った日、二人の間には垣根があることを忘れないように釘を刺された雨衣は、それを受け入れながらも、成瀬の新しい愛人への嫉妬に次第に苦しむようになる。それでも、成瀬の見た目の美しさに隠された毒を愛せるのは自分だけだという思いで耐えていた。成瀬にも、僕はあなたのその残酷さを愛しているのだと何度も何度も雨衣は繰り返した。
やがて、水仙の花が咲く時期がやってきた。一縷の望みを持って、雨衣が水仙の花束を作っていると、店に成瀬の愛人がやってくる。
何も知らない愛人は、大事な人に贈るため、薔薇の花束を作ってほしいと雨衣に依頼した。
どんな人なのかと訊ねる雨衣に、薔薇のような人だと愛人は答える。綺麗で華やかで、でも人を傷つける棘のような鋭さも持っている一筋縄ではいかない人で、そこがまた魅力なのだと。その人の家の花瓶がずっと空のままだから、薔薇を贈ろうと思い立ったのだと。
それを聞いた雨衣は、成瀬の毒を愛したのは自分だけではないという事実に絶望し、同時に大輪の薔薇の花束の横に置かれた水仙の花束の、あまりのささやかさに打ちのめされてしまう。高価な薔薇の花束をもらった成瀬が、地味な水仙の花束を喜ぶとはとても思えなかった。
その夜、約束の時間になっても訪れない雨衣にしびれを切らした成瀬は、花屋へと向かった。
水仙の花が咲く季節になった。愛人とも今日別れた。薔薇の花だなんてありきたりなものに僕を例える男に未練などない。水仙の花束を雨衣が渡してくれたら、君のものになると伝えよう。でも、彼は毒のある僕が好きなのだから、仕方なさそうに受け入れようか。それとも素直な僕を君は愛してくれるだろうか。
期待と不安とで胸を騒めかせながら花屋に入った成瀬は、水仙が散らばる中に倒れている雨衣を見つける。その手には瓶と紙が握られていた。
――あなたの毒を愛してしまった僕に、ふさわしい結末なのです
そう書かれた紙を読んだ成瀬は、床に落ちている水仙を拾い集めて花束を作り、それを握ると雨衣の隣へとゆっくりと倒れこんだのだ。
――
「あなたの毒を愛してしまった僕に、ふさわしい結末なのです」
呟いて、台本を閉じる。
何度読んでも救いようのない話であるが、ギリシャ神話のアメイニアスは、ナルキッソスの家の前でナイフで自死し、さらに月の女神であるアルテミスに、ナルキッソスを呪うように依頼するというとんでもないことをやらかすらしいので、それに比べればマシなのかもしれない。
それにしても、この台詞ってかなり重要だよなぁと天井を見上げる。
舞台の上で死んでいる雨衣がこの台詞を言うことは当然できないので、事前に録音したものを流すことになる。つまり、その日の舞台の雰囲気に合わせて変えるということはできず、俺だけでなく透真さんも、録音した声ありきでラストの重要なシーンを演じなければいけないということでもある。
普通に考えれば悲し気に、となるところだろうが、果たして雨衣は哀しそうに死んでいくような人間だろうか。
激重感情から解放されて、むしろ穏やかな口調になっているというのもありだろうし、アメイニアスに寄せて恨みがましくいくのもあり得る。成瀬への愛情を全面に押し出してもいいし、会えなくなる切なさを感じさせてもいいし、はたまた、感情などなくなってしまったかのような淡々とした物言いにしてもいいし。
うーん、とベッドの上で左右にごろごろと寝返りをうつ。
難しいが、でも逆にこの台詞の言い方が決まれば、もっと雨衣という人物像が浮かび上がってくる気もする。
とりあえず、いろんな言い方で録音してみて、いったん自分で聞いてみるか、と再びスマホを手に取ったところで、透真さんからLIMEが入っていることに気付く。
アプリを開くと、昨日の練習風景の一部をSNSに載せようと思うけどいいか、という確認だった。
OKのスタンプを送ると『ユウは今日なに載せる?』と返ってくる。
『決まってないです。ちょうど台本読んでたんで、台本の写真とか載せようかな』
『お、熱心じゃん』
『もうちょっと雨衣の人物像を自分なりに見つけたくて』
『そっか』
『最後の遺書の読み方が決まったら、もうちょっと捉えやすくなるかなって思うんですけど』
『あー、確かにそこが決まると、最後に向けての感情の流れとか作りやすくなるかもな』
透真さんが共感してくれたことで、遠くの方にかすかに道標が見えてきたような気になる。
『ちなみにどんな感じで言おうとか決めてんの』
『何パターンか考えてるんで、とりあえず口に出して録音して聞いてみます』
『俺も参加していい? そこ、俺的にもけっこう大事なとこだし』
『もちろんっす。俺、透真さんの家行きましょうか』
『いや、俺が行くわ。新しいレコードも見たいし』
馬が両手で丸をしているスタンプを送り、透真さんが来るならなんか飲み物でも買ってくるかと俺は立ち上がった。
*
朝、歯を磨きながらSNSを開く。いつもより「いいね」の数や拡散される数がやけに多いが、透真さんがらみの投稿をしたときはいつもこうなので、もう驚くことはない。
昨日載せたのは、ベッドの上にあぐらをかいた透真さんが最近増えたレコードを見ている写真と、買ったばかりのお気に入りのレコードを頭の上に掲げている俺の写真の二枚だ。
ちなみにお気に入りのレコードは、真っ青な地に、薄いグレーで描かれた楽器たちが曲線を描きながら並んでいるものである。一筆書きでバイオリンからティンパニーまですべてが繋がっていて一見シンプルなデザインだけど、よく見ると各楽器のバランスや配置などに緻密なこだわりを感じられるところがいい。
一方、透真さんが気に入っていたのは、農場のような風景を黄色と緑と茶色の三色だけを使って描いた、レトロ感のあるジャケットだった。あの人が選ぶものは、だいたいいつもどこか可愛げがある。
SNSへのコメントは普段あまり読まないが、もしかしたらレコードに興味がある人が見てくれているかもしれないと流し読みをしてみる。しかし「おしゃれ」とか「レコードかっこいい」といったことは書かれていても、レコードのデザインに惹かれて見てくれた奇特な人はいないようだった。
実生活でもレコードのジャケ話を興味を持って聞いてくれるのは透真さんくらいだしな、と適当にスクロールしていると、「ゆーとま」という言葉がやけに書かれていることに、ふと気づく。
なんだ?と思っていると、「とまゆー派です」というコメントもあり、疑問符が浮かぶ。
ゆーとま。もしくは、とまゆー。何かと何かを合わせたものだというのは察せられるが、まず「とま」から始まるものなんてトマトくらいしか思いつかない。急なトマトの流行りが起こっているとも思えない。
なんなんだろと考えつつ、うがいをして、練習風景の動画を載せているはずの透真さんのSNSをのぞきにいくと、それこそコメント欄は「ゆーとま」という言葉だらけであった。その中に、田さんの『ゆーとまもいいけど、あまなるもよろしく!』という謎なコメントを見つけ、ちょうどいいやと『ゆーとまって何ですか?』とそこに返信してみる。
途端に、自分のコメントにハートがどんどん押されていって少しビビる。
さらに『友くんの純粋さが眩しい』『まさかの本人降臨』『かわいい』というコメントがつき始めるが、なかなか正解を教えてくれる人は現れない。
しまいには『誰も余計なことは言わないように!』とか『ユウくんは知らなくていいことだよ!』とか、全員で隠ぺい工作をしているかのような様相に不安になってきたところで、ようやく田さんからの返信が来る。
『ユウくんと透真くんのペアで、ゆーとまって呼ばれてるみたいよ』
そうか、トマトではなく「とうま」だったのか、と腑に落ちる。つまり「あまなる」は雨衣と成瀬ということだ。コンビ名みたいなものだろう。しかしなぜ俺に隠す必要があったのか。
と、そこに今度は『左に名前が来る方が攻めで、右に名前が来る方が受けなんだって』と透真さんからのコメントが追加される。
脚本を書いた先輩に台本を渡されるとき、BL用語で言えば攻めと受けというのがあって、という前置きがあったうえで、雨衣が攻めで成瀬が受けだと説明されたのを思い出す。
今回、透真さんがあげた動画は、雨衣が成瀬にキスの許しを請うシーンだった。音声は入れていなかったけど、あれを見れば俺が攻めだということは、確かに丸わかりだ。
『だから俺の名前が左で、透真さんが右なんですね』
そう何気なくまた返信をすると、コメント欄がすさまじい勢いで動き出す。
『待って。二人とも爆弾発言すぎる』
『左右の意味を知ったうえでそれを言っちゃう……?』
『あくまでも役柄的にってことだろうけど、だとしてもこれは萌え案件』
『ゆーとま民勝利』
「攻めの自覚がある攻め様……』
『墓に入りました』
なぜ墓に!?となっているところに、一通のLIMEが入ってくる。ミスターコンの実行委員の女の子だ。
『これから、二人の投稿には#ゆーとま、とハッシュタグをつけましょう。よろしくお願いします』
よろしくお願いされた俺は、とりあえずいったんスマホを閉じることにした。
この世の中は、自分が知らない言葉の使い方がまだまだあるようである。
ファッションショー用衣装の採寸の日は、他の大学のミス・ミスターコンの人たちも集まり、なかなか賑やかだった。
コミュ強な人たちがさっそく会話をしているのを、すげーなーと思いながら眺めていると「鷹野さんですよね?」と横から声をかけられた。
そこにいたのは女の子の二人組で、「はい」と返事をすると、二人で手を握り合ってキャーッと小さな声をあげる。
「私たち、鷹野さんのピンスタ、フォローしてて、あの、ミスターコンテストも応援してます」
「あー、ありがとうございます」
「劇も絶対見にいこうと思ってます」
「ほんとですか。よろしくお願いします」
頭を下げると、後ろから突然がばっと抱きつかれる。
「劇、見に来てくれるんですか? ありがとうございまーす」
乱入してきた透真さんに、女の子たちがびっくりしたように手で口を押さえながら頷く。
同時に、後ろのほうからも「ゆーとま……!」という声が聞こえ、意外と身近なところでもこの呼び名が知られてるんだなぁと他人事のように思う。
でも、一緒のイベントに出るわけだから、透真さんや自分のSNSをチェックしている人はけっこういるのかもしれない。イッシーさんも、他の大学のミスコン参加者の中で好みの子を見つけたとか言ってたっけ。この衣装合わせかファッションショー当日に声をかけてみるつもりだと宣言して、うちの大学の評判を下げるようなことだけはしないでくださいと、実行委員から釘をさされていた。
「あの、こっちの子が西原さん推しで、あ、私は鷹野さん推しなんですけど」
女の子の一人が、あたふたと説明をし、思わず「透真さんより俺がいいとか変わってますね」とその子に声をかけてしまう。どう見たって透真さんの方がイケメンだし性格もいいしスペックも高い。
「え、そんなこと、あの、もちろん西原さんもかっこいいですけど、鷹野さんかっこいいし、マイペースというか自分を持っているところがすごくいいし、投稿とかも可愛いなって思うし」
「あれー、マイペースなとこが好きって言ってくれるのは俺だけとか言ってたけど、他にもいるじゃん」
透真さんが後ろから俺の肩に顎を載せてくる。
「いましたねー」
一応そう答えるが、同じように言ってくれていた昔の彼女から、実際に付き合ってみたらここまでだとは思わなかったという感想をもらったことがあるので、この女の子のマイペースでもいいという言葉を真に受けることはできない。
「なんか俺に言われたときよりも嬉しそうだし」
「そう?」
「そう。妬けるな~……なんてね。ありがとね、俺のこと推してくれて」
透真さんは自身を推しだという子に手を振り「あ、イッシー」と言ってあっさり俺から去っていった。
取り残された三人の間に、沈黙が落ちる。
「すごい……仲良しですね」
少しして、俺を推してくれていると言った子がまた話しかけてきた。
「まあ仲はいいですね」
「今のは、いわゆるカップル営業的な……?」
「? カップル営業ってなんですか?」
またしても聞きなれない言葉に問い返すと、女の子たちは、なぜか再び手を握り合った。
「つまり、あれは素、と言うことで」
「透真さんすか? そうですね、素でもいつもあんな感じです」
そう答えたところに、服飾チームのリーダーらしき人から声がかかる。
「じゃあ、そろそろ各チームに分かれてもらいます! チームの方から名前を呼ばせもらいますので、呼ばれた方は、そのチームと一緒に教室に移動してください」
それを聞いて、女の子たちが慌てたように去っていった。どうやらミスコン参加者ではなく、服を作る側の子たちらしい。
自分の名前を呼んだチームは三名編成で、さっきの透真さん推しの子もいた。
移動先の実際の衣装をいったん着てみて、足りない部分や逆に余っている部分を確認したうえで、採寸をされる。こんなに測るんだ、と思うくらい細かい。
「鷹野さんって一見細く見えるけど、けっこう肩幅あるし腕の筋肉もありますよね」
「あー、一年のときは裏方メインで重いもの運ぶことも多かったんで、鍛えられたっていうのもあるかもしれないですね」
「一年生のときは、舞台に出ることはなかったんですか?」
「いや、出ましたけど、ちょい役がほとんどで」
「それで今回主役ってすごいですね」
「んー、まあそもそも透真さんが主役って言うのが先に決まってて、舞台の見栄え上透真さんより少しでも背が高いほうがいいから選ばれたところもあるんで」
「それだけで?」
「ですね」
もちろん、実際にはそれだけではなく、ちゃんと部内でオーディションもした。自分自身も高校では常に主役か準主役という立ち位置だったから、演技に関してまったく自信がないわけではない。
でも、透真さんと並んだときにその実力の差は歴然としていて、それが分かっていながら実力で主役に選ばれましたとは、今の段階ではちょっと言いづらいものがある。
「なんかけっこう鷹野さんって淡々としてる感じだし、演劇部っていうのがちょっとだけ意外なんですけど、もともと演劇部に入った理由ってなんだったんですか?」
腰回りをメジャーで測っている透真さん推しの子が聞いてくる。
「友達に、演劇部に入って感情を覚えろって勧誘されたからです」
それを聞いたチームの人たちが、あははっと笑う。冗談を言っていると思われたのかもしれない。単なる事実なのだが。
「感情がなかったんですか?」
「さすがに感情はあったんですけど、あんまりそれを外に出すのが得意じゃなくて」
「じゃあ演劇でそこを学ぶみたいな」
「んー、でも、感情の表し方は演劇でいろいろ学びましたけど、あんな大げさな言動は日常では使えないし。結局、傍から見たら相変わらず感情があんまりないように見える人間だろうなとは思ってます」
だから、付き合っていた子のことをちゃんと好きだったとは思っても相手には伝わらなかったし、そのせいで相手の子がいろいろと駆け引きのようなことをしてきても自分が悪いのだからと受け入れていたら、最後は向こうから離れていってしまった。
「確かに、西原さんが鷹野さんを大好きなのはめちゃくちゃ伝わりますけど、鷹野さんのほうはいっつも平然としてる感じですもんね。そこが、二人の良さでもあるとは思うんですけど」
「あ、そうですか? 俺も透真さんのこと好きですけどね」
普通に答えると、透真さん推しの子が「す……っ」と言って口を押さえる。
あ、これは誤解されたかなとは思うが、透真さんなら宣伝になるからとそのままにしておくような気がするので、あえて弁解などせず黙って採寸の続きをしてもらい、終了後は水曜日のお楽しみである特売の焼きそばを買うためにさっさと帰ることにした。
その日、案の定というか「ゆーとま」の裏話がSNSにいくつも流れたらしく、わざわざ検索したらしい透真さんから楽し気な声で連絡が来た。
「なんかね、俺がユウのファンの子にマウント取ってたとか、ユウに対してあざとく嫉妬してみせてたとか、ユウが俺のこと好きだって言ってたとか、ユウは感情があまり出ないだけでけっこう情熱的っぽいとか言われてる」
「書いている人の主観がだいぶ入ってますね」
「そんなもんだろ。ってか、ユウって俺のこと好きだったんだ?」
「後輩としてね。透真さんは俺が反応薄くても気にせずがんがん来てくれるから」
「お、ユウがデレた」
「事実を言っただけですけど」
実際、透真さんのおかげで、俺が反応が薄くても別に人見知りをしていたり怒っていたりしているわけではないと言うことを演劇部のみんなも分かってくれて、かなり素の自分でいることができている。
俺の答えに笑った透真さんは「じゃあ、次はファッションショーの日だな。あとさ、打ち上げの飲み会はやっぱユウは来ないの?」と聞いてくる。
「レコードショップのセールに行くほうが、今後縁が続くとも思えない人たちより大事なんで」
「ま、それがユウだよな」
またいいレコードあったら教えて、と明るく言って電話は切れた。
*
SNSで問題の写真が拡散され始めたのは、ファッションショーが無事に終わった次の日だった。
自分たちの中で最初に気付いたのは透真さんで、ファミレスに呼び出したミス・ミスターコンの実行委員長と副委員長の二人、そして俺の前で頭を深々と下げた。
「本当にごめん」
真っ青な顔をした透真さんに「私たちもさっき見た」と副委員長の先輩が答え、何も事態が分からずに「ファッションショーで何か問題でもありました?」と聞いた自分に、委員長が説明をしてくれる。
「いや、ファッションショーとは別問題……と言っていいのかはまだ分からないけど、西原くんが上半身裸で寝てる写真が拡散されてる」
「は?」
「一応、目のあたりはモザイクかけられてるけど、髪の毛とかそのままだし、知ってる人が見たら一発で特定できる感じで」
「……見てもいいっすか」
委員長が差し出してきたスマホを見る前に透真さんに聞くと、無言の頷きが返ってくる。
改めてスマホに目を向けると、背景もぼやかされた中、ソファらしきところに寝転がる透真さんの白い上半身だけが鮮明に映っていた。鼻から下もモザイクがかかっていないし、成瀬役に向けて伸ばしている茶色い長い髪も乱れて広がっている。確かに透真さんのことを知っている人ならすぐに分かると思われた。
さらに、酒が入っていたのであろうグラスを持ちピースサインをしている爪の長い手がアップで映り込んでいるところに、何とも言えない悪意が感じられ、思わず眉根を寄せてしまう。
「なんすか、これ。こんなの透真さんがどう見ても被害者じゃないですか。なんで透真さんが謝る必要があるんですか」
「問題は」
実行委員長が俺に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「この画像をピンスタのストーリーに載せた人が、一緒に飲んでたら急に襲われそうになったけど、強い酒飲ませて撃退したっていうキャプションをつけてることで」
「はぁ!?」
「同性の後輩とカップルみたいに振舞ってたから安心してたのにひどい、みんなも騙されないようにとも書いてあった」
「でね、これが広まったせいで、西原くんのSNSはもちろんなんだけど、鷹野くんのSNSも少し荒れ始めていて」
あとを引き継ぐように副委員長が話し出す。
「まあでも鷹野くんのほうは、失望したとかそういう言葉もあるけど、西原くんのカップル営業に付き合わされて可哀そうとか、そういう意見が多いかな。ただ、クイアベイティングじゃないか、っていう意見も一件だけだけど書かれてて」
「なんですか、そのクイアなんとかって」
「簡単に言えば、同性愛者やバイセクシャルじゃないのに、そう振舞って世間の注目を集めることを言うみたい。そういう意味では、私も二人に気軽にコンビ売りをしてくれって言ってしまって、申し訳なかったと思ってる。浅はかだったなって。今のところ、二人の投稿は仲のいい先輩後輩の範囲は越えてないし、ちゃんと最初の動画のときに、鷹野くんが西原くんの『好き』っていう言葉に対して、後輩としてって言ってくれてるし、大丈夫だとは思うんだけど」
「ただ、万が一クイアベイティングしてるってネットニュースにでもなったら、今回のイベント事態が中止となる可能性もあるかもしれない。もともと、ミスコンとかミスターコンとかって、セクシズムとかルッキズムとか、そういう面もあって、いろいろ慎重にならないといけないところもあるから、少しの間、このまま何も投稿とかしないで、動向を見守ったほうが……」
「じゃあ、透真さんの不名誉な噂はどうやって晴らすんですか」
俺の問いに、実行委員の二人が答える前に、透真さんが口を開いた。
「正直なところ、時間が経つのを待つしかないと思う。自分が何もしてないって、証明もできないしさ。逆に反論することでもっとこの問題が広まって、それこそイベントの中止につながっても申し訳ないし。あとは、俺がミスターコンを辞退して、SNSも消すか……」
「そんなことしたら、事実として認めたって思われかねないからダメでしょ」
「ってかさ」
透真さんが少しだけ笑う。
「ユウは、俺のことまったく疑わないんだ」
「当たり前じゃないですか!」
思わず語気荒く答えてしまう。
「ただ、なんでこんなことされたんすか。そんな恨み買うようなことしました?」
俺の問いに言い淀んだ透真さんに「この写真載せた子、石森くんが気に入ってた子でしょ? もしかして石森くんのために避けて恨まれたとか? 昨日の飲み会の最初、一緒に飲んでたけど途中で石森くんと場所変わってたよね」と副委員長が訊ねる。
「……イッシーのことも確かにちょっとはあるけど、そこまで大きな理由ではないと思う。と言っても、俺自身もなんでそこまで恨まれたのかは分かんないんだけど。正直なところ」
はあ、とため息をついて透真さんが説明をはじめる。
「最初から話すと、採寸の日に、ユウのことが気になるから、ファッションショーのあとの打ち上げで二人で話すチャンスを作ってほしいってあの子に言われたのよ。ユウは採寸の前は別の女の子たちに話しかけられてたし、帰りもすぐいなくなったから声をかけられなかったって言って」
「あそこのスーパー、夜8時に閉まるんで、焼きそばが……」
「いや、早く帰ったのは別にいいんだけどさ」
透真さんが苦笑する。
「ファッションショー当日も、終わったらすぐレコード店のセールに行くってのは前から聞いてたし、ユウは来ないと思うよって言ったんだけど、それでもどうにか誘ってくださいお願いしますって言うだけ言って帰られちゃって。でも、当日ユウがいなければ諦めるだろうと思ったのね」
そういえば昨日、ユウは大事な用事があるから先に着替えさせてやってと透真さんが他の人にも声をかけてくれていた。あれは、俺が呼び止められる前に帰れるよう、気を遣ってくれていたということだろう。
礼だけ言って、うきうきとレコード店に向かっていたのんきな自分の頭を小突きたくなる。
「そうしたら、飲み会が始まってからなんでユウを連れてこなかったんだってすごいしつこく言われて、あいつも用事があるからって言ったんだけど、私が会いたいって伝えてくれたの、とか聞いてきてさ。言わなかったって答えたら、信じられないってこっちが引くくらい怒っちゃったから、ごめんねって謝って、すぐにイッシーに声かけて席を代わってもらったわけ。でも、一次会が終わったときにその子にメモを渡されて、見てみたら、本当に悪いと思ってるなら、この後ここに来てくれって店の名前が書いてあって」
そこで無視すれば良かったんだけど、と透真さんは続けた。
「ミス・ミスターコンの実行委員同士が協力してファッションショーも成功させたところで、あんま揉めるのもよくないだろうって思ってとりあえず店に行ったら、バーみたいなとこの個室でその子が待っててさ。ユウを連れていかなかったうえに、イッシーを横にいかせたことで、誰でもいいんだろうと思われたみたいで傷ついたって言われたのよ。だからまた謝ったら、じゃあ、ここで自分とのツーショットを撮ってくれたら許すって言い出して。ユウのほうが意外性があって話題になると思ったけど、俺でもいいとか言われて、なんの話かと思ったら、自分のSNSにユウと二人で飲んでるところを載せたかったんだってさ。でも、俺らにとっては別にメリットないしイッシーと揉める原因になりそうだし断ったら、そのときはけっこうあっさり引き下がってくれたのよ。それで、いろいろ我儘言ってごめんなさい、迷惑をかけたからってお酒を頼んでくれて、こっちもちょっと悪いって思う気持ちもあったから断り切れなくて一口飲んだら、そっからマジで記憶がなくなって。相当強い酒だったのか、なんか薬盛られてたのか、分かんないけど」
「うわー、たち悪いな」
委員長が顔をしかめるのに対し、透真さんは「しかもさ」と静かに言った。
「しばらくして、めちゃくちゃ乱暴に起こされて、目を覚ましたらシャツは脱げてるし、もちろんその女の子はいないし、何があったんだって思ってぼーっとしてたら、俺を起こしたバーの人にいくら酔ったからって女の子をこんなところで襲おうとするなんて最低だって言われて。びっくりだよな。なんか、襲われそうになったのをなだめてお酒を飲ませてたら寝てくれたから、今のうちに逃げるって言って帰っていったんだって」
個室だし、目撃者は誰もいないし、こういうとき男は弱いよなと諦めた口調で言う透真さんを見ているうちに、胸の中になんとも言えない怒りが湧いてくる。
「なんでわざわざそんなことしなきゃいけなかったんですかね。普通に頼んでくれれば写真くらいファッションショーの会場で撮ったって良かったし、しかも透真さんは何も悪いことしてないのに、ここまでする意味がマジで分かんないんすけど」
「SNSで注目されるってことが、人生のすべてみたいになってる人っているんだよ」
副委員長が重いため息をついてスマホを見せてくる。そこに映し出されていた透真さんを陥れた女子のSNSは、カラフルで明るくて楽しいこと綺麗なことだけで満ち溢れているようで、そんな世界で本人も満ち足りた笑顔を見せていた。それなのに、なんでわざわざこんな汚いことをしなければいけなかったのだろう。
心の中で抱いた疑問が聞こえたかのように、副委員長が続ける。
「依存症みたいなもんだからさ、もっともっと注目されたいってなっていって、一つでも多くいいねをもらうためなら何でもやるようになっちゃう。だから、バズると踏んでた鷹野くんとのデートっぽいツーショを撮れないってなったらイライラが抑えられないし、それだったらと思った西原くんとのツーショも断られて、ぷつんってなったんだろうね。ツーショットで注目を集められないなら加害者に仕立て上げて、自分は被害者ぶって注目を浴びようってなったんだと思うよ」
「頭おかしいですね」
「おかしいのよ。じゃなかったこんなことしない。――とにかく今は、西原くんはSNSをできるだけ見ないでおいたほうがいいと思う。代わりに私たちのほうで見ておくから。あと、ミスターコンはまだ辞退する必要ないからね。どうしようもなくなったら、学生課に相談しようね」
「あと、静観したいっていうのは、もう一つ理由があってさ。全員が全員この子の投稿を信じてるわけじゃなくて、自作自演じゃないかって声も出てるんだよね。で、その中に、西原くんと鷹野くんが夕飯について話してる動画の中で、飲んだらすぐに寝るって言ってたのに、一緒に飲んでて襲うなんてことできないんじゃないかって意見もあって」
「あー……そんなこと話してましたっけ」
「そう。で、その意見に、今『いいね』が、けっこうつき始めてる。つまり、西原くんの味方がゼロってわけではないからもうちょっと動向を見たいわけ。もちろん、ここぞとばかりに被害者の味方ぶって正義を振りかざしたい人もいるから、どうしてもぱっと見で被害者になるところだった女の子をかばう声は大きくなるだろうけどね」
「分かった。SNSはしばらく見ないことにする。あと、ありがとう、二人とも俺のこと信用してくれて」
頭を下げた透真さんの顔色は、だいぶいつも通りに戻ってきていた。
「ユウも、ごめんな。俺が調子に乗ったせいで、嫌な思いさせて」
「透真さんに嫌な思いさせられたことなんて一回もないですよ」
そう言い切ると、ようやく笑顔になった透真さんが「やっぱユウっていいよな。好きだわ」と言う。
「俺も好きって言われるの好きなんで、どんどん言ってください」
俺の返事に「やっぱ、ゆーとま最高!」と副委員長が笑った。
今まで通り他愛もない内容でSNSを更新しながら、俺は前よりもコメント欄を見るようにしていった。
応援してます、今日の投稿も可愛い、手が好み、そんな平和なコメントがほとんどだったが、やはりどの投稿にも数件は透真さん絡みのコメントがついた。
西原くんを信じてるって伝えてくださいというものもあれば、ゆーとまの写真待ってます、というものものあった。ネガティブなものでいえば、何も言わないで逃げるなんて卑怯だとか、透真さんを罵倒するような内容のものもあった。ただ、そのあたりはムカつきはしたものの意外と冷静に読めた。
一方で、読んでいてどうしようもなく嫌悪感を抱いてしまうコメントもあった。
『全然関係ないのに、とばっちりを受けて、鷹野くんが可哀そう……。傷ついてるはずなのに、毎日更新ありがとう!』
『ゆーくんも、これからは付き合う人を選んだほうがいいと思うな~』
『舞台にはやっぱり西原さんも出るのでしょうか。ああいうことをした人間を出すと言うのは、演劇部、ひいては大学の印象を下げることになると思いますが』
お前らは何様で、俺の、透真さんの、演劇部の何を知ってるんだと、額に人差し指をぶすぶすと刺しながら問い詰めたい気分になる。
きっと本人たちはあなたのことを心配して言ってあげている、正しいことを言ってあげていると思っているのだろう。自分たちの言葉は「善」だと。だからこそ余計に気持ちが悪い。
何も知らないのに、聞きかじった情報と勝手な思い込みだけで人に対して分かったようなことを言ったりアドバイスしたりというのは、もはや自慰行為と言ってもいい気がする。目の前に実在しないおかずを使って、自分だけが気持ちよくなる行為。
――他人に見せつけるもんじゃないっていう点でも似てるな
そんなことを考えながら、SNSを閉じる。
透真さんとは、SNSのトラブルの話を聞いた後から直接は会っていないが、LIMEでのやりとりは続けていた。
あの後、演劇部の人たちやミスターコンのメンバーたちにも自分から連絡して謝ったけれど、みんな透真さんのことを信じてむしろ怒ってくれたそうだ。
それはそうだろう。普段の透真さんを見ていれば、濡れ衣だってことは一目瞭然すぎる。
さらにイッシー先輩からは謝られたと言っていた。例の女の子と話しているときに、透真さんが全然お酒を飲んでないことについて聞かれて、酒は好きだけどすぐ寝てしまうから、身内と飲むとき以外は控えているということを話してしまったらしい。
『でもまさか、そんな世間話が悪用されるなんて普通思わないだろ』
透真さんはそう言っていたし、自分もそう思う。
一度だけ、その子のピンスタをのぞいてみたが、後ろめたさなど微塵も感じさせないキラキラとした日々を今までと同じように載せていて、なんだかぞっとしてしまった。神経が分からないとは、まさにこのことだし、分かりたくもない。
ちなみに例の投稿はストーリーだったのでとっくに消えているが、スクショで保存された写真はいまだにSNSの中で拡散され、電子掲示板の中でもスレが立ったりしたらしい。ミスターコンの実行委員からときどきくる連絡によると、透真さんのことをかばう声もないではないが、そうやって加害者をかばう人のせいで被害者は傷つく、セカンドレイプだ、と女の子側に立つ人たちの攻撃材料にしかなっていないようだ。
ただ、全体的に騒動がさほど大きな問題にならないまま下火になってきているのは確かで、変に反論とかせず、動向を見守るという透真さんと実行委員の判断は合っていたのだろう。
いつくらいから透真さんはSNS復帰できるかな、と思ったところで、そういや今日の写真を送っていないと思い出す。
SNSを見られないのはいいけど、ユウの癒しの投稿も見れないのは残念と言われたので、LIMEで送りつけているのだ。
さっきSNSに載せたばかりの、アイスの棒に対して威嚇しているカマキリの写真を送ると、すぐに既読になった。
『今日のバ先にいました。では明日~』
『今日バイトだったんだ。お疲れ。明日からよろしくー』
夜は自由に過ごしたいということもあり、ガソリンスタンドの早朝シフトで週五ペースで働いているが、明日からは演劇部の合宿なので一週間近く休むことになる。
透真さんと会うのも十日ぶりくらいだな、と思いながら俺は電気を消し、目を閉じた。
*
舞台の練習は、比較的順調に進んでいった。
夏休みに入ってすぐ、遺書をどのように読むかが決まったことで、自分の中で雨衣という人物が息づき始めたのも大きい。
あの日、いろいろなパターンで台詞を言う前に『雨衣は、成瀬と過ごす時間をどう感じてたと思う?』と透真さんに聞かれた。
『んー、そうですね。いろいろ複雑な気持ちもあっただろうけど、それでも結局成瀬と一緒に居られることはシンプルに嬉しいし幸せだったんじゃないかなとも思いますよね』
『ユウらしい素直な意見だな』
『単純すぎますかね』
『いや、いいと思うよ。じゃあ、それを踏まえたうえで、最期に雨衣は成瀬のことを考えながら死ぬわけだろ。どんな気持ちだったと思う?』
『あんま、絶望しながらって感じはしないかも。限られた時間だったけど、楽しかったなとかやっぱ幸せだったなとか思ったんじゃないかな、雨衣が成瀬を恨むってことは絶対なさそうだし、一緒に過ごさないほうが良かったとも思わなさそう』
『うんうん』
透真さんは頷き、台本の台詞を指さした。
『でもここの愛してしまったって言い方はさ、後悔っぽくも聞こえるじゃん』
『そうですかね。なんかこう、俺的にはただ愛したっていうよりも、気持ちがこもってる感じがして』
『お、そうなんだ』
『自分の意志ではどうにもできないくら惹かれてしまった、みたいな』
『だとすれば、これは最後の告白でもあるってことか』
『ですね。何回も何回も毒のある成瀬が好きだって伝えてきて、最後にあぁやっぱり好きだったなぁって感じかも』
『いいじゃん』
透真さんはそう言ったあとに、もう一度『うん、いいよ』と繰り返した。
『もちろん悲劇でしかないんだけどさ、でも、最後、成瀬は雨衣の残した告白の中に倒れこむんだって思ったら少しだけ救われる気もする』
ねっとりとずーんと、という田さんのイメージとはだいぶずれるなと思いながらも、そこから、純粋で一生懸命で、成瀬のことが真っすぐに好きな、温かみのある雨衣の人物像が自分なりに出来上がっていったのだ。
この合宿に入ってすぐ、田さんにも、自分なりの解釈をまず伝えた。
とりあえずやってみてと言われ実際に演じてみたところ、面白いかも、ということでその方向性でいくことになった。
最初の立ち稽古で上滑りしていた【あなたは、やはり水仙の花のような人だ】という一言も、成瀬を口説くように言うのではなく、その美しさに感嘆している純粋さを意識することで、透真さん演じる成瀬の色気との対比がくっきりと生まれ、よりお互いのキャラクターが際立つように感じられた。
もちろんそれは、透真さんが初日から完ぺきな成瀬を演じてくれたからこそできたことでもあった。美しく、儚く、毒のある色気をにじませ、ときには凄みすら感じさせる成瀬に、雨衣である俺は恋をし、愛を伝え続けた。
そうして演技に集中していた俺が、部内の雰囲気が少しぴりついていることにようやく気付いたのは、合宿の二日目の夜のことだった。
演劇部の合宿所として毎年のように使わせてもらっている民宿は、最寄りのコンビニまで歩いて二十分ほどかかる。そのため、練習後にジャンケンをして、負けた二人がお菓子などを買いにいくというのが恒例となっていた。
そのときも、練習場所である広間でいつものようにみんなでギャーギャー言いながらジャンケンをしていたのだが、最後の五人のうち、透真さんと、俺と同学年の女子の二人がチョキを出して負けた。
いつもであれば、行ってらっしゃーいという大合唱にすぐになるところだが、なぜか一瞬場が静かになる。
あれ、と思っていると、透真さんがちょっと笑って「俺、一人で行ってくるわ」と言い出した。
「え、そんな、全然一緒に行きます」
負けたもう一人の子が慌てたように言うが、透真さんは「大丈夫大丈夫」と手をひらひらと振って広間を出ていった。
途端に「あからさますぎたかな」と一人の女子が小さい声で言う。
「でも、やっぱり二人きりってなるとちょっとね……」
「ないって思ってても、なんかな」
ひそひそと交わされる会話を聞いて、胸がすっと冷える。
つまり、透真さんのことを信じていると口では言いながら、もしかしたらと思う気持ちがみんなにあるということか。
そして、透真さんもそれに気づいているから一人で行ったということか。
「俺も行ってきます」
みんなの態度にショックを受けながら、それだけ言い残して急いで追いかける。
玄関につくと、すでに透真さんはサンダルを履いて歩き始めていた。
慌てて自分もサンダルを引っ掛けて「透真さん!」と呼ぶ。
振り向いた透真さんは、驚いたように目を見開いたあと、にこっとした。
「どうした? なんか買ってきてほしいものあった?」
「あー……いやー、アイスを食べたいなって思ったので一緒に行こうかなって」
「ふーん?」
首を傾げた透真さんが追いついた俺を見上げる。
「ってか、財布は?」
「あ、忘れた」
「つまり俺におごらせるつもりだったと」
「違う違う、本当に忘れただけなんでちゃんとアイス代は返します」
焦る俺を見て、透真さんが笑う。
その笑顔に、ふと違和感を覚えてまじまじと見ると「なに?」と聞かれた。
「いや、透真さん、なんか、痩せました?」
笑顔を残したまま前を向いた透真さんが歩き出す。
「気のせいだろ、って言いたいとこだけど、実際痩せた」
「ですよね。なんか成瀬が前よりも儚いイメージが強くなったと思ってはいたんですけど、痩せたからか」
「かもな」
痩せた理由は、なんて愚問でしかない。黙って俺もあとをついて歩き出す。
林が両脇に続く暗い道はとても静かで、自分たちの足音だけがやけに響いた。
「ってかさ」
「はい」
「こんな人気のない道を、女の子を襲ったかもしれない男と二人って、そりゃ怖いよな。合宿が始まったときから、女子たちにちょっと距離を置かれてるのは気付いてたんだから、じゃんけんも参加しなければ良かったって反省中」
すこしおどけたような口調で言った透真さんに「俺は怖くないですけどね」と答えると、呆れたような目が向けられる。
「そりゃそうだろ」
「だから、俺と一緒にいればいいじゃないですか」
「……」
「たぶん、俺が透真さんが痩せたことに今まで気づかなかったのって、もちろん俺が鈍感なのもありますけど、透真さんが練習のとき以外、俺と距離取ってたからですよね。合宿来てからまともに話すの今が初めてな気がするし。もしかして、一緒にいると俺に迷惑かかるとか思ってます?」
俺の言葉に、透真さんが気まずそうに答える。
「いや……だって、ただでさえ、俺がユウのこと好きとか言ってたせいで俺の問題に巻き込むことになったのに、演劇部の中でまでユウとみんながぎくしゃくしたら、申し訳なさすぎるし」
「俺、もともとみんなと微妙に距離ありますけどね。一人で好き勝手行動すること多いし」
だから、今回透真さんに対してあんな風に周りが思っていることにも気づけなかったわけで。
「まあ、本物のマイペース人間だもんな」
「あ、それ、実行委員の人が前に言ってたやつ」
「すんごい言われようだなって思って覚えてた」
「俺もです」
二人で顔を見合わせて笑い合う。
「そんな本物のマイペース人間に付き合ってくれるのって、部内ではそもそも透真さんくらいしかいないし、仮に他の人たちとぎくしゃくしたところで何にも変わらないですよ」
「そんなことないだろ。部のみんなはユウのペースを尊重してくれてるだけだし。雰囲気も変わると思うよ」
「んー……だとしても、俺は自分が一緒にいたいって思う人といたいし」
どう言えば透真さんも納得するんだろうと考えながら俺は続ける。
「透真さんは、俺のことをすぐ肯定してくれるし、気に入ってることも態度に分かりやすく出してくれるでしょ。俺が大して反応しなくても遠慮なくきてくれるし。だから俺も、透真さんといると楽だし、そういう相手は貴重だから一緒にいたいわけ」
俺の言葉を聞いた透真さんが「えー、ユウってマジで俺のこと好きじゃん」とニヤニヤする。
「そうですけど」
「素直か。まあ、俺のほうもユウと一緒にいるのは確かに楽だな。ユウってこっちが好き好きーって言ったりくっついたりしてもさ、そうですかー、みたいな感じで全部受け入れてくれるし」
「まあ……別に好き好きって言われても有難いだけですもんね」
「それでも、許容範囲を超えるとしつこいって嫌がられるじゃん。だから俺も、けっこうそのへんはちゃんと見てるつもりだけど、ユウは、あ、そろそろ止めといたほうがいいかな、みたいに感じることがないからこっちも気にせずいられるっていうか。逆にいつまでくっついてていいんだろうってなって、結局離れ時を見失って変なタイミングになったりするくらい」
「別に俺はいつまでもくっつかれてても大丈夫ですけど」
「キャパが広いのな」
「広いんですかね……それこそ昔の彼女に空洞みたいって言われましたけど、もしかしてそう言う意味だったんかな……」
俺の言葉に、透真さんが噴き出したあと、おもむろに立ち止まる。
「あれ? 疲れました?」
自分も立ち止まって訊ねると、透真さんが、ばっと両手を広げる。
「くっつくのが大丈夫なら、ちょっと一回さ、ハグしてくんない?」
「ハグ? いいですけど」
芝居でも何度もやってるし、とこちらも手を広げ、暗い道端で透真さんを抱きしめる。夜風に吹かれた髪が俺の頬をくすぐってくる。
遠慮気味に俺の背中に回された透真さんの腕に力が入るのと同時に、肩に額がぐっと押し付けられた。
「……ほんと」
くぐもった声に耳を傾ける。
「今、この瞬間、俺のことを当たり前のように受け入れてくれるユウがいて良かった。大げさかもしれないけど、ほんと、もう誰も前みたいに俺とは接してくれないだろうって思ってたから」
「こんなんで良ければいつでもどうぞ」
「ほんとキャパが広いのな」
「空洞なんで」
あははっと声を出して笑った透真さんが「あー、また離れるタイミングを見失いそう」と呟く。
「どのくらいでお互い嫌になるか限界まで試してみます?」
「あいつらに捜索願い出されるかも」
「その前にトイレに行きたくなる気がする」
また笑った透真さんの身体の振動が自分にも伝わってきて、なんだか幸せな気持ちになる。
この人には、やっぱり笑っているのがよく似合う。
一刻も早く、あんな誤解を吹っ飛ばせるような方法はないんかな、と考えながら、俺は透真さんを抱きしめる腕に力を込めた。
結局、透真さんから一緒にいるようにするという言葉は聞けなかったが、自分からいけばいいだけだなと気付いた俺は、コンビニから戻ったあとはずっと透真さんの隣をキープし、次の日も朝ご飯のときから透真さんの近くにいるようにした。
「忠犬かよ」
つっこみながらも透真さんはニコニコしていて、その顔を見るとほっとした。
そんな俺らの様子に何か思うところがあったのか、透真さんと一緒にコンビニに行くはずだった子が「なんかごめんね、フォローさせちゃって」と言ってきたときにも「フォローしてるつもりないけど」と俺は答えた。
「ただ、俺が透真さんと一緒にいたいだけだから」
「そっか……あの、透真さん、昨日嫌な思いしてたよね」
「いや、むしろ気遣ってたよ。女の子を襲ったかもしれない男と二人きりって怖いだろうし、じゃんけんも参加しなきゃよかったなって反省してた」
「……」
ショックを受けたような顔をしたその子に声をかける。
「分かってるとは思うけど、透真さん、あんなことする人じゃないよ」
「うん」
頷いた彼女が、その後の休憩時間にペットボトル片手に透真さんに近寄っていくのを、俺はあえて少し離れたところから横目で見守った。
透真さんは話しかけられると少し驚いた顔をしたが、笑顔でペットボトルを受け取り、穏やかにその子と言葉を交わした。
その様子を見ていた別の女子もそこに加わり、そのうち笑い声も聞こえてきた。
良かった良かった、と思っていると、話し終えたらしい透真さんがこっちにやってきた。
「なんか俺のことフォローしてくれた?」
「なにも?」
そう答えると、透真さんは「ふーん?」とまったく信用していない口調で言いながら「そういやさっきのシーンさ」と俺の肩にくっつきながら手元にある台本を覗き込んだ。
*
今回、自分たちが演じる舞台は、登場人物がとても少ない。
主人公の成瀬と雨衣。そして、成瀬の二人の愛人。以上四名。
これは、大学の青竜祭が終わって間もなく始まる学生演劇祭で、多人数での群像劇をすることになっているからである。かなり入れ替わりも激しく複雑な内容となっており、そちらに集中できる部員を増やすため、青竜祭では少人数で、しかしキャッチ―な演目である「水仙の花束」を演ることになったのだ。
もちろん、演劇祭のほうにも透真さんと俺は出るので、両方の舞台の稽古をこの合宿内で行っているという状況である。
ちなみに成瀬の愛人役の一人目は、三年生の部員がすることになっている。台詞はほぼなく、花を何度か買いにくる場面に出て終わりということもあり、合宿一日目に合わせたあとは、出番の多いもう片方の劇の稽古に集中している。
そして、もう一人の愛人のほうも出番は少ないのだが、雨衣を打ちのめすという、言ってみれば最後に向けてのトリガー的な役割を担っているため、かなり重要な役どころである。
毎年青竜祭では、4月公演を終えて退部した四年生を一人招き友情出演をしてもらうことになっているため、今回はこの愛人役を、昨年度の部長である江古田さんにお願いすることになっていた。
その江古田さんと、「水仙の花束」の脚本を書いた朝田さんが合宿所にやってきたのは、四日目の昼前だった。
江古田さんは、卒業後も仕事をする傍ら劇団に入って役者を続けることにしている人で、演技への真剣度は人一倍高い。そんな江古田さんと、さらに俺らに台本を渡すときに熱く語ってくれた朝田さんに、自分の役作りがどういう評価を受けるのだろうと思って柄にもなく緊張しつつ、俺は口々に挨拶するみんなの後ろのほうから二人に頭を下げた。
「おー、お疲れ。あとからみんなのほうの稽古も見にいくからな。あとこれ差し入れ」
ありがとうございます、と田さんがお菓子の詰まった大きな袋を受け取り、みんなから歓声があがる。
そのまま部屋の中を見回した江古田さんは、俺の隣にいる透真さんを見つけると、「西原!!」と部員たちの間を抜けて向かってきた。
「お久しぶりです」
笑顔で言った透真さんに「久しぶり、じゃねーよお前。心配したじゃん」と江古田さんは答え、大きな身体でハグというよりも羽交い絞めのようにぎゅーっと抱きしめる。
「なんですか、痛い痛い」
笑いながら背中を叩いた透真さんを離した江古田さんが「お前、痩せたなぁ」と眉をひそめながら言う。
「え、そうですか」
「痩せたよ。ったく、ほんとろくでもねぇことに巻き込まれて災難だったな。ああいうのは交通事故と同じようなもんで、こっちが気を付けてても向こうが突っ込んで来たらどうしようもないもんな」
合宿が始まってから、誰も公には口にしていなかったことを、あまりにもあっけらかんと話題にされて、透真さんが気まずそうな顔になる。
「でも、あんな馬鹿なことするやつは、そのうち絶対何かしらで自爆するから大丈夫。今まで通り、真面目にやってればいいよ。それとも、俺のSNSとか使ってさ、どんだけ西原が酒に弱いかを証明する動画でも撮って反撃するか?」
「いや、そんなんで江古田さんまで巻き込むのはちょっと……」
「別に巻き込まれてもどうってことないよ」
江古田さんの言葉に、ようやく透真さんが笑顔になる。
「じゃあもし反撃の必要性が出てきたらお願いします」
「おう。いつでも言って。にしてもさ、髪が長いだけで遊び人って決めつけられてるの笑ったな」
「いや、笑えはしないですけど……」
「だってさぁ、実際の西原はめちゃくちゃゆめみ――」
モゴ、と言った江古田さんの口は、顔を赤くした透真さんに抑えられていた。
「忘れてくださいって言いましたよね」
「あ、イメージに関わる? 悪い悪い」
透真さんの手をどけて笑った江古田さんが「ま、とりあえず思ったより落ち着いてるみたいで良かった。じゃあこのあとよろしくな、愛人。先、着替えてくるわ」と部屋を出ていく。
その後姿を苦笑しながら見送る透真さんは、どことなく嬉しそうだった。
それはそうだろう。俺が頼まれるまでしようとも思わなかったハグを自分からしてきて、俺が二日経つまで気づかなかった透真さんの痩せ具合にもすぐ気づいて、さらに、みんなにも分かりやすく透真さんを信じていることをアピールした江古田さんの態度に、この人はとても救われたはずだ。
そして江古田さんの明るく力強い言葉は、部員たちの心のどこかにこびりついていた疑惑の大部分を拭い去っていっただろうとも思えた。自分には絶対できない言動を目の当たりにし、なんとも言えない無力感と苛立ちを抱えながら、俺はただ透真さんの隣に立っていた
みんなとは別室で始まった江古田さんを含めた稽古は、自分にとって厳しいものとなった。
「鷹野くんの、雨衣の解釈は悪くないと思うの。その純粋さっていうものは、成瀬にとってはきっと眩しいものだし、惹かれるのも分かる。ただ、やっぱり江古田くんの愛人役と対峙したとき、完全に負けてしまってるから、このままだと成瀬が雨衣を選んだっていう説得力がなくなっちゃう」
何度か繰り返したあと、朝田さんは、自分の書いた台本を手に難しい顔をして言った。田さんもその隣で、頷いている。
言われずとも、自分でも分かっていた。完全に気迫で負けている。
「もちろん、ここは雨衣が打ちのめされるわけだから負けてもいいんだけど、どう言えばいいのかなぁ、雨衣は芯の部分では負けちゃだめなのよ」
「芯の部分……」
「例えばさ」
江古田さんが立ち尽くす俺に、明るく話しかけてくる。
「鷹野に好きな人がいたとするだろ。実際いるかいないかは別として」
「……はい」
「鷹野はその人のことをめちゃくちゃ大事に思ってる。ところが、鷹野以外にもその人を好きなやつが急に現れた。しかも合コンで5日前に知り合ったばかり。ただし、相手は自分よりも何もかもにおいて高スペックでとても敵いそうにない」
「はい」
「このとき、まあ普通に負けた、と思うよな」
「そうですね」
まさにさっきの自分みたいだなと思う。
透真さんに俺がいて良かったって言われて、支えられるのは俺だけだって意気込んでいたけど、江古田さんの言動を見たら敵わないと思ってしまった。
「でも、正直なところ口惜しいとも思うだろ」
「それは、はい」
さっきの自分の苛立ちを思い返しながら頷く。
「じゃあなんで口惜しいと思うのかって話だよな」
なんで。
なんで口惜しいと俺は思ったのか。
「……自分のほうが、その人のことを思ってるのにっていう気持ちがあるから、です」
「うん。そういうことだよな。スペックは負けたとしても、気持ちは負けてないのにと思うから口惜しい。雨衣もそうだと思うよ。雨衣は確かに、愛人には敵わないと思って打ちのめされる。でも、自分のほうが成瀬を好きだっていうプライドは残してる。逆に言えば、そういうプライドがなければ雨衣は死ぬこともなかったんじゃないの。自分が愛人よりも成瀬を好きでも、成瀬は自分より愛人を間違いなく選ぶ、その不条理さがこそが辛いわけでさ」
言われたことを自分の中で反芻した俺は頷く。
「ありがとうございます。雨衣の気持ちがつかめてきた気がするので、もう一回やらせてください」
頭を下げた俺は、このシーンの出番がないので、部屋の隅であぐらをかいて見学している透真さんにちらっと視線を向ける。
俺の視線に気づいた透真さんが握りこぶしを持ち上げて、がんばれ、と口パクで応援してきた。
それに頷き返した俺は、大きく息を吸う。
――つまり、江古田さんに対して感じた気持ちを膨らませて、演技に活かせばいいってことだ
自分だけが透真さんのことを分かってあげられると言う傲慢な気持ち。それが実は自分だけでなかったと分かったときの無力感。自分よりも透真さんを安心させられる江古田さんの言動への口惜しさと敗北感。それでもきっと自分のほうが大事に思っているという自負。
それらをすべて抱え雨衣となった俺は、今まで目を逸らし気味だった成瀬の愛人と正面からまっすぐに向かい合った。
*
民宿の中はとても静かで、布団の上に横になる透真さんのかすかな寝息すらよく聞こえた。
これが正しいことかどうか分からない。
でも、これができるのは自分だけだ。
改めて、テーブルの上に置かれた二本の缶ビールをスマホで映した俺は、続けて布団の方へと向けたスマホをスタンドに固定する。
透真さんはまるで人形のようにピクリともしなかった。完全に熟睡態勢である。
「缶ビールを二本飲み切らないで、この状態です。ちなみに俺はノンアル飲んでました」
画面に向かって説明をし、横たわる透真さんをまたぐように膝立ちになる。自分の足でカメラから透真さんの上半身がほぼ画面に映らないのを確認したあと、俺は続けた。
「シャツを脱がされたらさすがに起きるから自分で脱いだんだろう、って意見も見ましたけど」
俺は透真さんのTシャツをめくり、そこから片方の腕を抜いてみせる、くったりとした透真さんの腕は俺にされるがままだ。
「このとおり、全然です。あの日、透真さんは前開きのシャツを着てたんで、もっと脱がせやすかったでしょうね」
説明しながらもう片方の腕も抜き、顔も抜く。最後に、後頭部に挟まったままのシャツを取るのに、頭ががくっとならないよう、首の後ろに腕を回して持ち上げると、透真さんの白い首がゆっくりとのけぞり唇が微かに開いた。
完全に脱げたTシャツを手に持った俺は、透真さんを抱えたまま画面に向かって「終わり」と言ってそのシャツをスマホへそっと被せて目隠しをした。
ふう、と息を吐いて、透真さんの頭をゆっくりと布団に戻す。
今日は、江古田さんと朝田さんが来たこと、そして最後の夜ということで、みんなは飲みに行っている。
しかし、透真さんは飲みにはいかず残ると言ったので、俺も一緒に残ることにした。
みんなも、無理に行こうとは言わなかった。透真さんが外で飲みたくないというのは、あんな目にあった直後であることを思えば当然だったし、俺がコンビニに行ったあとから透真さんの番犬のようになっているのも、さすがに気付いていたからだろう。
透真さんも、俺が残ると聞いて『どうせ行けって言っても行かないだろうしな』と笑った。
『本物のマイペース人間なんで』
『けっこうその呼び名気に入ってるよな』
そんな会話をしながら、俺はこの二人きりになれる時間がチャンスかもしれないと思った。
江古田さんがSNSで反撃するかと言っていたけど、それは、ここ数日、自分が考えていたことでもあった。
透真さんが飲みながら女の子を襲うなんて無理なくらいに弱いこと。飲んだら熟睡態勢に入って何をされても起きないこと。これを証明しつつ、透真さんのカップル営業に俺が嫌々巻き込まれたという誤解もとく。そんな写真や動画を出せないだろうかと思っていたのだ。
そもそも、今回の騒動のきっかけは、自分たちが「ゆーとま」としてSNSで少し人気が出たからだったわけだし、だとしたら俺がSNSで発信するのが一番インパクトもある気がする。江古田さんじゃなく、俺が。
透真さんに二人で部屋で飲もうと持ち掛けると、じゃあつまみも買ってくるか、と乗ってくれ、俺たちは二人でコンビニまで飲み物とつまみを買いに行った。俺も、気分を出すためにノンアルビールを買った。
そして、せっかくなんで、と飲み始める前に二人で自撮りをし、俺はそのままビデオを回し始めたスマホを卓上に置いた。
あれ以来やっぱちょっとトラウマってほどじゃないかもしれないけど、飲む気になれなかったからなー、と言って飲み始めた透真さんは、久々のビールにめっちゃうまい、とはしゃぎ、そしてすぐ今日の稽古について熱く語り出した。
江古田さんに説明を受けたあとのユウの演技がめちゃくちゃ良くなってた、江古田さんの愛人が陽の強さを持っていたのに対して、ユウの雨衣は陰の強さが出ていてほんと芯の部分では負けてないってことが伝わったし、見応えがあった。
そう嬉しそうに話す透真さんに、江古田さんのおかげですけどねと答えると、だとしても、たったあれだけの言葉を自分なりに解釈してあそこまで表現を変えてくるユウの力がすごいよ、とまた褒められた。
それもある意味江古田さんのおかげなんですけどね、とは思ったけど言えなかった。江古田さんの透真さんへの態度を見て自分の中に出てきたネガティブな感情があったからこそ、それを演技に活かすことができたなんて、なんだか情けなさすぎた。
そのあとも江古田さんの演技や、朝田さんのこだわりについてひとしきり喋りつくした透真さんは、二本目を開けてすぐ『もう眠い』と言い出した。
『布団敷きましょうか』
『いや、そんな悪い』
『別に一分もかからないし。待ってて』
そう言って布団を敷くと、透真さんはそこまで這っていって『みんなが帰ってきたら起こして』と言った。
『起きれるならね』
『がんばる……』
呟いた透真さんはそのまま眠りに落ちていき、それを見届けた俺は稽古を記録するときに使うスマホのスタンドを出してきて、改めて撮影を始めたのだ。
いったん透真さんの上からどいて、スマホにかぶせたTシャツを取り録画を停止した俺は、もう一度Tシャツを着せようと透真さんのところへ戻る。
――ほんと、安心しきった顔してるな
そう思いながら左手で透真さんの右手首を持ちあげてTシャツに腕を通そうとすると、透真さんが突然寝返りを打って、俺の腕を抱え込むような態勢になった。
これじゃさすがに着させられないと、そっと左肩を押して仰向けの姿勢に戻す。
しかし顔だけは横を向いたままで、その伸ばされた左の首筋に何気なく視線を移すと、薄い赤い傷が目についた。
今日の稽古中、成瀬をソファに押し倒すシーンでバランスを崩しそうになり、咄嗟に支えたときに自分の爪によってついた傷だ。爪は短く切っていたけど、食い込んでしまったらしい。
透真さんは全然痛くないし、こんなの傷ともいえないと言っていたけど、やっぱり白いからここだけ赤いのが目立つ。キスマークとかと勘違いされないといいけど。と言っても、キスマークがどんなのか知らないから見た目が似ているかどうかも分からないわけだけど。
透真さんは誰かの首にキスマークつけたりつけられたりしたことあるのかな、とその傷を指でなぞると同時に、ふと『首へのキスっていうのは相手への執着心を表すんだって』という朝田さんの言葉が脳裏をよぎった。
今日の演技中、濡れ場へと突入するときに、あまり深く考えずに透真さんの身体に口づけるふりをしていたところ、キスにもする場所によって意味があって、と説明されたのだ。そこを意識すると少し違うかもと。
――相手への執着心、か
演技のときにはフリだけだけど、実際に触れたら何か感じるところはあるのだろうか。
しばらく透真さんの首筋を眺めたあと、傷あとにゆっくりと口を近づける。
唇に少し湿ってひんやりとした肌があたり、なぜか自分のほうがびくりとして慌てて離そうとすると、透真さんの肌が名残惜しそうに一瞬だけくっついてきた。
しばらく息をひそめて透真さんの寝顔と白い上半身を見つめる。
あとは、なんだっけ。どこにキスをするのが、どういう意味だった?
『腕は、相手への恋慕の情で、あと、手首って意外なんだけど、相手へのかなり強い好意とか性的な欲求とかが含まれてるみたい』
つかんだままだった透真さんの右腕に目をやる。そっと持ち上げて手首の内側に唇をあてる。一瞬透真さんのドクドクと打つ脈が感じられたような気がして、すぐにそれが自分の心臓の鼓動だと気づく。そのまま口を滑らせ、細いけれど綺麗に筋肉のついた二の腕に口を押し当てる。
『あとは胸と鎖骨。胸のほうが性的欲求が強そうだけど、実は鎖骨のほうが強いんだって。胸はどっちかっていうと所有欲とか独占欲とかの意味合いがあるみたい』
静かに上下する胸に顔を寄せる。両胸の間の胸骨にキスをし、顔をあげて鎖骨に口づけると「ん」と透真さんが声を漏らし、右に向けていた顔を正面に戻してまた静かに寝続ける。
その無邪気でしかない寝顔を前に、俺は自分の下半身へと右手を伸ばし、ジャージの中へとその手をねじ込んだ。
あがっていく息を唇を噛んで殺しながら、張りつめたものを上下にさすっていく。
分からない。本当に意味が分からないけど、どうしようもなく昂って仕方がなかった。
わずかに開いたまま、少し笑っているようにすら見える口元を見つめたまま呆気なく果てた俺は、手の中に自分の欲が溢れるのを感じながら、雨衣の隣に倒れこんだ成瀬のように呆然と身体を横たえた。
【トラウマってほどじゃないかもしれないけど、飲む気になれなかったからなー】
【じゃあ、乾杯しましょ】
画面の中に映っている缶ビールとノンアルビールの缶が軽く触れあって、めっちゃうまい、とはしゃぐ声が聞こえる。
チップスやビーフジャーキーなどもテーブルの上には並べられていて、画面の左右から指が伸びて来て、つまんでは画面の外へと外れていく。
【な、今日の稽古でさ】
そう片方が話し出したところで、動画は早送りとなり、ひたすらビールとつまみと指がめまぐるしく動き続けた。しばらくすると早送りだった画面が普通の速度に戻り、缶ビールがトン、とテーブルに置かれる。
【もう眠い】
【布団敷きましょうか】
ほどよく低い声が、優しく話しかける。
【いや、そんな悪い】
【別に一分もかからないし。待ってて】
二人の声が少し声が遠くなり、みんなが帰ってきたら起こして、と言うのに対し、起きれるならねと答える声がする。
【がんばる……】
最後に小さな声が呟き、そのまま静かになる。
十秒ほどして、ずっと固定されていた画面が動き、改めてテーブルの上を映す。二本の缶ビールと、一本のノンアルビール、そして、ほとんどなくなったつまみたち。
そのまま画面はぐるりと動き、布団に寝ている髪の長い男が映し出される。
【缶ビール二本飲み切らないで、この状態です】
映像が小刻みに揺れたあと、何かに固定されたのか急に安定する。それを確認するように、黒髪の男が画面をのぞき込み、そのまま寝ている男のもとへといってその身体にまたがった。
ちらっと画面にまた目を向けた男が、寝ている男のTシャツを脱がしながらここまでしても起きない、ということを説明する。またがる足で上半身はあまりよく見えないが、腕がシャツから脱げるところはしっかり写っていた。
最後、黒髪の男が右腕で、寝ている男の首をそっと持ち上げTシャツを頭から抜きとると、茶色い髪がその腕にさらりと流れた。
大事そうにその頭を抱えたまま、黒髪の男が【終わり】と画面に涼し気な目を向け、これ以上は見せないとでも言いたげに、カメラにTシャツをかぶせ、動画は終了した。
*
大変なことになっている、とミスターコンの実行委員から連絡が来たのは、演劇部の合宿が終わった数日後のことだった。
『SNS見た? って見てないか。私たちが見るなって言ってたんだし』
また何かあったのか、と心臓がドクリとする。
身に覚えのない罪をSNSで拡散されてからまだ一か月も経っていない。当然あれ以来、何もおかしな行動はとっていないはずだけど、火の無いところでも煙は立つものだということを身をもって知った今では、とても安心はできない。
『っていうか、西原くんも協力した感じ?』
「……ごめん、なんのことか全然分かんないんだけど」
『あー、ってことは、鷹野くんの独断か』
ユウが何かをしたのか、と、今度はぎくりとする。
炎上するようなことをするタイプではないけど、ちょっと天然というか思わぬ行動をすることがあるから、結果的に問題になってしまったという可能性は十分に考えられた。
『まあ、動画を見てもらった方が早いかも。ピンスタのアプリは消してないでしょ? ちょっと鷹野くんの動画見てみて。またあとで電話するから』
なんの動画なのか一言も説明のないまま電話を切られてしまい、不安しかない中おそるおそるピンスタを開く。
ホームの一番上に出ていたのが、まさにユウの投稿で、缶ビールやお菓子が映っていた。
なんの動画なのかも分からないまま、再生ボタンを押した俺は、聞いたことのある声に目が飛び出そうになる。
改めて見てみると、それは、合宿最後の夜、ユウと俺が飲んでいたテーブルの上を映した動画だった。
乾杯をしたあとすぐに早送りが始まった動画を見ていると、急に通常の速度に戻り、俺の声が眠いと言い出す。
――つまり、俺が酒に弱いってことを証明しようとしてくれたのか
可愛いことしてくれるとは思ったものの、別に大変なことになるほどでもない気がすると余裕をかましていると、動画は思わぬ光景を映し始めた。最後、ユウが眠る俺の頭を抱え、シャツをカメラにかけて終わらせるという、なんとも意味ありげな締め方まで見た俺の心臓は、さっきとは違った意味で高鳴り始める。
落ち着いていられず、腰かけていたベッドから立ち上がり、部屋の中をウロウロしながらコメント欄を見るとハートの絵文字だらけで『彼氏の牽制えぐすぎ』『彼氏バチくそに切れてんじゃん』『彼氏マウントごちそうさまです』と、ユウのことを遠慮なく彼氏扱いする言葉たちが並んでいた。
いや、そりゃあんな動画見たらそうなるわ、と思いながらスクロールしていると、一つのコメントが目に入る
『とまくんの身体を見せないようにしてるとこに、ゆーくんの愛を感じる』
はっとしてもう一度動画を見ると、確かにだぼっとしたジャージを履いたユウが俺の身体をまたいだことで、肩から下がほぼ映っていなかった。別に男だから見られてもどうってことはないが、だからと言ってこの前のように見世物になるのは気分がいいものではない。
そこまで考えてくれたんだろうか、ともう一度見ているうちに、シャツを脱がすユウの一つ一つの動作が丁寧なことに気付き、また心臓がどくっとなる。
――ヤバいな
生まれて初めてかもしれない。現実が想像を、妄想を越えてくるのは。
俺はもう一度ベッドに腰かけると、電話がかかってくるまでその動画の後半部分だけを憑かれたように何度も繰り返した。
*
自分が演劇を始めたのは、母の影響が大きい。
母が女性だけの某歌劇団の熱烈なファンで、自宅のテレビでそのビデオがBGMのように流れ続ける中、俺は育ったからだ。
物心がついた頃には、映像を見ながら真似するのが日課となっていて、よく母親と歌劇団ごっこもした。俺が口にする男役の台詞に母親は手を叩いて大喜びし、家に来る母のファン仲間の女の人たちも、母に促されて俺が真似する姿を見てキャーキャーと言いながら、素敵、将来が楽しみ、と喜んでくれた。
幼稚園でも、女の子を大切にお姫様のように扱うんだよという母親の言いつけ通りに俺は振舞った。
とうまくんは王子様みたい、と女の子たちは言ってくれたし、そのお母さんたちからも褒められた。
もちろん男子たちとも仲良くした。歌劇団の男役同士の友情がそのモデルで、肩をくんだり抱き着いたりして子どもなりに理想の関係性を築こうと日々頑張っていた。
しかし、小学校に入る直前、幼稚園で一人の女子が突然『とうまくんのはなしかた、なんかへーん!』と言った。それを聞いた子のうちの数人が『ぜんぶへん!』『とうまくん、へーん』と笑いながら同調しだし、今度は何人かの子が俺をかばって怒りだしたりして、クラスの中はちょっとした騒ぎになった。
今思えば、日常の中でいつも芝居がかった言動をしていた自分への違和感が、幼いながらに「変」という言葉と繋がったのだろう。しかし、自分が最高だと信じて疑っていなかった俺にとってはあまりにもショッキングだった。
家に帰って母に話すと、すぐに幼稚園の先生に怒った声で電話をかけていたが、翌日から俺は子どもの教育番組と男児向けのアニメを見せられるようになった。今思えば、俺の言動について先生からも何か言われたのだろう。
教育番組もアニメもそれなりに面白かった。面白かったが、歌劇団のビデオを見ているときほど夢中にはなれなかった。もっともっとドキドキするものが見たかったが、親には言い出せず、俺はテレビをぼんやりと見ながら歌劇団のいろいろなシーンを自分の中だけで繰り返し繰り返し思い返すようになっていった。
小学校では、変だと言われることのないよう、言動には気を遣った。それでもどこかで無意識的に染みついている行動が出てしまうのか、王子っぽいと言われることはあったが、孤立することはなかった。そして、ああいう言動は普段からするものではなく、大きくなって本当に好きな人ができたときにすべきなのだろうと自分なりに納得することにした俺は、その日がくるのを夢見ていた。
だが、それは所詮、夢にすぎなかった。
中学に入って初めてできた彼女には、俺の言動は重いし恥ずかしいとすぐに振られた。同じくらいの時期に、親友だと思っていた男に泣きながらその話をしたら、正直なところ自分もそう思うと言われた。
『なんか、自分に酔ってる感じって言うかさ』
言いにくそうに告げられた言葉に、俺はしばらく落ち込んだ。
それでも、世間ではドラマチックな恋愛ドラマや恋愛映画が流行っていたし、きっと自分と同じような恋愛をしたいと思っている人だっているはずだと思えた。しかし、その後に告白され付き合った子たちとも長続きはしなかった。毎回、俺の言動が原因だった。
そんな中、高校のときに最後にできた彼女とだけは半年以上付き合った。もともと、演劇部で一緒にずっとやってきた仲間だった。現実では嘲笑されるような言動も劇中だと素敵だと思ってもらえるのがいい、と漏らしたら、『現実でも私は嬉しいと思うよ』と言ってくれた子で、実際付き合ったあとも、俺が口にする甘い言葉にも、デートのときのエスコートにも、記念日でもなんでもない日のサプライズにも、すべて『ありがとう』と笑ってくれた。それは嬉しいことのはずなのに、どこかに物足りなさを覚えつつ、数か月後、俺は彼女との初めての夜を、自分の立てた完璧なプランの中で過ごした。
そして、初めての行為を終えたあと、俺は自分自身に失望した。
ずっと、恋人とのそういった行為はどんなに素晴らしいものだろうと思ってきた。愛を確かめ合い、心も身体も満たされる時間を想像して期待していた。期待しすぎていた。その結果、まず最初に「たいしたことなかった」と感じてしまった自分は、もう駄目だと思った。
ずっと理想の恋愛について想像や妄想をし続け、イメージを膨らませすぎてしまった自分は、これからどんな恋愛しても物足りないと思うのだろうし、どんなセックスをしても満たされることはないのだろうということに、気付いてしまったからだ。
それでも、そんな身勝手な理由で別れるのも申し訳ない気がして、高校卒業まで付き合ったが、卒業式のあと、彼女のほうから振られた。
『透真は、好きな人と恋愛をしたいわけじゃなくて、自分の理想の恋愛を誰かとしたいだけなんだよね』
その通りだった。それきり、こんな俺は舞台上でしか恋愛はしないほうがいいだろうと、現実での恋愛は諦めたのだ。
友人関係に関しても同じことが言えた。相手のために身を投げうってまでも助ける、そんな厚い友情はそのへんにあるものではないということを中高を通じて知った俺は、大学ではこんな面倒な自分は隠し、表面上だけでみんなとうまく付き合っていこうと思った。
しかし、そううまくはいかなかった。
高校と違い、各自がそれぞれの時間を過ごす大学では自然と友達となる機会はほぼなく、あまり自分のことを話さないうえに踏み込まれないように身構えていた俺は、よく分からないやつとして敬遠されてしまっていた。
そんな俺を見かねたのが同じ演劇部の江古田さんだった。なぜ舞台の上だとあんなに生き生きとしているのにプラべだと殻に閉じこもっているのかと問い質され、俺は引かれることを覚悟で人間関係において自分の理想と現実のギャップがあること、だからなかなか自分を出せないことを話した。
真面目に聞いてくれた江古田さんは、仲良くなるためには自己開示は必要だけど、話したくないと言う気持ちはわかる、なら代わりにさりげなくスキンシップを図り、身体的な距離を近づけることで気持ちの距離も近づけるようにしたらどうだ、と言ってきた。
恋愛のハウツー記事に口下手な女の子へのアドバイスとして書いてあったから、たぶん効果があると言われ、俺は思わず笑ってしまった。そして、なんでそんな女の子目線の恋愛のハウツー記事を読んでいるのかと聞いたら、舞台を俯瞰で視るためには男目線だけじゃ絶対にうまくいかない、女の子の気持ちも分からないといけないから、勉強のためにねとさらりと言われ、笑った自分が急激に恥ずかしくなった。
その後、せっかくのアドバイスだしと思って、誰かと話すときにさりげなく背中を叩いたり、腕を肩にのっけたりしてスキンシップを増やしてみたところ、効果は思った以上にあった。意外と話しやすいんだな、と言われることが増え、友達と呼べる人たちもそれなりにできた。仲良くなると、すぐに相手への好意を口にしてしまう癖も、距離が適度にとれていると、ポジティブに受け入れてもらえることも分かった。
誰か特別に仲のいい一人がいるわけではないけど、大学に行けば、誰かしら話す奴がいる、それは自分にとって理想的な過ごし方とも言えた。
そこに、現れたのが、ユウだった。
最初こそ、つかみどころのない男だと、自分も含めみんな思っていたと思うが、一緒に過ごすうちにマイペースだけど信頼はできる人、と部内での評価は高くなっていった。やりますと言ったことについては有言実行で必ずやるし、逆にできないことはできないとはっきりと言うからだ。できない理由が焼きそばだったりはするわけだけれども。
淡々としているけど、演劇に対してはちゃんと情熱を持っていて、でも、まわりに媚びることもなく他人に踏み込むこともなく、だからといって他人を拒絶することもない、そんなユウは、見た目の良さもあいまって、女子たちにも密かに人気がある。
背が高くてスタイルがいいし、一重の涼し気な目が印象的な顔立ちは、どことなくミステリアスで冷たそうに見えるが、その分たまに笑ったときのあどけなささえある顔とのギャップに母性本能をくすぐられるらしい。
ただ、本人があまりにも恋愛どころか人そのものにすら興味がない風だからか、告白を決行する勇気ある女子はいないようだった。
――そんなユウが、こんなことをするなんてな
改めてコメントを見ていくと、自分たちの関係がリアルだと思っている人が意外にいることが分かる。カメラをシャツで隠したあとヤったんじゃないかというニュアンスのコメントもいくつもあった。
こうやって、周りからいろいろと邪推されることは、ユウもさすがに分かっていただろう。
でも、あえてこういう行動を俺のために取ってくれた。
それは、相手のためなら何をするのも厭わないという、俺の理想としていた親友の行動そのものでもあった。もうそういったものに期待するのはやめていたからこそ、余計に胸に響いた。
もう一度動画を見返したあと、俺はピンスタを閉じて、かわりにLIMEを開いた。
*
「どうもどうも彼氏のユウくん」
翌日、ユウの家に行って開口一番そう言うと、ユウは「なんすかそれ」と苦笑した。
「コメント欄にめちゃくちゃ彼氏彼氏って書かれてるからさ」
「まあ、そうですね……とりあえず入ってください」
ユウの家は、その性格と同じくすっきりあっさりとしている。しかし床の一角を、大量のカラフルなレコードが占めていて、相変わらずそのギャップが面白いなと思う。
「最近、新しいレコード買った?」
「そんなに最近ではないですけど、セールのときに――」
そこまで言ったユウが、ふいに黙る。セールのとき、ということはつまりあのファッションショーの日に買ったということだろう。
「いいよ、気を遣わなくて。あの日に買ったやつがあるんだ」
「はい、何枚か」
「あとで見せて」
「今回はあんま透真さん好みのジャケットはないと思いますけどね」
「さすが彼氏、俺の好みのジャケットまで把握してる」
俺の言葉に、ユウがははっと笑う。
いつも通りっぽく見えるけど、どことなく緊張している雰囲気があるのは気のせいではないだろう。
床に座って、ここのすぐ近くのコンビニで買ってきたカップアイスを袋から出し「食う?」と聞くと「食います」とユウも素直に受け取る。
一緒にもらってきた木のスプーンで二口ほど食べたところで、「でさ」と俺は話しかけた。
「まず、昨日も言ったけど、ありがとう」
「いや、というか、勝手にアップしてすみません。でも、相談したらそんなことするなって絶対言われるだろうと思ったんで」
「確かに、相談されたら止めてたわ」
「……もし、これのせいで透真さんがまたいろいろ言われることがあったら、俺、自分が勝手にアップしたものだって言って回るんで――」
真剣な顔で言うユウに「こっちは全然いいんだけどさ」と俺は笑いかける。
「むしろ、ユウ的には俺に利用されたっていうことにしておいたほうが平和だっただろうなって思って。こんなことしたら、ユウ自身もあれこれ言われるの間違いないし」
「あー、むしろ、俺が巻き込まれて可哀そうとかいう的外れのコメントに腹が立ってたとこもあるので、全然いいです」
「そうなんだ」
なんとなくシーンとしてしまった中、二人でバニラアイスを黙々と食べる。
「それで」
「あの」
同時に話し始めてしまい、またお互い黙ったあと「透真さんどうぞ」と言われて「じゃあ」と話し出す。
「俺のほうも、ユウのおかげでSNS再開できそうだから、彼氏っていうのはそこで否定するようにするな。ただ厚意でしてくれたことだから、誤解しないでって」
「そうしたら、また騙されたとか騒ぎになりませんか」
「なるかもしれないけど、もともと彼氏だってこっちが言ってたわけでもないし。さすがにユウにそこまで迷惑かけるわけには」
「別に今まで通りスルーで、言いたい人に言わせておけばいいでしょ。それに、俺が勝手にしたことでこうなってるわけだから、むしろ迷惑をかけてるのは俺のほうだと思うけど」
「でも、それは俺のやらかしたことをフォローしてくれてるわけで」
「それなら、そもそも俺がレコード屋さんに行けるように透真さんがフォローしてくれたのが始まりでしょ」
「ん――、でもやっぱ俺としては、ユウを利用してるみたいで罪悪感がある」
「全然利用してくれていいですよ」
あっさりとユウが言った言葉に、厚い友情をまた感じて胸がかすかにドキリとする。
「このSNSだって、動かすのは青竜祭までなわけだし、あと二か月もないんだから。そこで終わればみんな自然と忘れてくでしょ」
「まあ……それもそうかもしれないけど。でも、マジでいいの」
「うん」
「やっぱユウってキャパが広い……」
「空洞ですから、ってこれもネタ化してきてるな」
笑ったユウに「で、ユウは何言おうとしたの?」と訊ねる。
「さっきなんか言いかけてたじゃん」
「いや……、今、スルーすればいいとか言っておいてなんなんですけど、もし、透真さんに彼女がいなくても好きな人がいるなら、その人に誤解されたら申し訳ないなって思ってて」
耳の後ろをぽりぽりとかきながら、ユウが小さな声で言う。
「あ、それはいないから全然大丈夫」
「そうですか」
「逆にユウは? 好きな人に誤解されて困るとかないの?」
俺の問いに、ユウは淡々と「好きな人いないので」と答える。
「そっか。じゃあこのままでお互い問題ないってことだな。実行委員のほうにも一応言っておくわ。俺らがいろいろ言われてることについて気にしてたから」
「あ、すみません。お願いします」
「でもさ、今回の動画で、ユウの人気すげー上がったよな。コメント欄でもリアコってけっこう書かれてたし」
「それ気になってたんですけど、リアコってなんですか」
「リアルに恋、の略かな、本気で好きになった人のことを言うらしい」
「あー、そういう、へぇー」
限りなくどうでも良さそうなユウの反応に笑ってしまう。
「もうちょっと嬉しそうにしろよ」
「いや、でも俺のこと全然知らない人に本気って言われても喜べないでしょ。もともと俺を知ってた人にすら実際に付き合ったらダメ出しされて振られんのに」
「まあ、それはそうだな」
食べ終えたアイスの蓋を閉めながら、思わずしみじみと答えると「振られるのも納得、みたいな実感こもった返事やめてくれます?」とユウに言われ、慌てて「ちがうちがう」と答える。
「俺もダメ出しされて振られるからさ。分かるなって思って」
「透真さんが? そんなダメ出しされるようなことするんですか?」
一瞬、どう誤魔化そうかと考えるが、本当のこと話しても、ユウなら普通に聞いてくれるだろうと思い直し「俺、基本的に恋愛に夢見すぎてるとこあってさ」と口にする。
「映画とか舞台とかって、めちゃくちゃ恋愛もドラマチックじゃん。なんかそういうのに感化されすぎてるんだと思うんだけど、気持ちをいっぱい伝えようとか、何でもやってあげようとか、あとサプライズとかさ、頑張るんだけど、いつも恥ずかしいとか重いとか言われて」
「喜ぶ人のほうが多そうですけどね。そういうの」
「いや、たぶんユウが思うより痛い感じだと思うわ。俺、王子様に憧れてたから」
「へぇ」
驚くでも引くでもないユウの反応に安心し、俺は続ける。
「まあ、それでも受け入れてくれる子もいたんだけど、俺は理想を膨らませすぎてるせいで満足できなくて。で、結局、自分の理想の恋愛をしたいだけでしょって振られるっていうね」
「ってか、透真さんって」
ユウが、俺の空のアイスカップと自分が食べ終えたアイスの容器を重ねる。
「逆のイメージでした」
「逆?」
「いや、見た目的には確かに王子様っぽいんですけど、なんていうのかな、やってあげるというより、やってもらう側っていうか」
「俺が頼りないって話……?」
「違う違う、イメージでいうと、年上のお姉さんに可愛がられてる、みたいな。透真さんってなんていうか……可愛げがあるから」
少し首を傾げた俺を見て、ユウが慌てたように続ける。
「ほら、うちでレコードとか選ぶときも、いっつも可愛い感じのやつ選ぶし。甘え上手なところもあるし」
「そうかな」
ユウがそうそう、と言いながら二人分のアイスのカップを持って立ち上がり、台所のシンクでそれを洗いはじめる。
それで言ったらユウは間違いなくやってあげる側だな、とその様子を見ながら思う。
今も当たり前のように俺のカップまで片付けてくれた。まあユウの家だからっていうのもあるかもしれないけど。
動画の中でも、布団を敷いてくれたし、俺が起こしてっていうのも普通に受け入れてた。
SNSを見ないようにしたとき、このまま誰からも連絡が来ないかもしれないという不安から、ユウに写真とか送ってと言ったのに対しても、ちゃんと毎日送ってくれたし。
合宿中、ハグしてほしいって言ったらすぐにしてくれた。
――いや、ちょっと待て。俺、ユウに甘えすぎなのでは?
ふと不安になって「じゃあ、レコード見ます?」と聞いてきたユウに「ユウさ、俺に呆れてない?」と聞き返してしまう。
「なんすか急に」
「いや、今、ユウこそ何でもやってくれてんなって思って。俺、甘えすぎてない?」
ユウがきょとんとした顔になる。
「別になんでもやってるとは思ってないし、そんな甘えられてるとも思わないですけど」
「空洞だからか……?」
「俺の決め台詞取らないでもらえます?」
笑ったユウがレコードのところにしゃがみ込み、その細いけど広い背中を俺は頬杖をついて眺める。
よく考えたら、今回の動画もサプライズと言っていいし、実はユウこそが自分がなりたかった王子のような行動をさりげなくできる男なのかもしれなかった。
しかし、羨ましいという気持ちは全く湧いてこず、むしろそんなユウに受け入れてもらい、いろいろとしてもらう今の状況が心地良いというのが正直なところで。
ーーどこまで受け入れてくれるんだろうな
ふとそう思った俺は立ち上がり、レコードを選ぶ背中に後ろから抱きついて「どれがユウのお気に入りなん?」と聞いてみる。
ユウは一瞬驚いたように身じろいだものの、肩越しに「これですかね」と五枚持っていたうちの一枚を見せてくる。
そのまま、ジャケットのどの辺がいいのかを説明するユウの落ち着いた声を聞きながら、ずっと緊張していた心が少しずつ解されていくのを俺は感じていた。